新たな通名、来たる沙汰
今日も今日とて御馴染みの毛糸の帽子を深く被り、組合の受付を担当している我が魔導の師匠――アルトさん。
そんな彼女はしかし何時もとは違い、その見目麗しいお顔の眉間に深い皺を寄せていた。
まあ、眉間に皺を寄せた程度でこの人の美貌が損なわれるなんてことは無く、寧ろ普段見る事が出来ないその怒り方は、傍目からすれば若干幼い印象を受け可愛らしいともとれた。
……――美人は得だなと、何となく思った。
と言うか、この人は何故こんなにも怒りを露わにしているのだろうか?
まあ確かに? 朝も早よから迷惑な訪問者の相手をさせられたのは手間だった事だろう。
傍若無人なあの人の相手は、俺も厄介に感じたことだし、事実アルトさんに手助けして貰えて凄く助かったと思っている。
だがアルトさんはある意味、ああいった輩を扱うエキスパートのような人だ。
と言うか、気性の荒い者が集まりやすい冒険者組合の受付嬢をしている彼女にとってみれば、通常業務の一環でしかない。
事実逆上するマードックさんを最小限の魔導であしらっているのだから、アルトさんにしてみれば大した手間でもないだろう。
だからこそ、そんな彼の言動に対して呆れると言う言動ならばまだわかる。
しかし、伸びているマードックさんを適当に組合の片隅に転がし、事がひと段落ついた今、どうして彼女はお怒りになっているのだろうか?
――考えても分からないことを、考え続けていても仕方がない。
此処は一つ、直接聞いてみるのが得策と言うものだろう。
「――全く、どうしてああいった輩は他人に対してもう少し気が使えないのっ! 本当に信じられないっ!! アル君もああいう輩に対して馬鹿正直に対応しなくて良いからね! ガツンと言ってやりなさい!」
と、いざアルトさんに疑問を投げかけようとしたところ、ぷりぷりと怒った彼女からそんな言葉を唐突に投げかけられ、図らずしも出鼻を挫かれる事になってしまった。
これぞアルトさんお得意の魔力感応ならぬ、応答感応なんてね。
……無駄な造語を作ってしまった。とりあえず反省。
「――とぉ、い、いきなりですね。ですけどあんまり無下に扱うのもどうかと思いますし、と言うか、アルトさんはなんでそんなに怒ってらっしゃるんです?」
「アル君は人が好過ぎるよっ、礼儀を知らない人間に礼を尽くす必要なし! あと私が気に入らないのは色々あるけど、一番は君の二つ名だよ! 元々ついてたっていう”傷ついた白色”だって何それって思ったのに、あの決勝戦以降、君がなんて呼ばれているか分かってる?」
「ええ、まあ、いくつかは聞いたことがありますね――正直かなり恥ずかしいですけど」
テッド辺りは己についた二つ名に大いに喜んでいたけれど、それは年相応の反応なのだろう。
だが俺は前世も合わせれば御年三十六歳、年齢だけで考えれば俺も立派なおっさんである。
中高生の男子ならまだしも、今の俺には色々ときついモノがある。
だが言ってしまえば、その程度の事だと思っていたし、別段騒ぎ立てる事ではないと思っていた。
しかしながら、我が親愛なる師匠はそうではないらしい。
「”万華鏡の魔導士”についてはまだましだけど、さっきの”傷だらけの赤色”や”血濡れの虹”なんてひどすぎるよ」
「いやー、僕は的を得ていると思いますけどね」
”万華鏡”や”虹”と言った単語はコロコロ変わる魔導発光を、そして”赤色”や”血濡れ”は自滅している俺の姿を容易く想像させる。
はっきり言ってどれもこれも、『ワイルドカラーマジック』を使用する俺を的確に表しているような気がする。
「ダメだよ、アル君がそんな風に納得する何て――あの彩色の魔導は君が苦心しながら作り上げたモノでしょう? その苦労も理解せず軽々しい蔑称で呼ぶなんて許せない。それに何度も言うようだけど、私としては君にあの魔導を使って欲しくないんだけど――」
アルトさんが続けようとした言葉に対し、俺は首を振った。
あの大会の決勝戦が終わって、アルトさんだけでなく、イリス母さんにも、ソフィアちゃんにも、戦乙女の皆さんにも、挙句の果てには我が相棒からも同じことを言われたものだ。
もう『ワイルドカラーマジック』を使うな、と――
見てくれこそ派手だが、自滅前提の魔導を使うことを、この人たちは良しとしなかった。
俺の身を案じて、俺自身が傷つくことをこの人たちは良しとしなかった。
その純粋な気持ちに触れて、泣き虫な俺はまたしても無様に泣きそうになったけれど――唇をかみしめて、俺は皆に同じ返答を返した。
「――これだけは何があろうと違えるつもりはありません。勇者様が勤めを果たすその日まで、僕は必要とあればこの力を使います。これだけは譲れません」
いっちゃんが背負ったのは、正しく世界を救うという大義。
魔王討伐が容易い訳が無い、まず間違いなく、『ワイルドカラーマジック』は必要になる。
勇者様を助けるためにならば、躊躇う事など一つもないのだから。
俺の決意を再確認して、アルトさんは大きく溜息を吐き出した。
「……はぁ、全く頑固なんだから、君にそこまで言わせるなんて勇者様に妬けちゃうよ。これ以上は流石に野暮だよね――はいこれ」
観念したように言うと、アルトさんは上質紙の巻紙を俺へと差し出して来た。
仰々しくも紐で結われたその巻紙には、羽を広げる大鷲の紋章が入っていた。
羽を広げる大鷲の紋章――これこそはグランセル王国のエンブレム。
この紋章が入った通知を貰うのは生涯を通してこれで二度目。
一度目はグレーヴァ・マルクス魔導学士園の入学試験参加許可証を貰った時。
そして二度目のこれは、俺が待ち望んだ最上の騎士任命式の通知であることはすぐさま分かった。
「来たんですかっ!? ありがとうございます!!」
俺は喜び勇んでその巻紙を受け取った。
通常最上の騎士の任命式は魔導武具大会終了後、その場で行われるのが通例である。
事実、一昨年はその通例通り行われたのが記憶に残っている。
しかし、それは勇者がいない時分の、形式的な任命式の場合で、正しく勇者の付き人たる最上の騎士の任命式となれば、色々な段取りが必要になる物らしい。
早速通知を開いてみれば、長々とした文面と日時が記載されていた。
書かれていた日付は三日後、そして場所はやはりと言うか、グランセル城だった。
国の重鎮の中、仰々しく執り行われる政の光景を思わず想像する。
この世界に生れ落ちて初めて、王城の中に踏み入れることが決まった瞬間だった。




