-勇者は現実を知る-
またしても短くてすみません。
――イリオスは異世界である。
そんな事は、あの日私がプリムラ姫によって呼び出された時点で、既に分かっていた事だった。
科学ではなく、魔導と言う力が発達しているこの世界を目の当たりにすれば、必然分かる事だった。
銃器ではなく、剣や弓が用いられているこの世界を見れば、理解の容易い事だった。
でも私はその光景を目にするまで、その事実を真に理解などしてなどいなかった。
それは良くも悪くも、私の願いがかなってしまったからだろう。
プリムラ姫の言葉を借りれば、命に代えてもなお叶えたい願い事が叶ってしまったから……
……それに関しては、言い訳しようのない事実。
だけど、私は願い事が叶った事で、はっきりと、明確に舞い上がっていた。
死んでしまったあの人が、大好きな朔兄が、この世界にはいて、再び会えた。
それだけでも運命的だというのに、しかも朔兄は最上の騎士と呼ばれる、私だけの騎士に成る為に頑張ってくれているなんて話を聞けば、舞い上がらずにはいられなかった。
それは幼い頃に読み聞かせてもらったおとぎ話とよく似た境遇。
囚われのお姫様を助けるために、悪しきドラゴンや悪い魔女を倒す王子様の構図とそっくりだなんて思ったから。
――そんな認識があったから。
でもそんな認識は、あの光景を目にすることで、一瞬で砕けてしまった。
朔兄が挑んだ、その戦闘を見る事によって、砕けてしまったのだ。
――グランセル魔導武具大会の、その決勝戦、最上の騎士を選定するための戦い。
他でもない――私の最上の騎士を選定する戦いなのだから、その大会の全貌を見る事は、いわば私の義務だったのに……
眠り込んでいた私は都合よくその義務から目をそらす形になっていた。
でも、目を覚ましたのならばそれを怠る訳にはいかない。
残っていたのは決勝戦だけだったけれど、ならばその戦いだけでも確りと目にしなければいけなかった。
そしてそれは、まかり間違っても、軽い気持ちで見ていいものではなかった。
碌に覚悟も出来ていなかった私には、眼に毒過ぎる戦いだった。
飛び交う魔導――風の刃に冷気の結界、炎の拳撃に雷撃の応酬、須らくその全てに殺意があった。
煌めく白刃――激しく打ち合われるその刃には手加減の文字など微塵もなかった。
当然、それらを交し合う対戦者たちは、簡単に傷を負っていた。
その光景に私は思わず言葉を無くしてしまう――それほどまでにショックが大きかった。
大会と言う響きから、なんとなく私はもっと軽い物を想像していた。
野球とか、サッカーとか、そういった競技を観戦するのと同じ、あるいはそれらの延長線にある物と判断していた訳だ。
私は、少し前の自分を引っ叩いてやりたい気持ちに駆られた。
――目の前で起きている事は、紛うことなく、殺し合いだったのだ。
でも、それを騒ぎ立てる人は誰もいない。
私の横で、私と同じ光景を目の当たりにしている少女さえ、それに意は唱えない。
ふんわりした雰囲気が印象的な少女――プリムラ姫は、異を唱えるどころか、凄い凄いとはしゃいでさえいた。
前半は、金の少年が扱う魔導を褒めたたえていた――なんでも珍しい属性の魔導を沢山使っていて凄いのだとか。
後半は、朔兄の使っている魔導に興奮した面持ちだった――あの様々に変化する魔導は初めて見るのだという。
そんなプリムラ姫の言動に、私はただただ愕然とした。
――ズレているのだ。
私と彼女にある、決定的な認識違い。
私が異様だと感じている目の前の光景は、あの殺伐とした殺し合いは彼女からしたら試合の範疇に収まることなのだ。
一歩間違えばどちらかが死ぬ危険性だってある。
恐らく彼女もそれは理解している――理解したうえで、それでも彼女にとって目の前のこれは試合なのだ。
つまり彼女にとって、戦いや死と言う現象は、私の其れより遥に身近で、馴染みのある事柄なのだろうという事を自然と理解させられた。
――この世界、イリオスは異世界である。
その事実を、真に理解させられた瞬間だった。
――思わず涙が出そうになった。それは色んな感情が駆け巡ったせい。
一番最初に襲われたのは、この世界で過ごさなければいけないという後悔。
同時にそれを一番に考えてしまう自分は、酷く浅ましい生き物に思えて、激しく自己嫌悪する。
この世界に呼ばれる直前私は確かに思っていた――何でもします、と、だから朔兄に会わせてほしい、と。
だっていうのに、私はこの世界の実情を知った途端、怖くなって怖気づき、後悔してしまったのだ。
この世界を勇者として救わなければいけないというのに、この体たらく。
私は囚われの姫なんかじゃない、私に与えられたのは姫を助け出す王子様の役割――それが願いを叶えて貰った私に課せられた義務。
それを私はあろうことか忘れて、唯、目の前に現れてくれた存在に浮かれていたのだ。
私の為に戦ってくれている朔兄に喜んでいたのだ。
こんな私を浅ましいと言わずして、他に何と言うのか。
勿論私の為に頑張ってくれる朔兄の存在は、確かに嬉しい。
だけど、目の前で殺し合いを繰り広げる彼の姿なんて――死に物狂いな朔兄なんて見たくなかった。
――私の為に血を流して欲しくなかった。
――私の為に腕を潰して欲しくなかった。
――私の為に傷ついて欲しくなんてなかった。
傷だらけで、ボロボロで、それでも膝を着かないあの人。
兄妹の中で一番物静かだったけれど、何気に一番頑固だったのもあの人だ。
姿は変わってしまったけれど、そんな在り方だけは全然変わっていなかった。
そうしてあの人は、対戦相手の人に勝ってしまった――最上の騎士になってしまった。
これであの人は、私の為に騎士になってしまった。
ともすれば死ぬかもしれない存在になってしまったのだ。
あの人はまた、私の所為で、死んでしまうかもしれない――
勇者として戦う、魔王を討伐する――それは願いを叶えてもらった私の義務。
それはこの際甘んじて受け入れよう、願いを叶えてもらったんだから当然の事――いわば私のわがままが招いた事。
だけど、そんな私に我がままに、朔兄が付き合う必要なんてない。
だから私はいう事にした。
私を呼び出した彼女に頼むことにした。
「『ねぇ、プリムラ、何度もお願いしてごめんね? でも、これがきっと最後だから、ううん、今までのお願いをなかったことにしても良いから、これは、これだけはお願い、聞き入れて――』」
きっと私の最後のお願いは、朔兄の想いを踏みにじる事に成るのだろう。
死に物狂いの彼の行いを否定する行為なんだろう――それを思うと心が潰れそうになる。
でも、もう一回あれを体験するのに比べたら遥にマシだった。
「『――あの人を、あの、アルクスさんを最上の騎士にするのだけはやめてください。おねがい、します……』」
私のせいで朔兄が死ぬのだけは、もう二度と味わいたくなど無いのだから――




