石化の蛇の睨み(後)
忙しい……マジで忙しい……
更新遅くなってすみません。
石化の魔眼――対戦者であるシズモスさんが持っているであろうと予想されるそれを聞いて、うろ覚えながら思い浮かんだのは前の世界の有名な神話だった。
石化の魔眼を有する化物で有名どころと言えば、ギリシャ神話のメデューサ。
見るもの石に変えてしまう力を持つ退治困難な化物――だがそんな化物も英雄ペルセウスによって退治される。
ペルセウスは鏡の様に磨かれた盾を持ち、その盾に映るメデューサの姿を見ながら――つまり直視されることを避けながらメデューサの首を取ったらしい。
……もちろん、神話のメデューサと同じ方法を用いた処でシズモスさんが倒せるかと言うと、それは全く別問題だ。
第一、シズモスさんの魔眼に関して、その特性が全く分かっていないのだから。
だがそれでも、直視を避けるという選択は、少なくとも何らかの効果があると思っていた。
シズモスさんの持つ力が魔眼であるのならば、それは目にすることで初めて効果が発揮されるもののはずだと思ったが故。
急造であっても、遮蔽物さえ用意できれば、一時的でも身を隠すことが出来れば何とかなると、俺は思っていた。
そしてあわよくば、水の鏡によって魔眼の力をシズモスさんへと跳ね返せるのではないかなんて、甘い事を思っていた――そう思い込んでいた。
――だが、そうやって安易な推測を立てた結果、待ち受けていたのは無様に地を這う俺の姿だった。
地に伏した俺の頭上で、不意にバシャリと何かが壊れる音がした――それは俺が身を隠すために展開した『”水面鏡”』が壊れる音だった。
訳が分からなかったが、反射的に両腕に力を入れて立ち上がろうと試みるも、その試みはどういう訳か上手くいかなかった。
それは体が石化しているからという訳では無く――言うなれば急な体調不良によるものだった。
状態を起こした瞬間に、文字通り廻ったのだ。
この世界に生を受けてからは殆ど体験した事のない感覚。
――例えるなら酷い車酔いをした時のような感覚。
――例えるなら遊園地のコーヒーカップで、調子に乗って回転を上げ過ぎた後のような目が回った様な感覚。
体が石のように固まった訳では決してない。
腕が震えて力が出ない――それでも何とか力を込めて、何度も何度も崩れ落ちそうになりながら俺は何とか上体を起こした。
――不意に、廻る視界に影が差す。
歯を食いしばって見上げてみれば、そこにはシズモスさんの姿があった。
先ほどと何も変わっていない彼は、やっぱり開いているのかさえ分からない細目で俺を見下ろしてきていた。
瞬間、冷たい汗が背中を伝うのを自覚する。
……動揺は確かにあった。今だってその動揺は強く俺の中に残っている。
それでもまさか、こんなにも無警戒にこの人の接近を許してしまうなんて――……
「――さて、悪ぃがコイツも仕事なんでな、悪く思うなよ」
「っ、い、一体なに――ぃグっ!?」
――左頬に衝撃。
上体を起こすので精一杯だった俺に、その衝撃を耐える術は無く、無様にゴロゴロと横へと転がった。
口の中一杯に鉄味が広がり、左頬は燃えるような痛みが後から襲ってくる。
情けなく口内に広がる液体を吐き出し、霞そうになる目を開いてみれば、視界の先には右足を蹴り上げたシズモスさんの姿があった。
――どうやら、俺は蹴られたらしかった。
「――ケフッ、コホッ! な、なんで?」
その光景に、蹴りと言う行為に、俺は自然と呟きを漏らしていた。
それは小さな呟きだったから、シズモスさんには届いていなかったのだろう。
俺の視界に映る彼は、俺の呟きに反応することもなく、ただ黙ったまま、再び空いた俺との間合いを詰めてくる。
そうして横倒しになった俺の傍らへとやってくると、再びサッカーボールでも蹴るかのように右足を振り上げ――
「――ッッッ!!」
――俺の腹部へと蹴りを放って来た。
悶絶――その衝撃に上手く呼吸が出来なかった。
何度もせき込んで、無様に転げて――俺は仰ぐように上を向いた。
――三度開いた距離を詰めたのか、見上げた視界の端にシズモスさんの姿を捉える。
彼は先ほどと変わらず武器を仕舞った状態で俺の事を見下ろしてきていた。
「――ハッ、ハッ……、な、なんで」
そんな彼の姿に俺はまたしても同じ呟きを漏らした。
先ほどと同じでいて、少しだけ大きいその呟きは、如何やら今度はシズモスさんの耳に届いたらしい。
「――は? そいつはどういう質問だ? 俺の力の正体でも聞きたいってか?」
……それを聞きたいという思いは確かにある。
だが、今のなんでは其れについて問うた訳では無かった。
俺は苦しいながらも、我が身を絞る様にして言葉を取り出した。
「……な、んで、勝敗を、決めにこない?」
……――俺は、見紛うことなく、無防備だった。
今のこの状態では魔導の攻撃も、武具による一撃も太刀打ちする事など出来ないだろう。
そして、それらは恐らくこの試合を決める攻撃となる。
きっと恐らく、俺などでは意識を繋いでなどいられない。
――だというのに何故、彼は蹴りしか、俺をいたぶる様な攻撃しか、してこないのか?
「――ああ、そりゃ、そういう注文だからな」
「……ちゅう、もん?」
「ああ、注文だ。昨日いきなり届いたオーダーさ。――まぁ、昨日のあれがあんなことになっちいまえば、しゃあないっちゃぁ、しゃあないんだろうさ」
「な、何の事ですか?」
俺の疑問の声に、シズモスさんは大きく一つ溜息を吐き出して見せた。
そうして改めて俺を見下ろす――
「――何って、お前と水流の旦那の試合だよ、お前が勝って、お前が今ここにいる、そのこと自体が大旦那にとっちゃあ想定外だったってこった――いくら学園で優秀だからって、平民の餓鬼に足元救われるなんざこれっぽっちも思ってなかったんだろうな、大旦那は」
――言いながら、シズモスさんは三度蹴りを放って来た。
固いブーツのつま先が右の上腕に突き刺さる。
その痛みで意識が持って行かれそうになるも、何とか繋ぎ止めた。
「お前の大番狂わせは確かに見ていて気持ちのいいもんだったが、俺は別の意味でハラハラもしてたんだぜ? 何せこの大会に出た意味が無くなっちまうかと思ったんだからよ」
「――た、大会に出た、意味?」
「ああ、つーか、そもそも依頼がなきゃ俺はこんな大会になんかでやしねぇよっ!!」
「――――ッ~~ッッ!!!!」
――踵落としが鳩尾に突き刺さる。
声を上げる事も出来ない――うめき声しか出せなかった。
だが、そんな状態でも俺の耳は確りと音を捉えていた。
「――水流の大旦那からの依頼だ。この大会に出場し、二回戦で負けて大旦那の息子を三回戦に進めさせる、それが俺に与えられたオーダーだった……他ならない、お前が潰しだオーダーだ」
「――ッッッ!!!???」
「おっ、訳が分かんねぇって顔だな? だが、そんな顔しても無駄だぜ? 俺も分かんねぇからな――ホント、貴族様の考える事は難解でしょうがねぇよ。――だがな、給金だけは良い。日陰者の俺があんな大金掴む機会なんざ普通ありゃしねぇ――それこそ大事な飯の種をこんな大舞台で使ったって、釣りがくるくれぇだ」
「カハッ――じゃあ、貴方は、お金でこの試合の勝敗を、売ったんですか?」
「おいおい、間違えんな、売ってた、だ。お前が勝ってそいつは無くなったんだよ。まさに骨折り損のくたびれ儲けだ。――だけどな、お前さん如何やら相当大旦那のお怒りを買っちまったらしいぜ? 何せ、存分に痛め付けてから殺せなんて言うくらいなんだからな」
「――ッ!? でも、それでは、貴方の、負けになりますよ!?」
この魔導武具大会は真剣勝負の大会だ――故に、最悪の自体だって起きる事はそう珍しくない。
だからこそ、大会の参加者にはそのことを了承させるために、書面での署名を求められるのだ。
でも、死と言う事象が許されるのは偶然に限ら得る事であって、故意による殺人の場合は決してその限りではない。
対戦相手をいたぶったあげく、そのまま殺すとなれば、最上の騎士の資格なしとされ、大会の失格も免れないだろう。
「――だからどうした? そもそも俺は最上の騎士になんぞ、これっぽっちの興味もありゃしない。こんな試合に負けたって、目的さえ達成出来りゃそれでいいんだよ、なにせお前を甚振って殺せば元々の約束通りの金がもらえるんだからな――勇者か何だか知らねぇが、そんなもんに命かけられるかよ。むしろ俺にとっちゃここで負けられた方が都合がいいってもんだ」
――事も無げに、彼は言い放った。
俺が欲して止まない称号を、この大会の参加者の殆どが目指すそれを、そんなものと言い捨てた。
――心が燃えるほどに熱を持つのを自覚する。
逆に冷えて行く思考――頭の熱がそこに吸われているのではないかと錯覚する。
うつ伏せの状態へと転がり、まずは右から、そして続いて左の拳を地面に打ち付け、強引に上体を起こした。
――目が廻る?
――だからどうした?
――知った事じゃないっ!!
一回戦に続き、二回戦でもこんな輩に当たるなんて、何たることか。
――否、彼の口ぶりからするに、如何やらこの対戦は大旦那とやらに仕組まれたモノであるらしい。
なれば、同種の相手に当たるのも当然と言えば当然なのか?
……――ああ、なんてことだろう。
元より負けてやるつもりなど毛頭なかったけれど、その想いが一入強くなってしまった。
――――こんな輩に負けてなどなるものかっ!!!!
「――おっと俺を恨むなよ。そもそもお前が旦那に勝ちさえしなけりゃ、お前をこんな風に痛めつける必要だってなかったんだからな。恨むんなら自分の行いを恨めよな」
「うる、さいっ!! 痛めつけるとか、そんな事関係ないっ!! 僕は、絶対、何が何でもっ、お前を倒してやる!!!!」
「おーこわっ!! なにムキになってんだよ。這いつくばってるくせに――そんな大言壮語は俺の力を跳ね退けてから言えよなっ!!」
怒鳴る様に声を上げる対戦相手は、俺を見卸し――そして口を開いた。
「――悉くを地に縫い止めよ――万物の鼓動は我が意の中にあり」
紡ぎ始めたのはつい先ほども聞いたフレーズ。
俺の体の自由を奪った謎の力――その発動の予兆だ。
大口をたたいたが、確かに俺はこの力に屈していた。
跳ねのける術を未だ知らない。
その力の発動に――為す術など無かった。
だからせめて、俺はその力の発動の全てを見逃さないために目を見開くことにする。
少しでもヒントを得るために、反撃の狼煙とするために、対戦相手の一挙一動を見逃さない様に――
――そうして俺は目にした。
呪文を紡いだ後、ゆっくりを眼を開いてゆくのを見た。
――ゆっくり、ゆっくり、もったいぶる様開いた瞼。
その中にあったのは――
――少しだけ色素の薄い、何の変哲もないブラウン色の瞳だけだった。
間髪入れずに襲いくるは、甲高い耳鳴り音――
――普通の瞳
――魔眼じゃない?
――耳につくは、音
――甲高い 音
――音?
――込めていた両腕の力が抜けた
――意識が霞む
――意識を繋がないと……
「くっ、くくく、かかかかかっ、倒すとか大口叩いておいてそれかよ!! 残念だったなおい!! って、言っても無駄が、意識もねえよな!! そうしたんだから当然だよなっ!! くかかかか‼」
笑い声が響いた。
勝利を確信した男の笑い声が響いた。
――とても耳障りな、勝利を錯覚した男の笑い声が響いた。
「――貴方の魔眼の正体、分かったぞ」
「かひゅっ!!?? な、なんだ? だれだ!?」
「……誰って、酷いな? 少なくとも貴方に声の届く範囲にいる奴なんて限られてるじゃないですか」
言いながら、俺は魔導を起動させた。
練り上げるのは青の魔力――だがそれは攻撃用のモノではなかった。
下位四属性の中で最も体内に干渉する事に長けている魔導を持って行うのは、体内のスキャニング――
特に重点的に行うのは頭部――俺の予想が正しければ……
「――やっぱり」
――イメージするのは凪の海、否、波紋さえない湖面。
そうやって揺さぶられたであろう体内の調子を整えると、次第に先ほどまであった強烈な眩暈が急激に大人しくなってきた。
――そのタイミングを持って、ゆっくりと立ち上がる。
立ち上がった俺を見た対戦相手は、まるで幽霊にでもであったかのように分かりやすく動揺していた。
「なんで立ち上がれるっ!! いやその前に、なんで意識を失わなかった!! 俺は確かにお前に――」
「――魔導を放ったんですよね、魔眼ではなく魔導を」
「っっ!! なんで、それを……」
「気が付くのが一瞬でも遅れたら危なかった――と言うか、意識を繋ぐのも大変でした。もうしたくないですよ、こんなことは――」
言いながら俺は今までずっと握っていたハンティングナイフの先端についた血を服で拭った。
左腕に付けた傷は決して浅くはないけれど、命にかかわるほどのものではないので、今は気にしない事にする。
「まさかお前っ、自分の腕を切り付けて……」
「ええ、とっても痛かったです。――でも、そのおかげで意識を繋げました。全く、初めの一回目では気が付けませんでしたよ。貴方の魔導属性の一つが音だったなんて、ね」
「なっ、なっ――」
「音の魔導で、『超高周波』でも生み出してたのかな? それで俺の『脳』やら、『三半規管』なんかを揺らしていたんでしょう? これなら確かに物陰に隠れても意味ないですね。――この魔導の凄いところはニンゲンだったら大抵の人に効くってとこかな。耳の良い獣なんかにもよく効きそうですよね。逆にゴーレムやスライム、妖精なんかには効果がないのかな? 『脳』や『三半規管』なんてなさそうですし」
「な、んでそれを――つーか何言ってんだよお前っ、なんで俺より詳しいみたいな口調してんだよっ、くそっ!! ――悉くを地に縫い止めよ――万物の鼓動は我が意の中にありっ」
悪態をつきながら、彼は三度文言を唱えた。
そう、文言だ。
彼の力が本当に魔眼だというのなら、そもそもそんなもの必要とさえしない。
そして、これから発動するのが音属性の魔導だというのならば、対処することは魔眼の其れより容易かった。
俺は、音の魔導が発動する前に、瞬時に緑の魔力を練り上げ、思い付きの魔導を発動する。
『――震えを飲み込め、”虚空っ!”』
イメージするのは真空の断層――それが俺を覆う様に展開する。
その魔導のおかげで一時的に、周りの全ての音が遮られた。
何の音も届かないが、俺の様子を見て驚愕の表情を浮かべているシズモスさんの姿を目にする。
――魔導を解除した。
「……にをしやがったっ!! なんで倒れない!?」
途切れていた音が戻ってきたのを確かめる。
途中から聞こえ出した彼の問いかけに、一応答えておくことにした。
「貴方の魔眼の正体が音魔導なら、対処は簡単です。音とはつまり空気の振動――ならば真空の空間で区切ってやればそもそも音が伝わる事は無い、だから今の音魔導は僕の元までは届かなかったという訳です」
「――ば、化物!?」
「失礼な――唯の考察です。元理系のニンゲンを舐めないでください」
俺は言いながら、再び青の魔力を練り上げる。
今度は体内の調整のためにではなく、攻撃の為に。
込めるのは元々の魔力の約二十パーセント。
殴打に切り傷、今回の試合も沢山の傷を作って正直あまり動きたくないというのが本音だった。
だからこそこの一撃で試合を決める事にする。
『――悉くを飲み込めっ!! ”水蛇っ!!”』
放つのは人一人を容易く飲み込んでしまう程の水大蛇――至近距離より放たれた俺の水魔導に為す術なく飲みこまれる対戦相手。
「貴方の音魔導、それは特定のフレーズを唱えないと発動できないようですね。『水蛇』中だとそれを唱える事なんて出来ないでしょう?」
果たしてその声が聞こえているかどうかは分からない。
でも『水蛇』の中で、彼が大きく空気を吐き出すのだけは見て取れた。
水大蛇が大きくうねる――
対戦相手を加えたまま空高く上り、そして下を向く――
『――滝つぼに沈めっ!! ”水蛇水行っ!!”』
そして水大蛇は落ちる勢いをそのままに、対戦相手毎闘技場の地面へと勢いよく突っ込んだ。
水大蛇は大地へ激突すると同時に潰れて行く――大蛇が潰れた後には、白目をむいた対戦相手が横たわっていた。
グランセル魔導武具大会、二回戦第八試合勝者――アルクス・ウェッジウッド




