石化の蛇の睨み(中)
あつい……しぬ……
おそくなって……すみません
かゆ……うま……
己が脚力と任意に吹き荒らした上昇気流に身を任せ、俺は宙を漂う。
一瞬の空中遊泳の最中――対戦相手へと目を向ければ、彼の体は先ほどと同様に特徴的な橙色の光を放っていた。
それは試合四回目の魔導行使であり、同時に俺への追撃の証。
宙に舞う俺の体を撃ち落とさんがための魔導――
「――打ち抜け!! ”ネイルロック・カタパルトッ”ッ!!」
……訂正、あれは間違っても撃ち落とす為のモノなどではなかった。
顕現し、俺へと迫りくるは確かな質量を持った巨大な釘。
――材質は色合いから判断するに、恐らく岩石製だろう。
質量、迫りくるスピード、そして予想される高硬度――まず間違いなく、あんなものが直撃しようものならば、俺の体など容易く縫い止められてしまう。
闘技場の壁に現代アートよろしく、縫い止められる自身の姿を幻視した俺は、回避の為に未だ体に纏い続けている移動補助魔導の力を総動員した。
とはいえ相当な質量であることが予想できる岩石の釘を、一回戦の氷柱の様に反らせるとはとても思えない。
となれば当然、動かすのは俺自身の体という事になる訳だが――とりあえず使えるものは何でも使うことにしよう。
イメージするのは吹き下ろしの強風――ダウンバースト。
『――吹き荒べっ、”颪っ”!!』
瞬間、貫けた闘技場の上空から、まるで大きな掌で押し返される様な感覚を感じると同時、俺の体は進行方向を変えた。
上から下へ――全身に風を受けると同時、己が体にかかる重力さえも足しにして、一気に地面への帰還を試みる。
自然落下とは異なる急激な落下は、空気抵抗を無視しているが故にとても危険な速度となっていた。
何の強化もしないままで着地を試みるのは流石に無帽過ぎるので、俺はすかさず魔力を全身に充足させる事で己が体の強化を測った。
着地は両足から、適度に力を抜いた状態で地面に右足をつけ、間髪入れずに左足を下ろし、タイミングを合わせて膝を折り曲げ勢いを殺す。
更にそのまま前傾に上体を倒してゆき、両腕を使って体を支えた。
――それだけの事をしたと言うのに、両手両足に掛かる負荷は凄まじい。
体感ではあるけれど、恐らく体に強化を施していなければ体の何処かが砕けていたのではないかなんて思ってしまう。
今になって少しだけ無茶なことをしたかと冷汗が噴出してきた。
「――ふっ!!」
湧き上がってきた恐怖を吐き出すように、呼吸を一吐き――そしてそのまま腕の力で上体を起こして前を見据える。
左右にはせり出した岩の壁が一直線に対戦相手へと向かって伸びていた。
だが等の本人は未だ先ほどまで俺がいて、そして既にいない上空を見上げていた。
――打ち出した岩石の釘の行方を今だ目で追っていた。
恐らく彼はまだ、俺が地上に緊急帰還したことに気が付いていないらしい。
なれば好都合――俺は殆どロケットスタート状態の今の体勢を利用して、一気にスタートダッシュを切った。
風向きを『”颪”』から『”追風”』に変更して加速する。
風を一身に受けて、前へ――
……正直な話し、この行動は間違っているのかもしれない。
対戦相手は地属性の魔導使い――地の属性は大地を操り、そして同時に大地を掴む事に長けている。
地の属性を使う者は地に足を付けている限り、熟練度が上がれば上がるほど己が膂力を増大させることが出来る。
故に、こと近接戦闘においては無類の強さを発揮する。
加えて対戦相手の近接戦闘の主力武装は、恐らくあの鈍器だ。
強力な膂力によって振るわれるあの鈍器は、まともに食らえば防具の上から骨を容易く砕かれるだろう。
そんな彼に近づくなど危険でない筈がなかった。
――だが、今のままでは正直ジリ貧であるので致し方なかった。
通常、普通の魔導では純粋な物理の防御を貫き難い。
地の属性の魔導は、展開すれば魔導が質量を持つ、地の魔導属性の最大の利点は正にそこだった。
今不意を突いて魔導を叩き込んだところで、シズモスさんの魔導の展開速度を鑑みるに、恐らく彼へは届かない。
風であれ、水であれ、火であれ、岩壁をそれで貫くのは容易なことではない。
『”番穿風”』なんかは勿論例外だろうけれど、しかしこの技は、一回戦で既に披露している技だ。
俺がシズモスさんの魔眼を知っている様に、シズモスさんもまた俺の手持ちの技を知っている。
魔眼をブラフに俺の行動を巧みに制限してきた彼の事だ、予防線の一つや二つ、合っても可笑しくはないだろう。
ならば、一体どうすればいいのか……そうやって考えて、色々考えて、浮かんできたのがこの選択だった。
魔導の発動は、込められた魔力量が多ければ多いほど、第三者によって感知されやすくなる。
因みに『”番穿風”』を打ち込むために必要な魔力量は、通常時の八から十パーセントで連弾として用意するならば、単純に倍掛けした魔力が必要になる。
それだけの魔導を一度に運用すれば、間違いなく発動前にシズモスさんに気づかれてしまう事だろう。
だからこそ、それをあえて使わなかった。
使わなければ、攻撃の瞬間をギリギリまで誤魔化すことが出来る。
――上体を出来るだけ低くして駆ける、音を殺して駆ける。
一度は居る事を嫌った一本道の上を―― 一度飛びのいた通路をひた駆ける。
きっと唯の一撃に限られるだろうが、それでも魔導を放った直後の一瞬――己が魔導をもたらす結果を確認しようとする一瞬の隙を突いた奇襲。
そのために息を殺して、己が存在を殺して大地を駆けた。
駆けると同時に用意するのは、腰につけたハンティングナイフの一振り――櫛状の金属が取り付けられていない、本来の姿の俺の獲物。
俺はナイフを順手で強く握りこみ、切り払うために動作に溜めを作った。
標的たるシズモスさんはこの時点でようやく、俺が岩石の釘で仕留め切れていない事に気づき、同時に俺が近づいている事を理解した様だったが、流石に遅いと言わざるを得ないだろう。
標的との距離は目算で約二メートル――風の移動補助魔導で強化された俺の移動能力にかかれば、唯の一歩で置き去りに出来る距離だった。
「――セイッ!!」
跳躍と同時に、構えたナイフを切り払った。
――瞬間火花が飛び散ると共に、ギャリッという甲高い音が通り過ぎる。
横目で確認したが、どうもナイフを当てた位置が悪かったらしい。
俺が振るったナイフの軌跡の延長線上にあったのは、投擲用ナイフの収まったホルスターだった。
そういえば、この試合が開始されてそうそう、上半身を覆う貫頭衣の中に収まっていた投げナイフが投射されたことが、今更ながらに脳裏によぎった。
俺は舌打ちを打ちたい衝動に駆られたが、舌打ちの代わりに滑る大地を蹴って、真横へと飛ぶ。
今しがたの一撃、有効打にはならなかったが、その代わりにシズモスさんの体勢を崩すことに成功していた。
切り払いの攻撃を受けるのとはまさに反対側へ衝撃を流す為に、シズモスさんは状態を流していた。
そんな流れたシズモスさんの体へ追随する為の跳躍。
丁度彼が飛んだ先へ先回りするかのように、滑り込み――その無防備な背中目がけて回し蹴りを叩き込んだ。
「――グゥッ!?」
苦悶の声が俺の耳に届いてきた。
まぁ、脚甲で強化された蹴りなのだから当然と言えば当然だろう、寧ろこれで何の反応も無かったら落ち込むというものだ。
俺に蹴られた事で、シズモスさんはまたしても別方向に体勢を流したが、しかし、彼としてもやられっぱなしでは済ませてくれないらしい。
彼はそんな不安定な状況の中にありながら、腰に下げられたメイスへと手を伸ばしていた。
体からは橙色の魔力が迸っている――間違いなく、彼は魔力によって膂力を強化していた。
そしてそのまま、俺の姿を確認することもせず、叩き潰すと言わんばかりに俺へとメイスを振り下ろそうとしていた。
確かな威力が見て取れるその攻撃は、それでも苦し紛れの攻撃だった。
いくら威力が高かろうと、体制も整えず、見もせず放った攻撃に当たってやる義理など無いのだから。
それにその攻撃には圧倒的に早さが足りなかった。
その攻撃速度たるや、一回戦のインベルさんの足元にも及ばない。
俺は身を翻して、三度、回り込む――今度はシズモスさんの正面へと回り込む。
風の魔導で移動を補助している俺には、比較的容易い事だった。
確かに地の魔導は、膂力を爆発的に強化できる――それは俺が今使用している風の魔導にはない利点だった。
だが、俺の用いる風の魔導は膂力を上げられない代わりに、移動速度を引き上げる事が出来るのだから。
それに、今現在の俺には力の有無など余り関係のない事であるのだから是非もなし。
――俺は、今の今まで順手で握っていたそれを、くるりと手の中で回して逆手持ちへと持ち変える。
そしてそのまま体ごと突き上げるようにして、握ったそれをシズモスさんの顔面目がけて突き上げた。
俺の渾身のアッパーカットに対し、シズモスさんが明確に顔を歪ませるのが見て取れた。
「――ぅおおおおおおっ!!!!」
彼は無意識に咆哮を上げながら、迫るそれを避けるために必死に顔を反らそうとした。
突き出たそれは、彼が纏う貫頭衣を切り裂き、右頬を掠めて通り抜けて行く――
――俺が持っているのは、彼の持つ鈍器ではなく、力を必要としない刃物なのだ。
故にかすっただけのシズモスさんの右頬からは、鮮血が飛び散るのが見えた。
「ちぃっ――いてぇがコイツは、しょうがねぇよなっっ!!」
シズモスさんが吠え立てた。
俺は更なる追撃の為に、地面をけり出す準備をしていたが、彼の其れを聞いて――そして序に迸る橙色の魔力を見て、思わず、咄嗟に後方へと逃れるために身を翻した。
――嫌な予感がした。
橙の魔力を纏ったシズモスさんは、その魔力を振り上げたメイスへ集約させたかと思うと――それをそのまま地面へと打ちつけた。
「――吹き飛ばせ!! ”ジオ・インパクトッ”!!!!」
――瞬間、彼を中心として地面が爆発した。
あまりの行動に声さえ出せなかった。
だが、そんな風に呆けてしまった俺に、吹き飛んできた地面の破片が――礫が容赦なく突き刺さってくる。
腹部に強い衝撃を感じたのもつかの間――その衝撃に耐えきれず、訳も変わらず視界が回った。
そして一秒にも満たない次の瞬間には、俺は無様にも地面を転げていた。
胃の中の物を全部吐き出したい衝動にかられるのは何とか我慢したが、せき込むのまでは我慢できなかった。
「ゲホッ、ゴホゴホッ、カハっ、――いったい何が!?」
混乱しそうな頭を振って、俺は廻を確認してみた。
そして絶句する。
――俺がさっきまでいたであろう場所には、決して小さくはないクレーターが出来ており、そしてどういう訳か、それを成したであろう対戦相手も、俺の同じく地面に転がっていた。
否――右腕から血を垂れ流すその姿は、俺よりも傷の度合いが酷いようだった。
そんなシズモスさんの姿を見て、彼が何をしたのかが、ようやくわかった気がした。
彼は文字通り、自分ごと地面を爆発させたのだ。
自分の魔導で地面を爆発させ――その威力を持ってして、近接戦闘から俺を引きはがしたのだ。
何故俺が先ほど地属性持ちのシズモスさんにあえて近接戦闘を挑んだのか――それは風魔導を用いた高速戦闘による攪乱という目的の他に、実はもう一つの意図があった。
それはすなわち、シズモスさんに放出系の地属性魔導の使用に制限をかける為。
地属性に関わらず、どんな魔導でも獲物の近距離で高出力の魔導を放てば、反動が己に帰ってくるものだ。
過去、隻眼の灰色狼と戦った際に、それによって大けがを負ったことは、あまり思い出したくない現実だが、今起こったのは正にそれだった。
己が足元に全力で魔導を放てば、どうしたって自分も巻き添えを喰らってしまう。
そしてそれは、地属性の魔導に関してはなおの事顕著に表れる。
先ほども言ったが、地属性は発動すれば魔導が質量を持つ。
だからこそ、他の魔導に比べて己に帰ってくる反動が大きくなるのだ。
故にこそ、俺が近接戦闘を行えば自分も巻き添えを喰らうような魔導の使用はしないだろうと踏んだのだけれど……どうも、読み違えてしまったらしい。
……一体彼は何を思って、自爆紛いのこんな行動をしたのか、それが少しだけ気になったのは此処だけの話だった。
「……ぃつつ、いやマジでとんでもねぇは、おめえさんはよぉ、傷ついた白色なんて揶揄されるのも伊達じゃねえってことか、水流の旦那が手を拱くのも分かる――俺の力に警戒してたのはまるわかりだったから、それを利用して楽に倒せるかと思えばこのありさまだ、こいつは高ぇ授業料だったわ」
「――正直面喰いました。貴方には得体のしれない力がある、にもかかわらずそれを使ってこないのですから」
「それを容易く跳ねのけてくれやがって、年長者の面目丸つぶれだっての――いや、そうじゃねぇか、結局のところこいつは俺のわがままが招いた結果か……柄でもねぇ」
血に濡れた右腕をかばう様に状態を起こしたシズモスさんは、苦々しくそんな事を零してきた。
まるで眩しいモノを見るかのような雰囲気――それは恐らく彼が細目だからと言う理由だけではないのだろう。
「……お前さんみたいな奴を、容赦なく叩きつぶさなくちゃなんねぇってのは、正直後味は良くねぇけどなぁ――ま、恨まないでくれや」
そう言って彼は立ち上がった。
それに習って、俺も自然に立ち上がる。
――予感があった。
彼の雰囲気が、仕草が――そして何より物言いが、それが出てくるであろうことを、示している様だった。
彼の切り札が――石化の魔眼が解き放たれる予兆。
俺は其れを予感して――自然と警戒感を引き上げた。
視線が固定される――
「――悉くを地に縫い止めよ――万物の鼓動は我が意の中にあり」
呟く声が聞こえると同時、俺はその発動をに合わせて瞬時に魔力を練り上げた。
初めて聞くフレーズであるが、まず間違いなく魔眼が発動される事が予見できた。
故に、俺が考えた魔眼対策の魔導を展開した。
『――我が身を隠せ、”水面鏡っ”!!』
展開するは、『”水鏡”』を応用した水魔導――俺の身を隠す程の大きさの水の壁。
その水壁は正に水面のように、水の反射を利用した天然の鏡意識した構成をしていた。
――彼が展開しようとしているのが本当に魔眼であるというのならば、その瞳に映らなければ効果を及ぼすことはないはずと、そんな事を考えながら用意した水魔導。
――だが、そんな考えは如何やら浅はかだったらしい。
『”水面鏡”』に身を隠した次の瞬間、俺は甲高い耳鳴り音を聞いたかと思った矢先――実に呆気なく、地面に倒れ伏していたのだから。




