初戦の終わり、一夜の宴
遅くなってごめんなさい。
――爆炎が晴れた闘技場
剣戟の音が、飛び交う魔導が、そして何より集まった観衆達の放つ騒音が支配していたその空間は、僅か一瞬の間に様変わりしていた。
苛烈だった剣戟の音は静まり、煌めいていた魔導は消え――そして誰もが押し黙っていた。
誰も言葉を発しないのは、他ならぬ驚愕と言う感情故だろう。
それは誰しもが望んでいた展開であった――そうなれば面白いと、貴族様と平民の力関係を一時だけでも良いから覆して欲しいという思いは、人知れず、しかし多くの人々の中にあった物だった。
けれどそれは同時に、誰しもが望んでいて、そして心のどこかで無理だと判断していた展開であった。
だが、過ぎ去ってみればどうだろうか――
体のいたるところに傷を作り、衣服はちぎれてみすぼらしい。
そんな大人になり切っていない少年は、それでも確かに地に足を付けていた。
力強く立ち尽くし――倒れ伏す貴族様を眺めていた。
――それは紛れもなく、観衆が望んでいた光景であった。
【まさかっ!! まさかっ!!!! まさかっ!!!!!! こんなことが本当に起こりうるのかっ!!? 今回の大会で一番の大番狂わせ!! ――勝者はアルクス・ウェッジウッドだっ!!!!】
司会者による勝利者宣言――目の前の嘘のような光景を観衆はようやく現実だと理解する。
そうして湧き上がるは大歓声。
勝者を称える歓声が、一時闘技場を震撼させた。
歓声に交じり、阿鼻叫喚の叫びを発する者もいるにはいたが、その人物らは本戦以外の戦いでの敗者。
大番狂わせがないと決めつけ、手堅い方に金を掛けた者たち。
手堅いが故に多く儲けを得るには大金を賭けなければならず、それ故に大敗を喫した者たちだろう。
だがまぁ、勝つにしろ負けるにしろ、それは賭けた者の自業自得。
勝負である以上、常勝無敗は在りえない。
勝負である以上、負ける危険があることを、彼らは恐らく理解していることだろう。
――さきほどまでこの場にいた、とある一人を除いた者たちは。
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彼は石造りの薄暗い通路を歩いていた。
つい先ほどまで優雅に試合を眺めていた時とは一転し、その表情は余りに厳しい。
試合終了と直後は火炎の当主と同じ空間にいた為、何とか取り繕っていたが――彼の他に誰もいない場所で、それを保っていられる程の余裕は彼にはなかった。
不意に大股での歩みを止める壮年の男性――グランディス・パーウェル・サップヒールス。
彼は拳を痛める事も構わず、石壁へと己が拳を打ち付けた。
普段であれば間違ってもしないであろう行動だろうと、思い浮かべていた計画を修正不可能な状況に追いやられてしまった今では仕方のない事だろう。
しかもそれが、火炎ならばいざ知らず、全く無警戒だった平民の少年が原因とあらば、不快に思わぬはずがなかった。
彼にしてみればこの結果は、路傍に転がる何の変哲もない石に躓いた様なものだった。
「冗談じゃないっ!! あの愚息めっ、何たることをっ!! 火炎にあの賭けを取り付けるに私がどれほど苦労をしたと思っているのだ!? あのような平民の餓鬼に負けるとはっ!! 恥知らずめっ!!」
知らずの内に声を荒げる水流の現当主。
しかしその荒々しい声は誰の耳に入ることもなく、薄暗い通路へと消えて行く。
「……――最早私に勝ちはない、娘を連れ戻す事も出来ん。くそっ、霊薬のレシピがっ!!」
自分の娘を連れ戻す――それだけを見れば、親としては至極真っ当な行動。
しかしながらグランディスが見ているのは、我が子の安寧にあらず――ただ娘が齎す利益のみだった。
そしてその物欲こそが我が子に愛想を尽かされた最たる原因であるのだが、彼は気づかない。
否――そもそもそれに気が付くだけの器量があるのであれば、この様な状況に等そもそもなってなどいないのかもしれないが……
「全ての原因はあの平民の餓鬼――許さんぞ!! あの者には必ず眼に物見せてくれるっ!!」
そうして愚かな彼は、怒りを本来関係のない少年へと向ける。
たまった鬱憤を晴らすために、怒りを少しでも鎮めるために。
――彼自身は気が付いていないのかもしれないが、人は其れを八つ当たりと言う。
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…………
「それじゃあ、不意打ちで俺たちを驚かせてくれた少年に乾杯っ!!」
「「「「――かんぱーいっ!!」」」」
言って木でできたジョッキを勢いよく掲げるアスタルテさん。
彼女の一声を音頭とし、そこら中から木杯を打ち鳴らす音が響いてくる。
俺はと言うと、そんな彼女たちのテンションに圧倒され、もごもごと口の中で乾杯と言う言葉を転がしながら、少しだけ彼らに倣ってジョッキを掲げた。
グランセルの商業区域である東の大通りに居を構える酒場――【バッカス】
冒険者組合の丁度対面に位置するこの店舗は、当然のことながら集客対象は冒険者。
そんな店内の半分近くを俺たちは占拠していた。
――グランセル魔導武具大会の一回戦を何とか勝ち上がった俺だったが、大会の終了後、明日の二回戦に備えて早々に帰宅しようと思った矢先、彼らの襲撃を受けこの場所に連行されていた。
因みに彼らと言うのは大会を観戦に来ていた俺の関係者の人達だ。
戦乙女の皆さんに、グレイフィールド一家、組合の面々、商業区域の顔なじみ、果てはイリス母さんや、俺より先に一回戦突破を決めた相棒のテッドの存在も見受けられる。
そんな彼らに詰め寄られ、あれよあれよと言う間にこのバッカスへと連れてこられてしまった訳だ。
「――ぷはっ!! いやー、それにしても凄かったな今日の少年はっ!! お前さんがやり手なのは知ってたがまさかあれ程に成ってるなんてなぁ。驚いたぞ!!」
ジョッキの中のエールを盛大に煽ったかと思えば、そんな事を捲し立てる様に言ってくるアスタルテさん。
「……相変わらず貴方は僕の事を過大評価してくれますね。今日のは運が良かったんです」
「なーに言ってやがる、運だけであの”水流”に勝てる訳ねーだろ!! ほらほらっ、今日は俺たちが奢ってやるから遠慮なく飲めっ!!」
「「「「おおっ、アスタルテ(さん)(姉さん)、ごちになります!!」」」」
「ばかやろうっ!! 誰がてめーらになんか奢るか!! 自分で払え、奢るのは少年だけだ!!」
――えー、そりゃないよー、なんて声が回りから響いてくるのを耳にして俺は思わず苦く笑う。
どうでもいい話だが、この世界での飲酒が許可されるのは十五歳以上からのなので、俺がお酒を飲むことは別に問題ない。
問題ないのだが――実のところ、お酒と言うものが正直あまり得意ではなかった。
それは前の世界で慣れ親しんだ二十歳とうい制限年齢がもたらす倫理観がそうさせている事が一つ。
単純に、俺自身がアルコールにあまり強くないというのが一つだ。
二十歳で死んだ前世も合わせ、十六歳と言う現状においてアルコール摂取可能だった期間が短く、隠れてお酒を飲んだりもしなかった俺は、単純にお酒と言うものに慣れていないだけなのかもしれない。
でもそんな慣れないお酒だが、今だけは飲まない訳にはいかないのだろう。
俺は皆に観られながら、意を決してジョッキの中の黄金色の液体を喉に流し込んだ。
――酷い位に冷たい所為か、味は殆ど分からない。
氷の属性を持つ人物でも従業員の中にいるのだろうかなんて、どうでもいいことを考えながら、ジョッキに注がれたエールの半分を一息で飲み干した。
「――ぷはっ!!」
――そうして一息。
あまり良くない後味が襲ってくるのを感じながら、目の前が確り歪むのを知覚する。
その感覚に流されて、俺は思わずカウンターに突っ伏した。
「おっ、おい少年?! 大丈夫か?」
「はひ、だいじょうぶれす」
「おおう、全然信用できねぇ大丈夫が返ってきたぞ」
「キャハハ――アル君お酒よわーい」
「……少年、お水いる?」
褐色の肌をほんのり赤く染めながら抱き着いてくるソフィアちゃん、彼女も俺と同様それなりに酔いが回っているらしい。
ロロさんは何時もの平坦な口調で俺に水を進めてきてくれた。そんな彼女の右手にしっかり骨付きの肉が握られているのは最早ご愛嬌だろう。
「――コラッ!! アル君にあんまりお酒飲まさないでくださいよ!! この子は明日も試合があるんですから!!」
そんな風に怒ってくるのはギルドの受付嬢兼、俺の魔導の師匠でもあるアルトさんだった。
「す、すまねぇアルト。でも飲ませたのはジョッキ半分だけだぞ? まさかこんなによえーとは思わなくってよ」
「本当ですか? まったくもう」
アルトさんはそう言って俺の右横の席に座って周りに睨みを聞かせた。
そんなアルトさんに委縮してか両手を挙げて降参のポーズをとるアスタルテさん。
そうして彼女もアルトさんに倣って俺の対面へと腰を落ち着けた。
「怖い怖い、少年も立派な冒険者なんだから過保護なのは良くねぇぞ? そんなんでよく少年の大会出場を許可したな」
「――イリスさんならまだしも私は彼の保護者じゃありませんから、私の許可なんて必要ないでしょう? 事実私も彼が武具大会に出場している事なんて知りませんでしたよ」
「――へぇ、じゃあ殆ど独断って事か? そういや少年はどうして大会に出たんだ? 一丁前に名誉でも欲しくなったか?」
いい酒のさかなだと言わんばかりに、アスタルテさんは俺にそんな事を問うた。
酔いがいい感じに回ってきて余り深く思考が回らない俺だったが、そんな問いかけを受けてふと思い出す。
思い立ったが吉日とばかりに、今日まで必死になって色々な事を準備してきたが、正直それしか考えていなかった。
そういえば殆ど誰にも武具大会に出場する事を伝えていなかったことを、今更ながらに思い出した。
だから、少しばかり酔いは回っているけれど、改めてそれを話しておいても良いのかもしれない。
俺はそんな事を考えながら、両腕に力を入れてグイッと頭を持ち上げた。
「……そうですね、ぼくがこの大会にでた一番の理由は、最上の騎士になりたかったから、です」
「――アル君?」
「お? 意外だな。正直お前さんはそういったモノには興味がないと思ってたよ。でも今回の大会で最上の騎士を目指すって事は、勇者付きを目指すってことだぞ?」
俺は重くなってきた目を擦りながら、必死に目を開ける事に注力した。
「……しょうち、してます。寧ろそれがねらいです」
「――おいおい、まじか」
俺が即答した事により、アスタルテさんが驚いた様に目を見開いた。
しかしながら、そんな彼女の姿が俺の目には二人にダブって見えた。
……――だめだ、ねむい。
「むかし、勇者さんにあったことがあります。あの人はつよくない、ぼくはあの人の力になってあげたい。だから最上の騎士になりたいです。……卒業後のぼくをみなさんが誘ってくれていますけど、すみませんが一年だけまってください」
あまりの眠さに思考がまとまらず、思った言葉だけを適当に並べてしまった。
俺の想いが伝わっているかは分からないけれど、俺は力尽きるようにその場に再び突っ伏してしまう。
そうして俺はそのまままどろみに落ちて行く。
「――もし、君が本当に最上の騎士になるなら、謝る必要なんて決してないよ。だって君は私たちの為に戦ってくれるってことなんだからね」
――だけどまどろみに落ちて行くその最中、そんな言葉が辛うじて聞こえた気がした。
「――ありがとう、ござい……ま……」
誠に情けない事だが、意識を失うその前に、俺はお礼の言葉を言い切ることが出来なかった。
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「アル君の馬鹿っ!!」
褐色の少女はまだ見ぬ勇者に嫉妬して頬を膨らます。
大好きな少年を取られたかのような消失間を紛らわせるようにエールを煽る。
「……なんか、あんまり美味しくない」
小柄な魔導士は手に持った肉に齧りつきながら、小さくつぶやく。
先ほどまで感じていた旨味の消失と、胸にあるチクチクと言う痛みに首を傾がせる。
――――そうして、賑やかな夜は更けていった。




