水流との激突(後)
まるで罠にかかった獣を見るように、対戦相手の眼と口元が弧を描く。
そして、それと同時――彼の姿がぶれるのを視認する。
迫りくるは閃光にも似た白刃の一閃。
目でとらえ、尚且つそれを防ぐというのは、何の補助もない状態では間違いなく不可能だった。
――故にこそ、俺は迫る白刃を防ぐために、瞬時に魔力を練り上げた。
展開するのは青の魔力。
しかしながらこの魔力は直接的な防御に用いるためのものではなく、かの閃光を捉える為のモノ――
『――漂え。”霞の衣”』
魔導名を口にすると同時――自分の感覚が一気に広がるのを知覚する。
俺は青の魔導を用いても、せいぜい出来るのは肉体の操作性を上げることくらいで、対戦相手の様に反応速度を上げることまでは出来ない。
だから彼の突き込みを捉える為には、攻撃の出所を先ずは探らなければならなかった。
故にこその――『”霞の衣”』
『”霞の衣”』――それは俺の周りを広く薄く囲むようにして、目には見えない水蒸気を発生させる魔導。
さらにこの魔導は、発生させた水蒸気を感覚として知覚出来るという効果を持っている。
眼では捉えきれぬ白刃だが――その鋭い切っ先が漂う霞に触れるのを、俺は確かに感じ取った。
眼を介しての知覚とは異なり、霞の衣での知覚は条件反射の域に近い。
だからこそ、高速の突き込みの対処にはうってつけ。
……――狙いは、左肩っ‼
この期に及んでまたしても急所を避けた場所――俺を痛み付ける為だけの攻撃。
俺は身に纏った青の魔力を用いて、右手に握ったハンティングナイフを振るう。
右から左へ、右の腰とつま先を回転させ、右拳でフックパンチ放つ様なイメージ。
フックは感じ取った白刃の軌跡の少しだけ下を狙い、順手で持ったナイフの刃を白刃に打ちつける様に!!
――キンッ、と、澄んだ音が響いた。
「――つぅっ!?」
そして同時に俺は僅かばかりに苦悶の声を漏らしてしまった。
狙い通り俺のナイフはインベルさんの細剣の切っ先を捉えたがしかし、少しばかり振るう速度が足らなかったらしい。
細剣の切っ先は、俺の肩口の衣服と肉を啄ばんでいった。
だが、その程度で済んだこととは行幸と言うべきなのか?
そもそも細剣の切っ先が予定通りの軌跡を辿っていたならば、肩に穴が小さな穴が開いていたのだから――
俺は受けた傷など何でもないとアピールするために、再び構えを整える。
「―――――」
俺の肩口の小さな傷を見て、インベルさんは浮かべていた笑みを消し、その代わりにその形の良い眉を僅かに歪ませる。
「ふんっ、運よく軽症で済んだようだが――幸運はそう何度も訪れんぞ?」
再び剣を構えるインベルさん――そして再び踏み込んでくる。
瞬時に距離を詰めてくる驚異の踏み込みと、その速度が十分に乗った細剣の突き込み。
しかしながら、既に知覚の魔導は発動済み――故に、もっと早くの対処が可能になる。
感じ取った細剣の軌道は、ナイフを握る右手の甲。
武器を落とそうと考えたのか、ともかく俺は右足を後ろに引いて半身の姿勢となる――インベルさんの細剣が右腕の薄皮を捉えた。
――まだ回避が遅いらしい、もっと速くっ
突きが高速なれば、引きもまた高速――インベルさんの連撃が続く。
今度の突き込みの狙いは、左脚の腿――
俺は再び右足を引き、素早く体を回転させながらナイフを振るい細剣切っ先を払う。
細剣は俺のボトムスを切り裂いていった。
――まだ遅い、もっと速くっ
三度白刃が迫る――三度目の其れは俺の目線の高さに近づいてきた。
だが致命傷を狙っていないその刺突の狙いは恐らく、俺の右耳。
俺はその攻撃をやり過ごす為に、瞬時に顔を左に傾けた。
髪の毛を僅かに掠めて行く感覚があった。
――遅い、もっと速くっ
立て続けに三度、己の誇る刺突が躱されたという事実を良く思わなかったのか、インベルさんは明らかに憤慨していた。
俺はそんな彼の姿を見て、息を深く吸い込み、そして止めた。
我慢比べが始まる事を察したが故の行動。
――彼から発せられる言葉はなく、代わりに閃光が俺を襲った。
胴を狙った突き込みを払う――切っ先が右手の甲を僅かに掠めた。
――もっと速くっ
胸を狙った突き込みを上体を傾けて避ける――胸当ての留め金が弾けた。
――もっと速くっ
「――――るなっ!」
右膝を狙った突き込みを右足をけり上げ脚甲で弾いた――跳ね上げた切っ先が右腕の袖を掠める――もっと速くっ
左腕の関節を狙った突きを右から左に打ち払う――ローブが切れた――もっと速くっ
右肩を狙った攻撃を下から上に打ち上げた――胸当てか削れた――もっと速くっ
「――ふざ――なっ!!」
左手への攻撃――右へ半歩避ける――もっと速くっ
右胸への攻撃――ナイフで切り払う――もっと速くっ
右足――躱す――速くっ、胸骨――かち上げる――速くっ、右脇腹――払う――速くっ
「―――ざけるなっ!!」
右腿――止める――速くっ、左腕――弾く―速くっ、胴、薙ぐ、速く、胸払う速くっ!!
鉄が打ち合う音が絶えることなく響く。
――十合を優に超え、三十合を過ぎ、五十合に届こうかと言うその矢先。
「――はっ、かはっ、ふ、ふざけるなっ!!」
先に息が上がりかけたインベルさんが、不満を吐き出しながらその一撃を放って来た。
その一撃の軌跡の先は眉間――既に嬲る様子を無くした突き込みは、容赦なく俺の命を刈り取るために放たれた。
込められた殺気は今までで最上――だが、無酸素運動が続き息が切れかかった状態で放たれたその一撃は、今までの中で最も遅かった。
――避ける以外の行動が取れるほどに。
俺はその一撃を捉える為に、この試合で初めて、腰につけたもう一本のハンティングナイフを左手で引き抜いた。
元々の形状は右手に握る一本と同じ、ナックルガード付きのハンティングナイフ。
だが引き抜いたもう一本は、対人戦用に特殊加工を施していた。
元々片刃のハンティングナイフの峰の部分に有るのは、ボルトで強引に留められた櫛状の金属。
鍛冶屋さんに頼み込み、工房を使わせてもらってその部品は、急造であるが故に見てくれは酷く不格好。
だが、俺はそんな事は気にすることなく、そのナイフの特殊な峰を使って細剣を受け止め、刃を捻った。
不格好な櫛状の金属が容赦なく細剣へと噛みつき、刃をその場に押しとどめた。
如何やら急造のソードブレイカーは、その効果を正しく発揮してくれた様だった。
引き戻せぬ刃に、この試合で初めて明確に驚愕の表情を浮かべる対戦相手。
――だが遅い。
――此処まで加速し続けた剣速と比べると、明らかに遅かった。
「――はああぁああぁっ!!!!」
俺は止めていた息を吐き出しながら、細剣に向かって渾身の一撃を打ちつけた。
ナックルガードで強化された拳による一撃――速さを重視した細剣の刀身では当然耐えられない。
――ガシャリッ!! と、甲高い音が響く。
俺は絡めていたナイフの拘束を解くと、瞬時にバックステップを踏み対戦相手から距離を取った。
既に先ほどまでの細剣の間合いなど意味を成さないのだろう、それでも俺は距離を取った。
――対戦相手は踏み込んでこなかった。
彼は呆気にとられた表情をしながら、己が得物を――刃の中ほどからくの字に折れ曲がった細剣へと視線を落としていた。
「……――はぁっ、ふぅ――――さて、細剣がそうなってしまったら、剣で決着を付けることは不可能ですね。僕はナイフで戦うと言いましたが、そうなっては続行不可能でしょう? 僕としては魔導での戦いに切り替えても良いですよ?」
――荒れる息を整えてから、敢えて煽る様に言った。
そんな俺に対して明確に憤怒の表情を浮かべてくる対戦相手。
これで冷静さを失ってくれるなら是非もなし――
「――咲けっ!! 『”ブルーローズ・ラピッズ”』っ!!」
突然唱えられた魔導名――現れるのは対戦相手を包み込む青薔薇の奔流。
先ほどは防御のために唱えられたその魔導だが、恐らくそうではないのだろう。
あれ程の怒気を宿している対戦相手が、ただ防御を固めるだけとは考えられなかった。
――俺の予想は当たっていた。
「――串刺しにしろ!! 『”ブルーローズ・ソーン”』っ!!」
花弁から大きな水滴が放たれ、それは魔導名通り棘となって俺へと襲い掛かってきた。
だが律義に迎え撃ってやる義理など無い。
『――もう一度我が身を押し運べっ、”追風”っ!!』
俺は再び風の移動補助魔導を身に纏い――そして迫る棘を置き去りにする。
対戦相手を起点として円を描くように回る――決して的を絞らせない様に。
「――串刺せ!! 『”ブルーローズ・ソーン”』っ!!」
再び青薔薇の棘が飛んでくるが、距離を置き、更には高速移動する標的を捉えるのは至難の業だ。
青薔薇の棘は空しく空を切り――闘技場の壁へと突き刺さるのみ。
『――切り刻めっ、”風刃”っ!!』
棘を掻い潜り、俺も反撃を試みる。
放つはオリジナルの風魔導――込めたる魔力は本来の五パーセント。
大きく発現した風の刃は、疾く駆け、闘技場の中央に陣取る青薔薇へとぶち当たる。
炸裂すると同時、青薔薇の花弁が一枚散ったが――すぐさま奔流が巻き起こり、散った花弁を補った。
傍目から見たら何の意味のない『”風刃”』。
だが――全くの無意味という訳では無かったらしい。
奔流の青薔薇が微かに揺らいでいるのがその証拠だろう。
「くそっ!! くそっ!! くそっ!! 平民なんぞ所詮は家畜だろうが!! 矮小なお前みたいなやつが、なんで僕の前に立ちふさがるんだ!! 身の程を知れ!!」
声の主の姿は青薔薇の花弁で見えないが――声に込められた感情は良く分かる。
予想外の苦戦に、東方の水流の長男は確かに動揺していた。
――そんな彼に言ってやる。
「――平民は貴族様から見たら家畜なのかもれしません、でも、豚だって前に進みます。犬だって上を見上げます。誇り無き僕たちでも譲れないものくらいあるっ‼ だが、そういう貴族様はどうなんだ? 誇りは――あるのかもしれない、でも、貴方には覚悟がない――道理もないっ!! そんな貴族様など、取るに足らない!!」
「――うるさい平民がっ!! 死んでしまえっ!! 『”ブルーローズ・ソーン”』っ!!」
癇癪を起したように青薔薇の棘を放ってくる貴族様。
だが俺の言葉に余程冷静さを欠いているのか、その弾道は決して俺に当たる事は無かった。
本当に取るに足らないし、見るに堪えない。
第一、俺の事を格下と思い込み、無意味に手を抜かなければこんな状態になどそもそもなっていないというのに。
俺が初めに特攻を仕掛けた時に、腕に刺突を喰らわせるのではなく、致命傷を負う場所に一撃を喰らわせていれば、この様な状況になどなってすらいないのだから。
――全てが彼の自業自得だ。
そして俺はそうならない様に、一気にかたをつける事にした。
確かに東方の水流の操る、青薔薇の魔導は貫くのが難しいが、不可能な訳では無い。
俺はその全てを吹き飛ばすために、緑の魔力を練り上げた。
――風の移動補助魔導の力を持って大きく跳躍。
宙に漂う中――俺は魔力を開放する。
『――固まれ、”尖風”・三連』
前方に用意するのは鋭く押し固めた風の弾頭――それを三つ。
用意すると同時右の拳に同色の魔力をもって魔導を発動。
『――渦巻け、”恒等旋風”っ』
拳の先で激しく渦を巻く風――
そして俺は用意した三つの弾頭目がけて風で渦巻く拳を打ち付けた。
『――射貫け!! ”連弾・番穿風”っ!!』
一つ目の『”尖風”』を打つ――拳に渦巻く『”旋風”』が弾頭を巻き込み、勢いよく飛び出す。
だが『”恒等”』名が追加された『”旋風”』は、唯の一発で威力を失う事は無く、続く二発目、三発目も同様の威力で飛び出した。
続け様に放たれた三つの『”番穿風”』―― 一つが容易く大岩を砕くその魔導は、容易く三枚の花弁を散らし――地面を穿つ。
丁度対戦相手を囲むようにして、三角に突き立ったそれらは、当然楔だった。
残った青薔薇の花弁を散らし、同時に中身を吹き飛ばす為の仕掛け。
『――続け、飛炎っ!!』
俺は無慈悲に、仕掛けた爆薬へと炎を飛ばした。
飛ぶ炎を遮るものは存在しない――故に、放ったそれは呆気なく『”番穿風”』の中へと飛び込んでゆく。
――煌めくは閃光、響くは爆音。
そして、閃光と巻き上がった土煙が収まった後には、ボロボロになった対戦相手が静かに横たわっていた。
グランセル魔導武具大会、最終一回戦勝者――アルクス・ウェッジウッド。
ナックルガード付きナイフと、ソードブレイカーの二刀流。
これ私の考えるロマン武装。




