水流との激突(中)
最近凄く忙しい……早く仕事が落ち着いて欲しい。
睡眠時間が、た、足りない……
――その人物の登場に息を飲んだのは決して少なくなかった。
【そんな水流に挑むのは、まさに我らが平民の星――アルクス・ウェッジウッド!!――……】
司会者から発せられた言葉によって、自分の見た光景が決して間違って良い無い事を理解する。
隣人である幼馴染の少女が――
魔導の師匠でありよき理解者の女性が――
師であり友人である妖精種の男性が――
戦乙女の名を冠す冒険者の女性たちが――
仕事仲間が、遊び仲間が、学友たちが皆一様に思った――
そもそも好き好んで、このような荒っぽい催しに出る人物でないことを良く知っているからこそ、何故、と――
しかしながら、彼ら、彼女らにはそう思うより他に何もできなかった。
彼ら、彼女らに許されたのは唯の一つだけ。
……――勝負の行方を見守るという、その一挙動だけだった。
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――間髪入れず、幾重もの銀色が煌めいた。
眼で追うのも難しいほどに研ぎ澄まされたそれは、紛れもなく剣閃の群れ。
それらが容赦もなく俺の四肢を容易く切り裂いてゆく。
左手の甲、右の足首、右の肩先、左の腿、右頬――当然防御を試みたが、あまりの速さに間に合わない。
まるで俺の体を侵食するかのように広がってくる痛みと言う名の波紋に恐怖を覚え、気が付けば俺はバックステップを試みていた。
バックステップと同時、未だ体に残る移動補助魔導を、先ほどとは違い”向かい風”を受けるように前から吹き荒らす――
そのひと吹きによって、一息に約七メルトルの距離を一気に飛び退る。
如何に不可視に近い剣速を誇ろうとも、結局のところ剣技に過ぎないその攻撃は、インベルさんの手にする細剣の長さと、踏み込みの歩幅以上の間合いは有さない。
だからこそ、攻撃の届かぬ後方へと逃れたのだが――今俺が立っているこの場所は闘技場で、最上の騎士を選定する試合の真っ最中だ。
攻撃の手が止まることは決してなかった。
――視線の先で煌めいたのは、珍しい”水色”の光。
未だ数度しか目にしたことはなかったが、それは紛うことなく上位の属性の魔導発光。
攻撃魔導に優れる噂される流水の長男――その噂の片鱗が見えた瞬間だった。
その上位属性はインベルさんの周囲の空間で不均一に収束したかと思えば、すぐさま実体を現した。
――氷柱
一つ一つがヒトの腕ほどもある鋭利な氷柱が、何本も、何本も、何本も――揃いも揃って俺の方を向いていた。
「――さあ、休む暇なぞ与えないぞ? 全てを貫けっ! ”アイシクル・レイン”っ!!」
まるで死刑の宣告の様に、インベルさんの開合が響く。
それを合図として、宙に漂う氷柱の群れが一気呵成に襲い掛かってきた。
此れは最早刺殺と言うレベルじゃない――圧倒的質量による圧殺。
広範囲に広がる氷柱が一度に襲い掛かってくるその様は、まるで棘付きの壁が押し迫ってくる様だった。
何もしなければ確実に死ぬ――故に俺は死から逃れるために必死で足掻いた。
『――迫る脅威を反らせっ!! ”横風っ”!!』
――体に纏った風の魔導の補助魔導を、今度は前方から迫りくる氷柱の頬面を叩く様に全力で吹かせる。
ただし、吹かせるのは前方の必要最低限、俺に当たりそうな所の氷柱にだけ強風が当たる様に範囲を狭めた。
風切り音が俺の耳に届く――俺の放った強風に触れて、狙いのぶれた氷柱が俺の体の少し隣を通ってゆく――
数瞬の後、背後から響いた甲高い破砕音を聞いて――俺は肺にとどめていた空気をゆっくりと吐き出した。
【――コイツは凄い、開始早々流れるような攻防だ!! 戦況は流水の旦那がやや優勢か!? 傷んだ白色の体が血で濡れているっ!!】
司会者の実況が響く――それを聞いて俺の体は傷を受けていたことを思い出したのか、今更ながら痛みを訴え始めた。
受けた傷はどれもそれほど深くないため動く事に支障はなさそうなのが不幸中の幸いか――……
――その現状を確認して、俺はハタと違和感に気が付いた。
目で捉える事すら困難なほどの剣速――それを操るインベルさんの剣技。
その剣速の種は恐らく、青の魔導属性の齎す効果だろう。
水を支配下に置く青の属性――実は、下位四属性の中でとりわけ体内に干渉する事に長けていた。
こちらの世界では、何故水魔導にそういった副次効果があるのか余り分かっていないようだけれど、人体の約七割が水分で構成されているという事を知っている俺には、自然とその効果を受け入れていた。
青の魔導属性は研鑽すればするほど、体の内外問わず水流の知覚や操作を容易くさせる。
その結果、反応速度や肉体操作の精度を飛躍的に引き上げる事が出来るのだ。
細剣と言う刺突に特化した武器と、向上した反応速度と肉体操作――それが合わさる事によって、あの剣速は成り立っているという事なのだろう。
なるほど、あの凄まじい剣速の理由は推測できた。
だけど、何故、俺の体につけられた傷はどれも軽症なのだろう?
俺はそんな疑問を抱えながら、対戦相手の方へと改めて向き直った。
対戦相手はと言うと、俺が氷柱の群れを無事切り抜けた事に驚いているのか、少しだけ目を見開いていた。
だけどそれもつかの間、右手に握った細剣を振るい、先ほどと同様、蔑みの色を宿してくる。
「――ふん、平民にしては中々にやる、だけどそれだけだ。僕の剣に反応すらできていない様ではたかが知れる――これでは些かつまらんからな、貴様にハンデをくれてやろう。僕はこれより細剣しか使わないどいてやる」
【――まさかまさか!! 此処で大胆な発言が飛び出した。まさかの白兵戦宣言!! どうする傷ついた白色っ!!】
対戦相手が不意に発した言葉。
その言葉を聞いて、対戦相手の態度を見てさっきまでの疑問が嘘のように瓦解した。
さっきの剣戟の傷が何故軽傷だったのか――なんてことはない、彼がそうしたからというだけだったのだ。
俺の事を取るに足らない三下と判断して、手を抜いたというだけの事だった。
「……良いですか? そんな事を言ってしまって」
「ククッ、構わんさ――だが、貴様にそれを強要したりはせんぞ? 僕の細剣が恐ろしければ、遠く離れて魔導でも打てばいい。それこそが貴様に僅かに残された勝ちの可能性だ」
――実に見え透いていて、卑怯な言いぐさだった。
自分の得意な勝負に仕向けようという意図がまるわかり。
魔導での攻撃を制限し、剣技での勝負に持ち込もうとする安い考え。
確かにインベルさんの言う通り、白兵戦を避ければ彼から勝利を拾う事も格段に容易くなることだろう。
だけどそうした場合、試合の見てくれとしては非常に悪い。
攻撃手段を制限している相手に対して、有利な攻撃方法で一方的に攻め立てるのだから当然と言えば当然だ。
しかもそんな手段で勝ち上がったとしても、大衆は決して勝者を最上の騎士として認めてはくれない。
それはこのような卑怯な提案を持ちかけているこの人にも言える事だけれど――
そもそも目の前の男は、最上の騎士の称号など端から求めてはいないのだから関係ないのだろう。
……――全く、この人は、どこまでこの大会を侮蔑すれば気がすむのかっ。
――気に食わなかった。兎に角気に食わなかった。
寄りにもよって勇者の騎士を決めるこの大会をそんな下種な考えで汚すのは許せなかった。
故にこそ、こんな事俺の柄ではないけれど、意地でもこいつの鼻っ面を圧し折ってやりたくなった。
「――だったら僕も、ナイフで勝負します」
「ハッハ!! 無理はしないことだ。貴様程度では細切れになるだけだぞ?」
「そんな事はやってみなければ分からないでしょう? それよりも貴方こそ大丈夫ですか? 負けた時の言い訳にしないで下さいよ?」
俺は精一杯の強がりを言いながら歩みを進めた――迷うことなく、前へ。
そんな俺の物言いが気に入らなかったのか、インベルさんは大きく舌打ちをうつ。
けれど彼はそれ以上何をいう事もなく、半身に構え――細剣を前に突きだした。
刺突を繰り出す為の姿勢――青の魔導によって精練されたその突き込みは確かに脅威だ。
俺も青の魔導を使いうが、彼ほどの境地まではまだ至っていない。
出来るのは精々肉体の操作を高める位で、反応速度を上げることまでは出来ない。
――だが、だからと言ってそれが負けに直結することは決してない。
俺は其れを証明するために、一歩、また一歩と歩を進めた。
インベルさんの持つ細剣の長さは一メートルに若干足りない位だが、突き込みを攻撃手段とするその剣の間合いが刀身の長さとイコールな訳など無い。
半身の状態から一歩踏み出すと同時に突きこむ――歩幅にもよるのかもしれないが、二メートル程度の間合いは見て置かなければならないだろう。
対して俺の獲物は彼の持つ細剣の半分程度の長さしかないハンティングナイフ。
となれば必然、インベルさんの攻撃を受ける必要がある。
彼の高速の剣を捌く必要がある訳だ――。
だからこそ準備は必須――
俺は魔力を練り上げる準備を整え、インベルさんの細剣の間合いへと着々と近づいて行った。
目算で約二メートル半、あと一歩程度で彼の間合いに入るだろう。
――高速の突き込みを覚悟して、俺は残りの一歩を踏み出した。




