水流との激突(前)
遅くなってすみませんでした。
――緊張で小刻みに震える右腕を、同じく震える左手で押さえる。
薄暗い通路だが、直ぐ先は開け、眼が眩むほどの光が差し込んできていた。
あの出口の先には俺の望んだものがある――
だけど、羨望するそれを俺が手にする確率はかなり低いと言わざるを得ない。
まるで地獄の窯の底で見つけた、細く頼りない蜘蛛の糸――
そんな僅かな可能性に縋るしかないのだと思うと、最早笑うことも出来やしなかった。
――けれど、覚悟はとうに出来ていた。
彼女に再会したあの日から――
母さんに背中を押してもらったあの日から――
ならば進もう――今は唯盲目的に、目的に向かって歩を進めよう。
――もとより、これ以外の道などありはしないのだから。
…………――――
【さぁさぁさぁっ!! 大変惜しくはあるが残すところは後一戦だっ!! だが! 最後の最後も興味深いぞ!! お前らも好きだろこういうの!!】
光の中に踏み入れた瞬間、俺の耳には大きな音が飛び込んできた。
凡そ声帯を震わすだけでは出せない程のその騒音――前世のように拡声器の無いこの世界で、拡声器と同じ効果を得るためには、自ずと手段は決まってくる。
魔導武具大会を盛り上げる司会者にして実況者の男、彼は恐らく変異種である”音”という魔導属性を持っているのだろうと予想する。
そんな司会者の発声は続く――
【まず東口から現れたのは、今回大会に参加した四大貴族の最後の御一方、東方の水流の呼び名も高い、インベル・ナビス・サップヒールス様だっ!! 変幻自在の水魔導は攻撃・防御ともに隙が無い!! これより起こるは一方的な蹂躙か、はたまた呆気ない幕切れか!!】
司会者の発声に伴い大きな歓声が上がる――そうして現れたのは、薄水色の髪と目を持つ長身の美丈夫だった。
サップヒールスという家名と、その特徴的な髪の色――なるほど確かに、彼は俺の良く知るあの人と共通するものがあった。
インベルさんがクレーネ先輩の血縁者であることはまず間違いないだろう。
だけど何故だろう、俺は其れが間違っていることを心の片隅で密かに望んだ。
見てくれは確かに近しいものだけれど、俺の姿を映しているであろうその眼だけは、先輩とは似ても似つかぬ物だったからだ。
――まるで家畜でも見るような蔑んだ眼差し。
インベルさんが俺に向けてくるのは、そんな負の感情しか見て取れるモノがない物だった。
けれど俺はそんな視線など気にすることなく一歩を踏み出した。
あの視線は知っている――否、俺にとっては実に馴染み深いモノ。
マルクス学園に所属する貴族の人達の大半が、あれと同種の視線を俺に向けてくる――故に慣れたモノだった。
この程度で怯んでいたら学園になど在籍出来ないし、そして何より最上の騎士になどなれるはずもない。
俺は微塵も揺らぐことなく、闘技場の中心へと歩を進めた。
【そんな水流に挑むのは、まさに我らが平民の星――アルクス・ウェッジウッド!! 体格も魔導属性も平凡だが、傷ついた白色の異名は伊達じゃない!! 齢十歳にして指定討伐魔獣を仕留める奴を大物喰らいと呼ばずとして他になんと呼ぶ!! 此度も番狂わせを起こせるか!!】
湧き上がる観衆――
……――良く調べられた宣伝文句に俺は一時、何とも言えない気持ちになった。
インベルさんの時と比べて心なし熱量が込められた様に感じたそれは、もしかしたら司会者の彼の心境が反映されているからなのかもしれない。
【では両人は、互いの選手に健闘を称え握手を――】
司会者に促されて俺は止めた歩みを再び動かし、闘技場の中心へと近づく。
試合前の握手――所謂様式美だ。
基本的にはこの握手を行ってから魔導武具大会の試合は開始となる。
――なるのだが、俺の対戦相手はその場をから動かなかった。
【あの、インベル様? 開始前に対戦相手のアルクス氏と握手をしていただきたいのですけど――】
「拒否させてもらう。これより戦う者同士、なれ合いなど不要だ」
動かぬインベルさんを見かね、司会者が彼に握手を促すが、その言葉は一も二もなく打ち払われた。
試合前の握手は基本的に皆行うことだが、決して強制ではなかった。
人によっては試合の開始に合わせて、集中力や闘志を高めている人もいるため、その妨げに成らぬよう握手を拒否することは別段珍しい事でもなかった。
――珍しい事ではなかったが、インベルさんの拒否理由は恐らく違うのだろう。
そこまでガチガチの武人思考の人には見えなかったし、俺に向けてくるあの蔑みの目が物語っている。
――彼はきっと平民になど触れたくもないのだろう。
「僕は握手が無くても構いません――その代わりと言っては何ですが、一つだけインベル様にお伺いしたいことがあります」
「――言ってみろ」
俺の言葉に不快を表すように目を細めるインベルさん。
言葉を交わしたくもないと言われているようだったが、彼としても大衆の手前、そして観戦している王族、貴族の手前、無碍にすることも出来ないのだろう。
兎に角許可がもらえたので、俺は予め用意していた問いかけを投げかけた。
「貴方は、何を求めてこの大会に出場したのですか?」
それはある意味根本を問う言葉。
地位に名誉、そして金――この大会を制することによって得られるものは様々だ。
逆に言えば、意味もなくこのような大業の催しに出る者などいはしない。
大会の出場者たちは、大なり小なり何かを求めこの大会に赴いているのだから。
「――ふんっ、何を問うてくるかと思えばそのようなことか、答えてやる義理など無いが、まあいい、答えてやろう――火炎を打ち負かす為だ。高貴なる我がサップヒールスの繁栄のためにな――つまり大会自体はどうでも良いのだよ、火炎と戦える舞台が整うのならば、な」
「――っ!?」
「答えてやったぞ、因みに僕はお前の事なぞ興味もないのでな、お前に質問を返すことはせんぞ? ――さあ、早く試合を始めよう、時間は有限だ。貴重な僕の時間を無駄にしてくれるなよ?」
そう言って彼は嫌らしく笑った。
――俺はそんな彼に小さく頭を下げ、一時踵を返し、握手の為に縮めた間合いを再び開けた。
話を聞けて良かったと思った。
元より負けてやるつもりは微塵もなかったが、こういった手合いならば気兼ねなくぶつかれるというものだ。
――この大会の意味を蔑ろにするような輩になど、絶対に負けられない。
俺は柄にもなく闘志を募らせながら、今一度対戦相手と向き直る。
そうして、俺は、試合開始の合図を待った――
一時、静寂に包まれる闘技場。
【――両者準備が整った様子、それでは一回戦最終組、インベル・ナビス・サップヒールス 対 アルクス・ウェッジウッド――試合、開始っ!!】
そして、遂に戦いの火蓋が切って落とされた。
…………――――
まず初めに動きを見せたのは、他でもない俺の方だった。
司会者から発せられた試合開始の合図が言い終わるのとほぼ同時、俺は瞬時に緑の魔力を右手に纏い、対戦相手目がけて魔導を放った。
『――切り刻めっ、”風刃”っ!!』
解き放ったの研ぎ澄まされた風の刃――
出し惜しみをするつもりなど毛頭なかった俺は、開口一番から『日本語』の魔導を放つ。
『日本語』によって存在を強化された風魔導は、正確に対戦相手目がけて疾駆する。
――不可視の一撃を放った直後ではあるが、俺は攻撃の手を決して緩めなかった。
殆ど間をおかず、俺は再び緑の魔力を今度は全身に纏う。
イメージするのは俺が初めて死合った相手、隻眼の灰色狼。
あの理性ある獣が使った移動補助の魔導。
『――我が身を押し運べっ、”追風”っ!!』
俺はオリジナルの移動補助魔導を使い、放った風魔導を追随する。
風の攻撃魔導と補助魔導を纏った俺自身の突撃――試合開始直後の立ち上がりを突いた二段構えの奇襲攻撃。
俺が選択したのはそんな攻撃だった。
対戦相手の出方を伺おうとも考えたけれど、以前火炎の当主との決闘でも同じ選択をして見事に出鼻を挫かれ、開幕の主導権を握られてしまった事があった。
勿論今回もあの時よろしく、同じ結末になるとは限らないけれど――その失敗の経験が”様子見”という選択肢を選ばせなかったのだ。
加えて今回は俺もインベルさんもお互いの情報を殆ど持っていない。
だからこそ下手に様子見をするよりも、奇襲に出た方が効果的だと判断したが故だった。
――インベルさんはそんな俺の強襲に驚いたのか、僅かに目を見開くのが見て取れた。
だが、次の瞬間には彼から代名詞ともいえる青の魔力が立ち上がる。
「――僕の身を守れっ!! 『”ブルーローズ・ラピッズ”』っ!!」
――瞬間、水の花弁が行く手を阻んだ。
見てくれは正に魔導名の通り、花の蕾み見立てた水の防御壁。
俺の放った風の刃は行く手の阻んだ、水の蕾にぶち当たった。
――響いたのは独特な破裂音。
風の刃は蕾にぶつかると同時、その威力を散らしてしまったが、同時に水の花弁も散らしてくれた。
防御壁が破られ、その身をさらす対戦相手。
俺はその様子を勝機と捉え、腰につけたハンティングナイフを逆手に握って一本だけ引き抜き襲い掛かる。
狙うは明確に驚きの浮かんだ顔――俺はナックルガードの付いたナイフの柄を強く握り、これ見よがしに叩きつけた。
移動補助魔導によって加速したナックルの一撃。
タイミング的にも不可避のはずのその一撃。
――しかし、突きだしたナックルから顔面を捉えた感触が伝わってくる事は無かった。
どういう訳か攻撃の対象を失い、俺の体が宙を泳ぐ。
次の瞬間感じたのは、右の二の腕を襲う焼けるような痛みだった。
「――っつぅ!?」
思わず苦悶の呻き声を零しながら、何とか流れる体を立て直す俺。
何が起きたか分からず、痛みを感じた二の腕に左手を宛がう。
――ヌルリとした感触。
慌てて左手をどけ、二の腕の様子を伺ってみれば、そこは小さく切り裂かれ血が滴っていた。
相変わらず何が起きたのかは理解できなかったが――誰にやられたのかは本能的に理解していた。
――視線を動かす。
自然に動かした視線の先では、いつの間にか細剣を抜いた対戦相手の姿が映る。
その細剣の先端からは朱い雫が零れていた。




