あり得ない再会
な、何とか間に合いました。
2016年が皆様にとって良い年でありますように。
――意識を、全神経を両掌に集中させる。
魔力を必要以上に混合させてはいけないが、かといって気を抜くと簡単に魔力が拡散してしまうので難しい。
何度やってもこの動作は上手くいってはくれなかった。
……一応理論的には問題ないと思うし、事実其れなりの結果は今までの実験でも得られている。
だが、あと一歩――はっきりとした結果が得られていないのが現状だった。
「――もう少し、――あと、ちょっとっ」
掌に集めた魔力が、彩られた魔力発光に準じた属性となり、形を成そうと掌の中で暴れる。
俺は無意識に呟きながら暴走しそうな魔力を抑え込もうと追加で魔力を放出した。
放出した魔力の色は無色――属性を持たせていない魔力の塊。
無色の魔力は誰もが放出できるもので、放出したとしても指向性がない為に、属性が発現しない。
主な使用用途は肉体を強化するなどの、存在を強化する際に用いるものだった。
だが、今やっている実験の制御に用いるにはまず間違いなく、最も有効な魔力だった。
その無色の魔力を持って掌に集めた別の魔力をゆっくりと覆いこんでゆく。
……――何とか、無色の魔力による有色の魔力のコーティングに成功した。
何とかうまくいったその光景に、俺は少しだけ安堵の溜息を洩らした。
――俺はこと時確かに一瞬油断したのだ。
「――っ!」
――有色の魔力が増長するのを知覚する。
抑え込んでいた無色の魔力はシャボン玉の膜と同様で、それ自体には強度と言うものが無い――故に、中身が急激に増加を食い止めるには、悲しいほどに役不足だった。
「ちょっ!? まっ――」
「――いかんっ!! 魔力が暴走し始めているぞっ!? 何とか抑えこめっ!!」
思わず発した静止の声、同時に遠くでラディウスさんが危険を察知して声を荒げる。
だが、そんな声など知らんと言わんばかりに無慈悲に、容赦なく――魔力は破裂した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――これで通算三十八回目の失敗だな、まぁ上手くいかないときはそんなものだ」
「……はぁ、自分が不甲斐ないです。せっかくラディウスさんに手伝ってもらっているというのに」
例によって例の如く裂傷まみれになっている掌に治癒の魔導を行いながら、ラディウスさんの慰めとも取れる言葉に、俺はガックリと項垂れた。
ラディウスさんの言う通り、今回で三十八回目の失敗だ。
失敗のたびにこうやって体の何れかに治癒の魔導を施しているモノだから、ここ数カ月で治癒の魔導の腕は正にうなぎ登りに向上しているような気がする。
……――全く、俺は一体何度失敗を繰り返せばいいのか、と、やるせない気分になった。
一応初期の頃から失敗の回数を重ねるごとに怪我の内容が軽くなってきている事が救いと言えば救いなのか……
とは言え、俺に自傷の趣味など無いのでもうちょっと上手くなりたいと切に思った。
――痛いのは嫌いです。
「だが、卒業試験まではまだ日がある、それに我が友アルクスならばたとえその魔導が完成せずとも、試験の突破は容易かろうよ」
「――そりゃあ、試験官の一人でもあるラディウスさんが言うならそうなんでしょうけど」
「そうだ、私が言うのだからまず間違いはない――寧ろ私の見解としては、異端認定されないかと言う不安の方が大きいくらいだ」
「って、一体何の心配をしているんですかっ!? 冗談でもそんな怖い事言わないでくださいよ!!」
「――冗談などではないのだがな、それだけお前が成そうとしていることは革新的という事だ。まあ心配するな、いざとなったら私が何とかしよう」
「ほ、本当ですか?」
「うむ、住むだけならば良い場所だぞ、アルブンガルドと言う土地は――」
「何とかするって逃げるのを手伝ってくれるって意味なんですか!?」
「――ハッハッハっ!! なに、唯の冗談だ、本気にするな。すまんな、気の利いたことの一つも言えなくて」
ラディウスさんは笑いながら俺の肩を軽く叩いた。
如何やらラディウスさんの言っていることは本当に冗談であるらしい、それが分かって俺は思わず安堵の溜息を吐き出す。
――ラディウスさんは、段殆ど冗談と言うものを言わない。だからこそ、こうやってごく稀に爆弾の様に飛び出す彼の冗談は、本気で言っているのか判断に悩むのだ。
とは言え、普段滅多に言わない冗談を言ってくるのは、俺の事を元気づけようとしてくれているからなのだろう。
その気遣いだけは素直にありがたいと思った。
「とは言え、もう四年になるのだな――ニンゲンに付き合っていると月日が立つのが早いと常々思っていたが、お前と会ってからは其れが一入だ」
前世も合わせて三十六年――俺の精神年齢も大概だが、ラディウスさんは長寿で知られる妖精族であり、その実年齢は二百を超えているらしい。
その年齢だけを見れば相当なようにも聞こえるが、それは俺たちニンゲンの側から見た場合であって、エルフの側から見れば、ラディウスさんは見た目通りまだまだ若造の部類に入るとのこと。
それがニンゲンの十倍を超える寿命を持つエルフと言う種族だ。
そんな彼からしてみれば、四年間と言う時間が短く感じるのは当たり前なのかもしれない。
とは言え、かく言うところ俺も彼の意見には同意見だった。
――マルクス学園に入学して早四年目。とうとう俺も卒業試験に挑む時がやってきたのだ。
ラディウスさんの言う通り、まだ月単位で卒業試験までは日があるが、時が過ぎ去るのは本当に早い。
それこそ無為に過ごしてしまえばあっという間にその期間は過ぎてしまうことだろう。
そうでなくても、今回俺が卒業試験に行おうとしていることは、今まで携わってきた魔導の中でも紛うことなく最難関の内容であり、それを成す為にはまだまだ試行錯誤が必要な段階であった。
そして今まさに俺が引き起こした失敗も、そんな試行錯誤の内の一回という訳だ。
―― 一回という訳なのだが……流石にそれが三十八回も続くとなると、流石に気分が沈んで来る。
先ほどの失敗を再び思い出し――俺はやっぱり今一度大きなため息を吐き出した。
「――ふむ、アルクス。今日はもう帰って休め」
そんな俺の様子を見かねたのか、ラディウスさんの口からそんな言葉が飛び出してきた。
「え、いや――出来ればもう少し実験していきたいのですけど、だめでしょうか?」
「否、往々にして調子の悪いときはあるものだ、そういう時はあえて一度研究から離れてみる方が上手くいく場合もある。それにこれは誰かからの受け売りなのだが、お前は既に一昨日前から睡眠を取っていないのだ、それでは流石に効率的ではないだろう?」
ラディウスさんに実に痛いところを突かれ、俺はぐうの音も出なかった。
効率的ではない云々の下りは、以前俺が彼に言った覚えのある言葉だ。
やっぱり判断に難しい――今回の彼の言いまわいは彼なりの冗談だったのか、果たしてそうではなかったのか……
「……それでは今日の処は大人しく帰ります。また後日よろしくお願いします」
「うむ、確り休んで魔力と気力を蓄えてこい」
どちらか判断が出来なかった俺は、結局その疑問の明確な解を得られぬままラディウスさんの研究室を後にすることになった。
長い長い木製の廊下を歩き、マルクス学園の校舎を後にする。
一昨日ぶりに吸った外の空気は、少しだけ冷たい新鮮な朝の空気だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「うにゃっ、毎度ありにゃ、また来てにゃー」
今しがた購入した物品が入った紙袋を胸の前で抱えながら、妖精猫族の店長、ゲレーテさんに別れを告げて店を後にする。
雑貨屋野良猫でおなじみの物品を購入した俺は、喧騒で包まれる大通りを歩いた。
脚の向かう先は自宅もある南の住居区域、だが、目的地を自宅に定めているかと問われると実はそうでもなかったりする。
学園を出た直後、俺は猛烈な眠気に襲われた――如何やら魔導の実験で張りつめていた緊張が途切れると同時に、徹夜の影響が一気に来てしまったらしい。
その眠気を受けて、当初はすぐさま自宅に帰って眠りにつこうと思ったものだが、五分ほど歩いてその考えを思いとどまった。
今の状態を鑑みるに、このまま自宅に帰って就寝してしまえば、間違いなく本格的に寝てしまう事になる。
今日と言う日はまだ始まったばっかりで、今はまだまだ朝と呼べる時間帯――今から本格的に寝てしまえば、恐れく起きるのは夕方か、最悪夜となってしまうだろう。
そしてそうなれば、夜に眠れなくなってしまうから、間違いなく生活リズムを崩してしまうことになるだろう。
となれば、眠いのを我慢して夜まで起きていた方が良いのかもしれない、と、そんな事を考えたからだ。
――とは言え、今現在の脳みそは半分寝ているような状態だし、こんな状態で冒険者の依頼を受ける訳にもいかない。
と言うか、この様な状態では何をやってもダメだろう。
だからこそ、今日と言う日は思い切って開き直ることにした。
空を見上げてみれば、幸い空模様は悪くなかった――その様子から急に天候が変わることは恐らくないだろうと判断する。
暖かい陽だまりの中、少しだけまどろみながら好きなものを描いてゆく――それは最高なんじゃないかと思う。
そう思った俺は、自然と野良猫へと足を向けていた訳だ。
という訳で、足を延ばすはお決まりのあの場所――
俺は少しだけ足を弾ませながら、南の大門に向けて歩みを進めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「っという訳で、今回もよろしくお願いします。ボックルさんっ」
「……どういう訳かなんか知ったこっちゃねぇが、おめぇさんも大概変な野郎だなぁ、また絵を描きに来たんかい?」
南門では今日も顔なじみの門番さんが仕事に精を出していた。
そんなボックルさんに俺は相変わらずのお願いを切り出す。
以前と同じように――いつもと同じように、顔パスでの限定的な都市からの外出。
本来なら身分証を見せて簡単な手続きを行わなければならないそれを、特別に不問にしてもらっているのだ。
まぁ今現在は冒険者の端くれであるため、身分証の提示は以前より簡単に行えるようになったが、それでも今までしていなかった事を行うというのはやっぱり少しだけ煩わしい。
ボックルさんにしても如何やら俺と同じ意見であるらしいので、今回も如何やら通例にのっとってくれるようだった。
「だけどよぉアル坊、今なら都市の中の方が色々あって面白れぇだろ? そっちに行こうとは思わんのかい?」
「――ええ、確かにそうですね。今日じゃなかったら僕もそっちに行ってたと思います」
ボックルさんの疑問に俺は限定的な肯定で返答を返した。
振り返って大通りを見る――そこにはいつも以上に賑わっている大通りの姿があった。
普段なら見慣れない食べ物の屋台、装飾の露店、はたまた簡単な大道芸を披露しているところさえある。
何時もと違う喧騒が俺の視線の先に確かに存在していた。
それもそのはず――もうすぐグランセルでは国を挙げた催し物が開催される手筈となっていたからだ。
二年に一度行われるグランセル魔導武具大会――その開催が数日後に迫ってきていた。
「まぁ、深い意味はありません。今日はそういう気分ではなかったと、それだけの話ですよ」
……――今凄く眠いですし。
最後の一分だけは心の中で思うだけにとどめ、決して口には出さなかった。
「今回はいつもと違って特別なんだけんども――ま、祭は今日だけじゃねえもんな、そんじゃ何時もとおなじように頼むぞ。おめえさんになんかあったらロニキスの旦那に顔向けできねぇからな」
「? はい、分かりました。ありがとうございます」
ボックルさんの言い回しに若干の違和感を覚えたが、俺はそのことについて深く考えることはしなかった。
それよりも絵だ、と――何時もの場所へと座って、購入した上質紙を紙袋の中から引っ張り出して、何時もの板の上に張る。
削った黒鉱石の棒を鞄の中から引っ張り出して、早速俺は目の前の光景を紙の上に描き出した。
目の前には見事な桜紅葉が広がっていて、これは良いときに来たと、内心とても嬉しくなった。
黒一色なのが唯一残念な要素だ。
黒鉱石を紙の上で滑らせて、描く――
まずは全体のバランスを見ながらぼんやりとした絵を描き、次第にその輪郭を鮮明にさせて行く――
それは前世から続けている俺なりの描き方。
そうやって、黒鉱石を走らせていると、他の事をぼんやりと考えてしまうのも、何時もの事だった。
取り留めのない事を考える、主だって考えていたのは、マルクス学園の卒業試験の事、そして、その先の事だったと思う。
とりわけ卒業後の進路の事につては色々考えていた――。
と言うのも、それについては結構沢山の選択肢があったからだ。
――ラディウスさんから共にマルクス学園の職員をやらないかという打診を受けていた。
――テッドから、本格的に冒険者の活動を続けてようと誘いを受けていた。
――戦乙女のメンバーから、テッド込みでパーティーに入ってくれとお願いされていた。
――フィアンマ先輩から本当に守護騎士になってくれと依頼を受けていた。
――エアトスさんから細工師としてうちの店で働いてみないかと声をかけられた。
――アルトさんからギルドの仕事も面白いよと、話を聞いていた。
その他にも多数の誘いがあったことを思い返してゆく。
引く手あまたなことを嬉しく思う反面、どうしたものかと考えてしまう。
……――俺が一番したいことは一体何なのだろうか?
『――貴方の絵、凄く上手だね。まるで今にも飛び出してきそうだよ』
不意に、そんな言葉を聞き覚えのある声で掛けられた気がした。
何故、今になってその声を思い出したのかそれは分からない。
でも、それは俺の絵を見たあの人が決まって俺にかける言の葉だった。
『――いやいや、俺のはそこにある物をそのまま写しているだけだからねぇ。ただの写真の劣化品さ』
だから、俺は半ば条件反射的に、おなじみの返答を返していた。
そんな返答を返すと、すぐ横で息を飲む音が聞こえた。
そうして俺は、そのやり取りの異常さにようやく気が付いた。
日本語で語りかけられたから、咄嗟に日本語で返答したが、それが既に可笑しいのだ。
そしてそれ以上に、あの人のお決まりの言葉をかけられるなんてありえない。
俺は、茫然としながら、声のしたほうこうへと顔を向けてみた。
『……うそ、朔兄、なの?』
そこにあったのは、記憶に片隅で今も消えずに残っている人物と同じだった。
否、記憶の其れとは違い、目の下に大きな隅を作り、長い黒髪は少しだけ荒れていた。
それでも、確かにその人は、記憶に残るあの人だった。
『――な、んで、いっちゃんが、ここに?』
俺のその呟きをしっかりとらえたのか、彼女が感極まった様に俺へと抱き着いてくる。
神楽耶一姫――前世で俺の一番大切だった人が、確かにそこにいた。




