決意表明
――頑張りました。
……とりあえず、結論から述べる事にしよう。
コルリス山の名も知らぬ湖であの凶悪な黄色のスライムと戦った俺たちは、四日と半日の時間を要して都市への帰還を果たした。
――湖まで到着するのにかかった時間は大凡まる三日間、だというのに帰還するのにかかった時間は四日と半日。
湖であれだけ偉そうな事を言った手前、非常に恥ずかしい話なのだが――行きと帰りで生じてしまった一.五日のタイムラグと言うのは、何を隠そう、俺が大いに足を引っ張ったからに他ならない。
霊薬の効果は非常に素晴らしい物で、瀕死であった俺をほぼ全快の状態まで回復させてくれた。
だが、そんな霊薬でも疲労までは取り除いてくれないらしい。
と言うかむしろ、それほどまでの急激な回復をした俺の体は、如何やら反動で満足に動ける様な状態ではなかったのだ。
そういえば、初めてギルドの依頼を受けて隻眼の灰色狼と戦った時も、結局完治するまでには五日間の期間を要したのを思い出した。
結局のところ、前世でも、今世でも都合の良い万能なモノなど無いという事なのだろう。
しかしながら、タイムラグが一.五日だったと言うのは何と言うか、不幸中の幸いだった。
クレーネ先輩とフィアンマ先輩から、水妖精の涙取得の依頼を受けたのが、試験の約十日前の出来事。
その翌日にグランセルを出発し、目的地に到着するのに三日、さらに半日を目的地で費やして、帰りにかかった日数が四日と半日。
――実に簡単な計算なので、これを間違うことは無いだろう。
つまりは如何にか卒業試験の一日前に、グランセルへとたどり着くことが出来た訳だ。
――つまり、何とか俺たちの面目が保たれた訳だ。
……いやほんと、帰りの道のりは今思い返しても本当にしんどくて嫌になる。
体は満足に動かないくせに時間は刻々と過ぎてゆくものだから、あの時の俺たちは、其れはもう傍から見ても分かりやすいほどに焦っていた。
足を引っ張っているのは紛れもなく俺だったので、そんな理由からその状況に真っ先に耐えきれなくなったのも俺だった。
だから俺は皆に対してこんな風に進言してみたのだ。
……―― 一先ず試験に間に合わせるために、俺だけを置いて先に行ってほしい、と。
体は満足に動かせなかったけれど、魔力は十分な量を体内に貯めこんでいたので、危険に遭遇しても如何にかなると思った。
それに、先輩たちの護衛にはほぼ万全の状態の我が相棒がいるし、フィアンマ先輩に関しては俺たちの守護などいらない程の魔導士だ。
だからこそ、俺を置いて行った処で何とかなると、そんな風に思ったが故の発言だった。
――のだが。
そんな発言を放った瞬間、我が相棒には無言で後頭部を引っ叩かれ――先輩たちにはとても素敵な笑顔を向けられた。
……何と言うか、無言の笑顔にあれ程の重圧感を感じたのは初めてだった。
なまじお二方が美人さんだっただけに、その凄みは計り知れず――俺はすぐさま小さくごめんなさいの言葉を呟いていた。
――つまり、プレッシャーに負けたのだ。
――笑いたければ笑えっ。
だが、そんなプレッシャーがあったからなのだろう、其れからは無駄口を叩くことなく、ただ只管に足を動かすことに意識を費やした俺だった。
つまりタイムラグが一.五日で収まったのは、偏に先輩たちからの重圧感のお蔭でもあった訳である。
何とも情けない理由ではあるのだけれども……
…………閑話休題。
そんなこんなで、如何にかグランセルに帰還した俺は、帰還してからの二日間を休息期間に当てていた。
本当ならば色々なことがしたかったのだけれど、そうもいかない理由があった。
……体を引きずって帰ってきた俺の様子と、荷物の中から出てきた血まみれの衣服。
その決定的ともいえる二点の事象によって、イリス母さんに俺が依頼で怪我を負ったことがばれてしまったのだ。
――お説教が四時間程続いたのはもはやお約束。
しかも今回はイリス母さんから有無も言わせないと言った勢いで、マルクス学園の三回生の授業が始まるまで――大体一週間程度――自宅待機を言い渡されてしまった。
そのうえ母さんには、本当に今回自宅待機中俺に何の仕事をさせるつもりも無いようで、俺の周りから調理器具や家計簿などの帳簿類など、仕事に関わる部材の全てを取り上げられてしまった。
……此処までやられてしまっては、最早意に反する方が難しい。
アルトさんから借りている魔導書や、学園で取った授業のノートなんかは残してくれている事だけは、不幸中の幸いだった。
故に俺は帰還してからの二日間を、睡眠に費やすか、読書に費やすかしか出来ていなかった。
――だが、流石にそんな生活を二日間も続けていると流石に飽きてくる。
今も机について借りた魔導書を広げてはいるものの、正直内容を深く読み込みたいとは思えなかった。
その魔導書には既に何回も目を通してしまったし、授業の復習も取ったノートを読み返すだけでは限界がある。
それ以上に、何もすることが出来ないという状況が、なんというか――物凄く苦痛になってきていた。
冒険者になってからと言うもの――否、正確には父さんが亡くなった時期からなのか。
それ以降、怪我をして起き上がれなかった時以外に、こんなにゆっくりとしていた事など記憶にない。
疲労が溜まり休みが欲しいと思ったことは何度もあったが、こんな風に固まった休みが唐突に降ってわいてきても、正直何もすることが思いつかなかった。
――否、否っ!! これは俺が仕事中毒である訳ではないっ ――と思う。
行動が制限されていなかったら、南門に絵を描きに行ったり、学園の図書館に赴いたりすると思う。
ただ、我が部屋の中に趣味に関する物を置いていないだけなのだっ
……思っていてなんだが、それもそれで悲しい様な気がしてきた。俺ってもしかして寂しいニンゲンなのだろうか?
俺は目の前に広げた魔導書を少しだけ勢いをつけて閉じ、考えを否定する様に大きく顔を振った。
そうして俺は座っている椅子の背もたれに大きくもたれかかる。
――こんな気分になるのは、今日が二日目だという事にも関係あるのかもしれない。と、俺は思い至るもう一つの原因へと思いを馳せる。
――先輩たちの卒業試験は、昨日終わっているのだ。
先輩たちならば問題など有りはしないと信じているが、其れでも結果を確かめたいと思うのは決して間違いではないと思う。
だが、言い渡されてしまった外出禁止令によって、それも叶わずである。
今度は力なく机の上に突っ伏してみる。
顔の下の魔導書が案外いい高さになっていた。
何時もだったらこんな事はしないのだけれど、このまま眠ってしまっても良いのかもしれない……
そんな事を考えながら、俺はゆっくり瞼を閉じようとした――
――コンッ、コンッ、コンッ、と控えめな乾いた音が俺の耳に届いたのは、そんな時の事。
それは確かに聞き覚えのある我が家のドアノッカーによるものだった。
昼間で其れなりに時間がある今の時分、イリス母さんはお昼の為の買い出しに出かけていた。
母さんが返ってきたのかもとも思ったが、それならばノックなどしないだろうと思い、その可能性を否定する。
つまり、我が家の前にいるのは本当に我が家への来客なのだろう。
「――はいっ、ちょっと待ってください。今開けますから」
俺は立ち上がると特に何も考えることなく、来客者を迎えるために扉を開いた――
「――あっ、アルクス様。一昨日ぶりですね。お体の具合は大丈夫ですか?」
――通りの喧騒と共に我が家に入ってきたのは、とても涼し気な声だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「一応お茶を入れてみたのですけど、先輩のお口に合うかどうか――」
「いえいえっ、お気遣いに感謝致します」
言ってクレーネ先輩は恐縮そうに俺の手からカップを受け取った。
一応注意して入れたお茶ではあるが、正直不安しかなかった。
そんな俺の不安を余所に、クレーネ先輩は嫌な顔一つせずお茶を小さくあおった。
――特に表情を崩していないところを見ると、とりあえず無理をしている訳では無いらしい。
俺はその光景に内心ほっとしながら、もう一人の来訪者へと声をかけた。
「プルウィさん。貴方も何か飲みますか?」
{はいですのっ、プルウィはアルクスにお水を出してほしいですの!}
水妖精の少女からは、予想通りの答えが返ってきた。
グランセルに帰還する際の道中でも同じ要求を何度もされたので、恐らくと思っていたが案の定だ。
俺は青の魔力を少量練り上げ適量の水球を作り上げる――勿論純水である。
それを見たプルウィは、わーいっ、と、はしゃぎながらその中に飛び込んできた。
「相変わらず凄いですね。私も同じことをプルウィさんからお願いされるのですけど、此処までお喜びにはなりませんよ」
「うーん、何と説明したものでしょう――でもクレーネ先輩だったらきっとすぐこれと同じ物が用意できるようになりますよ」
「……だといいのですけど」
{レーネのお水もちょっとずつ美味しくなってるですのっ、レーネ頑張れですの}
「――はいっ、もう少しだけ待っていてくださいね。プルウィさん!」
クレーネ先輩の口調は変わらず丁寧だったが、二人の間に変な固さは見られなかった。
――あの湖が既に住める状態ではなく、それに加えて恩を返すために俺たちについてくると言った時はどうなる事かと思ったが、それほど心配する事でもなかったらしい。
如何やらこの水流のお嬢様と水妖精のコンビの調子は順調なようだ。
それに、陰りの無い彼女の様子を見る限り、もう一つの方も大丈夫だったという事だろう。
「無事、卒業なさったみたいですね」
「――ええ、これもみな、全て貴方様方のおかげです。皆さまのご助力が無ければ到底叶わぬことでした。そのお礼をと思い、本日はお邪魔させていただきました」
「? お礼ですか? でも依頼の報酬は既に十分すぎる程頂きましたけど」
今回は急な依頼であったため、依頼の報酬は明確に定まっていなかった。
正式な依頼ではなかったし、そして何より知人からの依頼という事もあったので、護衛の過程で得られた価値のある物を貰い――もし何も得られないようであれば、帰還後に追加で報酬を貰うと、そんな風にしたのだ。
そのため俺たちの元には、水喰らいの悪魔を討伐して得た赤と緑の魔石が、そっくりそのまま入ってきた訳である。
かなりの大きさの魔石であったため、正直実入りはかなり良かったと俺は判断していた訳で、これ以上の報酬となるとちょっともらい過ぎだと思う。
だが、クレーネ先輩はやんわりと首を横に振り、俺の考えを否定した。
「――いえ、貴方様には本当に色々なことを助けていただきました。貴方様のおかげで、ようやく私は決心を固めることが出来ました」
「決心ですか?」
「はい、サップヒールスを離れる決心です」
「……はい?」
いきなり飛び出した爆弾発言に思わず面喰う俺。
「アルクス様、貴方様は霊薬のお値段を知っていますか?」
「えっと、正確には分かりませんけど――聞いた話では金貨が数枚必要になるものだとは聞いてます。僕では手が出ないくらいに」
「でも、それでは、貴方様が今回の様な怪我を負ってしまった場合、助かりません――手が出ないではダメなんです」
「…………」
俺は黙ってクレーネ先輩の話を聞いた。
「――私は私が思っていた以上に薬師と言う仕事が好きなのです。大好きなおばあさまの助言で始めたものだから好きだと思っていましたが、今回その本懐に触れて実感しました。これは人を助ける仕事だと、だから好きなんだと実感しました。でもそれはサップヒールスにいては出来ません。だってあそこは意図的に霊薬の、いえ、霊薬に限らず、効果の上級回復薬の流通は抑えるように動いていますから」
そこまで聞いて先輩の言わんとしていることが何となく分かった気がした。
何故上級回復薬の流通を抑えているのか――簡単な話だ。
サップヒールスは意図的に霊薬や上級回復薬の値段を釣り上げているのだ。
「それでは、アルクス様の様な怪我を負った人は助かりません。そんなの私は嫌です。だからこそ家を出ます。家を出て私は誰でも手がだせるような薬を作りたいのです」
……俺は如何やらひょっとしなくても大変な決断を先輩にさせてしまったようである。
その決意を表すかの様に、先輩の瞳は水流の如く澄み渡っていた。
これは俺が何を言っても無駄なのだろう。
「先輩、其れってすごく大変なことだと思いますよ。大丈夫なんですか?」
「大変なのは分かっております。でも、だからこそ貴方様に決意を表明したのです。私にそれを教えてくださった貴方様に――アルクス様、私の決意の証明の為にどうかこれを受け取ってくださいませ」
そういって先輩は俺へと手を差し出した。
先輩の手の中には見事な金細工の首飾りが光っている。
見るからに高価そうであるその首飾りの中央には、その雰囲気を助長する大きな青が輝いていた。
それは恐らく水の魔石――
「名を歌姫の心と申します。かつておばあさまから頂いた一品です」
「――いや、こんな高価そうなもの流石に頂けませんよ!? それにお婆さんからのモノってことは、先輩の大切なモノじゃ!?」
「ええ、大切にしていたものです。ですがこれはおばあさまとの思い出の品であると同時にサップヒールスの宝の一つなんです。ですから証明として貴方に受け取って欲しいのです」
「――っ」
大切なモノであり、同時にサップヒールスの秘蔵する宝――だからこそ先輩は其れを敢えて手放そうとしていた。
先輩は其れを手放すことで決意を固めようとしているのだ。
間違っても俺などが手にしていい物品ではないのだろうけれど、先輩の意を汲み取るのならば、此処で受け取らないなどと言う選択を取るべきでは無いのだろう。
否――受け取らなければならない、先輩にこのような決意をさせてしまったのは間違いなく俺なのだから。
「――ありがたく、頂戴いたします」
「はいっ、ありがとうございます!!」
先輩から受け取った首飾りは、途轍もなく重かった。
きっとこれは錯覚などではないのだろう。
こんな重い物が何故俺の様な輩の元に来なければならないのか。
少しだけ理不尽に思った。
――だから、そんな理不尽を少しだけ解消させてもらうことにする。
「では、これを受け取る代わりに一つお願いを聞いて貰ってもよいでしょうか?」
「――えっ? あ、は、はい、私に出来る事ならば」
綺麗に話がまとまったと思って、油断していたのだろう。
決意を表明した時とは打って変わって、彼女は分かりやすく動揺していた。
「そんなに身構えないでください。簡単なことですから――とりあえず僕の事を様付けで呼ぶのをやめてください」
「――イエイエイエイエ、そんな、恐れ多い!!」
「いやいや、恐れ多いは僕のセリフなんですけど!? サップヒールスの家を出ると言っても、先輩は”先輩”なんですから‼」
「えうぅっ……」
勢いよく言った俺に、先輩は小さく体を竦めた。
そんな先輩の様子が可笑しくて俺は思わず笑ってしまった――
とりあえず、今回の処はこれで一件落着と言ってしまって良いのかもしれない。
……だけど、結局分からないことが一つだけ残ってしまった。
俺は窓を開け、大山脈の方を見る――
――――あの、水喰らいの悪魔とは一体何だったのだろうか。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
――名も知らぬ某所にて――
「――主様、――主様、お話したいことがあるのですけれど」
薄暗い建物の中、蝙蝠の翼を持った女性がとある人物に話かける。
その人物はその部屋の中、大きすぎる玉座に腰かけていた。
頭から真っ黒なローブで全身を覆っている。
「――レティシアか、どうした?」
「私が放った魔導生物が、ニンゲンに倒されたようです。如何様にいたしますか?」
「――そうか」
短く答える黒ローブ。
暫くの沈黙が支配するが、レティシアと呼ばれた蝙蝠翼の女は黙っていた。
「……――別に良い、放っておけ」
「え? よろしいんですか? あれを作れと仰ったのは主様でしょう?」
女は少しだけ驚いた様子で、黒ローブに問うた。
黒ローブは僅かばかりにローブを動かす。
「――構わんさ、目的のモノは既に十分集まった。これ以上は不要だからな、それよりも他の件をよろしく頼むぞ?」
「そうですか、主様がそうおっしゃるのでしたら喜んで」
そういって女はその場を後にする――
――残ったのは黒ローブのみ。
「……そうだ、構う事は無い。予定通りなのだから」
小さな呟きは闇の中に飲み込まれて消えていった――
次も頑張ります。
目指せもう一度年内更新!!




