水妖精の涙(後)
……まず初めに二カ月もほったらかしでごめんなさい。
色々本当に忙しくて……いやマジて忙しくて、こんなに間隔があいてしまいました。
その忙しさで体調を崩すこと2回、腰痛で動けなくなること1回……正直体もボロボロです。
ですがようやく時間が取れるようになりましたので、投稿を再開させていただきます。
読んでいただける皆さまに楽しんでいただけるように頑張りますので、よろしくお願い致します。
結局岩石熊と遭遇して以降、手ごわい獣に遭遇することもなく順調に歩を進めた俺たちは、都市を出発して三日目の昼過ぎには、如何にか目的地らしき場所にたどり着いた。
ただ、順調であったが故に、クレーネ先輩の悩みは彼女の中で引きずられたままでもあった。
俺も道すがらいろいろ考えてはみたものだが、結局良い案は浮かばないまま此処まで来てしまった。
まぁ、冷静に考えてみれば俺が何かをするというのもおかしな話なのだけれども……
結局のところクレーネ先輩の悩みの答えは、彼女が自分で解を出すほかないのだから。
となれば、今俺たちに出来ることは、クレーネさんの求める水妖精の涙をいち早く手に入れる事位だろう。
俺はクレーネさんに答えを用意してはあげられないけれど、それでも彼女が答えを出す為の手助けくらいはしてあげられるだろうから。
ただ、ともすれば結局目の前の光景に、正面から向き直らなければならなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
「……おいおい、何だこりゃっ!!」
だけど流石に言葉が出なかった――目の前に広がる光景があまりに凄惨過ぎて、俺は思わず絶句してしまった。
先輩たち二人も俺と同じく言葉が出ないのだろう。
唯一言葉を発せた我が相棒も、結局出てきたのは驚愕だけ。
……――テッドではないが、本当にこの光景は「何だこりゃ」だ。
だが、そう言いたくなってもしょうがないと思う。
そう言わせるだけの光景が俺たちの目の前には広がっていた。
――水位が低かった。それは既に湖と呼ぶにはあまりにも弱弱しかった。
――水の純度が低かった。泥で濁ったその水質は、とてもではないが飲料として使う気になれないものだった。
それを見て訪れる場所を間違ったのかとも思ったけれど、多分それも在りえないことだろう。
いくら訪れた湖が凄惨な状態だったとしても、大きな水たまりと勘違いしてしまいそうな状態だったとしても――水妖精がこの場所にいるのであれば、此処は間違いなく目的地なのだ。
水妖精――ウンディーネ。
その容姿は下半身が魚で、上半身は人間の少女の其れだという。
見てくれだけならば前世でも、今世でも有名な人魚と同じだが、実体を持たないという点の他に、人魚とは大きさという点で異なっていた。
一メートル以上の個体はほとんど居らず、せいぜい五十センチ程度しかないらしい。
水中を好む水妖精達は、しかし地上を移動できないという訳でもなく、地上を移動する際は水の球を作り、その中に体を入れて移動する。
もし、地上でフヨフヨと浮かぶ水の球を目にしたとしたら、それは十中八九移動中の水妖精だろう。
まぁ、そんな光景に遭遇すること自体が非常に稀ではあるのだけれど……
それを鑑みれば、俺たちはその非常に稀な事態よりも更に希少な場面に遭遇したということになる。
何せ、その話題の水妖精が水球を作ることなく地上で倒れているのだから。
何はともあれ、どんな形であろうとも水妖精がいると言うことは紛うことなく、この場所は俺たちの目的地だった。
俺たちは一瞬顔を見合わせ、言葉を発することなくただただ頷き合うと、急ぎ足で地に倒れる水妖精の元へ近づく。
そこにいたのは一体のみの水妖精。
もとより水妖精は呼吸などしていないという話だ。
故に呼吸もなく横たわり、ピクリともしないその水妖精たちの姿は、俺たちに最悪の状況を想像させるに足る光景だったのだ。
「――大丈夫ですか!? しっかり、しっかりしてください!!」
真っ先に水妖精のそばに駆け寄ったクレーネ先輩が必死に呼びかける。
声こそ出さなかったが、俺たちもクレーネ先輩と同様に揺れる心持を必死に宥めながら、倒れ伏す水妖精の様子を固唾を飲んで見守った。
――どうやら、状況は俺たちが想定した最悪ではなかったらしい。
水妖精たちは、クレーネ先輩の掛けた声に反応してか、はたまた偶々のことだったのか――微かに身動ぎする仕草をみせた。
非常に弱弱しいけれど、水妖精は確かに生きているのだ。
妖精とは言え女性である水妖精をジロジロ見るのは若干抵抗があったが、非常時なので大目に見てもらうことにする。
パッと見ではあるのだけれど、倒れた水妖精には大きな外傷は見て取れない。
怪我がないというのに弱っていると言う点と、濁っている湖という二点から考えて、恐らくこの水妖精は魔素欠乏で動けないのだと思う。
そしてその推測が正しいのであれば、応急処置的な対処ではあるのだが、この水妖精に俺たちで青の魔力を供給してやれば良い。
テッドとフィアンマ先輩は青魔導の素養は持っていないけれど、取りあえず俺は青魔導は扱うとこが出来るし、水流という二つ名を冠す青魔導の専門家のクレーネ先輩だっている。
最悪俺だけで魔力供給が間に合わなかった場合は、クレーネ先輩に手伝ってもらうことにしよう。
俺はそんな事を考えながら、青魔導を使うため、両手に意識を集中した。
水妖精への魔力供給方法は生憎知ってはいないため、手探り状態で色々試してみるしかないのが少しだけもどかしい。
少しだけ考えて――とりあえず魔導で生成した水で、水妖精の体を覆ってみる事にした。
そうした理由は別段深い物ではなかった。ただ、水妖精たちの陸上での移動方法が思い浮かんだからと言うだけに他ならない。
水妖精たちにとってしてみれば、魔素の吸収は俺たちにとっての呼吸とほぼ同等のモノ――ならば俺たちが呼吸によって取り入れる酸素よろしく、青の魔素で水妖精の体を覆うのが一番良いと思ったのだ。
だが、非常に安直な理由での行動ではあるけれど、注意を払うのは勿論忘れない。
行動不能である水妖精に吸収させる魔素ならば、出来る限り不純物が混ざらない方が良いだろう。
そこまで思考した俺は、水素と酸素の純粋な化合物を――即ち純水を生成する事を意識した。
前世では蒸留装置なんかを使用しなければ得る事の出来なかった純水は、現世ではイメージさえ強く持てば割と簡単に用意できるのだからありがたい。
最も、現世で純水が必要になる機会など早々ありはしないのだけれど……
――俺の両手より放たれた青の魔力は、水球となって水妖精の体を包み込む。
これで元気になってくれれば良いのだけれど、と、そんな事を考えながら水球の中の様子を観察する俺。
そんな俺に倣う様に先輩たちと我が相棒も水球の中を覗きこんだ。
衰弱していた水妖精がすぐさま元気を取り戻すことは無いのだろうが、長時間この状態を維持していなければならないとなればそれはそれで結構大変だ。
できれば早めに意識を取り戻してほしいなぁ、なんてことを密かに思ってみたりする。
――だが、俺の心配は如何やら杞憂であったらしい。
俺が作り出した水球の中で、不意にパチリと目を開く水妖精。
そのあまりの呆気なさに、俺たちは少しだけ呆けてしまった。
水妖精は、その綺麗な碧眼で俺たちを一瞥したかと思うと、次の瞬間には視線を固定した。
俺と水妖精との視線が交錯する。
彼女は自分を覆う水球を作り出した術者が誰なのか理解したらしい。
そして彼女は何を思ったのか、破顔しながら俺の顔へとすり寄ってきた。
――妖精さんは思ったより人懐っこいらしい。
これならば、今回の目的物でもある水妖精の涙も割と容易に手に入れることが出来るかもしれない。
だけど今この時分に顔にすり寄るのは正直勘弁して貰いたかった。
この行動は正に想定外。
水妖精を覆っている水球は其れなりに大きいのだ。
「――ッ!? ガボッ、ガボッ!?」
あまりに急な出来事に口と鼻からいっぺんに水を吸い込む俺。
――まさか、自分の生み出した魔導で溺れかけるとは流石に思っていなかった。
…………
{……ごめんなさいなのです。こんなに美味しいお水は初めてだったから、思わずひっついちゃったのですよ}
俺の生成した水球の中から水妖精の彼女は、実にすまなそうに俺へと詫びの言葉を述べてくる。
まるで水そのものであるかのような透き通ったその声に、俺は思わず聞き惚れそうになってしまった。
それほどまでに彼女の声音は異質なものだった。
俺たちが声帯を震わせ、空気の振動で伝える声とは異なる音。
……まぁ、そもそも根本から異なるのだからそれも当然なのかもしれない。
実体のない彼女たちには空気を震わす声帯も、空気を吐き出す肺もない。
故に俺たちに何かを伝えようとするならば、身振り手振りをするか、若しくは彼女の様に直接的に俺たちに語りかけるしかないだろう。
言うなれば精神感応とでもいえばいいのだろうか?
脳内に直接響いてくるその声音は、空気を介していないが故に綺麗に聞こえるのかもしれない。
――っと、独白に浸っている場合ではなかった。
「――僕の事なら気にしないでください。確かにちょっと苦しかったけど、別に何ともありませんでしたから」
俺はとりあえず言葉を選んで、当たり障りのない返答を返しておいた。
そんな俺の言葉に少しだけ表情を柔らかくする水妖精の彼女。
――彼女を包む水球が少しだけ震えた気がした。
{……そう言って貰えると何よりなのです}
「何よりと思っているのは僕たちも一緒ですよ。元気が戻ったようでよかったです水妖精さん。……ところで、一つ聞きたいんですけど。どうしてこの湖がこんなことになっているのか、貴方は分かりますか?」
俺たちに微笑む水妖精に対して、湖に到着してからずっと感じていた疑問を投げかける俺。
意識のなかった彼女だけれど、それでも湖がこんな有様になっている理由は恐らく知っているだろうと思ったからの行動だった。
俺の問いかけを聞いて、水妖精はハッとした表情を露わにする。
{そ、そういえばっ、私の他には誰かみかけてないです?}
「他の誰かってのは、もしかしてお前さん以外の水妖精ってことか?」
{そうなのですっ、プルウィの他にもいるはずなのですっ!! どこで見たか教えてほしいのです!!}
如何やらプルウィと言うのがこの水妖精の名前であるらしい。
プルウィの問いかけにテッドが反応を返すが、彼の声に被せ気味にプルウィが捲し立てる。
だが、残念ながら彼女の問いかけに対する答えを俺たちは用意することが出来なかった。
「――ごめんなさい、私たちも今この場所に到着したばかりで、私たちが目にした水妖精は貴方だけですわ」
{そ、そんなはずないです!! だってついさっきまでプルウィ達は一緒にいたですの!! ネプラもディールもリーウもっ、皆腹ペコで動けなかったですけど一緒にいたです。プルウィだけのはずないですよ!!}
今にも泣きだしそうに成りながら、プルウィは俺たちへと吠えたててきた。
悲痛な叫び――もしかしたらプルウィと一緒にいたという水妖精たちがどうなってしまったのか、それを彼女は薄々察しているのかもしれない。
その事実を受け入れたくないという一念からの叫び――そんな風にしか思えなかった。
だが、魔素欠乏で動けなかった水妖精たちが、プルウィだけを残して他の場所に移動したということは考えにくい。
となれば考えうるは一つの事象のみ。
――俺たちは間に合わなかったということだろう。
「――ごめんなさいっ」
意を決して俺はその一言を辛うじて捻り出す。
たった一言の謝罪の言葉が、これほど言いにくかったのは初めてだった。
{――っ!!?}
俺の一言を聞いてプルウィは言葉を詰まらせる。
そして彼女は大きく見開いた眼から、ポロポロと雫を零す。
水球の中でありながら水妖精の零した乳白色の涙は、決して水と交わることなく水の中を漂う。
――――図らずしも、俺たちは目的であった水妖精の涙を手に入れた瞬間だった。
達成感など微塵もない、あるのはやるせなさだけだった…………
{……どうしてっ、どうしてこんな事にっ――これも皆、全部アイツの所為ですっ!! プルウィ達の住処を奪ったアイツの所為です!!}
「――プルウィ様、アイツとは一体何の事でしょう? 湖で一体何が起きたのですか?」
クレーネ先輩が問うた――俺が先ほどした質問を繰り返し問うた。
先ほどはプルウィから問いかけを被せられ、その答えを得ることは出来なかったが、恐らく今度は答えが返ってくることだろう。
――少しだけ間をおいて、精神感応の波が俺たちへと届いた。
{――水喰らいの悪魔、プルウィ達はアイツの事をそう呼んでいたのです。アイツが来てからプルウィ達は住処を追われて、こんなことになったですっ}
未だ零れる涙を止めることなく、プルウィは俺たちの方を見直してくる。
{ニンゲンさんっ!! プルウィはアイツをやっつけたい。でも、プルウィ達じゃアイツに敵わなかった。お願いなのです――力を貸してください。アイツをやっつけるためならプルウィは何でもします。ニンゲンさんたちの奴隷にも喜んでなりますっ}
何かを望む強い瞳に俺たちは思わず息を飲んだ。
自分はどうなっても良いと、この水妖精は宣ってきた。
――それほどまでの強い決意。
{――皆の敵を取るのを、手伝ってください!!}
――その強い意志は、俺たちの胸を打つ。
特別言葉を発しはしなかったが、俺たちは自然と顔を見合わせ――そして頷き合った。




