水妖精の涙(中)
すみません。七月中に更新することは出来ませんでした。
結局前回投稿から約一週間開けての投稿……不甲斐なくて申し訳ありません<(_ _)>
岩石熊を見事撃退した俺たちは、戦闘を行ったその場から少しだけ離れた山道の傍らで、本日の野営の準備をすることにした。
とうのも目的地であるコルリスの水妖精の住まう湖は、大凡徒歩でまるまる三日間程度はかかってしまう程度の距離があったからだ。
幸い学園の方は一月ほどのまとまった休みとなっている。
学園はこの期間に四回生の卒業試験を行い、そして新一回生選抜の試験と受け入れの準備を行う。
卒業試験まではまだ十日間ほどの期間があるため、湖に赴いても十分に間に合う計算だった。
故にこそ、日が暮れ出した本日は無理せず、早めに野営の準備に取り掛かったという訳である。
俺たちは持って来た大き目な毛布の上部四か所をロープで結び、ロープは自生する木々の枝へと引っ掛け、上へと引っ張り、そして固定する。
非常に簡易ではあるが、これをテント替わりとすることにした。
恐らく大山脈に訪れたのが俺とテッドの二人だけだったとしたら、このテントもどきさえ張ってはいなかっただろうが、流石に貴族のお嬢様方を雑魚寝で野宿させるのは考えモノだったので一応用意したのだ。
正直寝心地は良くないだろうが、其ればかりは我慢してもらうほかない。
だが、そんな拙いテントもどきにも関わらず、先輩方は文句も言わず、寧ろ申し訳なさそうに俺たちに礼を言ってきた。
毛布の大きさから考えて、この簡易テント内に寝ることが出来るのは二人が限界であるからだ。
俺たち二人は女性陣に気にする必要が無い旨を伝え、早々に野営の準備に取り掛かるのだった。
…………
トロトロと燃える焚火を、俺たち四人は隙間を開けて囲う。
焚火の周りには串で刺した肉を置き、夕食の一品として火を通していた。
本日の夕食は持って来た乾物で済ませる予定だったので、本来ならばもう少し質素であるはずだったから、この一品の追加は正直結構嬉しかった。
今現在俺たちが焼いているのは、先ほど仕留めた岩石熊の肉だ。
岩石熊と遭遇したのは、丁度野営の準備をしようとしていた直前の事。
故にこそ、非常に簡易ではあるのだが、野営の準備を進めると同時に岩石熊の解体作業を行うことにした。
ただまぁ、元々大山脈に訪れた目的はあくまで水妖精の涙の獲得であるので、解体の規模は自ずと限られるものになった。
今回俺たちが仕留めた岩石熊は成体であるらしく、大きさは二メルトルを上回る。
そんな大きさの獲物の素材となると、荷物になるのはまず間違いなかった。
岩石熊の素材で組合に買い取ってもらえるのは、毛皮と骨、肉、牙、爪、後はその特徴的な腕甲。
だが、毛皮、骨、肉は相当な量になるし、解体にも手間がかるため、今回はスルー。
火炎の姉弟の魔導によって頭部が焼失してしまっているので牙の採取はそもそも不可能だった。
という訳で爪と腕甲、後は本日の食用分の肉を採取して、残りは火の魔導が得意な二人に頼んで火葬してもらい、そして今に至る訳である。
岩石熊の肉は、以前に一度だけ入手したことがあったが、その時は調理に失敗して凄く硬い肉になってしまった為、今回は慎重に調理を行った。
魔導で水を生成し良く洗ってから、適度に叩いて繊維に沿って一口大にカットし、串に刺して適量の塩を振る。
串は焚火用の薪を集める際に集めて置いた、生木の枝を削って用意した。
そうやって用意したのが、今目の前の焚火で焼かれているなんちゃって串焼きな訳なのだった。
俺は十分に火が通った串を一本手に取って、串にささった一口大のサイズの肉を頬張ってみる。
解体と下処理が上手くいったからなのだろう、依然調理した肉と違い生臭さは少なく味は結構美味しかった。
――が、調理が大成功したかといわれると、決してそうは言い切れなかった。
ぎゅむぎゅむと肉を咀嚼する――以前の其れよりは遥にマシではあり、食べられることは食べられるけれど硬さがどうしても気になるのだ。
結構な頻度でウォルファスさんの串焼き屋台を手伝っており、カウロス牛の串焼きを食べ慣れているからこそ、その硬さに違和感を覚えずにはいられなかった。
そんな事を考えながら、ふと他の人はどうだろうと、同じ物を食べている人達へと目を向けてみる。
傍目で見てみれば、我が相棒は結構な勢いでがっついていた。
火炎の姉上は串焼きと言う物が初見であるようで、かぶりつくという野蛮な食べ方に初めは戸惑っている様だったが、恐る恐る肉を齧ってからは満更でもない様子で食事を続けていた。
どうやら、この串焼きに明確な不満があるのは俺だけであるらしい。
――俺はどうも贅沢者になってしまっていたようだ。
確かにこの串焼きの肉はちょっとばかり固いけれど、味の方はそう悪い物でもない。
少なくとも本来の食事である携帯食料と比べれば遥にマシと言えるモノだった。
俺はそんなどうでもいい事を考えながら、気を取り直して肉に食いつこうとして――動きを止めてしまった。
ふと視線を投げた先で、流水の先輩が串焼きを片手に動きを止めていたからだ。
その串焼きには一口だけ齧られた跡が見られるが、欠けているのはただの其れだけ。
まるで心ここにあらずといった様子で、クレーネ先輩は静かに何かを見つめていた。
彼女が見つめているのは何なのか、俺の位置からは先輩が手に持った串焼きを見つめている様にも、その先にある焚火の炎を眺めている様にも見えた。
「――もしかして、お口に合いませんでしたか?」
もし、クレーネ先輩が見つめているのが串焼きだとすればその可能性が非常に高いと、俺はそんな風に勝手に考え恐る恐る訪ねてみた。
しかしながらクレーネ先輩は、はっとした様子で顔を上げる俺の方を見る。
だが彼女にはまだ状況の整理が出来ていない様で、俺から投げかけられた言葉を五秒程の時間をかけてゆっくり反芻すると、ようやく意味を理解したのかワタワタと慌て始めた。
「――い、いえいえその様なことはっ!? 粗野ではありますが、とても美味しいと思います!」
「そ、そうですか? それならいいのですけど」
クレーネ先輩の言葉に俺は歯切れ悪く答える。
串焼きについては如何やらいらぬ心配だったようだ――まぁ、彼女の”美味しい”がお世辞ではなかったとしたらの話なのだけれど……
だが、もしクレーネ先輩が発した言葉が本心なのだとしたら、彼女の物思いの真意は別にあるということだ。
俺に思い浮かんだ疑問は、如何やら他の人も同じだったらしい。
首を傾げながらフィアンマ先輩がクレーネ先輩へと話しかけた。
「レーネ? 何やら思い悩んでいる様子ですけど、どうかしまして?」
「むぐっ、そーなのかレーネ姉?」
テッドも咀嚼を辞めてクレーネ先輩の方へと顔を向ける。
そんなテッドの動きに合わせて、俺も改めてクレーネ先輩へと視線を向けた。
「いえっ、どうかお気になさらず。そもそも私は思い悩んでなどいませんよ? えーっと……そうっ、私少し疲れているようです。そういえば大山脈に来るのは初めてですから」
視線を俺たちから避け、頻りに髪の毛を弄りながら、しどろもどろな返答を返してくるクレーネ先輩。
そんな彼女の様子に、火炎の姉弟は揃って肩を竦め、小さく溜息を吐き出した。
「嘘ですわね」
「嘘だな」
「えうっ……」
シンクロする姉弟にバッサリ切り捨てられる水流の令嬢。
まぁ、彼女には悪いがあのような態度を取っていればバッサリいかれても仕方がないと思う。
付き合いが浅い俺ですら彼女が誤魔化していることが分かった位なのだから。
「レーネ、貴方はいい加減嘘をつくときに髪の毛を弄る癖を直しなさい。――それで、いったい何を悩んでいるんですの?」
「…………」
少しだけ視線を下にはずして、服の裾をグッと掴みながら黙り込むクレーネ先輩。
そんな彼女に対して、助け舟になればと、俺もフィアンマ先輩に続いて声をかける。
「――もし先輩が望むなら、今日この場所で聞いた話は誰にも話しません。僕たちでは貴方の悩みに対して的確なアドバイスは出来ないかもしれないですが、話すだけでもしてみてはどうですか? 案外話すだけでもスッキリするかもしれませんよ? ――悩みなんてものは、だいたいそういうものですから」
言いながら、焚火の勢いを調節するために、先ほどみんなで手分けして拾い集めた薪を炎の中に投げ入れる。
薪を与えられた焚火の炎は、すぐさまそれを飲み込むと、少しばかり勢いを強めた。
世闇の中で焚火の炎が先輩の顔を少しだけ明るく照らした。
その炎を見つめながら、クレーネ先輩はゆっくりと口を開いてくれた。
「……テッドさんやフィアさんは既にご存知ですが、私は攻撃魔導が苦手です。お二人の様に獣を屠る事以前に発動自体が出来ないことさえございます」
ポツリポツリと語り始めるクレーネ先輩の言葉に、俺やフィアンマ先輩、テッドでさえも静かに聞き入った。
攻撃魔導が使えない――珍しい事ではあるが全くないと言うこともないのだろう。
家のイリス母さんや『日本語』の特性に気が付く前の俺の様に、攻撃魔導が苦手な人間もいるのだ。
それはきっと、使い手の本質的な資質であったり、その人の性格が原因であったりと、少し考えただけでも色々な憶測が出てきた。
物腰丁寧で、大凡争いごとに向いてそうにないクレーネ先輩ならば、その性格による抑制が掛かっているのかもしれない。
「今でこそ特に何も言われていませんが、私が小さい頃はそのことが原因で良くお叱りを受けました。私は泣き虫で、お二人の処や、家で唯一私の味方をしてくださったおばあ様の元へ訪れては、良く泣きはらしたものです」
膝を抱えて身を小さく丸めるクレーネ先輩。
当時を思い出し彼女は身を竦めていた。
「今考えると、もしあの時おばあ様が私の味方をしてくださらなかったら。……恐らく私は家にいる事さえできなかったかもしれません。いえ、今こうして家にいることが出来るのも、今は亡きおばあ様のおかげ」
……如何やら彼女に味方してくれていた祖母は既に故人であるらしい。
「――おばあ様は、攻撃魔導を使えない私に言ってくださいました。「貴方には薬師として才能がある、もう少し貴方が大きくなったら貴方に私のとっておきを教えてあげるから」と――、その時は何のことか分かりませんでしたが、それは多分、当時おばあ様だけが作成することが出来た霊薬の調合方法だったのだと思います」
「ちょっと待ってください。思いますと言うことは、先輩はそのとっておきという奴を教えてもらえていないのですか?」
「……ええ、何分急だったものですから」
何が急だったのか、それをクレーネ先輩はあえて語らなかった。
だけど、語る必要はなかった。俺は其れが何を意味するのか理解していたのだから。
「これはおばあさまが亡くなった後に知ったことだったのですが――おばあさまはサップヒールスの家を見限っておられたようです。何故おばあさまが家を見限っていたかまでは分かりませんが、それはきっと確かなことだったのでしょう。その証拠に、おばあさまは誰にも霊薬の作り方を教えていないようですから」
「えっ!? それは本当なんですが? だって霊薬は数は少ないですけど、今でも都市に出回ってますよ?」
「……流石にお父様も、サップヒールス家の象徴ともいえる霊薬の作成方法が消失したなどと言うことはできないのでしょう。今出回っているモノは、我が家に残る蓄えを少しずつ放出しているにすぎません。あたかもおばあさま亡き後でも、霊薬を作成していると思わせる様に――ですが、それも長くは続かないでしょう」
それは言うまでもない事だろう。
流石に四大貴族(サップヒールス家)とは言え、ない袖は振れない。
ストックさえ尽きてしまえば、それは終わってしまうのだから。
「おばあさま亡き後、お父様は霊薬の作り方を血眼になって探しました。ご自分で作成しようとも考えていたようですが、おばあさまは徹底して霊薬の作成に関する資料を破棄していたらしく、碌に文献も残っていませんでした。作成の手順が分からないばかりか、材料すら分からない。それではいくら当主といえ、お父様にも作成は不可能だったようです。ですが、霊薬について調べていくうちに、如何やらお父様は知ってしまったようなのです。おばあさまが私にだけ霊薬の作り方を教えようとしていたことを」
「――それでクレーネ先輩は、お父さんに言われて霊薬の作成に着手したわけですか」
俺は今までの話の流れから、サップヒールス家の現当主の行動を予測してみた。
言っといてなんだが、今まで蔑ろにしていたクレーネ先輩に対して、霊薬の作成を命じるのは余りに虫が良い話だと思う。
まさに掌を返した様な対応――いくら辛く当たられていたとは言え、実の両親からそのような扱いを受けたとなると、流石に先輩が不憫過ぎると思ってしまった。
だが、クレーネ先輩は俺の言葉に対してゆっくりと首を横に振ってみせた。
思わぬ否定に、俺は思わず首を傾げる。
「確かに私はお父様から霊薬の作成を命じられました。ですが正直な処、お父様の為に――いえ、家の為に霊薬を作成するつもりは毛頭ございません」
……あまりにもきっぱり言い切ってみせたクレーネ先輩に、俺は思わず面喰った。
もしかしたら先輩は、彼女の祖母と同様に、既にサップヒールスを見限っているのかもしれない。
「私が霊薬の作成を行っているのは、あくまで私自身の為です。私は大好きなおばあさまに認めてもらいたい。おばあさまが私に託そうとしていた霊薬だからこそ、私はこの手で作り上げたいと、そう思っています――そう思ってしまったんです」
今は亡き大切な人が自分に課したモノ――クレーネ先輩にとっての霊薬作りはまさしくそれだった。
だからこそ彼女は出会って間もない平民の俺に向かって、素直に助力を乞うてきたのだ。
何となくだけれど、クレーネ先輩の想いは俺の持っているそれと似ているような気がした。
俺がロニキス父さんから託されたモノと似通っていると、そんな風に思った。
その想いが大切であるからこそ真摯に向き合える――大切だからこそ自然と頭を下げることが出来る。
その行動は、他人から見れば情けなく映るのかもしれないが、躊躇なくそれを出来る気位には共感できるものが確かにあったのだ。
「ですが、同時に思うのです。なればこそ、私は私だけの力でそれを成さねばならないのではないかと、少なくとも今日の様に皆さんの後ろに隠れて何もしないというのは違うのではないかと、そんな風に思ってしまうのです」
――何故私には戦うための力が無いのか。
そんな心の声が先輩の発した言葉には宿っている気がした。
クレーネ先輩は弱く微笑みながら俺たちを見渡した。
「――愚かしいですよね? 貴方様方に助力を乞うている時点で、それが出来ないことなのは分かり切っているというのに、……どうか今話したことは戯言だと判断して忘れてくださいませ。大きい独り言だと思ってくださいませ。ただお聞きくださったことはありがとうございました。幾分楽になった様に思いますので――」
それだけ言ってクレーネ先輩は、手に持っていた串焼きの肉を啄ばむように小さく齧った。
彼女はこれ以上、何も話すつもりはないのだろう。
俺はそんな彼女に対し、思った事を言おうと口を開きかけたが、俺もそのまま手に持った串焼きに齧り付き、何も言うことはしなかった。
言葉に出すことは簡単だ。
だけど、今先輩に言っても彼女は心から納得することはきっと出来ないだろう。
彼女に納得してもらうには、言葉だけではなく確かな実感が必要なのだ。
『――桜梅桃李だと思うんだけどなぁ』
誰にも聞こえない様に、もし聞こえたとしても理解されない様に、俺は『日本語』で小さく呟いた。
桜梅桃李――漢字の通り、桜と梅と桃、そして李の違いを表す言葉、これらは独自の花を咲かせる。
それぞれの花はそれぞれの特性を発揮して見事に咲き薫モノだ。
自分に自信が持てない時、人はつい自分を他人と比べて羨んでしまう。
それに大した意味は無いというのに。
そもそもクレーネ先輩の持つ特性は聖職者のそれ、攻撃魔導は使えなくとも、回復魔導や防御魔導といった方面であればこの場にいる誰よりも優れた力を発揮してくれることだろう。
攻撃魔導に特化した魔導士であるフィアンマ先輩とも違う――
剣と魔導を匠に操る魔導剣士のテッドとも違う――
ましてや器用貧乏な魔導士である俺などとも違う――
クレーネ先輩だからこそ活躍できる場面が、きっとあるはずなのだ。
岩石熊との戦闘では、それが無かったと言うだけの話なのだ。
まぁ、回復魔導が大いに活躍する場面と言うのがあるのも考えモノではあるのだけれど――
俺はそんな事を考えながら、何ともなしに上空を仰ぎ見る。
見上げた空はこの場の空気とは打って変わってこれでもかという程澄んでいた。
そんな綺麗な星の大海に対し、俺は少しだけ文句を付けたい気分になった。




