火炎との対峙(後)
まさかの一か月放置、本当に申し訳ありませんでした。
連日の残業と、海外出張であまり執筆の時間が取れず、更新が遅くなってしまいました。
その代わりと言っては何ですが、今回の話は結構長めです、さり気に過去最長かもしれません。
上手く書けているか分かりませんが、何卒よろしくお願い致します。
「――ふうっ、最悪の場合僕たちの方から仕掛けようとは思っていたけど、まさかカロルさんの方から話が出るとは、ちょっと思ってなかったなぁ」
「…………」
俺たちは居を移していた。
移動した先は、俺たちが通った場所――カルブンクルス家の正門から屋敷の間にある中庭のど真ん中だった。
その場所で、卑怯な手段以外であれば何を使っても構わない、正真正銘の真剣勝負。
互いの信念をぶつけ合う決闘の儀――それが今まさに始まろうとしているのだ。
「……なぁ、アルクス――その、なんだ。悪かったな、巻き込んじまって」
「うん? どうしたのさ改まって。これは僕たちが予め想定していたことじゃないか」
「……確かにそうだけどよ、決闘は、お前が想定していた中でも最悪の展開じゃねーか」
言いながらテッドは、父親譲りの紅眼で彼方を見つめる。
我が相棒の視線の先には、彼と同色の眼をした御仁が静かに佇んでいた。
カルブンクルス家の象徴ともいえる赤を、これでもかという程に施した鎧を見に纏う相手。
腰には豪奢に見える片手直剣を吊るしていた。
……きっとあの剣も豪奢なだけではないだろう。
未だ自分に自信は持てていないけれど、そんな俺にも冒険者としてやってきた二年間の経験がある。
だからこそ強者の雰囲気という奴は何となくだけど理解出来る。
アスタルテさんが率いる戦乙女の方たちと、同じ雰囲気をカロルさんからも感じるのだ。
彼はは間違いなく、俺たちなどより遥格上の人だ。
そんな人が用意している剣が、豪奢なだけなどと言うことは絶対にない、と、俺は自然に確信していた。
確かに現状はテッドの言う通り、かなり厳しいモノだった。
だけど、それでも想定内であればまだ救いはある。
「悲観してちゃ何も始まらないよ。それにこの状況まだ最悪じゃな。想定していた最悪っていうのは、見るからに強そうなあの人に、僕か君のどちらかが一人で挑むような状況だよ」
「――ま、そりゃそうだ」
テッドは分かりやすく顔を顰めながら、俺の言葉に同意する。
俺はそんな彼の言葉に頷き返し、持って来た装備の状態を整えた。
――決闘の内容はこうだった。
俺たちの希望はテッドに課せられている条件の撤回。
それに対して俺たちが賭けるものは冒険者の存続だった。
随分と割の合わない賭けだが、そもそも他に賭けられるモノが無いのだから致し方ない。
つまり、この決闘で俺たちが負ければ、冒険者を止めなければならない訳だ。
此処で一番注目しなければいけないのは、俺たちという単語だろう。
つまり、この決闘は俺とテッドの二人で、カルブンクルス家の現当主様に挑むという構図だったりする。
まあ、俺たちは未だ六等級に至っていない訳で、いわば未熟者。
故にこそ、二人そろってようやく一人前――俺たちコンビは二人そろってようやく、カルブンクルス家の現当主様への挑戦権を有するという訳だ。
事実その通りであると思うし、こちらとしても好都合であるので何の問題もなかった。
改めてもう一度装備を確認する。
皮の胸当てとグローブ、そして金属製の脚甲、そして腰に吊るすのは今日の為に用意した真新しいハンティングナイフが一振り。
準備は万端だった。
故にこそ、最後に我が相棒に一言――
「――それじゃあ、手筈通りに」
「おうよっ!」
言いながら俺たちは互いの拳を軽く打ち合わせる。
それは互いの健闘の祈りであり、激励――
そうして俺たちは、揃って眼前の敵へと視線を向けた。
「――如何やら、其方も準備は出来たようだな」
雰囲気を察したのだろう。
目を閉じた状態で静かにたたずんでいたカロルさんが、ゆっくりと瞼を開けて俺たちを見る。
凄まじい眼力――猛禽類を思わせる双眸を俺たちへと向けてくる。
だが、俺たちは怯まない――怯んでなどやらない。
「……では始めよう。ロムス、合図を頼むぞ」
「――畏まりました。旦那様」
先ほど俺たちのお茶を用意してくれた壮齢の男性――如何やらロムスさんと言うらしい――が、カロルさんの指示に従う。
ロムスさんは俺たちとカロルさんから少しだけ離れた場所で、ポケットから何やらを取りだし――俺たちへと掲げた。
ロムスさんの指先に摘ままれたそれは、何の変哲もない一枚の銅貨。
「僭越ながら、今から私がこのコインを弾かせていただきます。決闘の開始はこのコインが地面に落ちたその瞬間です――双方準備はよろしいですか?」
ロムスさんは俺たちとカロルさん、その両方に一度ずつ目配せをしてきた。
彼は恐らく俺たちの準備が整っているかの最終確認と、コインを投げるタイミングを探っているのだ。
俺たちはそんなロムスさんに対し、小さく頷いて見せる。
そんな俺たちの合図を見たロムスさんはと言うと、すっと目を閉じた。
一瞬の静寂――何とも言えぬ緊張感がその場を支配する。
「――では、いきますっ」
コインが指で弾かれ宙を舞う。
陽光を反射させ、表裏を交互に見せながら、赤銅の軌跡が放物線を描く――
そうして俺たちの命運を賭けた決闘開始の合図は、小さく、実に呆気なく、全くの容赦もなく――しかし確実に響かせた。
――キンッ、と言う小さな音。
その音に真っ先に反応を示したのは、他ならぬ俺たちだった。
「先ずは様子見だぜっ!! 食らいやがれ、クソ親父! ”ファイヤーボール”っ!!」
相棒が真っ先に魔導を発動させる。
その声に反応して現れるのは、赤々と燃え上がり、カロルさん目がけて高速で飛び出してゆく。
攻撃の余波である熱波が微かに俺の頬へと届いてくる。
魔導名の性質――銘の希少性の恩恵を殆ど受けていない筈のその魔導は、それでも五十センチ程度の大きさとなって発現した。
メジャーな魔導にしてはかなり大きく発現したそれ。
それは偏に使い手が赤の属性に特化しているテッドが故にこそのモノなのだろう。
だからこそ、テッドの言葉通り様子見には丁度いい魔導だった。
――だが、そんな魔導に対して、対戦相手は顔色を変えなかった。
カロルさんがステップを踏む――軽やかに右側面へとひとっ跳び。
たったそれだけの動作でテッドの放った火球を避けて見せた。
余裕さえ伺える回避術――元冒険者であるカロルさんの腕前は如何やら衰えてはいないらしい。
そんなカロルさんに対して、テッドに引き続き、今度は俺が様子見を放つことにする。
魔力の充足は既に終えている――実の処テッドが火球を放つと同時、俺も魔導を放つ準備をしていた。
それをテッドと同時に放たなかったのは、単純に時間差を付けたかったからだ。
俺はテッドの火球を避けるために、大きく飛び退いたカロルさん目がけて、用意していた魔導を解き放つ。
右手に纏うは緑の魔力――組み立てるのは不可視の刃。
「――切り刻めっ、”エア・カッター”!」
込めた魔力量は約五パーセント、魔導名を『風刃』にすれば、遥に強力な魔導になるのだが、今回はあえて一般的な”エア・カッター”で魔導を発現させる。
大きな思惑は二つ――
一つはテッドの放った火球と同じく牽制の為。
また、もう一つは一般的な威力の魔導をどのようにして対処するのか――その方法によってカロルさんの実力の一端を垣間見ること。
要は情報収集の為だった。
現状カロルさんはテッドの牽制の魔導を避ける為に、大きく飛びのいている最中だ。
よって行動に制限がかかっている現状ならば、一般的な風魔導とて、カロルさんは回避以外の行動を取らざるを得ない。
となれば、恐らく魔導を用いてエア・カッターを避けることになるだろう。
そうなれば、カロルさんがどのような魔導を防御に用いるかで、使用する魔導の練度と傾向が分かる。
練度については言わずもがな、魔導の発動時間、威力、その他もろもろ――相手がどれだけ上手く魔導を使えるかが分かる。
また、どのような魔導を使うかなどの傾向が分かると非常にありがたい。
攻撃用の魔導を用いて俺のエア・カッターを迎撃するならば、彼は攻撃を重視するタイプだろう。
逆に俺が魔導土人形の爆炎を防御するのに用いたような防御魔導を使用するならば、防御を重視するタイプだ。
とっさの対応であればあるほど、その人の本質というものが見えてくる。
本質が分かっているか分かっていないか、その情報が有ると無いとでは正直大違いで、俺にとっては死活問題だった。
特別な才能を持っていない俺が、明らかに強大な力を持っているカロルさんに勝つには、どうしたって小細工を弄さなければならない。
だが、小細工を弄するにも、情報が無ければ手を打つことが出来ない。
何れにしろ小細工には前準備が必要なのだから。
……
だが、そんな思惑を持って放った俺の魔導は、予想外の行動によって破られることになった。
俺の追撃を見て、カロルさんは力ある眼光を少しだけ煌めかせながら、素早く右手を腰へと伸ばした。
彼の右手がそれ(・ ・)の柄を掴んだと思ったその瞬間――
「――フンっ!!」
――文字通り、空気が分断される。
その衝撃的な出来事に、俺の思考は一瞬停止しかけた。
ものの見事に、俺は予想を外してしまった。
――否、こんなモノ前情報もなく予想しろと言う方が間違っていると言うものだ。
平均以下のエア・カッターとはいえ、まさか唯の剣の一振りで攻撃用の魔導がかき消されるなんて予想できる訳が無いっ。
カロルさんは風を、斬ったのだ。
眼前では、振った剣の勢いをそのままに一回転したカロルさんが、回転の後、先ほどと同じく俺たちの事を直視している。
引き抜いた剣をだらりと下げながら、空いた左手を前へと突き出すカロルさん。
かの左手には緋色の魔力が宿っていた――それはまさしく反撃の証。
今しがたテッドと俺が続け様に放った二発の魔導、それは牽制という名目で放ったものだ。
とすれば、それらの魔導が正しく役割を果たせなかった場合、当然反撃が来るのはある意味自然な流れと言えるものだった。
だが、既にカロルさんは剣による断空という、想定外の行動で俺の魔導を対処している。
想定外と言うことはつまり、対処法を用意していないということと同義。
現に俺の隣では、テッドが俺のエア・カッターに追随して放てるように、次の攻撃魔導を用意している最中だった。
二連続の牽制でカロルさんの攻め手が止まると、そう予想していたが故に、テッドに攻撃魔導を用意してもらっていた。
俺たちには――少なくともテッドにはカロルさんの攻撃魔導を対処している余裕はなかった。
更に性質が悪い事に、カロルさんの左手の緋色に反応して、彼の右手に握る剣の柄にはめられている、大きな赤い宝石が呼応するかのように光を放っていた。
否――あれは宝石にあらず、恐らく魔石であるのだろう。
それが呼応しているということは、今からカロルさんより放たれる魔導の威力を押し上げている事に他ならない。
つまり俺たちに放たれようとしている、彼の魔導は必殺とも例える事の出来るモノであるようだ。
「――飲み込め!! 『フレイム・サーペント』っ!!」
――カロルさんの左手を起点にして生れ出た”それ”は、正に魔導名通り赤々と燃え上がる炎蛇だった。
本当に人一人を飲み込んでしまえそうな太い胴体。
それがすばやくにじりながらこちらに向かってきていた。
「……っく」
速いうえに、左右に揺れながら迫りくる大炎蛇に、俺は思わず苦悶する。
魔導を放って迎撃するにも、ああも激しく揺れられては狙いを付けることがまず難しい。
そのうえ、規模が規模だけに、咄嗟に放つ魔導で威力を完全に殺すことが果たして出来るかどうか……
そこまで考えて、俺は迫りくる大炎蛇を魔導で迎撃することを諦めた。
「テッドっ! ゴメン! 先に謝っとく!!」
「――――? なんだよいきな――へブッ!!」
俺はタイミングを見計らって、テッドへ謝罪の言葉と一緒に渾身の蹴りを放つ。
無防備に俺の蹴りを食らったテッドは、反対側に勢いよくゴロゴロを転がってゆく。
俺はと言うと、テッドを蹴った反動を利用して、テッドが転がった方向とは反対側に飛び退いた。
瞬間、俺たちが今しがたまでいて――今は誰もいない空間を大炎蛇が通り過ぎて行く。
「――ぐぅっ」
……少しだけタイミングがずれてしまったらしい。
テッドを蹴った右足を炎蛇が僅かに掠めていった。
その熱に気を取られて、俺もテッドと同様無様に地面を転がった。
右足にジンジンと痛みが走る――それと一緒に肉が焼けた匂いが俺の備考をくすぐった。
何が焼けたかなど、俺が一番理解していた。
「――ゲホッ、やっぱりお前の蹴りは効くなぁ」
すぐさま俺のそばへとテッドが駆け寄ってきた。
俺も何とか足を踏みしめて立ち上がる――如何やら何とか動けるらしい。
「テッドは怪我はない?」
「……寧ろお前のが一番の被害だぜ、まあ、文句を言うのは筋違いなんだろうけどよ――それでどうする? どうも親父は本気みてえだ」
前を向いてみれば、カロルさんが悠然と歩みを進めてきていた。
ゆっくりと浸食してくるその様は、正に大火炎。
俺はこんな時にも関わらず、カルブンクルスの二つ名の由来を真に理解するのだった。
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「それにしても、まさかこの様な時間にフィアンマと一緒になるとは、珍しい事もあったものだな」
「それはこっちのセリフです。私は学園からの帰りですけど、ソール兄様はお城務めでしょう? 屋敷に帰ってくること自体が稀なんですから」
言葉を交わしながら、私たちは並び立って同じ場所を目指していた。
私は元々学園の帰りであったため一人歩いていたのだけれど、まさか同じタイミングで同じ学園に通う弟ではなく、城勤めの兄に会うことになるなど本当に予想外。
何でもソール兄様はお仕事の一環で、お父様に会いに行くのだという。
そのためか、兄様を囲う様にして護衛と思しき三人の近衛騎士たちが付き添っていた。
目的地を同じくしているということで、私たちは一緒にカルブンクルスの屋敷を目指して歩いていた。
「そういえば噂で聞いたんだが、カムテッドの奴が冒険者になったと聞いたんだが――」
「あらっ、お耳が早い事ですね。ええ、その通りです。全くカムテッドったら何を考えているのかしら、いくら三男だからと言って、カルブンクルス家の者が冒険者だなんて、それを許容するお父様もお父様ですわ!」
不意に兄様より飛び出してきた末弟の話題に、私は思わず悪態を返した。
そんな私の態度に余程驚いたのか、お兄様は僅かに歩みを止めた。
「むぅ、随分と酷い物言いではないか? だが、私の記憶が正しければ、お前はそこまで冒険者を嫌っていなかったと思ったのだが……」
「――ええ、嫌いではありませんよ。苦手ではありますけど」
「では何故カムテッドが冒険者になることに対して、そこまでの不満を零す?」
「……私は、分不相応だと、そう思います。テッドは言動こそ粗雑ですが、頭も悪くありませんし、私たち兄妹の中でも特に武具や魔導の扱いに優れています。そんなあの子にはもっと相応しい道があるのではと思うのです」
言いながら私は思わず深い溜息を吐いていた。
きっとカムテッドならば騎士団長を務める事も可能だと、私は予てから思っていた。
そんな私の言葉を聞いてか、兄様からは笑い声が聞こえてきた。
「――クハハ、フィアンマ、お前はどうにも少しばかり身内贔屓なようだ」
「むぅ――それならお兄様も、テッドが冒険者になる事には賛成なのですか?」
兄様の笑いは私の考えを否定しているようにも聞こえて、私は思わず剥れながらそのような事を兄様へと問うていた。
兄様はと言うと、少しだけ早歩きで私の隣へと並んできた。
「アイツは堅苦しいことが苦手だ。ならば無理に騎士団などに入れるよりも、あいつが望むのならば冒険者でもいいと思うがな? どちらにせよ、アイツの思いの丈次第だ」
そう言うソール兄様の横顔には、僅かに何かしらの感情が見て取れた気がした。
カルブンクルス家の長男として、当主となるために今なお歩み続けている、ソール・ケルビム・カルブンクルスと言う人間は。
もしかしたら、自分の望んだものに成れるテッドが羨ましいのかもしれない。
「何れにしろ、私たちが口を出したところで、今更カムテッドが道を変えるなんてことは無いだろうさ。さて、この話は終わりだ、もう我が家は目の前――ん?」
「――どうかされましたか?」
「いや、どうにも衛兵たちに落ち着きが無いようなのでな?」
言われて私も兄様に倣い前を向く。
私が視線を向けたその先には、馴染みの我が家の正門には、馴染みの衛兵さん達が変わらず番を続けていた。
――私にも分かった。
馴染みの衛兵さん達は、何故か落ち着かない様子で、頻りに門内へと視線を向けていた。
兄様と顔を見合わせ、私たちはその理由を知るべく衛兵達のそばへと寄っていく。
「――集中を欠いているようだが、何か気になる事でもあるのか?」
「!? これはソール様、フィアンマ様もっ! も、申し訳ありませんっ」
「貴方がそこまで散漫になるなんて珍しいですね、何かあったのですか?」
私たちの突然の登場に、慌てて姿勢を正す衛兵さん。
そんな彼に私は助け舟を出すことにする。
衛兵さんは困った表情を浮かべながら、返答してくれた。
「そ、それが、先ほどから屋敷の中から轟音が時折聞こえてくるのです。賊でも出たのかとも思いましたが、先ほどロムス様がこちらに参られて、ただ一言「気にしない様に」とだけ仰られまして……」
衛兵さんがそう言った瞬間――それは私たちの耳にも届いた。
耳を劈くような破裂音、爆薬にでも点火したのかと錯覚するのほどの音。
――確かに、これを聞きながら平常に警備を続けることなど難しいだろう。
「むぅ、あのロムスが気にするなと言うのならば危険は無いのだろうが、確かにこれは気になるな――どれ、それでは行ってみようか?」
「なっ、で、ですがソール様!!」
「なに、どちらにしろ我が家に用がある事には変わりはない。お前たちは引き続き警備を続けてくれ」
「は、はい……」
衛兵さんたちを宥め、兄様はお付きの近衛騎士たちを引き連れて行く。
響いてきた轟音に面喰ってしまっていた私は、そんな兄様の言動にはっとなって、慌てて後を追った。
――だが、そうやって敷地内を歩んでいた私たちの目に飛び込んできたのは、とんでもない光景だった。
「――なっ!!」
「お父様!? そ、それにテッドも、いったい何をやっているの!!」
火炎が飛び交っていた、銀閃が煌めいていた。
火炎は轟音を生み、銀閃は鈴の音にも似た残響を生じさせていた。
「――焼き払え! 『グリッド・イラプション』!」
『くぅっ!! 囲めっ! ”水層”っ!!』
お父様が我が家に伝わる固有言語を用いながら魔導を放った。
手加減など一切見て取れない本気の魔導――地面からテッドたちを囲う様にして炎が吹き出し、彼らを焼かんと襲い掛かる。
その焔は、黒髪の少年が発動させたであろう水の壁によって阻まれる。
驚くべきはその魔導の完成度――お父様の本気の魔導と水の壁が相殺された。
双方の動きは其れでは止まらなかった。
『グリッド・イラプション』が相殺されたと分かるや否や、お父様は抜き身の剣を翻し、テッドたちへと襲い掛かる。
炎と水、その二つがぶつかった事で発生した蒸気のせいで、テッドたちはお父様が切りかかっていることに気が付いていない。
お父様は蒸気ごと、テッドたちを切り払う。
お父様が放った剣が捉えたのはテッドの方だった。
テッドは手に持った剣で、間一髪お父様の剣戟を防いで見せたが、その勢いまでは殺すことが出来ず後方へ弾き飛ばされた。
お父様はと言うと剣戟を放つだけにとどまらず、黒髪の少年に対して空いた左手で拳撃を放つ。
その拳撃は見事に少年の頬を捉え、少年の方も後方へと吹き飛んでいった。
手加減など一切見て取れなかった――これは完璧な殺し合いだった。
でなければお父様が、我が家の宝剣”レイヴァティン”持ち出すことなど有りえない。
「――テッドっ!!」
目の前で繰り広げられた衝撃的な光景に、私たちは思わず痛めつけられている末弟の元へと駆け寄ろうとした。
しかし、その行動には第三者によって待ったがかかる。
「いけませんフィアンマ様っ、ソール様もその場を動かないでくださいませ」
「ロムスっ!? し、しかしこれは――」
「――双方様合意の上です。いくら貴方様がたとは言えこの決闘を邪魔することは許されません」
「っ決闘だと!!」
ロムスより投げかけられた言葉に、私もお兄様も驚愕する。
何故お父様とテッドが決闘などしているのか、私たちには皆目見当もつかなかった。
お父様が再びテッドたちに向かって歩みを進める。
テッドはと言うと、手にした剣を杖の様に地面に突き刺して、如何にか立ち上がろうとしていた。
無傷のお父様に、傷だらけのテッド――これが決闘だというのならば優劣は明らかだった。
痛めつけられている末弟の姿に、私は思わずお父様に静止の声を投げかけた。
「お父様、決闘を止めてください。それ以上は――」
「――止めるなっ!!」
だが、私の静止の声は、お父様の怒号にも似た大声によって逆に静止させられてしまった。
訳が分からなかった――想像以上に真剣な双方に、私は言葉を失ってしまった。
「ロムスっ、何故父上とカムテッドが決闘をしている!? 何故この様な状況になっている!!」
「……この決闘はカムテッド様が冒険者を続けるため、カロル様との約束を撤回させるために行っていると聞き及んでおります」
「その条件とは?」
「どの様な強敵に遭遇しても決して逃げるなと言うものです」
「――なんだ、それは!!」
その言葉に、私も心の中でお兄様と同じ言葉を発していた。
お父様がテッドに提示した条件、それはまるで、テッドが冒険者でいられない様にしているようなモノ。
――無理難題だと思った。
それを聞いて私は想いは弾けた。
「お父様!! 何故貴方はそのような条件を提示したのですか!! それではテッドの道を否定しているのと同義ではないですか!! では何故、初めから冒険者に成ることを許可したのですか!! 何故貴方は、テッドに夢を見せるのですかっ!!!!」
お父様が初めからテッドが冒険者になることを否定していれば、テッドが夢を追うことなどなかったのだ。
このように痛めつけられる事もなかったのだ。
カルブンクルスの名に恥じぬ、分相応な道を迷わず進むことが出来たはずなのだ。
私にはこの戦いの意味が分からなかった。
「この決闘は無意味です!! これは唯の暴力です!! 戦いをやめてください」
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決闘の静止を求める女性の声が響いていた。
俺も、初めは彼女と同じ事を考えたことがあった。
カロルさんは、テッドに冒険者を続けて欲しくないのだと、そんな風に思ったこともあった。
だけど、それはきっと間違った認識なのだろう。
それを確信したのは、今日、カロルさんと初めて会話をした時だ。
テッドが冒険者になる条件として、カロルさんが提示した条件。
それを撤回してほしいと頼み込んだ時、その時に零した言葉を聞いた時だった。
カロルさんは確かにこう零していた――「まさかこれほど早いとは」と。
そんな言葉が出るということは、カロルさんは俺たちが条件を撤回してもらいに来ることを予想していたからに他ならない。
「――無意味などではない!!」
今度はカロルさんの声が響いた。
右手に握った直剣を薙ぎ払う。
「分かっているさ。あの条件がどれほど過酷なモノかなど、俺が一番分かっているさ」
そう、元冒険者であるカロルさんに、それが分からないはずがないのだ。
では何故、そのような条件を突きつけてきたのか――そこには必ず真意が隠されている。
「カムテッドが真剣に冒険者に成りたいのならば、あの程度の条件を律義に守っていてどうする、あの程度の口約束を破れなくてどうする!!」
初めて聞くカロルさんの荒々しい言の葉――本音の籠った言霊。
「冒険者なんてモノは生き残ってなんぼのモノだ、強い物が勝者に成りえない、生き残った者が勝者なのだ――そんな世界であの程度の条件にとらわれている様では、どのみち大成など出来はしない、中途半端で終わるだけだ。撤回を望んで初めてあいつは本物になれるのだ」
カロルさんはあの条件を叩きつける事で、テッドの覚悟を図っていたのだ。
冒険者としてやっていけるかどうか、それを判断しようとしていたのだ。
「本物に成りたいのならば、本物になれなかった俺位超えて行けっ!!!!」
それはまさしく親心だった。
冒険者であった父親が、冒険者になろうとしている息子にかける親心。
そんな親心に、正面からぶつかっていかなくてどうするというのかっ
俺は痛む体を起こしながらあたりを見渡す。
すると然程離れていない処に、我が相棒の姿があった。
そんな相棒に、俺は声をかける。
「テッドっ、今から作戦を変更。パターンはゼロだ!!」
「――クカカッ、おいおいマジかよ、そりゃあいいな、一番俺好みの作戦だ!!」
俺の声を聴いて、テッドが獰猛そうに笑う。
パターンゼロ、それは作戦などと大それた物言いはしているが、細かい指示など何一つ無い代物。
あるのはテーマが一つだけ――”全力での総攻撃”だった。
俺とテッドがそろって立ち上がる。
その様子を見て、カロルさんが一段警戒のレベルを引き上げるのが見て取れた。
「何を企んでいるかは知らんが、小細工など通用しないと思え、食らうがいい『フレイム・サーペント』っ!!」
カロルさんが魔導を放つ――あの赤々と燃える大炎蛇が再びにじり寄ってくる。
その魔導を合図に、テッドが勢いよく駆け出した。
一見自殺行為にも見えるその特攻――だが、それはテッドが俺の事を信頼してくれているがゆえのモノ。
俺はテッドの特攻をサポートすべく、魔導を一つ組み上げる。
手に纏うは緑の魔力――
想像するのは押し固めた風、ただただ何かを貫く事に特化させた風。
『射抜けっ――”尖風”!』
『尖風』――それは通常であれば『番穿風』の弾道として使用する魔導。
しかし、今回は其れを単発で打ち出した。
真っ直ぐに飛び退る弾道は、左右に頭を振りながら迫りくる炎蛇の眉間を目指す。
正直絶対に射抜けるという自信はなかったが、それでもここで当てなければテッドに合す顔が無い。
俺の狙いすました『尖風』は狙い通りの軌道を描き、見事炎蛇の眉間を捉えて見せた。
さて、ここで忘れてはいけないのが『尖風』の構成内容だ。
『尖風』の構成成分は”水素”。
その成分で組み上げられた魔導が、炎の中に飛び込めばいったいどうなるか?
その答えは――周りの酸素と結合して化学反応を引き起こすのだ。
炎蛇の眉間に着弾した風魔導が爆ぜ――その爆風によって炎蛇が四散する。
散らされた炎は水素爆発によって、酸素が無くなった空間の中では長居すること敵わず――ものの見事に消失した。
「――なんだとっ!?」
小規模な風魔導で自慢の炎蛇がかき消された――その事実はカロルさんにとって驚くべき内容だったのだろう。
彼はこの戦いの中で初めて、驚愕で両方の眼を大きく見開いた。
それはカルブンクルス家現当主、カロル・ルキウス・カルブンクルス見せた、この決闘初の隙。
――そして同時に最初で最後の勝機。
俺も、恐らくテッドもそれを半ば直感で悟った。
故に二人そろって数少ない切り札を切り出した。
「――ぉぉぉおおおおおおっ!! いっくぜー、”ファイヤ・スターター”っ!!」
『燃え上がるは己自身!! 火達磨ぁっ!!』
『火達磨』――それは炎を身にまとう魔導、体のいたるところから炎を吹き出し、その爆風を利用して圧倒的な機動力と攻撃力で敵を一気に畳みかける魔導。
そして、テッドが使った魔導もまた、魔導名は違えど俺の『火達磨』と同種の効果を秘める魔導だった。
それもそのはず、テッドが唱えた”ファイヤ・スターター”は俺の『火達磨』を参考に、テッド自身がオリジナルで組み上げた魔導である。
魔力操作の訓練を碌にしていないものに、『火達磨』を使うことは不可能だと思っていたが、テッドは何となくの感覚で同種の魔導を組み上げてしまったのだ。
そのセンスには嫉妬を通り過ぎて、もはや呆れてしまったのだが――今は其れをとやかく言っている場面でもないので、この話題はこれで終わらせることにする。
さて、隙を作ったカロルさんは、二つの火の玉をどのように対処するのか――是非見せてもらうことにしようと思う。
俺たちはそろって足裏から爆風を噴出させ、カロルさんとの距離を一気に縮めて行く。
その機動力に、カロルさんは思わずと言った感じで踏鞴を踏んでいた。
そんなカロルさんに第一陣の火の玉が襲い掛かる。
「――おっっらぁああああ!!」
爆風の勢いを一身に――否、一刀に込め、テッドは己が剣を切り付ける。
その剣戟を咄嗟に剣で防御するカロルさん。
だが、ただ構えただけの剣で、テッドの渾身を受け切るにはあまりにも力が不足していた。
ガキリと言う凄まじい炸裂音を響かせながら、カロルさんは俺たちなどより遥に大きいその体を後方へと仰け反らせた。
「――ぐぅっ!?」
苦悶の声が響く。
恐らく、彼の両手にはテッドの一撃の爪痕が深く刻みこまれていることだろう。
握る剣先が小刻みに震えているのは、その証だ。彼の手は痺れている。
そんなカロルさんに第二陣の火の玉が襲い掛かる――言うまでもなく今度は俺の番だった。
カロルさんは、手を痺れさせながら――それでも俺の攻撃を防ごうと、眼前に剣を掲げて防御の姿勢を形作る。
いくら手を痺れさせているからと言って、カロルさんの防御は攻撃と同じく一級品、それを完全に崩すことは未熟な俺には難しい。
――――なればと、俺は少しでもカロルさんの攻撃力を削ぐことにした。
狙うは、カロルさん自身ではなく、剣の柄についている大きな魔石――赤色の属性の魔石。
――そこ目がけて、俺は渾身の一撃を放つ。
俺はこの決闘が始まって初めて、腰に括り付けた真新しいハンティングナイフへと手を伸ばした。
それは鍛冶屋のテムジンさんによって俺専用に鍛えられた、ナックルガード付きハンティングナイフ――ではない。
今日の為にのみ、そして――渾身の一撃を放つためだけに用意した。使い捨ての俺の武器。
俺はそのナイフを腰から引き抜き、体に纏う『火達磨』の魔力の全てを、そのナイフへ――刀身へと注いだ。
膨大な赤の魔力を注がれたナイフの刀身は、見る見るうちに鮮やかに煌めいて行く。
それはあの日――魔導土人形を屠った相棒の一撃の様に、赤々と燃え上がる。
『――断ち切れ! ”紅緋”っ!!』
俺は緋色の一太刀を、魔石目がけて振るった。
――衝突は一瞬、硬直は無し。
衝突した一瞬で、触れ合った双方が同時に砕け散った。
「――馬鹿な!? 『紅炎切り』だとっ!?」
決闘の最中であるにも関わらず、カロルさんが驚愕の声を挙げる。
だがそれも無理からぬ事だった。
俺が今しがた放った『紅緋』は、まさしくテッドの放った『紅炎切り』を模倣した技であるからだ。
『紅炎切り』はカルブンクルス家の秘技だと、テッドは言っていた。
まさか自分の家の秘技を、誰とも知れない小僧に使われれば、驚愕とてしたくなるだろう。
だが、その驚愕は今この場所では悪手以外の何物でもないモノだ。
油断大敵――まあ、その油断を誘うためにあの技を放ったのだから、俺の目論見としては大成功だった。
――ガシャリッ、という固い音が、俺たちの耳に届いてくる。
音を発したのはテッドで、音を向けられているのはカロルさん。
カロルさんの首筋には剣の切っ先が突きつけられていた。
「――俺たちの勝ちだ!! これなら文句ねぇだろ、クソ親父!!」
高々と勝ちを宣言するテッド。
カロルさんは何処か茫然としながら、突きつけられた剣の切っ先を――テッドを、そして俺を見てくるのだった。




