火炎との対峙(前)
三月中は海外出張と連日の残業が重なり、全然執筆が出来ませんでした。
投稿が遅くなりまして、誠に申し訳ありませんでした。
ラディウスさんの部屋を後にしたのち、魔導科の教室に赴いてテッドと合流する。
そうして俺たちは予てから話し合っていた通り、教室を、延いてはマルクス学園を後にした。
これから向かうのは友人の家。
学園終わりに友人の家に向かう――その行為だけを見れば、なんてことの無い日常の一コマ。
俺はふと、前の世界においても小さい頃に同じことを良く行っていたのを何となく思い出した。
流石にあの時は今回のように、剣呑なことなど何一つありはしなかった。
今回のこれもあの時の様に、何事もなく終わってくれれば一番だと、そんな風に思ってみる。
……だけど、そんな想いはきっと楽観的な思考でしかないと、心の片隅では思っていた。
我が国が誇る四大貴族が一つ――南方の火炎という異名を持つ、カルブンクルス家。
テッドの実家は二つ名の通り、下位属性の一つ、赤の属性の扱いに特化した貴族だ。
下位の属性魔導は応用に富むが、純粋な攻撃力という面で視れば、どうしても上位や変異の属性には劣ってしまうと言うのがこの世界の常識だ。
だが、物事には例外と言うものは須らく存在する様で、この場合の例外と言うのが、カルブンクルス家も含む、四大貴族という訳だ。
何でも、この四大貴族の初代当主と言うのは、過去、もっとも魔導の扱いに精通したと言われている、勇者ユートの付き人をしていた者たちであるらしい。
彼らはそれぞれ、直々に勇者が操ったとされる属性魔導の御業を伝授されたのだという。
しかもその伝授された魔導と言うのは、下位の属性でありながら、上位属性さえも上回る威力を持っているらしい。
勿論その伝授された魔導があるから彼らが貴族となったという訳ではないのだろうが、付き人として勇者と共に魔王を討伐したという功績もあり、そういった特別な力を持っている彼らに、国家から特別な地位を与えられたのだ。
これが、俺の知っている四大貴族について話だった。
そのうちの一つが、今から向かおうとしているカルブンクルス家という訳だ。
……よりにもよって、カルブンクルス家という訳だ。
俺は、俺の想定している未来予想図を思い返して、隣を歩くテッドに気づかれない様に、密かに溜息を吐き出す。
下位の魔導属性が一つ、赤の属性魔導――それは四属性の中で、もっとも攻撃に特化した属性であり、カルブンクルス家のお家芸でもある。
そして、テッドから話を聞く限りではあるが、カルブンクルス家の人間の人柄も、火属性に影響されて居るかの如く、それに準じたものであるらしい。
……つまり、分かりやすく言うならば、酷く好戦的であるようなのだ。
――好戦的と言うのは、他ならぬテッドを見ていれば何となく想像するに容易い事だが、これから俺たちが吹っかけようとしているのは、他ならぬ喧嘩だ。
せめて五体満足で済んでくれれば良いな、なんてことを内心で考えながら、俺たちは迷いなく、目的地を目指すのだった。
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たどり着いたその場所を見た感想は、“壮大である”の一言だった。
外界と区切る様に、城壁で囲まれたグランセルの中を、更に区切る様に石の城壁で囲まれた敷地。
入口には鉄門があって、今は大きく開かれているものの、カルブンクルス家の私兵が絶えず見張りを続けていた。
通常時でこの守り様である。
この場所が、此処グランセルの中でも重要であることがハッキリと分かるようだった。
俺も何度かこの門の前を通ったことがあり、その度に摩天楼にも似た佇まいに、思わず見上げてしまったものだが――
「――これはカムテッド様、本日はお早いお帰りですね」
「おう、お勤めごくろーさん、今日はちょっと用があってな――それはそうと、親父は家にいるかな?」
「ええ、先ほどお戻りになられましたが……そっちのお連れはいったい?」
「っし、そいつは好都合だぜ――ああ、こいつは俺の友達だから気にしないでくれ」
――まさか、こうしてこの中に入ることになるなんて事は、流石に思ってもみなかった。
俺は、テッドと俺相手に了解の意味を込めて敬礼している門番さんに、慌てて頭を下げながら、テッドの後に続いてカルブンクルス家の敷地内へと歩みを進めた。
門の先には広い中庭が続いており、その先にこれまた大きなお屋敷があった。
お屋敷の入口も開くのも苦労しそうなほど壮大であったが、これは俺たちが近づくと、タイミングよく開かれた。
扉を開いたのは、屋敷の使用人と思われる壮齢の男性――彼は門番の人と同じく頭を下げて俺たちを出迎えてきた。
そんな彼に何時もと変わらず軽い挨拶を行うテッド。俺はと言うと、これまた慌てて頭を下げた。
「……おいアルクス。お前そんなにペコペコしなくても良いんだぞ?」
そんな俺の様子を見かねてなのだろう、テッドが呆れながら俺へとそんな言葉を投げかけてくる。
「……そういう訳にはいかないよ、僕は別に頭を下げられる程偉い訳じゃあないし、慣れてないから思わずね」
「それが、親父に喧嘩を売ろうなんて提案してきた奴のセリフかよ……全く確りしてくれよな」
「それとこれとは話が別さ、確かに提案はしたけど、それはテッドの親父さんに対してであって、さっきの人たちに対してじゃないからね」
礼には礼をもって返す。
それは俺にとっては当たり前のことで、この世界でも別段可笑しなことではない。
俺の言い分に、テッドは何故か肩を竦めてから、前へと向き直った。
張りつめたような雰囲気を醸し出す友人。
後ろにいるため分からないが、恐らく彼は今力の籠った眼をしている事だろう。
「――今の時間なら恐らく親父は二階の執務室だ。ついてきてくれ」
「――うん、分かった」
正直な話、このカルブンクルスの敷地内に入った時から、俺はかなり緊張していた。
心境的には、過去にマルクス学園の入学試験を断ろうとした時にすごく良く似ている気がした。
階段を上る足が重い、目に見えない重りが体の上に乗っかっているような錯覚を覚える。
俺はそんな不安を振り払う様に、テッドの背中だけを見て、彼から離れない様に必死に足を動かした。
正直、階段を上ったこと以外は、屋敷の中をどの様に進んだかさえ、俺には曖昧だった。
ずっと長い間そうして必死に歩みを進めていたような錯覚さえ覚えたが、不意に眼で追っていた背中が動きを止めたのを見て、俺も慌てて歩みを止める。
気が付けば、テッドを挟んだ向こう側に大きな両開きの扉があった。
その扉のドアノッカーに、テッドは躊躇いなく手を掛ける。
――トンッ、トンッ、トンッ、と、続けて三回。テッドは其れを打ち鳴らした。
「――誰だ?」
中から聞こえてきたその声は、とても大きな声だったような気がした。
深みのある男性の声――恐らくその声の主こそが、俺たち今正に会おうとしている目的の人物の物であることが、何となく分かった。
「俺だよ親父、入ってもいいか?」
「その声は、カムテッドか――構わん、入れ」
入室の許可が下りたのを確認し、テッドは扉を一気に開いた。
初めて見たテッドの父親――カルブンクルス家の現当主は、執務机に向かって何やら書き物をしているようだった。
「――し、失礼します」
無言で部屋に踏み入れるテッドに続き、俺がどもりながら入室の断りを口にする。
聴きなれない声を聴いたからなのだろう、テッドの父親が怪訝そうな顔をしてこちらを見てきた。
テッドと血のつながりを感じさせる、燃えるような赤色の頭髪と瞳が俺を捉える。
精悍な男性――執務机に座っていた彼を見て、真っ先に思い浮かんだ印象は正にそれだった。
その様子に、俺が自然と在りし日の父の姿を幻視したのは、一体なぜだったのか……
テッドから得ていた前情報を元に、俺が勝手に組み上げていたイメージが、そんな想いを浮き彫りにさせたのかもしれない。
「……馬鹿息子だけだと思ったが、まさか連れがいるとは予想していなかった。見た処学園の生徒であるようだが――カムテッド、彼を何故ここに連れてきた?」
「別におかしな事じゃねぇだろ、友達を家に招いただけだ」
少しだけ厳しい口調のテッドの親父さん対して、テッドは悪びれ無い様子で答える。
だが、これが十分におかしなことであることは、容易く想像できるというものだ。
本当ならば俺の様な平民を、家に招くこと自体が貴族としてはあるまじき行為なのだろうが、それだけならば、この人の寛容さによってではあるが、まぁ許されるのかもしれない。
しかし、だからと言ってそんな子供を執務室に入れるというのは、流石に在りえないことだった。
何度も言うが、カルブンクルス家はグランセルの四大貴族の一つである。
そんな貴族の執務室ならば、重要な書類が無い訳が無い。
この場所には国務に関わる物さえ普通においてあることが、容易く想像できた。
そんな場所に、見ず知らずの俺の様なガキが入ってくれば、気分が悪くなるのも当然だろう。
第一印象で言えば最悪といってもいいかもしれない、そんな状況。
でも、俺とてそれは既に覚悟の上だった。
俺はそんなテッドの親父さんの視線を気にしながら、一回大きく息を吸って、吸った息をゆっくりと吐きだした。
そうして気持ちの起伏を少しだけ和らげてから、改めてテッドの父親さんへと向き直った。
「――お初にお目にかかります。カルブンクルス家現ご当主、カロル様。僕はアルクスと申します。カムテッド様とは僭越ながら友人を、更には冒険者の相棒を務めさせていただいております」
一思いに喋り切って、一礼――
思いのほかスムーズに言葉を発した己の口に少しだけ驚きながら、俺は予め用意していた挨拶をカルブンクルス家の現当主、カロル・ルキウス・カルブンクルスへと投げかけた。
顔を上げてみれば、少しだけ驚いたような表情をしたカロルさんが目に映る。
「なるほど、お前が馬鹿息子の話に度々出てくるアルクスか、一度は顔を合わせてみたいと思ってはいたが、まさか、この場所に赴いて来るとは流石に予想が出来なかった」
書き物を止め、執務机から離れるカロルさん。
そうして彼は俺たちへと睨みを効かせる。
「馬鹿息子からの話、先ほどの第一声から判断するに貴様は年以上に出来た餓鬼であるようだ……故に解せん、貴様のような輩ならば、執務室が不用の入室が許されない場所である事も解りそうなものだと思うがな」
敢えての事なのだろう――カロルさんはかなり直接的な物言いで苦言を呈してきた。
厳しい物言い――投げかけられた言葉だけをきけば、そんな感想を抱いてしまう者もいるのかもしれない。
だが、俺たちの置かれている状況を鑑みれば――今俺たちが目にしている大貴族様が、可成り平民に寛容であることが分かった。
状況が状況だけに、本来ならば問答無用で叩き出されて居たとしても可笑しくないのだ。
たというのに、こうやって苦言を呈してくれているのだから、まず間違いない。
執務室に入室してからのこの短時間で、人柄が解っただけでもかなりの収穫だろう。
話を聞いて貰えるというのは正直かなりありがたかった。
取り付く島もない事には、喧嘩を吹っかける事さえできはしないのだから。
「はい、確かにご当主様の仰います通り、何の用もなく、唯の興味本位でこの部屋に入室したのであれば、それは許されない事でしょうね」
「――ほう、それでは何か? 貴様は俺に用があって、この場所を訪れたというのか?」
「その通りです。正直申し上げるのも不遜とは存じますが、本日は一つ、お願いを聞き入れていただきたく思い、この場所に赴かせていただいた次第でございます」
俺の発言に、カロルさんは先ほどまでの険しい表情から打って変わって、ポカンとした表情を浮かべた。
自分でもどうかと思うくらい、仰々しすぎる俺の態度は、如何やら狙い通り彼の虚を付くに至ったらしい。
取りあえず、話の掴みとしてはこれで上出来だろう。
後は我が相棒から、こちらの要望を切り出す――そういう手筈となっていた。
――正直これから先が山場と言えるだろう。
この世界で生きてきた中で、まさにトップクラスの大勝負である。
果たして運命のサイコロの結果は、半と出るか、丁と出るか――
……
…………?
――あ、あれ? 可笑しいぞ? 言葉が続かないのは一体どうしてなのだろう?
いつまでたっても手筈通り話を切り出さない相棒に戸惑う俺。
訝し気ながら、俺は静かに隣に立っているテッドの様子を覗き見てみる事にした。
「…………」
……――おやおや? どうして我が相棒もカロルさんとそっくりなポカンとした表情を浮かべているのだろうか?
「……テッド、どうして君までそんな呆けた顔してるのさ」
「……いやいや、お前誰だよ」
小声でテッドに声を掛けてみれば、何とも間の抜けた返答が返ってきた。
……何ということでしょう。
俺の仰々しい物言いは、如何やら我が相棒の虚まで付いてしまったようである。
「っ、言うに事欠いてそれなの!? 頼むから君はもう少し真面目にやってよ!! 君の為にここにきてるのに、吐きそうなくらい緊張している僕がバカみたいじゃないかっ?!」
「ぉ、おう、悪い悪い」
後頭部を掻きながら謝罪の言葉を述べてくるテッドに対し、俺は思わず涙目になってしまった。
――色々と台無しである。
そんな俺たちのしまらない会話を聞いたからなのだろう。
改めて前を向いてみれば、俺たちと相対するカルブンクルスの当主は、必死に笑いをかみ殺していた。
「――ククッ、賢しいガキだと思ったが、それと同時に愉快なガキでもあるようだな。まさか三男とは言え、我が馬鹿息子に対してそこまで乱暴な物言いが出来るとはな」
「……っ、えっと、こ、これはその」
――不味いと思った。
当の本人は気にしてさえいないのだろうが、先ほどの俺のテッドに向けての何時もの文句は紛うことなく不敬罪という奴だ。
まあ、それを言ったら今こうして強引にカロルさんの執務室に踏み込んでいる事自体も不敬罪に当たるのかもしれないが、それについては勢いでお願いを聞いて貰う方向にもっていって有耶無耶にしようと思っていた。
しかし、それも今となってはもう無理だろう。
先ほどまで、あれ程上手く事を進めていたというのにどうしてこうなってしまうのか……
俺は目の前が真っ暗になるような錯覚を覚えた。
「――いいだろう、貴様の願いという奴を聞くだけ聞いてやる」
だが、俺の内心を余所に、カロルさんからは思いがけない返答が返ってきた。
その言葉の意味を理解するのに、少しだけ時間を要してしまった。
「ほ、本当ですか!」
「ああ、ただし一つだけ条件がある」
「じょ、条件ですか?」
「なに、そこまで身構えるな、難しい事ではない」
そういってカロルさんは笑みを浮かべる。
その様は、悪戯を企む子供の様だと不意に思った。
何故そう思ったかと聞かれると、その答えは容易く用意することが出来る。
――何せ、それは良く見慣れたものだったのだから。
「俺に対する言葉遣いを、馬鹿息子と話す時と同じにしろ――仰々しすぎるのはあまり好きじゃないからな」
この人はまさしくテッドの親父さんだと思った。
彼が今まさに浮かべている意地の悪い笑みは、時折垣間見る我が相棒の其れと全く同じものだった。




