幕間
「お前は誰だ」
目の前には親を殺された仇のような目で、私を睨みつけている人がいた。その人の手にはナイフよりも刃の長い短刀らしきものが握られており、刃先は私を捉えている。
今目覚めたばかりの私は混乱の真っ只中にいた。
この人が来る数分前――目覚めたら見たことのない天蓋付きベッドで寝ていた私。ここは何処?! と慌てて私が飛び起きると、足元に置かれていた鏡が目に入る。
そこにいたのは、黒髪黒目の見慣れた自分の顔ではなく……別人だったからだ。
腰まであるシルバーブロンドの髪。
サファイアのように輝く青く美しい瞳。
少しキツく感じる切れ長の目。
そして美人と呼ばれるであろう整った顔立ち。
手で顔に触れてみる。すると目の前の鏡の女性も同じ行動をした。つまり、今私はこの超絶美人になっているという事だ。
これは、あれだろうか。
以前よく読んでいたライトノベル小説でよくある――異世界転生というやつでは?
転移だったら、陽葵の身体ごとこの世界に来るはずだ。
けれども、私はこの超絶美人の中に入っている。
私は日本で死んだのだろうか――。
そう思って頭の中の記憶を思い出してみるけれど、その記憶はない。けれども自分の直感と言うべきものが、元の世界へは戻れないだろうと告げている。
家族を思い出し、涙が込み上げてくる。ポロッと一筋の涙を流してから、我に返った。泣くのは今じゃない。今は状況を把握することが大切だと。
周囲を見回すと、様々な家具が置かれている事に気づく。クローゼット、鏡台、ベッド、椅子に至るまで全ての家具に金の模様が施されている。椅子の肘掛けにでさえ、彫刻が入れられているこだわりようだ。
異世界転生の話でよく見るのは、貴族令嬢に転生する話。この部屋だけ見れば、それに当てはまる可能性が高い。
けれども、外の様子が分からないので、何とも言えない。もしかしたらこれが庶民のスタンダードかもしれないじゃない?
そもそも……彼女は誰なのだろうか、と首を傾げていた私はふと喉の渇きを覚えた。
ベッドサイドにあるテーブルの上には、コップと銀色の水差しらしきものが置いてある。少し水をいただこう、と思った私は水差しに手を伸ばしたのだが。
「あっ」
隣にあるコップを床へと落としてしまった。
思った以上に大きな音が鳴り、私が慌てて拾おうとベッドから降りようとしたその時――入り口の扉が音を立てて開き、人が入ってくる。
そこにいたのは黒髪黒目の男性だったが、見慣れない服を着ている。
ぱっと見、何となく某人気RPGゲームの主人公たちのような旅装束に似ているような気がした。
「お嬢様?」
すぐに腰に下げていた刃物を右手に持ち、周囲を警戒しながらその男性は陽葵に近づいてくる。
お嬢様、とはこの身体の持ち主の事だろう。貴族かは分からないが、ある程度地位がある人なんだろうな、と思った。
男性は部屋の半分ほどの距離で室内に異常がない事を確認できたのか、胸を撫で下ろしている。けれども、視線が交わった瞬間、彼の瞳は大きく見開かれた。
視線はすぐに逸れる。その後すぐに男性は何かを呟き、左手で半円を宙に描き始めた。
そして何かが終わると、彼は殺気立ってこちらを警戒し始めたのだ。
日本では大学生として暮らしていた私。RPGゲームやライトノベルが好きで、読んでいただけの平凡な大学生なの。浴びたことのない殺気にあてられたからか、身体がすくむ。
恐怖からか、ベッドの上に置いていた左手は小刻みに震えながらシーツを掴んでいた。そして、開口一番「お前は誰だ」と詰められたのである。
身体も震え始めた私は、既に上手く言葉が発せないでいた。唇ですら、かすかに揺れている。
そんな極限状態の私を更に追い詰めていく相手の言葉。
「お前は誰だ?」
「本物のお嬢様はどこだ?」
途中から、何を訊ねられたのかさえ覚えていないほど私は切羽詰まっていた。混乱や恐怖という感情だけではなく、彼の言葉がぐるぐると頭の中を渦巻いている。
だが、それと同時に少しずつではあるが怒りも芽生えてきた。私だって何故ここにいるのかは分からないのだ。それを言えない自分に段々と腹が立ち始めてくる。そして、答えさせようとしない相手の態度にも。
そうとは知らない相手は、更に追い打ちをかけてくる。そして――。
「もう一度聞く、本当のお嬢様はどこだ? 答えろ!」
その言葉を皮切りに、頭の中でブチッと何かが切れる音がした。
「そんなの私が知りたいわっっ!」
思わず私はそう叫ぶ。そして苛立ちからか、無意識に両手を自分の太ももへと叩きつけていた。思った以上に大きな音が鳴ったので、痛かったに違いない。けれども、その時は感情が昂っていたからだろうか、痛みも何も感じなかった。
眉間に思い切り皺を寄せて私は相手を睨みつける。その視線に圧倒されたのか、彼は思わず後ろに一歩足を下げていた。だが、興奮していた私はそのことに気がつくことなく、怒りのままに言葉を紡ぐ。
「あのねぇ、いきなり現れて女性に殺気を向けておきながら『お前は誰だ?』ですって? 怖すぎて喋れるわけがないじゃない! そんなことも分からないの?! それに『お嬢様はどこだ』ですって? そんなん私が知りたいわっ! 私だって今し方目が覚めて知らない場所である事に驚いて、混乱しているところなんだっての! 知らないものは知らないわっ! ……てねえ、ちゃんと理解してる? 話聞いてる? あんだーすたん?」
「……あ、ああ」
既に相手が放っていた殺気は離散し、困惑した表情で私を見ていた事には気がついた。けれども、鬱憤が溜まっていた私は、話し足りないと言わんばかりに早口で捲し立てる。
「そもそも本当の私の名前を言ったところで、貴方はそれを信じてくれるの? どうせ信じないでしょうが! 本当にふざけんじゃないわよっ」
私は両腕を組んで、相手から顔を背けた。
すると先程の地を這うような声ではなく、大変申し訳なさそうに「……済まなかった」と声が聞こえてくる。 じろりと彼の方を一瞥すると、地面に膝と手を付いけて頭を下げていた。日本の土下座に似たそれは、この国の謝罪方法なのだろう。
だがなんとなく彼から反省の空気を感じた私はふう、と一息つく。
言いたい事を言ったからか、彼の土下座を見たからか、私は落ち着きを取り戻していた。そしてふつふつと先程彼に放った言葉が脳裏に浮かび上がってくる。
いや、流石に言いすぎたような気がしてきた。私は未だに土下座をしている相手の頭を見て、申し訳なさが募ってくる。
「私も感情のままに言ってしまって、ごめんなさい。あの……色々と教えていただけますか?」
「……分かった。こちらも正直に話をさせてもらう」
これが彼との出会いだった。