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「さて、こちらは準備が終わったかな。陽が落ちる前に終わって良かったよ」
唖然と見ていた私に、ジャックさんの声が聞こえた。我に返って周囲を見ると、太陽は後十分ほどで地平線へと沈みそうなところまで来ていた。布を見ると、魔法陣を描いた部分はラメのように光っている。
魔法陣に見惚れていると、後ろからエクスがやってきた。彼は折りたたみ式のテーブルを持っている。どうやら、儀式に必要な道具をこのテーブルの上に置くらしい。
二人で部屋の中にある道具をテーブルの上に移し終わると、既に太陽は地平線へと隠れていた。空には星がまたたき始める。この場所が頂上に近いからだろうか……その輝きは美しかった。
「準備が終わったようだし、始めよう」
ジャックさんの声で私は視線を布へと戻す。その時一瞬だけ目に入ったジャックさん。彼の目には、言葉にはしない哀しみが宿っているように見えた。
布の前に立つジャックさん。彼は周囲を魔法の光で照らす。
私はジャックさんやエクスと向かい合う形で赤い布の隣に立っていた。魔法陣を描く時に作った土テーブルは、先程ジャックさんが魔法で消しているため、赤い布は地面に直接置かれている。
私たちが用意したテーブルから、彼はひとつの小瓶を手に取り、中身を赤い布へと振りかけた。
すると魔法陣が、布を離れて宙へと浮かび上がっている。魔法陣は魔法の光を反射しているからか、キラキラと金色に光り輝く。
ジャックさんの指示で、私は魔法陣の中心へと向かうことになった。私の足首ほどの高さにある魔法陣を踏んでもいいのだろうか……と最初は躊躇した。
「足を入れて、魔法陣が壊れたりしませんか?」
この儀式が失敗する事だけは避けたいなと思ったのだ。そうジャックさんに訊ねると、最初彼は首を傾げていたけれど……しばらくして私の言葉の意味を理解したのか、手をポン、と叩いた。
「大丈夫。魔法陣は魔力でできているから、足を踏み入れても壊れる事はないよ」
どうやら、魔力でできた物は他の魔力で干渉しない限り、壊れないらしい。確かに魔法陣へと足を踏み入れたけれど……魔法陣が透過しているのか、壊れる様子はなかった。
ジャックさん曰く、私の魔力は現在スタージアの魂によって内部に抑えられているため、影響はないという事だ。
それでも恐る恐る歩き、やっとの事で中心へとたどり着く。まるで自分が光の柱の中に立っているような、幻想的な光景だった。
「汝を守りし魂よ、此処に姿を見せたまえ」
ジャックさんの声が辺りに響く。その声はまるで教会で歌われる讃美歌のように美しい――そう思った時、全身に透明な膜が現れた。身体中が水に包まれているような感じだ。これがスタージアの魂なのだろうか。
ジャックさんを見ると、少々困惑したような表情をしている。そう言えば、さっき魂単体では生前の人の形をとる、とエクスが言っていた。この膜がスタージアなのであれば……見える今なら私の声も聞こえるかもしれない。
私は膜を胸に抱きながら、感謝を込めて話しかけた。
「スタージア。私はもう公爵家から籍を抜かれたの。あなたのお陰で自由に生きる事ができるわ。ありがとう」
その言葉が届いたのだろう。あれだけ頑固に私を覆っていた膜が身体から離れていき、頭上でひとつにまとまっていく。そして全ての膜がひとつになると、魂は生前の姿をとり始める。
しばらくして生前の姿に戻ったスタージアだったが、今にも泣きそうな表情をしていた。そして私に向けて何かを訴えている。けれども、その声は聞こえない。
私はエクスを見る。彼も肩をすくめて首を左右に振る。そしてジャックさんも――。
「魂の消耗が激しいからか、私も聞き取る事ができないみたいだ。ごめん」
私たちの言葉がスタージアには届いているらしく、彼女は愕然とした表情を見せた後、俯いてしまった。彼女の身体は光となって少しずつ天へと昇っている。彼女が神の元へと向かう時間が刻々と迫っていた。
彼女の頬から伝う涙を見て、何もできない自分に苛立つ。
――こんな可愛い子を泣かせたくはないのよ! ねぇ、彼女の声を聞かせなさい! 私ができる事であれば、何でもするわ!
心の中でそう叫んだ時、私の手元に一冊の本が現れたのだった。




