表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/12

第3話 静寂の海

リナ・エヴァハートを乗せた(ほうき)は、招待状が示す光の道を頼りに、雲海の上を順調に進んでいた。

やがて雲は途切れ、眼下に広がるのは、どこまでも続く夜の海。

月明かりだけが、穏やかに揺れる黒い水面を銀色に照らしていた。


塔に向けて、光の道は徐々に高度を下げていく。


「…くれ!助けてくれ!」


そう聞こえた気がする。

(何?)


音の方を見ると、遠くでチカチカと点滅する、か細い光が映った。

「あれは…?」


光の道から外れることになるが、少しくらいは問題ないはずだ。すぐに戻ればいい。

リナは迷わず(ほうき)の先をそちらへ向けた。

近づくにつれ、それが大きく傾いた漁船であることがわかった。


「早く、助けてくれ!」


(ふな)べりにしがみつく船員が助けを求めている。

船の上にはもう一人、若い少年の姿があった。

少年は荒波に投げ出された船員に向かって、ロープのついた浮きを投げていた。


「おい、掴まれ!しっかりしろ!」


船員は確かに浮きを掴んでいた。なのに。

「うわああああ!」

彼は悲鳴と共に暗い水の中へと姿を消した。


「くそっ」


少年はすぐに諦めてロープから手を離した。

次の瞬間(しゅんかん)、大きな触手(しょくしゅ)がドン、と彼のすぐ近くを叩く。

彼は怯まず、その何かがいる水面下を見ている。


「…俺だけ海に落とせばよかったものを」


生きる気力を失くしたのか、彼は明かりを持って海に近づいて行った。

(何が起きているの? とにかく、あの人を助けないと!)


リナは(ほうき)の速度を上げた。

「頑張ってください! 今、助けますから!」


彼女が船のすぐ側まで迫った時、少年がこちらに気付き、一瞬(いっしゅん)戸惑った。

こんな海の真ん中で、魔法使いどころか誰かがいることがおかしいのだから当然だ。

しかしすぐに鬼気迫(ききせま)る表情で叫んだ。


「馬鹿来るな!いいんだ俺は!」


しかしリナはもう手が届きそうなところまで来ていた。

それは未知なる生き物も同じらしい。

少年は大きく目を見開いた。


「逃げろ、後ろにもう来てるぞ!」


彼の叫びと同時に、ざあっと波の音が消えた。

世界(せかい)から一切の音がなくなり、視界(しかい)は完全な闇に包まれる。

リナは、自分がまだ(ほうき)にまたがっていること、そして隣に少年の気配があることだけをかろうじて認識した。


「ひゃ!」


あちこち何かにぶつかって、何度か入水して溺れかけ、バランスを崩しながらなんとか(ほうき)にしがみつく。

そうして気付くと酷い臭いがする場所にいた。

リナはなんとかまだ(ほうき)を掴んで浮遊している。


ランタンの小さな灯りが見えた。

「……どうなったのでしょう?」


しん、と音の無い世界(せかい)で少年の声がリナの(ひと)(ごと)に答えた。

「…あれはクラーケンだ。俺の故郷(こきょう)で知られる限り最も大きく凶悪な、イカの魔物(まもの)だ。どうやら、船の一部ごと丸呑みされたらしい。」


彼は淡々(たんたん)とした声で、しかし静かな苛立ちを持って告げる。

「余計な真似を。お前、無駄死にするぞ。」

声の方にうっすらと彼の姿が見えた。

(びっくりした。彼もまだ近くにいたのね。そんなことよりも、魔物(まもの)に飲まれた?クラーケンに…?)


現実味(げんじつみ)がなかったが、リナも自分たちが巨大(きょだい)な生物の体内にいることを理解した。

ショックで呼吸が苦しくなる。

飛行していた(ほうき)もふらついてきた。


(私、失敗した?故郷(こきょう)を離れて1日目で、これで終わりなの?)


頭が真っ白になり、恐怖で目の前がちかちかする。

(私、ここで死ぬの?)


「…っ」


その苦しそうな息遣いに少年は気付いていた。

脅かして悪かったと感じたのか、彼も怪物に飲まれたのに動揺しているリナを(あわ)れむように見た。


「おい、大丈夫(だいじょうぶ)か」


彼が声をかけてきた。

その一言で、リナはかろうじてパニックの(ふち)から引き戻される。


「は…はい…」


深呼吸(しんこきゅう)を一つ。

リナはふいに何かを思いついたように、ローブの下を探り、一冊の古びた魔導書(まどうしょ)を取り出した。

そして、(ふる)える手で杖を構える。


(何をする気だ?)


(いぶか)しげな少年の視線(しせん)を意に介さず、リナは目を閉じて集中した。

記録(ログ)出力を開始(かいし)します。現在時刻、20:23:55。記録開始(かいし)座標取得(ざひょうしゅとく)…失敗、記録継続。被験体(ひけんたい)、私、リナ・エヴァハート。及び、身元不明(みもとふめい)の少年一名。巨大(きょだい)海洋生物、推定クラーケンの体内にて生存。脱出を試みます」


彼女が紡ぐ冷静(れいせい)な言葉に呼応するように、白紙だったはずの魔導書(まどうしょ)のページに、(あわ)い光を放つ文字がひとりでに刻まれていく。

そのあまりに場違いな光景(こうけい)に、少年は呆気(あっけ)に取られていた。

こいつは、死ぬかもしれないというこの状況(じょうきょう)で、何を記録しているんだ?


「…お前、正気か? それとも古の魔法使いはそれが普通なのか?」

「えっ?あ、あの、私はリナ・エヴァハートと申します。その、『古の魔法使い』というのが、よく分かりませんが……」


記録を終えて顔を上げたリナは、至って真剣に名乗った。

リナが名乗ったので、彼は少しの間を置いて、仕方なさそうに名乗り返した。


「俺はウォルフラムだ。…やはりそうか。この周辺に魔法使いが、今も実在したとはな」


リナは彼の名乗りには(うなず)いたが、自分が置かれた状況(じょうきょう)の深刻さはわかっているらしく、魔法使いについて触れたことは聞こえてないかのように考え込んでいた。


「じゃあリナ、提案なんだがこの肉壁を切れないか試したいんだ。俺を乗せて、飛べるか?」


リナが思いつくより先に、ウォルフラムと名乗った彼の方から、脱出の提案をしてくれた。

「は、はい…!」


リナは(ほうき)のバランスを直してふわりと浮き上がり、少年を後ろに乗せた。

ウォルフラムと名乗った彼が宙に手をかざすと、(てのひら)には魔法陣が浮かび上がり、体内から剣が現れた。


(見たことない魔法…!でもティダーを介した時の召喚(しょうかん)魔法の式に似てる…?)


彼は周囲(しゅうい)の肉壁を切り裂こうとするが、ぬるりとした感触だけで、全く歯が立たないようだ。

「だめだ…!」

何度か彼は試したが剣の(やいば)は粘膜の奥の肉まで届いていないようだ。


「くそ、これじゃ難しいな。足場があれば…」

相変わらず不機嫌そうに、ウォルフラムが言った。


「足場があれば、ですか?」

「ああ。ここじゃ踏ん張りが効かないんだ。それにお前に当たるだろ」

「ええと……できるかもしれません、足場」


リナは杖を構えると、集中し始めた。

ウォルフラムは何をするのかと様子(ようす)を見守る。

リナの足元から(あわ)い光が生まれ、魔法陣を形成した。3平方メートルくらいの床。

リナは杖から魔法陣の床にトンと飛び降りた。


「ある程度の衝撃(しょうげき)には耐えられる床です。そうですね、熊さんのパンチは大丈夫(だいじょうぶ)ですが、さっきの漁船がぶつかってきたらすぐ壊れてしまうかもしれません」

「耐久値の境界線が分かりづらいな」固定された仏頂面でウォルフラムが文句を言う。

「座標はこの魔物(まもの)、クラーケンに固定しましたから、この子が動いても宙に置いていかれることはありません。ですが、これ、頑張っても10分くらいしか保たせられないんです」


だから急いでほしい、とリナは目で訴えた。

「…やらないよりマシか」


ウォルフラムは舌打ちし、魔法陣に飛び乗った。

腰を落として剣を構え直す。

「お前、飛べるんならなるべく離れてろ」


そう言って深呼吸(しんこきゅう)をする。

「ウィル・ブレード…」


静かな詠唱で、剣は閃光を(まと)う。

その光は光であっても暗くどこか禍々(まがまが)しい。黒い炎、そう言える光だった。


(また、外の世界(せかい)の魔法?でもさっきのと違って式が見えない。もっと、アナログな計算なんだ。彼は種類の違う魔法を複数扱うの?)


魔法研究者(まほうけんきゅうしゃ)であるリナは、こんな時だが興味深(きょうみぶか)く観察していた。

ビュッ、と彼が重く荒い一振りを放つと(まと)った光の斬撃(ざんげき)が飛んでいき、肉壁を切りつけた。

空気が動き、生ぬるく激しい風を感じる。

粘液質(ねんえきしつ)の壁に、先ほどとは比べ物にならない深い亀裂が走り、クラーケンの巨体が苦悶に(ふる)えるのが分かった。


「すごい……」


リナが感嘆の声を上げるが、すぐにその希望は打ち砕かれた。

傷はすぐに再生(さいせい)し始めてしまう。

彼はクラーケンの再生(さいせい)能力を知っていたのか、動じることはなく静かに次の手を思案しているようだった。


ウォルフラムの一撃(いちげき)に怒り狂ったのか、クラーケンの体内が激しく揺れ動いた。

まるで嵐の中の船のようだ。

それだけじゃない。

壁のあちこち、上からも下からも胃液(いえき)が噴水のように噴き出し始めた。


ジュウウウッ!


熱い飛沫(しぶき)が、リナのローブの裾を(かす)めた。

布が焼け焦げ、嫌な臭いと共に穴が開く。

「わわっ!」


このままではまずい。

「試したことはありませんが、転移(てんい)の魔法を使ってみたいです!」


危機感が、リナに普段では考えられない無謀な決断をさせた。

ウォルフラムは、彼女の正気を疑うように目を見開く。転移(てんい)魔法が、いかに高度で危険な術式であるか、彼も知識としては知っていた。


「正気か?俺は詳しくないが、賢者の領域のはず…。お前はまだ子供だろう。」

「ここで何もせず死ぬより、万に一つの可能性に賭ける方が、合理的です!」

覚悟(かくご)が決まった瞳に、ウォルフラムは(うなず)くしかなかった。

「わかった好きにしろ。だが俺はいい。自分のことは、自分で決める。」

「?何を言っているんですか。この足場はもう保ちませんから、難破船のところまで戻ります。こんなところに人を置いていくなんてできません。」


彼は何か考えていそうだったが、持っていた剣をパッと投げて無に返し、仕方なくついてきたーー。

2人はひとまずまだ足場のある船の残骸(ざんがい)へ降り立った。


「おい、ここまでは付いてきたが、転移(てんい)は1人で行け。その方がずっと成功率も高い。」

彼はまだ諦めていないようだ。


リナはウォルフラムを見たが、くるっと背を向けて無言で魔導書(まどうしょ)を開いた。無視したのだ。意図的に。

(こいつ…!)

場違いにウォルフラムは顔をひくつかせた。


次の瞬間(しゅんかん)、彼女の(まと)う空気が一変した。極限の集中状態。

彼女の唇から、滑らかで、しかし人間離れした速度の詠唱が紡がれ始める。


「――現世界(げんせかい)座標、第三軸に固定。時空連続体の位相差異を算出、目標座標へのベクトル値を定義……」


それは詠唱と呼ぶにはあまりにも機械的な言葉の羅列。

その言葉に同期して、リナが構える杖の先から放たれた光の粒子が、虚空という黒板に数式を刻み始めた。


カカカッ、とチョークが黒板を叩くような硬質な音が、クラーケンの体内に響き渡る。

目の前で描かれていくのは、幾何学模様と複雑な計算式が融合した、巨大(きょだい)で緻密な光の魔法陣。

ウォルフラムは息を呑んだ。

(なんだ、あれは……。俺の知る詠唱ではない。魔法を構築するための生の情報(じょうほう)を、数式として表現してる…のか…?)


魔法陣が完成に近づくにつれ、リナの額には玉の汗が浮かび、その顔は青白くなっていく。凄まじい情報(じょうほう)量を、彼女の脳はたった一人で処理し続けていた。

やがて、魔法陣の中心が(まばゆ)い光を放ち、空間がぐにゃりと歪み始める。


「――空間転移(てんい)術式、最終工程へ!次元ゲート、強制開門!」


リナが最後のトリガーを叫んだ、その時だった。

完成しかけていた魔法陣の一部が、まるでエラーを知らせるかのようにザザッと歪んだ。


「やはり、リソース不足っ…!」


リナはパニックに陥る代わりに、さらに思考(しこう)を加速させる。

鋭い視線(しせん)が、魔法陣に発生した砂嵐を睨む。


「体内エネルギーの魔力(まりょく)変換モジュールを追記、実行! ……不足解消、失敗!解消までのループ式を付与。タイムアウト、上限設定追記、実行。」

虚空に夥しい量の文字列が増えていく。

同時に、自身が組んだ魔法に、体力を根こそぎ奪われ、彼女の膝は力をなくし、ガクリとその場に崩れ落ちた。呼吸が荒くなる。


(まさか、1日目で"禁じ手"を使うことになるなんて…。ごめんなさい師匠…。)


「くっ…。リソース追加。成長エネルギーの変換モジュールを構築……、ループへっ、組み…込み……実行…!」

リナは倒れ込みながらも、最後の力を振り絞って杖の先を魔法陣へと向け続けた。


ウォルフラムの目にも、彼女が何かを犠牲に魔法を発動させてることは明らかだった。

「何をっ?!おいやめろ!俺を連れていく対価に身を払うというのか…!?くそっ、勝手な!許さんぞ!!」

彼は先ほどまでとは全く違う、威圧的な剣幕で声を荒げたが、リナにはもはや、ノイズにすらならない。


「……間に合え…!」


彼女の悲痛な叫びも虚しく、砂嵐のような表示の揺めきはシステム全体に広がり、光の魔法陣はガラスのように(くだ)け散った。

膨大な魔力(まりょく)と生命力を一度に失ったリナの体から、ふっと力が抜ける。



ーー目の前で、少女が意識(いしき)を失った。


「おい!」


俺は不安定(ふあんてい)な足場から落ちそうになった彼女を掴まえて抱えた。

すると一拍遅れて、目の前の空間に、所々乱れて掠れた(いびつ)な魔法陣がぼんやりと浮かび上がった。

時間差で発動した、不完全(ふかんぜん)転移(てんい)魔法。

その中心、魔法陣の発生源と見られる場所は俺…。

いや、俺の中の魔剣”オリジン”だった。


(何故この剣が…?)


次の瞬間(しゅんかん)、辺りは純白の光で満たされて思わず目を瞑ると、ゴゴゴ、と轟く風に包まれるような感覚(かんかく)がした。


(これは、魔法の暴走だ。)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Xアカウント : @Mimmy_novel

X

読んでいただきありがとうございます。
Xフォローいただけると大変嬉しいです。
ベータ版では先行公開がありますが、編集が激しいので通常は現在ご覧いただいている安定版をお勧めします。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ