32_甘い暴力
――すぐに目覚めた感覚だった。
しかしそこは塔の中。来るのは二度目の、子供向けの家具が並ぶ貸し部屋。
机で書物を捲っていたリナが振り返った。
「あ、起きましたかウォルフラムさん。この塔では瘴気を見ないので、接触せず見守るだけに留めていたんです。おそらく魔法使いの領域を壊さない、ルミナス様の意思の反映ですね」
「…どうやってここまで?」
(たしか塔の外にいた。ここは、四階だったはずだ。)
「この子が連れてきてくれましたよ。私の一時権限でも招待できて良かったです」
ソファの影から、むくりと大きな犬が体を起こした。
「ボルト!…ヴィクターの犬だ。アイツは…?」
「なんか、帰ったらしいです。この子が手紙を持ってきました」
リナはボルトのもこもことした毛並みを撫でながら、反対の手で一枚の紙をテーブルから拾い上げた。
ウォルフラムはパッと立ち上がって紙を受け取った。体が固い。
“――国へ帰る。
話す気があれば大体の行き先をボルトに渡せ。
鼻で追う――”
ウォルフラムは顔を顰めた。
「…雑だな」
ふと、リナに目をやった。
(いつもより、静か…?)
彼女はボルトと打ち解けたのか、そのもふもふへ頭を寄せた。ウォルフラムの方を見ることないが彼に声をかける。
「儀式から戻って、三日経ちました。」
「!」
(そんなに寝てたのか。そりゃ、リナもずっと手を繋いでいられない。)
「具合はどうですか?」
心配しているのかしていないのか、目線を合わせず彼女は聞いた。
「もう、何ともない。迷惑かけたな。」
「それは良かったです。何か食べた方が良いです。二階で用意しましょう。」
リナは振り返り、ニコリと微笑むと立ち上がって通路へ歩き出した。ボルトがついて行く。
(なんか…変だな?)
それからずっと違和感は消えなかった。
食事を済ませて、これからの計画を話し合った。
「朝に発つ。」
「はい、明日朝に。」
「ああ、もうこの先は砂漠も無い。次は海だからな。明るいうちがいい。ソレイユ中央を目指すなら、一度べティアの港から……リナ?」
「あ!き、聞いてます!」
「…おさらいさせてくれ。オリジンの記録がアークライトには詳細に無さそうだから、当時敵国となったソレイユから情報を探る。その途中にちょうど次に目指す魔法使いの塔がある、ここまでは合ってるな?」
「はい!」
地図を目の前に開いているが、彼女は無を見つめているように見えた。
「リナ、なんか、変じゃないか?」
「問題ないです」
言い方も、妙に引っかかる。
「具合でも悪いか?」
「いえ、引きこもるのが苦手ってだけです。」
それは腑に落ちる理由だ。彼女はどうみても家に閉じこもるタイプではない。
(塔に留まったのが、ストレスで…?)
ウォルフラムは一度納得した。
計画は立てた。
荷物の確認もできた。
ボルトには明日の別れ際に、用意した手紙を持たせる。
「では、寝ますか」
リナは眉を寄せて言うと、目を合わせずに手を差し伸べた。
(やはり、おかしい)
「……リナ。」
「?…なんですか?」
「その……悪かった。謝る。怒ってるだろう?さらに申し訳ないが、心当たりがありすぎて、理由も分からんのだ…」
気まずそうなウォルフラム。彼の意外な態度に、リナは目を丸くした。
「あっ、いえ…違うんです…!」
ウォルフラムは怪訝に、リナの差し出した手を見た。
「その手、俺には触れたくないんだろう。」
(怒っていないというなら何故だ?もしや……)
契約の日からの懸念が真っ先に出てきた。
(呪いを抑えるために手を取る習慣が、やはり嫌になったとか……。もしそうなら、とにかく引くべきだ。)
「嫌なのに無理しようとするな。義務ではないはずだ。お前には、捨てる権利がある。なんなら今すぐ、契約を切っても構わない。」
できる限り、彼女を尊重しようとした。たまたま出会っただけの少女を、自分の都合で犠牲にするのは嫌だった。
リナはふうっと息をついた。
「私があなたに怒りを覚えるのは間違ってる。情報開示の必要もあります。教えましょう。」
観念した声だった。
「……ティダーは強大なエネルギーの魔石であると共に、記憶や魂を留める力を持っています。私たち一族の魂が還る場所なんです。勝手に欠けることはありません。」
ウォルフラムは、はっとした。何となく、続きが予想できた。リナはウォルフラムの胸のあたりを指差した。
「その核は、あなたの祖先が私たち一族から奪った大事なもの。祖先の魂を、盗まれたんです。」
リナの故郷、アイセリアの文化や宗教背景が絡むようだ。
(彼女たちにとって神聖なものを、汚したのだな……)
「ルミナス様が怒るのは無理もありません。セオドアさんは敢えて深く語りませんでしたが、彼や一部の魂は欠片から出られないのでしょう。ルミナス様からしたら、友を殺された挙句、その魂も奪われ、あろうことか更なる命を奪う武器の糧とされたのですから」
彼女は目を伏せると、両腕で自身の肩を抱いた。
「もしかしたらまた、この気持ちは私の感情ではないのかもしれません。なんだか、私の中でも矛盾していて。」
その言葉の通り、困ったような、怒ったような、妙な表情だった。
「あなたが生きてて良かったと、本気で思いました。だけどそこにティダーがあると思うと、妙にざわつくんです。あなたやお兄さんは少しも悪くないのに。」
「……」
しばらくウォルフラムは沈黙し、リナを見つめた。彼女はウォルフラムを見ず、またも宙を睨んでいた。
しかし突然、背を向ける。
「ちょっと……頭を冷やしてきますっ…!」
足早に去ったかと思えば、小走りに駆け出した。キラリと何かが光ったような気がする。
「追うべき……なのか…?」
固まるウォルフラムの横で、ボルトがうんうんと頷いた。
「ま、待てリナ!」
戸惑いから、一拍遅れてウォルフラムも部屋を飛び出した。
リナはすでに手すりの向こう側、半周回った先の廊下から階段へ駆けている。
「速っ……」
病み上がりの体で、本気で走る。
「リナ!」
「んぐっ…つ、ついてこないでくだ…い!」
声が裏返っている。どう考えても泣いてる声だ。
(追わなきゃ余計に俺が悪いじゃないか…)
しかし正直どうするべきなのか正解がわからない。他人の感情が爆発する場面など、これまでほとんど経験もない。
二人は塔の上へ上へと駆けた。リナの動きに迷いはなく、塔を知り尽くしているかのように部屋から部屋へ、抜け道を使いながらも次の階に走る。
(普段箒に乗っているヤツが、なぜこんなに速いんだ…!)
ウォルフラムは驚愕したが、流石に彼の方がリナよりずっと、スピードを維持して追いついた。彼女の肩を掴む。
「やっと、捕まえたぞ」
「……。」
リナは背を向けたまま、息を整える。
「リナ、”それ”はお前自身の感情なんじゃないか?だからこんなにも、逃げられない。」
「だとしても、間違ってます。あなたは悪くないのに。怒ってしまうなんて…」
彼女の涙は悲しみではなく、怒りを否定した結果溢れた感情だと理解できた。
「…蓋をするな。」
ウォルフラムは後ろを向いて、少し考えた。二人は妙な距離を保ったまま、背中合わせ。
「俺の祖先がすまないと、心底そう思ってはいるが、お前に必要なのは、そんな俺の気持ちや謝罪の言葉じゃないんだろう。」
宙を見つめ、強く続ける。
「怒れリナ。間違ってると言ったな。いいや、お前の怒りは正当だ。」
ウォルフラムは再びリナを振り返った。
「だからってどうすればいいのか、俺にはわからない。……実験しよう。俺を、思い切り殴ってみろ。俺の仮説が正しければ……まあ、やらないよりはスッキリする。」
リナは目を見開いた。それからゆっくり、振り返る。驚きの表情に、まだ潤んだ瞳。
「今、殴れと言ったんですか?」
「ああ。」
瞬間。キュッと彼女の靴が床のタイルを鳴らした。
小さな体が跳躍して、身長差のあるウォルフラムの頬に思い切り拳を入れた。本気の目。
彼は倒れない。頬の内側を軽く切り、うっすら笑みを浮かべた。
「……どうだったか?」
――くすっ。
小さく、リナが笑った。
「ウォルフラムさん、天才ですか。仮説は正しかったみたいです。」
自然と笑みが続いた。
◇ おまけ 『罪と罰』
「一応、確認なんですけど――『心当たりがありすぎる』って、具体的に何を悪いと思ってるんですか?」
普段の調子を取り戻した声でリナが聞いた。ウォルフラムは気まずそうに振り返った。
少しの間を置いて、口を開いた。
「……まず一つ。お前の力で死のうとした」
「はい」
「知人が熱くなって暴れた。言葉が出せず、止められなかった」
「ふむふむ」
リナは頷く。
「しかもお前にまで攻撃が及んだ。」
「はい」
「最後に、お前がくれたお守りだが、早々に使って、失った」
「……」
リナは口元に手を当てて、しばらく彼を見ていた。
ウォルフラムはわずかに目を泳がせる。
「では、罰を受けるということで、いいですか?」
リナが何を要求するのか、少しの緊張が走りながらも彼は断ることができない。
「……受けよう」
リナは手の下で、口元だけを微かに笑わせた。
「――今後はこれまで以上に、身体検査に協力的な姿勢を要請します。あなたの中のティダーの存在も分かったことですし」
「……身体、検査」
「はい。身長、体重、心拍、血液。それから、私の接触解析魔法。ウォルフラムさん、検査はいつも嫌がってましたよね? 今後、文句を言わず協力してもらえますか?」
「う……わかった……」
たじろぐ彼。ニヤリと目を細めるリナ。
「ありがとうございます。では初回は今夜のうちに。数値の基準線、取らせてください」
「今夜……」
「――上着は脱いで部屋に来てくださいね。魔法で剥がれたくなければ」
そう言い残して、リナは先に階段を降りて行った。
「……苦手だ。また見透かされる」
ウォルフラムの足は少し、重くなった。




