31_夢の間に結いの縁
背中に伝う浅い息づかいで、リナは目を覚ました。
「!!…ウォルフラムさん!」
彼はリナを膝に抱えたまま傷だらけで、纏う服も血に湿っている。空にはすでに星が滲みはじめている。だが、この冷たさは夜風のせいではない。
(どうなったの……!?)
パニックになりかけたが、深呼吸をして小さく自分に言い聞かせた。
「間違えるな、リナ・エヴァハート。今は考えられる最善を選べなければ、一生後悔する時だ…」
ついこの前十三歳になったばかりの彼女は、研究者として多くの知識を持ちながら、人の死に立ち会ったことは一度もない。
どうすべきか。リナは、まじまじとウォルフラムを観察した。
(結合の後のような傷、エヴァ・ロックは喪失……大怪我の再生途上で、エヴァ・ロックで魔神の力を拒絶した……?)
彼に握られた手が離れないよう、握り返す力を込めながらも、小さく呟く。
「この手を離せば、魔神化で傷は治る。あなたはまた生き永らえるんでしょうね…」
その言葉に、ウォルフラムの指先が微かに動いた。
リナは一瞬目を丸くしたが、彼に向けて言葉を続けた。
「聞いているんですね、ウォルフラムさん。分かりました。手は離しません。」
リナは短く息を吐いた。
「でしたら、あなたに伝えることがあります。」
急ぎたい心を抑え、彼の耳元に、はっきりと声を届けた。
「実は出会った日の転移魔法以来、私は何度もあなたの記憶を見てきました。皇子だったことも、宝物庫から出た呪いとの戦いも、知っていたんです。意図して覗いたわけじゃないのに、言えなくて……ごめんなさい。」
謝罪の後ろめたい表情から一変、決意に変わる。
「これから――私のエゴで、あなたを生かすための試みをします。成功の保証はありません。でも、呪いに頼らずに済む、唯一の可能性です。」
彼が死を望んでいることは知っている。しかし、どうしても諦められない自分がいた。
「――儀式を行います。その過程で、またあなたの記憶に触れてしまうかもしれない。……私には、捨てる度胸がない。もしうまくいったら、そのときは――ごめんなさい。」
彼がまだ、聞いているのかどうかもわからない。返事を探るような時間の余裕もない。
リナは繋いだ手とは反対側を、ウォルフラムの胸に当てて目を閉じ集中した。
(この辺り。この辺りから、ティダーを感じる。)
「リュウグウの父よ、母よ。ニライカナイとティダーへ、魂ぬ結いを――ウートゥン。」
詠唱の瞬間、眩い光が二人を包んだ。
温かな潮風が頬を撫で、遠くで波の音が響く。塩の匂いが満ちた。
沈みきったはずの夜空が一変し、太陽が青空を照らし出す。
「う……ん……」
ウォルフラムが眩しそうに目を開けた。
「儀式は……“通った”みたいですね。」
仰向けの彼の視界に、屈んだリナの影が差す。
彼女はもう彼の手を握っていなかった。だが、儀式の領域には瘴気の気配はない。
傷は消え、呼吸も軽い。――だが、体は動かない。
「……なんだ? ここは……」
かろうじて動く首と視線だけで、周囲を見渡す。
南国の花々が咲き乱れる、庭の一角のような場所。
赤い花木が円形に生け垣を作り、その内側から細い砂路が四方へ伸びている。
「ここはニライカナイの入り口だよ。壊れてしまってはいるが。…はじめまして。」
穏やかなトーンの声と共に、花木の間から一人の男性が現れた。
長い銀の髪がさらりとなびく。丈の長い服と大きな杖が、いかにも魔法使い。
「こちら側へご招待いただき、ありがとうございます。リナといいます。彼はウォルフラムさん。彼を助けてほしくて……」
リナが立ち上がって男性に挨拶をしながら足早に近づいたが、顔を見てピタッと止まった。
「セオドア…」
「ああ、私はセオドアだが…リナさん、それはあなたの記憶ではない。乗せられないように。」
リナはハッとした。
「あ…、魂幻覚…!危ない。」
セオドアは焦る様子のリナを、穏やかな笑みで見つめ、同じ視線をウォルフラムへ移した。
「ウートゥンの儀式を行うと、稀に核の中の記憶や魂が術者に入ってくるんだ。今、彼女は私の友人の断片に触れて気持ちがリンクしたんだ。君は魔法使いじゃないみたいだから、知らなかったろう?」
セオドアはウォルフラムの前に屈んだ。
「ああ全く、アイシャときたら、こんな子供に業を背負わせたのか。ちょっと見るよ。」
彼はその大きな杖をウォルフラムの前に出すと、目を閉じ集中した。杖の先に、淡い光がぼうっと浮かんだ。
ウォルフラムは何が起きているか分からず、ただその光を見つめる。
「…ふむ。酷い怪我だなウォルフラムさん。君の体がここで動かないのは、まだ実体と繋がってる証拠だ。」
セオドアは杖を下げた。
「体は、今も元の世界にあると?」
「正確には違う。魂だけをこちらに呼んで、君らの体の方は少し次元をずらしたんだ。誰にも干渉されないように。次元を超えて鼻が利く者も中にはいるが、時間も止まってる。比較的安全だよ。」
セオドアはリナを振り返った。
「分かっているだろうけど、私が単独術者を招くのは今回限りだ。繰り返せば君が君ではなくなるぞ。次があれば正規の手順を踏みなさい。」
「はい、感謝します」
リナは気まずそうに軽く頬を掻いた。
セオドアは頷き、再びウォルフラムへ向き直る。
「さて、体を救えるように私から祝福を授けよう。それが今回の願いだろう?」
リナからするとそうだが、彼女はウォルフラムを見て少し沈黙した。彼もまた、沈黙を返す。
「……一応話すと、俺は呪いと共に死ぬことを望んだんだ。」
ウォルフラムが先に口を開いた。リナが言葉の後を追う。
「はい、ですが私は彼を生かすことを望みました。彼は一人では死ねませんから、私は死への手助けを拒否したんです。その……正直怖くて。彼の覚悟を前に情けないのかもしれませんけれど。」
「……悪いとは思ってる。勝手にお前の力で死のうとしたんだ。この先、主導権はお前にある。」
ウォルフラムは動かぬ体でリナから視線を逸らした。契約時は二人旅の危険を先読みし合ったものの、まだ十三の彼女に、命を背負わせようとした後ろめたさがあった。
「なるほどね。」
二人の様子を見ながら、セオドアが息を吐く。
「でも少し残念な知らせがあるんだ。君のその“呪い”。それは私の旧友アイセリア・ルミナスーー私はアイシャと呼んでいるーー、彼女が作った呪いだが、君が死んでも完全には消えない。」
「!」
二人は息を呑んでセオドアの言葉の続きを待った。
「その呪いの核は我ら魔法使いが最も重視する魔石、ティダー。君の中に眠る魔剣は、ティダーの欠片を核に作られている。」
セオドアが杖を振り、三人の間に実体のない魔剣オリジンを光で再現した。その刀身の根に近いところから赤い魔石が透けて見えるように映される。
「アイシャはこの核に呪いをかけたんだ。記憶や魂を蓄積する、ティダーの性質を利用して、アークライトの負の情を集めて喰い、世界への刃とする力に変えた。」
赤い魔石が、黒い影を呑み込む様子が映される。
「この、影を喰らう力が消えない限りは一度滅んでもまた時を経て呪いの力は顕現するだろう。…つまりは君が死ねば、そのうち誰かが呪いを受け継ぐ。」
セオドアの作った幻はフッと消された。
リナは胸に拳を当てて強く握った。
「やっぱり…核はティダーだったんですね。儀式の成功時点でそうでしょうけど…改めて聞くと何というか……残念です。何故ルミナス様は呪いを…?」
セオドアは小さなリナの頭に手を置いた。
「アイシャの魂に釣られるな。彼女は腹を立てたんだろう。昔、私はアークライトの王に殺された。」
ウォルフラムは目を見開いた。アークライトの王なら、直系の祖先だ。
「俺が呪われるわけだ」
「でも君のせいじゃない」
セオドアは穏やかに言った。リナはセオドアを見て、瞳に涙を滲ませた。
「だから釣られるなと言ったろう。君の感情じゃないはずだ。」
そう言いながら、リナを撫でた。
「そうですね、失礼しました」
リナはぐしゃぐしゃと雑に涙を拭い、ふうと息をついた。
「リナさん、君はアイシャから祝福を受けただろう?」
リナは旅立ちの前に、家族とウートゥンの儀に臨んだ時のことを思い出した。
「あ!はい!故郷アイセリアのティダーの前で、家族とウートゥンを。」
「その時のアイシャと、この世界のアイシャの魂は、同じだが違う。彼女の魂はティダー本体とその欠片で、分かれてしまったんだ。」
「ここにも、本体にもルミナス様が?」
リナは首を傾げた。
「ああ。彼女は優しい。本来なら、敵国の血筋だろうとウォルフラムさんのような少年に、ここまでの仕打ちはしないはずだよ。欠片側の彼女の意思は、おそらく集めた負の力に呑まれてる。」
「…それで自分で作った呪いを鎮める祝福を、私に?」
「ご名答だよ、リナさん。」
セオドアは微笑み、自身の両手を合わせた。
「欠片の世界は不安定だ。ニライカナイまでの道は荒れ、この場所は周期的に書き換わる。私たちの魂は――同じ座標に長くは留まれない。」
彼はウォルフラムへと再び屈んだ。
「さあ時間がなくなってきた。欠片が壊れているせいで、門はまもなく書き換わる。座標が飛べば、三人同じ場所にはいられなくなる。」
セオドアの言う通り、砂嵐のように世界が歪み始めた。
「アイシャほど強くはないが、君に祝福を授ける。」
「待ってくれ。呪いを解く方法は…!分かるのか?」
「悪いが良い話は持っていない。手っ取り早いのはアークライトの壊滅、または別の国による解体だ。呪いの矛先が消える。」
セオドアは知っている事実だけを淡々と述べた。
「他の道は生きて探すことだ。」
厳しい言い方だが、彼も精一杯だ。
「今回限りだ。私が、呪いの“再生”だけを発動する。完治には足りないが休めば充分だろう。」
セオドアの杖が眩しく光り、世界を丸ごと白に包んだ。
「――君たちがアイシャの魂も救ってくれることを願ってる」
光が消えた。
――ツン、と湿ったものが触れてヴィクターは目覚めた。
目の前にはヴィクターよりも大きく、白い犬。狼のようでもある。
「ボルト、きたか。」
むくりと起き上がり、周りを見渡す。裸を気にすることもなく、身を覆っていた布を右手に取ると、あぐらを組んで掲げた。
(ウォルフラムのローブだな。)
確認してその辺に投げた。
(アイツはどこに?俺は、殺されなかったのか)
「ウォルフラムを探せるか?」
『近くに痕跡はありました。しかし何かに隠されています』
ヴィクターには、ボルトの声が聞こえる。
「む…。そうか」
ヴィクターは自身の焼けた左腕を確認した。
「こりゃダメだな。全く動かん。ちょっと早めに処置しないと、俺も腕を失いそうだ」
機械か何かを見るような目で、ため息をつく。
「仕方ない、アイツを探していられない。ボルト、お前に託す。ウォルフラムを見つけられたら、後で様子を教えて欲しい。俺は一旦帰る。」
『御意』
一人と一匹は、雷と風のようにその場から消えた。




