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第10話 論理の刃と不本意な契約

肌を撫でる風は、いつの間にか熱を失い、星々のまたたきを運ぶ使者のように冷え切っていた。


砂の上に力なく倒れ込んでいたウォルフラムは、呆れと疲労が混じったため息を、満天の星空に向かって吐き出す。

死の(ふち)から引き戻されたというのに、彼の隣で先ほどまでやかましく分析を続けていた少女は、まるで手に入れたばかりの玩具を吟味するように、今もなお自分の体をじっと観察しているのだ。


(こいつ…死線を越えた直後だというのに、本当に余裕だな…)


その底知れない探究心に、もはや抗う気力も湧いてこない。

ウォルフラムが諦念(ていねん)と共に目を閉じかけた、その時だった。


「お疲れ様でした、ウォルフラムさん」


不意にかけられた、凛とした声。

見れば、リナがローブについた砂をパンパンと払いながら、こちらを真っ直ぐに見下ろしていた。

その瞳に、先ほどまでの研究者(けんきゅうしゃ)の狂気じみた輝きはない。

どこまでも冷静(れいせい)で、まるでチェスの盤面を評価するような、知的な光が宿っていた。


「今回私は一つ、私があなたの思うほど無力ではないという実績を証明したつもりですが、異論はありますか?」


その問いは、同情でもなければ、気遣いですらない。純粋な事実(じじつ)確認。

あまりに淡々(たんたん)としたその口ぶりに、ウォルフラムはか細く、しかしはっきりと答えた。


「……認める。だが、俺の目的は変わらない。このまま誰かといたって、いつかまた危険に晒すことも、変わらない」


それは正気を失った声でありながら、彼の本心と、否定しようのない現実を的確(てきかく)に捉えた、論理的な言葉だった。

リナは小さく(うなず)くと、彼の絶望(ぜつぼう)的な態度を意に介さず、しゃがみ込んでその視線(しせん)を合わせた。


「ええ。ですので、次の段階に進みましょう。今回の魔神(まじん)化について、いくつか興味深(きょうみぶか)いデータが取れましたのでご報告します」

「……好きにしろ…」

「これはあなたの生死に関わる、極めて重要な報告です」


リナはウォルフラムの気力のない返答を無視するように続けた。

彼女のターコイズの瞳は、目の前の少年の感情ではなく、その奥にある「現象」だけを見据えていた。


「耳だけ傾けてくだされば結構です。あなたのその呪いの核…おそらく魔石を使用した剣なのでしょうが、想定よりも非常に強力な力を秘めていることが今回わかりました。魔法を極めた賢者に匹敵するか、それを上回る魔力(まりょく)。人工的に採取できる通常の魔石では、まずあり得ません。おそらく賢者が重ねた経験値のように、長年なんらかの力を吸収した結果(けっか)、一種の永久機関(えいきゅうきかん)と化しています」


そこでリナは一旦言葉を区切り、彼の心の最も深い部分に、論理の(やいば)を突き立てた。


「ウォルフラムさん、あなたはこの数日、あの山を目指していましたね。地平線(ちへいせん)の先に見える、あの火山――フィニス山脈。そこで身を投げ、全てを終わらせるおつもりでしょう?」


ウォルフラムの肩が、(わず)かに(ふる)えた。

気づかれていたことに驚きはしたが、隠す意味もない。


「……気づいていたか」


観念したように(つぶや)く彼に、リナは最後の希望を()(くだ)事実(じじつ)を、淡々(たんたん)と告げた。


「残念ながら、私の計算では、火山の熱量程度では核を破壊(はかい)するには至りません。さらに、データが乱数による上振(うわぶ)れでなければ、前回の魔神(まじん)化よりも今回の魔神(まじん)化で、より強力な出力が確認できています。つまり、魔神(まじん)化を()(かえ)すたび、呪いは強化され、あなたがあなたでは無くなる可能性が上がる、という仮説(かせつ)が立てられます」


言葉を失うウォルフラムをその場に残し、リナはすっと立ち上がると、彼に背を向けた。

そして、愛用の(ほうき)をトン、と砂漠(さばく)の地に()()てる。


「もちろん、現段階ではこれもまだ仮説(かせつ)です」


彼女はそう言うと、くるりと振り返った。

その声は、ほんの少しだけ(ふる)えているようだった。


「……試してみますか? なんなら、私のトップスピードで、目的地までお連れしますよ」


月明かりに照らされた彼女の顔には、どこか悲しげな、それでいて挑戦的な笑みが浮かんでいた。


「無駄な時間を過ごすより、その方がずっと効率的でしょう?」


ウォルフラムは、何も言えなかった。

恐怖でも、怒りでもない。

ただ、自分の思考(しこう)も、最後の希望も、その果てにある絶望(ぜつぼう)すらも、この小さな魔法使いにすべて見透かされ、反論の余地もなく論理で追い詰められたことへの、完全な「敗北感」に打ちひしがれるだけだった。


彼はしばらく押し黙った後、強く握りしめていた砂を、手のひらからさらりと溢した。

それはまるで、彼が最後まで握りしめていた「死ぬ」という選択肢(せんたくし)を手放したかのようだった。

砂が風に攫われていくのをしばし見つめ、そして、(しぼ)()すように(つぶや)く。

それは、彼女の論理を受け入れ、彼女の手に自らの運命を委ねるという、不本意な降伏宣言だった。


「……何が言いたいか、分かった。……仕方ない。契約しよう」


その言葉を待っていたかのように、リナは「契約成立ですね」と満足げに(うなず)くと、再び彼の隣にしゃがみ込んだ。

その瞳は、もう先ほどまでの悲しげな色ではなく、好奇心に満ちた研究者(けんきゅうしゃ)のそれに変わっている。

「細かい契約条件の見合わせは、後ほど紙とペンを用意してから進めましょう。私の目標は故郷(こきょう)の呪いを解くこと、期限は…」などと小声で(つぶや)きながら思考(しこう)を巡らせていたが、ふと何かを思いついたように顔を上げた。


「ああ、それよりも早速、最優先でご協力いただきたいことがありました!」


興味事に対して、疲れを知らない研究者(けんきゅうしゃ)の瞳で続ける。


「では、早速ですが最初の調査にご協力ください。先の戦闘で、あなたの魔神(まじん)化が私の物理的接触…つまり平手打ち(ひらてうち)で解除されたという事実(じじつ)。これは極めて重要な観測結果(けっか)です」

「……それが、どうした」

「私の仮説(かせつ)が正しければ、あなたの呪いの暴走は、私という存在が物理的に接触することで、その顕現が抑制される可能性があります。これを検証するため、簡単な実験を行います」


リナはそう言うと、おもむろにウォルフラムの腕を掴んだ。

彼はびくりと肩を(ふる)わせ、反射的に振り払おうとするが、リナは構わず続ける。


「リンダさんとの共闘の時に計測したデータでは、魔神(まじん)魔力(まりょく)は少なくとも2種類のハイブリッドでした。その一つは貴方の本来の力だと思っています。貴方の本来の魔力(まりょく)は、あの黒い炎のようなオーラとは違う見た目でしょう?」


リナの真っ直ぐな問いに、ウォルフラムは虚を突かれたように目を見開く。


「そこまで、わかるのか」


彼の肯定とも取れる(つぶや)きに、リナは「やはりそうでしたか」と小さく(うなず)き手を離した。


「では、まず私が触れていない状態で、その力を使ってみてください。威力は問いません。軽くで結構です」


ウォルフラムは(いぶか)しげに眉を寄せたが、もはや彼女のペースに抗うのは無駄だと悟っていた。

彼は不承不承、立ち上がると、先ほどまで魔神(まじん)が暴れていた場所に残る、黒くガラス化した砂を足で踏み(くだ)いた。

そして、その中から刃物(はもの)のように鋭い破片を一つ拾い上げる。


「ウィル・ブレードは、剣や刃物(はもの)に見立てた物体に魔力(まりょく)を込めて強靭(きょうじん)にする魔法なんだ。その検証の理屈からすると、呪いの根源であるオリジンを使わない方がいいんだろう。」


ぶっきらぼうに説明しながら、彼はガラスの破片を構える。

すると、その手に握られた黒いガラスが禍々(まがまが)しいオーラを放ち、そこから斬撃(ざんげき)が飛んで近くの岩を(くだ)いた。


「ふむ、やはりその…オリジンでしたか、その力が混濁していますね。では次に、このまま私が触れた状態でもう一度」


リナが再び彼の腕を掴む。

ウォルフラムは舌打ちし、再び同じように魔法を放った。

次の瞬間(しゅんかん)、彼の手元から放たれたのは、先ほどとは全く違う、清浄な光を(まと)った斬撃(ざんげき)だった。

それは夜の闇を切り裂き、岩に鮮やかな光の軌跡を刻みつける。

ウォルフラムは、自分の手から放たれたその光を、ただ呆然と見つめていた。


(…ああ、そうだ。これが、俺の…)


呪いに汚される前の、本来の自分の力。

兄と共に鍛錬を重ねた、誇り高き王家の光。

久しぶりに見るその輝きは、彼の胸に懐かしさと、そして同時に、失われた日々へのどうしようもない喪失感を突きつけた。

一瞬(いっしゅん)、言葉を失う。


「…成功です!仮説(かせつ)は立証されました!」


リナはぱっと手を離すと、まるで世紀の発見でもしたかのように目を輝かせた。


「つまり、私があなたに触れている限り、呪いは抑制され、あなたは本来の力を安定して行使できる。」


そしてとんでもない結論に至る。


「ということは、就寝中も継続的に接触していれば、理論上、魔神(まじん)化は防げるはずです!」


彼女は100%の善意と合理性から、満面の笑みで結論を告げた。


「ウォルフラムさん、これで今夜から安心して眠れますね!手を繋いで寝ればいいんですよ!」


砂漠(さばく)の冷たい風だけが、二人の間を通り過ぎていった。


「…………は?」


ウォルフラムの思考(しこう)は、完全に停止した。

魔神(まじん)化の恐怖で精神的に追い詰められていた彼にとって、それは唯一の希望の光かもしれない。

理性では、それが最も安全な策だと理解できる。

だがしかし。彼は15歳の少年なのだ。

心を許していないはずの少女と、手を繋いで寝る?

彼のプライドと羞恥心(しゅうちしん)が、それを許すはずがなかった。


「な…っ、何を言ってるんだ、あんたは…!」


怒るに怒れず、かといって素直に「はい、お願いします」とも言えず、耳が熱くなるのを抑えて(うめ)くのが精一杯(せいいっぱい)

これまで保ってきたクールな仮面が、一番穏やかで、一番どうしようもない理由で崩れていくのを、視線(しせん)を逸らして耐え忍ぶ。

そんな彼の葛藤など知る由もなく、リナは「さ、対策もできましたし、食事でもとって早く休みましょう!」と、彼の返事を待たずに次の準備(じゅんび)を始めるのだった。

不本意な契約から始まった二人の旅は、さらに不本意で、そして気まずい夜を迎えようとしていた。


ウォルフラムは、リナが焚き火の準備(じゅんび)を始めたのを横目に、ごまかすように天を仰いだ。

耳に集まった熱は、砂漠(さばく)の夜風がすぐに冷ましてくれる。だが、胸の奥で燻るどうしようもない感情は、消えてはくれなかった。

(手を、繋いで寝るだと…?馬鹿げている…)

しかし、それが呪いを抑える最も合理的な手段であることも、理解していた。

はぁ、とため息をつき、諦めの苦い感覚(かんかく)を吐き出した。


空には、故郷(こきょう)で見たものと変わらない月が浮かんでいる。

あの月は今、兄のことも照らしているのだろうか。


その思考(しこう)に導かれるように、彼は無意識(むいしき)に腕に巻いた布へと手をやった。解いた布の中から現れたのは、一枚の金貨(きんか)。月光を鈍く反射するその表面には、誇り高い兄の横顔が刻まれている。

これだけが、今の彼と帝国(ていこく)を繋ぐ唯一の証だった。


この冷たい金属の感触が、指先から伝わる兄の面影が、先ほどまでの些細な羞恥心(しゅうちしん)など、より大きく、冷たい絶望(ぜつぼう)の波に飲み込ませて消していく。

自分が今いる場所。これからやろうとしていること。その全てが、あまりにも現実離れしている。


彼が故郷(こきょう)を想うその時。

帝都の月もまた、静かに一つの時代の終わりを見守っていた。




-- 第一章エピローグ --


場所は、アークライト帝国(ていこく)皇帝(こうてい)の寝室。

大陸を(ふる)わせた覇者の威光(いこう)は見る影もなく、今はただ、薬草の匂いが満ちる薄暗(うすぐら)い部屋で、か細い呼吸の音だけが、彼の命がまだ尽きていないことを示していた。


その枕元に、ルークは静かに(ひか)えていた。

豪華な戴冠式の時の礼装とは違い、今は簡素な詰襟の執務服を身に着けている。その両手には、一分の隙も見せぬよう、白い手袋が嵌められていた。

父の指が、微かに動いた。


「……ルーク」


(しぼ)()すような、かすれた声。

ルークは身を乗り出し、左手で父の骨張った手をそっと握った。白い手袋に覆われた右腕は、膝の上で微動だにしなかった。


「ここに。父上」


「そうか……ウォルフラムは…どこだ…?あいつは、お前を…支えているか…?」


その問いに、ルークの心臓(しんぞう)が氷の(やいば)で貫かれたかのように痛んだ。

しかし、彼の表情は完璧(かんぺき)な王の仮面を崩さない。

声の調子一つ変えず、彼は穏やかに、そしてはっきりと告げた。


「ご心配には及びません、父上。ウォルフラムには、私の即位に伴う極秘の任務を命じております。貴族(きぞく)たちの動向を探り、私の改革を陰から支える重要な役目です。あいつは今、私と帝国(ていこく)のために、その忠誠(ちゅうせい)心を示してくれています」


完璧(かんぺき)な、嘘だった。

弟の罪を隠し、父を安らがせるための、最後の親孝行。


フリードリヒの乾いた唇の端に、満足げな、そして(ほこ)らしげな笑みが浮かんだ。

「そうか……それでこそ…我が息子たちだ…。二人とも…帝国(ていこく)を…頼んだぞ…」


それが、彼の最後の言葉となった。

握っていた手から力が抜け、静かに呼吸が止まる。


偉大(いだい)なる皇帝(こうてい)、フリードリ-ヒ・シュタインの崩御。


ルークはしばらく、動かなかった。

やがて、侍医(じい)も侍従もいない一人きりの部屋で、彼はゆっくりと父の手を自らの左手で取り、その冷たくなった甲を自身の額に当てる。

白い手袋に覆われたままの右手が、悔いと誓いを固く握りしめているのを、月だけが見ていた。


窓の外には、砂漠(さばく)の地と同じ月が、静かに帝都を照らしている。

父の亡骸(なきがら)を前に、彼は一人、静かに誓う。

この国も、そしてあの愚かで優しい弟も、この私が必ず守り抜いてみせると。

その誓いの重さだけが、絶対王者となった彼の心を、静かに満たしていた。



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