鏡の向こうのわたしへ
――藤咲沙耶
神堂先生の死を、私はまだ信じられずにいた。
この山荘に集められてから、すでに五日。
弟子たちはそれぞれ、神堂の「遺稿」を読み進めていった。
ある者は推理し、ある者は泣き、ある者は沈黙した。
けれど私は、最後まで手を出せずにいた。
先生の文字に触れたら、その死が現実になってしまいそうで。
「藤咲さん、これがあなたの分です」
編集者の牧が、封筒をそっと机に置いた。
革のような手触りの古びた紙。
封筒には達筆な筆致で、ただひとこと――
「沙耶へ」
胸が痛む。
まるで、罰を受けるような痛みだった。
私は封筒を開き、原稿用紙に目を落とした。
【神堂亘 遺稿 7】
『消えるための方法論』
彼は私に笑いかけてくる。
あいかわらず、不器用な笑みだ。
わたしは黙って頷く。
計画は、明日決行される。
この世界には、残してはいけないものがある。
真実、記憶、そして、感情。
わたしたちは、それらを知ってしまった。
だから、彼を消さなくてはいけない。
彼を、消すことで、わたし自身を消すことになるとしても。
──彼は、わたしだったのだから。
わたしの名前は、まだ思い出せない。
けれど、それでいい。
名前など、この世界にはもう、不要なのだから。
「最後の鍵」は、鏡の裏にある。
君が読むとき、そこに“わたし”はいない。
原稿用紙は10枚ほど。
短い、けれどあまりにも静かな言葉で綴られた一編だった。
「……これが、先生の最後の小説?」
私は誰にともなく呟いた。
泣くこともできなかった。
この短編の語り手が、まるで私自身のように感じられたからだ。
主人公は「彼」を殺したのか、自分を殺したのか。
いや、そもそも“彼”と“わたし”が同一人物だったなら、
この物語は自己消失の記録なのか?
何度も読み返す。
だが、途中から“ある違和感”が私を捕らえた。
文体。
文章の呼吸が、前半と後半で微妙に異なっている。
初めの数ページは、明らかに神堂らしい端正な文章。
だが後半――特にラスト3行――だけが、どこか誰かの手が入り込んだような“乱れ”があった。
私は最後のページをめくった。
裏に、走り書きのような一行が残されていた。
“遺された者のふりをしていたのは、君たちのほうだったんじゃないか?”
……これは、先生の筆跡ではない。
筆致は震えていて、インクが滲んでいた。
明らかに他の遺稿とは違う紙質。
なにより――この一文は、物語の一部ではなかった。
私はそのページを両手で持ち、もう一度目を凝らした。
たしかに、そうだ。
これは、あとから挟まれた“誰かの声”だ。
誰が? いつ? どこで?
そしてなぜ、この一文だけが「本物の声」のように胸に刺さるのか?
そのときふと、先生が私に最後に言った言葉が脳裏に蘇った。
「沙耶、君はいつか、“書かれていないこと”を読むようになる」
私はそのページをそっと閉じた。
それでも、その言葉は――
閉じても、消えなかった。




