宇佐美 純也 編
『屍人たちの村で』
宇佐美純也は、差し出された原稿用紙を両手で受け取った。その紙の重みが、まるで過去に神堂先生から突きつけられた「才能が足りない」という言葉の重圧のように、彼の掌にずしりと響く。ホラー作家志望の彼にとって、神堂亘は畏敬の対象であり、同時に乗り越えるべき壁だった。遺稿のタイトルは『屍人たちの村で』。不条理なホラーと、神堂先生らしい精密な論理がどのように融合されているのか、興味と恐怖がないまぜになった感情でページをめくった。
原稿用紙から立ち上る、微かな埃と紙の匂い。それは、彼の脳裏に、かつて訪れた廃墟の村の記憶を呼び起こした。じめっとした空気、腐敗臭、そして、遠くで聞こえる獣の咆哮のような音。
1. 断絶された村、最初の異変
霧が、まるで生き物のように山間の道を這い上がり、やがて視界を白い靄で覆い尽くした。俺たちが足を踏み入れたのは、地図からも消えかけた「奥宮村」。外界から完全に隔絶された、因習に囚われた閉鎖的な集落だ。大学の民俗学ゼミのフィールドワークと聞いていたが、その陰鬱な空気は、まるで生きたまま墓場に迷い込んだかのようだった。久留米の喧騒とはまるで違う、凍てつくような静寂が、俺たちの心を蝕んでいく。
最初の異変は、滞在二日目の夜に起こった。村の長老の一人、源三郎が、自宅の裏庭で発見された。全身は血まみれ、顔は土気色に変わり、焦点の合わない目で虚空を見つめている。だが、奇妙なことに、死体の周りには争った形跡がなく、唯一、彼の喉元には、深く、そして不自然なほどに鋭利な切り傷があった。まるで、何かに噛みちぎられたかのような。
村人たちは、これを「山の神の祟り」だと囁いた。だが、俺の心には、別の恐ろしい仮説が芽生え始めていた。その夜、村中に響き渡る、ぞっとするような呻き声。それは、まるで腹の底から絞り出すような、人間ではない音だった。
翌朝、さらに二人の村人が、同様の姿で発見された。彼らの体には、明らかに人間の仕業とは思えない、異様な傷跡が残されていた。村は、恐怖と混乱の坩堝と化し、その日の昼には、村の入り口に続く唯一の橋が、何者かによって破壊された。完全に外界から断絶されたのだ。
2. 屍人たちの跋扈、そして人間による死
そして、本格的な地獄の幕が開いた。
夜になると、村のあちこちから、あの悍ましい呻き声が聞こえるようになった。そして、その呻き声の主が、かつての村人たちであることに、俺たちは気づかされた。彼らは、生気を失った瞳で、飢えた獣のように人間を襲う。そう、ゾンビだ。腐敗した肉の臭いが、村中に蔓延し、夜の闇は、まさに阿鼻叫喚の様相を呈していた。
俺たちは、村の中心にある古い寺に立てこもった。しかし、食料も水も尽きかけている。絶望的な状況の中、村人たちは次々と“屍人”へと変貌していく。
そんな中、俺たちは、もう一つの「死」に直面した。
村の若い娘、アヤメが、寺の裏にある納屋で発見されたのだ。彼女もまた、死んでいた。だが、他の屍人たちとは決定的に異なる点があった。彼女の体には、噛み跡も、引き裂かれた跡もない。ただ、胸元に、たった一箇所、明らかに人間の手によって刺されたと分かる、小さな刺し傷があった。
「これは…誰かが、アヤメを殺したんだ!」
俺の隣にいたゼミの指導教授が、震える声で叫んだ。 屍人たちは、ただ本能のままに人間を襲う。彼らに、このような精密な殺人が可能なはずがない。つまり、この寺の中に、あるいは、まだ屍人になっていない村の中に、人間でありながら、殺人を犯した者がいる。
恐怖と疑念が、立てこもった村人たちの間に蔓延した。誰が、なぜアヤメを殺したのか? 屍人に紛れて、人間を殺すことができるのは、一体誰なのか?
3. ロジックバトル、死者に潜む真実
残された村人たちは、互いに疑心暗鬼になり、罵り合い、やがては暴力沙汰に発展しかけた。このままでは、屍人たちに食い殺される前に、俺たち自身が滅びてしまう。
俺は、神堂先生の言葉を思い出した。「不条理の中にも、必ず論理は存在する」。ゾンビという非論理的な存在を前にしても、この殺人事件には、必ず論理的な解答があるはずだ。
「落ち着いてください! 犯人は、必ずいます。そして、そいつは、この中にいる、人間です」
俺は、村人たちに訴えかけた。俺は、アヤメの遺体と、屍人たちの行動を徹底的に観察した。屍人たちは、特定の人間を狙うことはない。ただ、近くにいる「生きた人間」を襲うだけだ。だが、アヤメは明確に「殺された」のだ。
俺は、村人たちの行動パターン、アヤメが殺された時間帯にどこにいたか、そして、彼らの言葉の矛盾点を洗い出した。夜間に聞こえた不気味な物音、寺の周囲に残された足跡、そして、村人たちの証言の食い違い。
屍人の一人が、寺の入り口を激しく叩いている。その腐敗した指先から、膿が滴り落ちる。その悍ましい光景は、俺の思考を掻き乱すようだった。しかし、俺は冷静に思考を巡らせた。
そして、一つの仮説に辿り着いた。 誰かが、自分を「屍人である」かのように装い、アヤメに近づいたのではないか? あるいは、屍人の群れに紛れて、誰にも気づかれずに殺人を犯したのではないか?
この村で、「生きてるふりをしていた」のは、村人ではない。 それは、屍人の群れに紛れ込み、あるいは屍人のふりをして、人間を殺した、この中にいる人間だ。
俺は、寺の隅で震えている、一人の村人に目を向けた。彼の瞳は、恐怖に歪んでいるが、その奥には、微かな、そして拭い去れない「何か」が宿っているように見えた。まるで、死者の顔を模倣する幻影のように。その「何か」が、この事件の真実を握っている。神堂先生の遺稿は、まるで俺にそう囁いているようだった。
遺稿後書き(宇佐美純也の筆跡)
生きてるふりをしていたのは、村人ではなく——。それは、屍人の群れに紛れ、人間を殺した、誰かだ。この遺稿は、神堂先生のロジックの深淵を教えてくれた。だが、先生は、この物語に何を隠したかったのか。この「誰か」は、一体、誰なのか。俺はまだ、先生の真意にたどり着けていない。この物語は、まだ終わっていない。まるで、この村の終わらない悪夢のように。