第二齢「殺生石の揺籃」
旧都アイビス 鐘楼街道
大袈裟な門を超えて進むと、巨大な鐘楼が中央に鎮座する区画に到達する。起きてからしばらく動き続けたからか男の動作は安定し、アイビスに突入する前のように、鍛え上げられた肉体から来る流麗な歩行を続ける。
「街区はまだ先だな……」
男は警戒しつつも、観光でもするように周囲を見渡す。正面城郭と同じく、建造物群はまるで劣化しておらず、石造りの壁面にはびっしりと紅い蝶が張り付いており、その隙間を埋めるように黒い炎で象られた百合が踊る。
「赫、か……」
そこで気配を感じて立ち止まり、視線を正面に向ける。走るものの何も無い、路面電車の軌道上に、ツインテールの少女が立っていた。
「ふふ……」
少女は魔女のような大きなとんがり帽を被り、大きなマントを帯びて、短いスカートとニーソックスを穿いた、妙に現代的な衣装をしていた。とんがり帽のつばを右手の親指でくいと上げ、少女はにやけた瞳で男を見やる。
「……」
男が身構えると、少女は翻り、銀の長髪を靡かせながら駆け出す。
「待て……!」
惹かれるように駆け出し、全力で距離を詰めようと足を回転させる。しかし少女は、四肢を外に投げ出すような下手な走り方にも関わらず異常に素早く、常に一定の距離を保ち続ける。
「くそっ……!」
男は懐からナイフを取り出して投げつけ、少女へ正確に届かせる。が、どこから来たのか正面城郭で戦った魔物が盾となり、そして地面に落ちて砕ける。男が再び駆け出して追い、魔物の死体を強く踏んで、黒く燃える百合の花弁が舞い散る。
「ほら、何もわかってない」
少女は余裕綽々と言った風で、男の様子を確認しながら走り続ける。男は痺れを切らしたか、炎魔法を詰め込んだ火炎瓶を懐から取り出して同じように投げつけ、盾となった魔物ごと爆発に少女を巻き込む。
「帰ってこなくてよかったのに。おもちゃが無くなって、ゴミ捨て場が消えたのがそんなに嫌だった?」
男が追いつき、爆炎の向こうから、先程の少女とは似ても似つかぬ、滾る溶岩のような“燃える少女”が現れる。特徴的なツインテールはそのままだが、右手に直剣、左手にレバーアクションライフルを持っている。
「なんだこいつは……!?」
男が逡巡していると、燃える少女はいきなりライフルを発砲してくる。ライフル弾に成形された炎が飛翔し、勘で左に転がって避けた男の頬骨を掠める。燃える少女は実弾を使っていないにも関わらず律儀にスピンコックして見せ、男はその間に立て直して銃を左手で抜き、目にも止まらぬ速度で発砲すると、弾丸が燃える少女の身体に取り込まれて無力化され、炎を噴き出しながら踏み込んで直剣による刺突を繰り出す。男は長剣を右手で抜いてあちらの切っ先を往なし、右前腕部に左手を重ねて、至近距離に来た燃える少女の顔面を撃ち抜く。だが彼女は怯むこと無く、逆に全身から熱波を放って男を吹き飛ばしながら火達磨にする。
「ぐっ……!クソが……!」
男は必死に石畳を転がって消火し、路地へ逃げ込む。燃える少女は姿を消し、路地の入口に爆発とともに現れ、男を追い始める。爆発に伴って両脇の建物が崩れ、退路を断つ。
「どうなってる……!」
血管のように入り組んだ路地を何度も折れ曲がって進み、燃える少女の追跡を振り切るために脇目も振らずに進み続ける。単純な熱気が凄まじく高まり、壁に留まっていた蝶たちが一斉に飛び立ち、男と燃える少女を導くように、路地の先の鐘楼の真上で、螺旋を描く。男が走り、再び角を曲がった瞬間、右側の建物の壁面を溶解させて崩しながら燃える少女が現れ、怯んだ男を直剣で突き刺し、翻りながら鐘楼広場に投げ飛ばす。襤褸のように男は地面を転がり、途中で立て直してブレーキをかけ、立ち上がる。
「化物が……!」
燃える少女は足跡に燐を残しながら、直剣を振り抜いて血振るいして男の正面に立つ。
「……」
男は荒く肩で呼吸しながら、生唾を飲み込む。余りに集中して総毛立つ身体を、冷たい汗が流れていく。燃える少女がライフルを向け、トリガーを引く。男は先ほどと同じような感覚で右に転がって避け、同じように燃える少女はスピンコックを行い、鐘楼の壁面に着弾した弾丸が爆発する。
「これならどうだ……!」
男は懐から自分用の水筒を取り出し、それを投げつけながら燃える少女に届く瞬間に銃で撃ち抜き、水を被せる。燃え滾っていた燃える少女から炎が消え、冷えた溶岩のような外見を見せる。動きが鈍ったところへ、先の爆発で崩れた鐘楼が彼女を押し潰す。
『憎しみは簡単には消えない。それが元々愛なら、なおさら』
崩れた鐘楼の瓦礫の向こうから、少女の声が響いた。