第一齢「微睡みの血沼」
ああ、この人は起こさなくていいよ
懐かしくて、反吐が出る匂い
どうせ死ぬから、放っておけばいい
邪魔者は、赫の中じゃ生きられない
そういう決まりだから
旧都アイビス 正面城郭
「ハッ!?」
男が目覚めると、そこは既にアイビスの内部、赫に燃え盛る月が照らす、異様な街の一角だった。
「くっ……いつの間にここに」
正門傍の柱に寄りかかって眠っていた男は、ふらつきながらも立ち上がり、周囲を確認する。石畳の大通りからは赤い粒子がゆっくりと浮き上がり、視界全域を薄めたワインで染めたように歪ませている。
「アイビスの……中か」
男が身体の軸がしっかりとしていないまま歩き始める。街の中の建造物たちは、目立った破壊の跡が無いのはもちろん、そもそも経年劣化すら起こしていないように見える。
「家を探さねば……」
引き摺るように歩き続けると、複数の道路の視点となる噴水広場に到着する。噴水は平時と同じように水を吹き出し続けており、変わらず透明で、月の光を透かしてだけ紅く輝く。男は乱れる呼吸を整えもせずに、重い足取りで噴水の縁に手をつき、右手で水を掬って飲む。掌に溜まる程度の僅かな水を、ごくりと飲み込み、乱れて浅くなっていた呼吸が深く、異様に深くなる。
「っ……ぅ……!?」
瞬間、男は腹部からの激痛で倒れ、のたうち回る。
「腐ってたか……ッ!」
胃の入口から急速に込み上がる何かを感じ、痛みを堪えながら四つん這いになって吐き出す。石畳に胃液とともに頭足類の触腕のようなものが一本叩きつけられる。そうして痛みが引き、男は口元を拭いながら立ち上がる。
「はぁ……」
男は溜息をつき、触腕を踏み躙る。吐き出す時の嗚咽が響き渡った故か、周囲に気配を感じ、男は見回す。いつの間にやら、物陰や道路から、獣耳が生えた少年少女と案山子が融合したような歪な魔物が続々と現れてくる。男はすぐに剣を背から抜き、続いて銃を構える。魔物たちは男の姿を捉えると、泣き声のような奇声を上げて、一斉に襲いかかる。包丁や鋸など、一般人が家に持っていて不自然でないような凶器を、大きく左右どちらかに押し寄せられた人間の身体で保持しており、高い跳躍力から来る俊敏さで男に攻撃を仕掛ける。が、如何せんリーチの長さの違いはどうともし難いか、男は軽く攻撃を躱して長剣を振り返し、挑んできた一体目の人間の腕部分を切り飛ばし、人間と案山子の繋ぎ目を銃で撃ち抜いて分解する。石畳に放り出された人間の身体は、どろりと溶け出して石畳に染み込み消える。男は続いて長剣を逆手に持って振り向きながらもう一体の魔物の攻撃を弾き返し、素早く踏み込んでタックルをぶつけ、順手に戻した長剣で貫き、即座に引き抜いて切り裂いて飛ばす。
「こ……子供……」
男は消える瞬間の、魔物の人間部分を改めて見る。少年少女というのを通り越して、十歳を過ぎていないのではないかと思えるほど幼い子供が、魔物から引き剥がされて溶けていく。動揺しつつも、続いて襲い来る三体の魔物に対して、先の魔物が持っていた包丁を右の魔物へ蹴りつけて撃ち落とし、左の魔物へ発砲して怯ませつつ長剣を突き刺して自身の方へ抱き込み、中央の魔物の攻撃の盾とする。二体の魔物が折り重なったところで纏めて蹴り飛ばし、長剣を鞘と合わせて大剣にし、叩きつけて両方を一撃で仕留める。体勢を立て直しながらそのまま振り返り、起き上がっていた右の魔物を吹き飛ばしてミンチに変えると、男は大剣を背に戻す。
「はぁ……なんだ、今のは……」
男は銃をリロードしながら、噴水広場から更に奥へ進んでいく。