序章「赫に交わりて」
※この物語はフィクションです。作中の人物、団体は実在の人物、団体と一切関係なく、また法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
人生とは、得てして無価値なものである。
成功したと言えるものも、
失敗したと言えるものも、
自分の人生を否定したくないがために抗っている、
実際、そんなものは価値など無い。
絶対の価値はなく、全てが相対的なものに過ぎない。
つまり……こう言いたい。
好きに生きて、好きに死ぬ。
それだけが、人生をわざわざ生きてやる意味だ。
どういう人生であれ、直に慣れる。
脳髄というのは優秀で、何もかもを鈍麻させる。
真に善いもののために与えられた、本物の地獄だ。
「これより、赫の儀を執り行う」
無機質な仮面を被り、豪奢な白のローブに身を包んだ大男が、祭壇の前で器を掲げながらそう言う。
祭壇の上部には、蜂鳥を模したような大きな紋章旗が掲げられており、更にこれらを孕んでいる聖堂には、大量の篝火が置かれ、それらの炎が異常に赤く光を放つ。
大男が立ち上がり、祭壇に置かれた一際巨大な種火を湛えた大きな器に、手に持った器を傾けて灰を注ぎ入れる。すると種火は一瞬で爆発的に成長し、天井を焼くほどに巨大化する。
「我らが救世主よ!腐敗に満ちたこの世界を焼き尽くす赫を、此処へ!」
大男が赫の炎に巻かれながら、天を仰いで吠えた。
行商回廊
雨上がりの泥濘んだ道を、馬車が駆けていく。空は雲に覆われており、日光を変質させて青い世界を映していた。
「お客さん、本当にあそこへ行くんですかい?」
荷車の上で、向かい合うように座った商人の男が口を開く。やけに引きつって、無理に笑みを出そうとしている。
「……。レイヴンという職業は、金さえ払えばどこへでも連れて行ってくれるんだろ」
対となるような位置に座った、随分と使い古したコートを纏った男が返す。
「まあそうですが……お客さんの目的地、旧都“アイビス”……一夜にして住人全てが消滅した忌み地ですよ?」
「それだ」
男の返しに、商人は首を傾げる。
「忽然と、何もなく住人全てが消えた……俺は、その原因が知りたい」
「好奇心……というやつですか?」
「ああ。知りたいことがあるなら、知りたいと思う。普通だろ」
「そのためにこんな大金を積んで……」
「ネストのレイヴン共の中じゃ、あんたが一番評判が良かった。実際、この馬車は快適だしな。いい馬だ」
「へへ、そりゃどうも……」
上り坂になっている地帯を越えると、眼下の森の向こうに、異様な赫い光を放つ都市が見えてきた。
「お客さん、見えてきましたよ。あれがかつて、その美しさと豊かさで世界に名を轟かせた、アイビス、その残骸です」
「……」
朱の森
下り坂を越えてアイビス麓の森まで到達すると、荷車をひいていた馬が怯んで歩を止める。
「どうした?」
商人が荷車から顔を出し、馬たちを制御していた男へ声をかける。
「こいつらビビって動かなくなりましたね」
「そうか……だがもう少し頑張ってもらわんと、アイビスは眼と鼻の先……」
それを遮るように、コートの男が荷車から降りる。
「あっお客さん!?」
「ここからは俺が自分で行く。金は全部あんたの懐に入れといてくれ、レイヴン」
コートの男がそれだけ告げて歩き始めたのを見て、商人は仕方ないとばかりに馬車を反転させ、彼らは来た道を戻っていった。
「さて……」
男が森の中を進んでいく。足元には真紅の水が薄く張られており、血生臭さは無いが、それでも異様な雰囲気を放つ。
しばらく進んでいくが、まともな生物の気配はなく、植物たちもまた、どこかのタイミングで時を止められたかのように異常な状態となっていた。
そうして間もなく、木々の向こうから異様な気配を感じて立ち止まる。
「……」
浅く立ち込めた赤い霧の向こうから、重装甲の騎士がふらふらと歩み寄ってくる。バトルアックスを右手で引きずり、赤く輝く傷をいくつも付けられたその外見は、亡霊か死体が動いているようだ。
男は背から長剣を右手で抜き、腰から左手で銃を抜く。騎士が男を捉えると、緩慢だった動きが急に俊敏になり、両手でバトルアックスを握ると飛びかかってくる。振り下ろされるそれを男は軽やかに後ろに翻りながら躱し、騎士の左肩口にあった傷口に銃弾を撃ち込み、流れ作業で長剣の一撃を重ねる。すると傷口が爆発し、騎士の左腕が千切れ飛ぶ。騎士はそのままの位置関係の状態でバトルアックスを振り、男は軽く飛び上がって回避してから、長剣を鞘と一体化させて大剣とし、落下に任せて振り下ろし、騎士の頭を兜ごと叩き割る。騎士は灰となって崩れ、男は大剣を背に戻す。
「アイビスの中から漏れ出たやつらしいな」
男は真紅の水に溶けつつあった灰を掬い、そしてすぐに捨てて先へ歩き始める。