ボノボとチンパンジー ~男女平等、ジェンダー論への進化心理学からの一考察
カタツムリは雌雄同体なのですが、そのカタツムリの交尾は「まるで格闘のようだ」と表現されていたりします(参考文献:『ミクロの森 D.G.ハスケル 築地書館 164ページ辺りから』)。
互いに自身の精子を相手に送り込もうとするのですが、一方で互いになかなか受精はしたがらないのだそうです。卑猥な表現になってしまいますが、つまりは互いに相手を強姦しようとしているように見えるのだとか。
この理由はこのように説明できます。
精子を生産するのにコストはそれほどかかりません。ですから、幾らでも使う事ができます。それに対して卵子は生産するのにコストがかかります。ですから、受け入れるべき精子を慎重に選ぶ必要があるのです。
この話は、
“己の遺伝子をより残し易くする”
という目的を果たす為の、オスとメスの合理的な行動には差がある事を理解する上で、非常に示唆的ではないかと思われます。
実は他の動物でもカタツムリと基本は変わらないのです。オスは精子をできる限り多くばら撒こうとし、メスは受け入れるべき精子を慎重に選ぼうとする。
人間も、もちろん、この例外ではありません。
そして、その行動の差は、そのまま人間心理にも影響を与えているのではないかと考えられています。このように、“生物の進化”の観点から人間心理を考察する学問は進化心理学と呼ばれています。
近年、男女平等に関する議論がジェンダー…… 文化的性差の観点からも頻繁に行われるようになって来ていますが、僕はこの議論に進化心理学的な発想を加えるべきなのではないかと考えています。
一応断っておくと、進化心理学は検証が非常に難しい学問です。正しいのか間違っているのかなかなかはっきりさせられない。また“進化”とは必ずしも意味があって起こるものでもありません。無意味な進化もあれば、害になる進化ですらも起こり得るのです(もっとも、害になる進化をしてしまった生物は、長期的には淘汰されていってしまうと考えられていますが)。
ですから、進化心理学的な発想を重視し過ぎるのも問題があるのです。ただし、それでも現在の男女平等・ジェンダー論に進化心理学は一石を投じられるのではないかと僕は考えています。
(今回の主な参考文献は『進化と人間行動 長谷川 寿一、長谷川 真理子、大槻 久 東京大学出版会』です。何度も出すので、以後は書籍名のみに省略します)
――さて。
生物は当然ですが、“遺伝子を残す”競争をしています。他の生物との間で競争が行われている事は誰でも知っていると思いますが、実は同じ生物の間でも行われているのです。己の遺伝子をより多く残す為に、メスを奪い合うオス達、或いはオスを奪い合うメス達。こう聞くと納得できるのではないかと思います。
そしてその同じ生物間での競争は、異なった性別の間…… つまり、オスとメスの間でも行われています。オス、或いはメスが遺伝子を残す事にとってより有利な習性、社会体制というものがあるのですね。人によってはこれを“競争”であるとイメージし難いかもしれませんが、後天的学習によって行動を大きく変異させられる人間社会を観れば、或いはそれを実感できるかもしれません。当然、これは昨今の男女平等、ジェンダー論にも関係して来ます。
同じ性別の間で競争が行われていると説明しましたが、より苛烈なのはオス同士の競争の方です。この理由は簡単に理解できます。前述した通り、オスの精子は大量に生産が可能です。ですから少数でもオスがいれば、それだけで十分に精子は足りてしまいます。ところがメスの卵子はそうではありません。つまり、貴重です。その為、その貴重なメスの奪い合いが激しくなるのです。
実際、自然界を観ると、数多くのオスがメス獲得の為の形質を進化させています。ゴリラの身体の大きさ、カブトムシの角、クワガタの顎、鹿の角、イノシシの牙、孔雀の羽などなど(参考文献:『進化と人間行動 224ページ辺りから』)
そして、だからこそ貴重なメスを確保する為の行動もオスは身に付けて来たのです。それを配偶者防衛と呼びます。トンボのオスはメスを捕まえて飛行したりしますし、ヤドカリのオスがメスの入っている殻をつかんで一緒に行動したりします(参考文献:『進化と人間行動 236ページ辺りから』)。この配偶者防衛は多くの動物で観られるのですが、その極端な事例は一夫多妻制でしょう。一匹のオスが数多くのメスを独占してしまう…… つまり、ハーレムを形成するのです。他のオスは堪ったものじゃありませんが。
当然ながら、この配偶者防衛は、その動物の社会性にも強い影響を与えている訳ですが、それはオスの間の競争の有り方にも影響を与えています。メスが少数のオスとしか交尾しない社会と、メスが複数のオスと交尾するのが普通の社会では、精子の生産量に差があるのですね。
ゴリラは一夫多妻制ですが、精子の生産量は少ないそうです。それに対し、多夫多妻(乱婚)制のチンパンジーは精子の生産量が多い。チンパンジーはゴリラの40倍も精子を生産するのだそうです(因みに、ヒトの精子生産量はゴリラの6倍だそうです)
この理由も簡単に理解できますね。
ハーレムを形成しているゴリラの場合、一度メスを獲得してしまえば慌てる必要はありません。その時点で競争は終わっているので、他のオスを気にせずに交尾ができます。ですから、最低限の精子さえあれば十分です。ですが、チンパンジーは他のオスに先にメスと交尾をされてしまったら、遺伝子を残すチャンスがなくなります。その為、できる限り早く、多くのメスと交尾をする必要があるので、交尾の回数を増やす為に精子の生産量を多くする必要があるのです。
これら方略はどちらも根本は同じです。精子をできるだけ多く、複数のメスに受精させようとしている。冒頭で説明したオスの方略と同じですね。
ですが、動物が進化を続ける内に、それとは異なったオスの方略が観られるようになりました。交尾するメスは単数のみ、そして育児をオスメス共同で行う…… つまり、一夫一妻制です。
これは育児のコストが進化に伴って大きくなった事が原因ではないかと考えられます。多くのメスに受精させようと思ったのなら、本来ならば、オスは育児に参加しない方が有利になります。交尾をしてしまったなら後の育児はメスに任せ、次の交尾相手のメスを探す方が良いでしょう。ですが、育児に大きなコストが必要になってしまったが為、そのような行動を執ってしまうとメスの負担が大きくなり過ぎ、子供を育てきれなくなってしまうようになったのです。その為、オスも育児に参加する方が遺伝子を残し易くなったのです。
これは主に鳥類で観られる方略だそうです。鳥類は卵生で、未熟状態で生まれる為、長い育児期間が必要になり、必然的にオスの協力が効果的になったというのですね。
“長い育児期間が必要になった”
という点が気になった人もいるかもしれません。
はい。これはヒトも同じですね。子供が未熟状態で生まれるので、鳥類と同じ様に長い育児期間が必要になります。
恐らくは、だからこそヒトは一夫一妻制になったのでしょう。ただし、どうもヒトの場合、どこまで一夫一妻制が強いのかは分からないようです。先程、一夫多妻制や多夫多妻制が精子の生産量に影響を与えると説明をしましたが、ヒトは一夫一妻制の動物としては精子の生産量が多いらしいのです(参考文献:『進化と人間行動 248ページ』)。
ヒトはその進化の経過の中で、一度は一夫多妻制を経験していると言われているそうです(参考文献:『私たちは今でも進化しているのか? マーリンズ・ズック 文藝春秋 196ページ辺りから』)。実際、今でも一夫多妻制を認めている社会が多いのはその名残と言えるかもしれません。
が、そこから“何か”が起こったのです。
或いはオス同士で協力するようになり、メスを独り占めにしているハーレムの主に対抗するようになって、一夫多妻制が機能しなくなったといった経過があるのかもしれません。そうだとするのなら、まず最初に現れたのはチンパンジーのような多夫多妻性だった可能性が高いと僕は考えています。いきなり秩序立った一夫一妻制に落ち着くとは思えないですからね。そして、そこから育児を重要視するようになり、一夫一妻制になっていったのではないでしょうか?
浮気性の男性や女性は、或いは、多夫多妻性時代の人間の習性が現れてしまっているのかもしれません(乱暴な仮説ですが)。
これまでは主にオスの視点から、“遺伝子を残す方略”を語ってきました。ですが、当然ながらメスの視点も“遺伝子を残す方略”には存在します。
まずは一夫多妻制から観ていきましょう。一見、一夫多妻制はオスにとってのみメリットがあるように思えます。しかし、メスにもメリットがある事はあります。メス同士の競争に負けてしまったなら一夫一妻制では優秀なオスの遺伝子をメスは獲得できませんが、一夫多妻制ならば可能です。
ただし、それでも一夫多妻制はメスにとってデメリットの方が大きいと考えた方が良さそうです。まずオスが一頭だけなので、遺伝子の多様性が減ってしまいます。多様性というのは、生物種が生き残る上でとても重要で、もしほとんど同じ個体ばかりであったのなら、環境変異によって一気に絶滅してしまう可能性がありますが、多様性はそれを防いでくれるのです。そもそも、生物の性別というシステムは、遺伝子を混ぜ合わせて多様性を増やす為に誕生したと言われています。人類はネアンデルタール人との交雑によって高い免疫を獲得したという説がありますが、これは多様性が効果的だった例の一つと言えるでしょう(言うまでもなく、オスにとっては一夫多妻制は多様性を失う要因にはなりません。複数のメスを受精させるからですが。ですから、種全体としては一夫多妻制は多様性を失くす致命的な要因にはならないかもしれません)。
そして、もう一つ、もっと直接的なメスにとっての一夫多妻制のデメリットがあります。それは“子殺し”です。
ゴリラは実は温厚な動物だと知られていますが、ゴリラのオスはメスが生んだ他のオスの子供を殺してしまう習性を持っています。
これはゴリラに限りません。一夫多妻制において、メスに子供がいた場合、オスはその子供を殺してしまう事があるのです。もちろん、メスに自分の子供を産ませる為です。これはオスにとっては理に適った行動ですが、メスにとっては悲劇でしかありません。前述しましたが、卵子は精子に比べて貴重です。また出産や育児はリスクが高く、大変なコストがかかります。つまり、メスにとって大変に貴重な我が子が殺されてしまうのです。メスは己の遺伝子を残せる可能性が大きく減ってしまうでしょう。
しかし、多夫多妻(乱婚)制では、このような事は起こりません。多夫多妻制においては、オスは生まれて来た子供が自分の子供なのか他者の子供なのか判別が付きません。だからオスは“子殺し”をする訳にはいかないのです。つまり、メスは多くのオスからの交尾を受け入れる事によって、オスによる“子殺し”を防止する事ができるのです。
チンパンジーは多夫多妻制ですが、実は凶暴な性格をしていて、“子殺し”が観られるのだそうです。しかし、それは他の群のメスだった場合だそうで、同じ群の中では子殺しは観られないのだとか。これは多夫多妻制が子殺し防止の役に立っている事を裏付ける証拠とされています(参考文献:『進化と人間行動 241ページ辺りから』)。
或いは、多夫多妻制はメスがオスの子殺しを防止する目的で生まれたのかもしれません。
各婚姻制度(?)について、簡単にまとめます。
一夫多妻制はオスが遺伝子を残す上で有利、多夫多妻制、一夫一妻制はオスメスほぼ同じ(確証はありません)、一妻多夫性についてはそもそもほとんど存在しません。アリなど、複数のオスの精子を体内に保持できる生物では観られるそうですが。
こう観ると、オスの方が遺伝子を残す上で有利なケースが多いように思えますが、これについては早計に結論を出すべきではないでしょう。例えば、ネコではメスが最終的にオスを選ぶのだそうです。これはメスにとって有利なシステムと言えそうです。このように細かく各動物の習性を観察し考察しなければ、どちらの性別が有利なケースが多いのか判断はできないでしょう。
さて。
これまでは主にヒト以外の生物について、“遺伝子を残す”という観点からオスとメスの方略について様々に語って来ました。ヒトは他の動物よりも、行動を学習によって変化させられる幅が大きいので、これまでの動物のようにシンプルには捉えられません。ですが、そこで得られた知見は、ヒトを考える上でも役に立つのではないかと考えられます。何故なら、方略上の有効性についてはヒトでも変わらないからです。
これまでの人間社会の歴史においては、“遺伝子を残す”競争において、オス有利の傾向が強かった点については議論の余地はないでしょう。
オスがメスを確保する配偶者防衛が、人間社会にも多々見られ、そしてそれは道徳や性道徳にすら大きな影響を与えています。
女性は“貞淑さ”をもって美とされ、夫以外の男性に性的アピールをする行為は“淫らである”と軽蔑されます。また不倫や浮気についても不道徳だとされ、近年でこそ男性が浮気や不倫を行っても激しく批判されるようになって来ましたが、以前は男性の場合は許されるばかりか、まるで武勇伝のように語られるケースすらもありました。つまり、“男性の遺伝子をばら撒く”のに都合が良い文化になっていたのです。
また女性の処女性に価値を求める文化も根強くあり、配偶者防衛とはちょっと違いますが、婚姻前の女性が男性と性交した場合、殺害されてしまう“名誉の殺人”などと呼ばれる残忍な風習も存在します。これは強盗などによる強姦でも、女性の罪(?)となり、殺害されてしまう事もあるというなんとも理不尽なものなのですが、“男性の遺伝子を残す”という目的を考えるのならば合理的ではあります。女性が生んだ子供が、仮に他の男性の子供であったのなら、大きなコストを他の“男性の遺伝子を残す”為に使ってしまう事を意味します。これがその男性の遺伝を残す上で害になるのは説明するまでもないでしょう。
このように男性社会は、配偶者防衛の為に女性の“性”を抑圧して来ました。時折、ヨーロッパなどのフェミニストの方達が肌を露出させて抗議活動を行っていたりしますが、その行動の意味はこのような文脈を考えれば容易に理解できます。つまりは男性社会が抑圧してきた女性の性アピールの解放なのですね。
もちろん、一方で男性側が女性を性的に搾取して来たという歴史もあるので、その点から考えるのであれば、性が強調された女性のイラストなどに対し「女性を男性にとって都合の良い性的な道具として扱うな」という批判も頷けるのですが(ただ、批判をしている人達がこういう経緯を理解しているのかどうかまでは分かりません。また、現代の性道徳形成の決定的な要因になったのは性病だとも言われています)。
ある時期までは、人間社会では男性優位社会の方が完全に勝っていました。太古には存在していたと言われる女性優位社会は滅んでいき、ほとんど男性優位社会になってしまったのですね。
これは恐らくは“人口増競争”において男性優位社会の方が優れていたからではないかと考えられます。男性の血が次代に受け継がれる男系社会では、子供は男性の血を継いでいれば成立します。ですから、他の社会から女性をさらい、自分の子供を産ませるという行為が可能です。ですが、女系社会の場合はこれができません。子供は女性の血を引き継いでいる必要があるので、他の社会の女性をさらって来て子供を産ませたなら、それは“他の社会の子供”になってしまいます。
だから人口を増やす上で男系社会の方が有利なのです。
シンプルに男系社会ならば男性優位社会という訳ではないのですが、それでも強い影響を与えているのは確実でしょう。
人口増競争で優位であった為に、男系社会が増え、“男性の遺伝子を残す”上で有利な社会体制が形成されていったのではないかと考えられます。
日本社会は実は少々、特殊な地理的な条件下にあります。土地が狭いので、労働集約的な農業に不向きで、結果として奴隷制があまり進歩しなかったと言われているのですね(参考文献:『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 【教養編】 安藤達郎 東洋経済新報社 38ページ』)。
これはそのまま“人口増”にそこまでのメリットがなかった事を意味します。
男系社会の優位性は、“人口増”にこそあるのだとすれば、日本社会では男系社会の優位性は他に比べれば少なかった事になるでしょう。だからなのかもしれませんが、日本では実は女系社会が根強く残っていたと言われています。
ですから、もしかしたら、日本社会の文化には女系社会の特性が他の社会よりも強く残っている可能性があるのではないかとも考えられます。
――さて。
男系社会の方が人口増競争で優位だと説明しました。ところが近代に入って、“人口の多さ”はそこまで重要な要因ではなくなって来ています。現代の覇権国家はアメリカですが、人口は約3.3億人程です。それに対し、中国、インドは約14億人だと発表されています(中国に関しては、疑いの目を向ける人もいるようですが)。もし仮に人口が“社会の力”にとって決定的な要因になるのであれば、中国やインドが覇権国家になっていなければおかしいはずです。
つまり現代では、人口よりも、技術力、社会体制、経済力、外交力、それらを背景にした軍事力などが社会の力を決める要因として重要なのですね。
――それはつまりは男系社会の優位性が現代ではあまり強くなくなっている事を示しています。そして実際、今までの男系社会を否定するかのような、男女平等思想が広まりつつあります。
近年の男女平等思想の広まりは、人権思想の影響だと考える向きも大きいように思えますが、実は本質的には男系社会の優位性がなくなり、女系社会の文化的特性が拡大をしているという事なのかもしれません。
“強い方が生き残り、繁殖する”
そのロジックは生物のみならず、文化においても成り立ちますから。
では、どうして男女平等思想は強いのでしょう? これは中々難しい問題ですが、我々が男女平等に何を期待しているのかという点から考えてみましょう。
1.能力の高い女性が公平に評価される
女性が蔑視される社会では、女性に能力があってもそれが適切に評価されませんでした。男女平等思想ではその点が是正されます。それにより、リーダー的立ち位置に就きたい、或いは名声を得たいといった欲求を持った女性の願いが適えられるようになります。
それに付随して、ですが、女性は“妊娠する”という役割を生物学的に期待されるというハンディキャップを背負ってもいるので、それを考慮した社会制度が求められる事にもなるでしょう。
2.男性へのプレッシャーの軽減
男性優位社会では、家庭の“収入を得る”という役割が男性に偏りがちです。そしてそれが男性にとって重い負担になっているという指摘があります。
実際、男女平等が進んだ社会の方が男性の平均寿命が長いというデータがあります(参考文献:『「居場所」のない男、「時間」のない女 水無田気流 日本経済新聞出版社 94ページ辺りから』)。
また、女性にも十分な収入があると、会社からの横暴に対抗できるようにもなります。仮に男性が仕事を辞めても、女性にも収入があるのであまり困らないからですね。ですから、会社から嫌がらせのような扱いを受けたら、「妻が働いているので生活に支障は出ません。辞めます」と言う事ができるようになるのです(参考文献:『「居場所」のない男、「時間」のない女 水無田気流 日本経済新聞出版社 99ページ』)。
3.女性が差別されなくなる
“1.能力の高い女性が公平に評価される”と被ってしまう部分もありますが、女性だという理由だけで不当な扱いを受ける事がありますが、それがなくなります。
恐らく、男女平等社会に期待されているのはこの三つでしょう。
当然ながら、より住み易い社会を実現する上で重要になって来るのではないかと思われます。
がしかし、本当に男女平等社会に期待すべきなのはこれだけなのでしょうか? 男女平等が論じられる場合、それはジェンダー…… 文化的な性差にまで言及されます。リーダーを目指す、名声を得たいと欲する。これらはいずれも性役割的には男性的なものなのではないでしょうか?
もちろん、そういったものを欲する女性が公平に評価され、地位や名声を手に入れられる世の中は望まれるべきものです。しかし、それら女性は生物学的には女性であっても、社会役割的には男性なのではないでしょうか? それでは、結局、高く評価さているのは男性だという事になってはしまいませんか?
ここで少しボノボについての話をしましょう。
ボノボというのは、チンパンジーに近い種類の霊長類です。チンパンジーと同じ様に多夫多妻制(乱婚制)ですが、社会的習性についてチンパンジーとは大きく異なっている点があります。ボノボは性交をコミュニケーションの手段の一つとして用い、そしてメス同士で連合体を形成しているのだそうです。
そして、ここからが重要なのですが、チンパンジーのオスが凶暴で、時に群同士で戦争すら行うのに対し、ボノボはとても平和主義でチンパンジーのオスのような凶暴性が観られないのだそうです。
これはボノボがメス同士で結束し、オスの凶暴性を抑えているからではないかと言われているようです(参考文献:『進化と人間行動 114ページ』)。ただし、幼形成熟によって凶暴性が抑えられているという説もあるようですが(参考文献:『進化と人間行動 280ページ』)。
――ジェンダーとしての男女平等で、我々が女性性に期待するべきなのは、このボノボのメス達が行っているような“暴力を抑制する”効果なのではないでしょうか?
男性原理、女性原理という概念があります。
男性原理が規則、論理性、支配被支配、優劣といった事であるのに対し、女性原理は協調性、感情性、育成力などであると説明されています。
例えば、お腹を空かせているAさんに対し、Bさんが料理を作ってあげたとしましょう。
男性原理的な価値観で解釈するのであれば、「BさんはAさんに支配されているから、Aさんの為に料理を作ってあげたのだ」となるでしょう。つまり、侮蔑的にBさんの行為を捉えます。
しかし、女性原理的な価値観で解釈するのであれば、「お腹を空かせているAさんを可哀想に想って優しいBさんはAさんに料理を作ってあげた」となるでしょう。つまり、好ましくBさんの行為を捉えるのです。
この男性原理、女性原理は果たしてどのように発生したのでしょう?
これは大雑把な仮説に過ぎませんが、やはり動物としての本能に根差すのではないかと思うのです。
男性ならば、オス同士のメス獲得競争。人類が少なくとも一時は一夫多妻制…… つまり、ハーレムを形成する社会制度であった点については前述しましたが、ハーレムにおいては特に“より優れている”事が重要です。そうでなければオスは己の遺伝子を残す事ができないからです。ですから、“優劣”に拘ります。支配欲求についてもこれと同様です。
(因みに、社会的成功を経験すると、テストステロンという男性ホルモンが分泌される事が知られていますが、これには性欲を高める作用があるのだそうです)
ところが女性の場合は当て嵌まりません。ハーレムの主になる事に意味はあまりなく(どんなに男性を増やしても、産める子供はほぼ増えません)、そして生まれて来た子供を無事に大きく育てる事が重要な意味を持ちます。
先にも説明しましたが、ヒトの場合、子供は未熟な状態で生まれます。妊娠出産が既に女性にとってリスクやコストが大きい行為ですから、生まれて来た子供はできる限り無事に育てたいでしょう。それまでのリスクやコストが無駄になってしまいますから。
だからこそ、女性は子供の育成を重要視するのです。そして、その為に協力者も積極的に求めます。つまり、子育てを群全体で協力して行うのです。我々は他人の子供でも可愛く感じ、もし困っていたら世話をしてあげたいと思う情動を持っていますが、それはこのような理由で生まれたのかもしれません。現代では、各家庭で子供を育てるのが普通ですが、ヒトは本来、社会全体の財産として子供を協力して育てる動物であるのかもしれないのです。
人間の女性にはある変わった性質がある事が知られています。フェロモンを敏感に感じ取り、月経周期を周囲にいる女性と同期させるというのですね(参考文献:SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか スティーブン・ストロガッツ 早川書房 61ページ辺りから』)。
当然ながら、月経周期が揃えば、子供が生まれるタイミングも同じになる可能性が高くなります。子供が一度に生まれれば、乳の融通など、育児の効率が上がります。また、子供同士のコミュニケーションが子供の成長にとって有益でもあります。
この“女性の月経周期の同期”は、ヒトが本来は協力して育児を行う動物だからこそ獲得したのではないでしょうか?
男性原理が戦争や差別に結び付き易く、女性原理が平和な社会に結び付き易いだろう点は明らかではないかと思われます。
それが何処まで動物としての性別に結び付いているのかは正直分かりません。ですが、ボノボの事例だけでなく、ヒトでも生物学的な性別が男性原理、女性原理に結び付いているだろう証拠のようなものならばあるのです。例えば、人類の歴史上、女性が武装蜂起を起こした事があったでしょうか? 一度もないと主張している人もいます(参考文献:暴力の解剖学 エイドリアン・レイン 紀伊國屋書店 58ページ』)。
かつては、文化によって男女の性役割が異なる事例があると報告されていたのですが(参考文献:図解雑学 性格心理学 清水弘司 ナツメ社 92ページ辺りから』)、実はそれが誤りであった事が報告されています(参考文献:『進化と人間行動 10ページ』)。
つまり、もちろん、個人差はあるのでしょうが、生物学的な性別が男性原理、女性原理に結び付く傾向が強い事はほぼ確かではないかと思われるのです。
男性原理な傾向が強い保守的な日本の団体があるのですが、彼らは専業主婦を「日本の伝統だ」としています。ですが調べてみると専業主婦は欧米から来た思想で、日本向けに多少アレンジしてはいるものの、とても日本の伝統と呼べるようなものではありません。日本の歴史において、主流を占めていたのは“共働き”です。
もちろん、専業主婦は“男性が遺伝子を残す上で有利な社会体制”です。これは男性原理が性別に結び付いている証拠になるのではないでしょうか?
そして、もし仮に生物学的な性別が男性原理、女性原理に影響を与えているのであれば、“女性が遺伝子を残す上で有利な社会体制”を強くする事で女性原理を社会に活かせるようになるのではないか?とも思えるのです。
我々が男女平等に期待するべきなのは、そのような女性原理の活用なのではないでしょうか? 男性原理的な価値観の上で行われる男女平等は、単なる“女性の男性化”になってしまう危険があります。
日本文化には、他の文化よりも女系社会が強く残っている可能性があると先に述べました。日本は“可愛い”が好きですが、これは女性原理的な特性と言えますし、平仮名は女性文化由来です。それらがその証拠になるかもしれません。
日本はジェンダーギャップ指数で非常に低い数値を示しています。が、ジェンダーギャップ指数は男性原理的な価値基準での指数…… であるのかもしれません(すいません。詳しくは知らないので)。
仮にそうであったとしても、もちろん、日本のジェンダーギャップ指数の低さは問題がありますが、それでも、別の指数…… ジェンダー不平等指数では、日本は22位(2024年)と決して低くない数値を出している点は忘れてはならないように思います。
女性原理的な価値観のポジティブな面ばかり強調して来ましたが、もちろん、女性原理にはネガティブな面もあるのでしょう。ですから、ネガティブな面を軽減する努力や工夫も必要になって来るのではないかと思われます。




