06 ロマンチックにならない夜
エリンはテーブルに置いてある水差しとグラスを手に取った。グラスはご丁寧に二つ置いてある。計画は仕組まれていたわけだ。
水を注ぎ、一つをリュドヴィックに渡す。素直に彼は受け取って一気に飲み干した。
「一緒にベッドに座ってもいいかしら」
「うん」
エリンもリュドヴィックの隣に座る。ベッドが軋む音にリュドヴィックはビクッと身体を強張らせた。
それには気づかないふりをしてエリンも水を飲んだ。喉に冷たい水が通ると、気持ちも落ち着く。
隣のリュドヴィックを見ると彼はギュッと拳を握っていて酷く緊張しているらしい。
イメージは違っても、顔は思い出のまま美しいなとエリンは思った。リュドヴィックはこちらを見ずに前を向いているので、遠慮なく観察させてもらう。さらさらのプラチナブロンドから覗くエメラルドの瞳。上品な目鼻立ち。卵のような輪郭と肌。
物語の王子様のような美しさなのは変わりなかった。
「今日みたいな日を怒涛の一日というのね。ああ、疲れた」
「本当に」
エリンはとりあえず共感してもらえそうな話から始めることにした。
今日の出来事はあまりにも濃く、巻き込まれた愚痴ならばほぼ初対面の相手でも盛り上がる気がした。
「うちの父の強烈さだけ伝わったと思うわ」
「君の父はいつもあんな感じか」
「リュドの周りにはいない人種でしょうね」
「まあ……そうだな」
鉄板のブルーノの愚痴から始めておく。ブルーノの破天荒さにリュドヴィックは反応もできずにただひたすら驚いていたから本当に疲れたことだろう。
「君は……僕のことを幻滅したか?」
おずおずとリュドヴィックが話を切り出した。エメラルドの瞳は不安げにこちらを見ている。
「幻滅って?」
「恋愛経験がなくて」
「いや別に。私もないので。でも婚約者がいてもそうなんだね」
そんなことは全く気にしていなかった。気にするとしたら、二人でいる時は自分のことを「僕」と呼ぶんだなあという小さな気づきだ。
「シャルロット嬢とはそういう関係ではなかった。そもそもシャルロット嬢は……」
リュドヴィックはそこで言葉を切り、下を向いて少し考えこんでから口を開いた。
「でも、もしかしたらチヒロとは何かあったかもしれない。その……キスくらいは」
「まあ!」
新婚夫婦の初夜とは思えない内容だが、恋愛話にエリンは興味津々だ。
学園にいる頃二人の関係には全く詳しくなかったが、教えてもらえるのであればリュドヴィックとチヒロの身分差恋愛はかなり気になる。
「でも実のところ、半年ほど……彼女と出会ってからは記憶が混濁しているんだ。普段の生活は覚えているけど、彼女と会っている時の記憶はあいまいで」
「へえ、それが洗脳ですか」
「彼女のいた国の言葉では幻術というらしい。彼女を取り調べた者が聞き出したそうだ」
「異世界から来たんじゃ?」
「まだ調査中だが、異世界ではなく他の大陸から来たと考えられている」
「普通に調査結果をリュドに教えてくれるんだね」
リュドヴィックは小さく頷いた。
世間体のことがあって追放されたが、結局身内はリュドヴィックのこと自体は憎く思っておらず、被害者と見ているんだろう。リュドヴィックに調査報告がなされているのだから。
チヒロの正体も気になるが、エリンはもっと気になることがあった。
「これを聞いて失礼だったらごめんね。
そのチヒロの幻術で、リュドの性格も変わったの?」
「性格?」
「うん、学園にいる頃とはなんだか違うなって」
エリンが言うと、リュドヴィックは顔を真っ赤にしたかと思えばすぐに真っ青になりそのまま暗い顔でうつむいた。
触れちゃいけないことだったのだろうか、エリンは慌てて謝ったがすぐにリュドヴィックは顔を小さく振った。
「いや、君が正しいよ。本当の僕はダメな人間なんだ」
物語に出てくる理想の王子様そのものの顔で……リュドヴィックはシクシク泣き始めた。
「えっ」
突然泣き出したリュドヴィックにエリンはもちろん面食らった。ポケットからハンカチを取り出そうとするが既にネグリジェだった。そんなものはない。
「学園での僕は全部カッコつけなんだ」
ボタボタとリュドヴィックの涙が落ちていくが、拭くものもないのでシーツを引っ張ってきて拭いてやる。
「だからチヒロの幻術にも引っかかるし……」
「まあリュド以外も幻術かかってたらしいし」
「でもレオナーはかからなかった!」
真っ赤な顔でまた声を荒げる。リュドヴィックは泣き虫なだけでなく怒りん坊でもあるようだ。
「レオナーって誰だっけ、ああ第二王子か」
「レオナーは本当にすごいんだ、勉強も魔法もなんでも出来て……」
「リュドも学年首席だったでしょ」
「レオナーが同じ学年ならレオナーが一番だ……。レオナーは僕の何倍もすごいから」
「……」
どうやらリュドヴィックの溜まりに溜まったストレスは限界だったらしい。堰き止めていた物が止まらなくなっているらしく涙と共に言葉を吐き出していく。
「シャリーもレオナーが好きだったんだ、僕と婚約させられてかわいそうなんだよ」
「シャリーって誰だっけ、ああ婚約者のシャルロット様か」
「シャリーと婚約破棄だなんてありえないのに、追放するだなんて……」
自分がしたことを思い出すたび、ボタボタと涙をこぼしている。
「チヒロよりシャルロット様のほうが好きだったんだね」
「当たり前だろ!!!シャリーより素敵な淑女はいない!」
一応今日は初夜で私は新妻のはずだけど、と突っ込みたいのを抑えてエリンはウンウンと頷いてあげた。
コンプレックスを打ち明けて涙に濡れるところを慰めてもらう、エリンの夢みた恋愛シーンのひとつだったのに、エリンが肩をさする羽目になっている。
「きっとレオナーとシャリーが結婚することになるんだ」
「でもリュドも私と結婚したし」
エリンが言うと、リュドヴィックは一瞬真顔に戻ってエリンをジッと見た。
「今値定めした?」
「し、してない!!!」
涙が止まったリュドヴィックは真っ赤になって慌て始める。
「そ、そうか……君と僕は夫婦で、これは初夜だったな……」
急にエリンのことを女性として認識してしまったらしいリュドヴィックは真っ赤な顔でどもり始めた。
彼は大泣きしていて忘れていたが、ベッドの上でバスローブとネグリジェで、エリンが肩をさすっているのだ。その事に気づいたリュドヴィックは
「うわ、うわわわわ!」
「その反応が可愛く思えてきたなあ」
ベッドから転がり落ちるリュドヴィックは学園のプリンスの欠片もなくて、反抗期のドラゴンというより癇癪持ちの赤ちゃんドラゴンのようだ。
可愛いと思う気持ちは恋ではなく、完全に赤子を見るときの気持ちだ。
へたりこむリュドヴィックの手を引っ張って立ち上がると、勢いが有り余ってベッドに二人で転がってしまった。
「ん!!!!な!!!!」
目を白黒させているリュドヴィックは見ていて飽きない。
寝転んだまま対面すると、美しい顔が目前にあった。
「大丈夫だよ、食べたりしないから」
エリンは赤ちゃんドラゴンに接するつもりで優しく声をかけた。
「ふぁー、なんか眠くなってきた。リュドもそれだけ泣いたら疲れたんじゃない?」
横になるとまぶたが落ちてくる。最初は二人で閉じ込められて緊張もしたが、今はそんな気には一切ならない。
「ね、寝れるわけないだろ!君がいるだろ!」
「一応女として見られてるんだ」
「あ、当たり前だろ!君はどこからどう見てもかわいい女の子だろ!!!」
怒っているリュドヴィックは自分が恥ずかしいことを言っていることに気づいていないのだろうか。
顔が近づいている状況で、さすがにエリンもこれには照れて反対側を向いた。
「じゃあ、寝ます」
「おいまて!ここで寝るのか?」
「うん、キングサイズだし……二人でも寝れるでしょ……」
寝ると決めたらエリンは早い。今日は怒涛の展開すぎてもう限界だ。頭は完全に睡眠モードだ。
「君がよくても僕は!」
リュドヴィックはエリンの身体をぐるんっと自分の方向に向かせて話を続けようとしたが、エリンの瞼はどんどん閉じていく。
「うるさいなあ………寝かせて…………」
エリンの瞼が閉じられて、間近でその顔をみたリュドヴィックはまた一人ジタバタしたのだった。