19 こんな夜は走り出したい
エリンの機嫌はすこぶる良かった。足取り軽く宿の部屋に入り、荷物を置いた。
「なぜ同室なんだ」
続いてリュドヴィックが部屋に入ってくる。むすりとした顔でエリンの荷物の隣に自分の荷物を置く。
「経費節約よ。ベッドは二つあるし、滞在中に作戦も練らないといけないから同じ部屋のほうがいいでしょう」
「僕は君のように眠れないんだ」
「――そんなことよりも!やったわね!!!」
外では一応猫を被っていたエリンだが、部屋の扉を閉めるとヤッター!と声をあげて、その場をくるくる回っている。
その様子を見るとリュドヴィックも毒気を抜かれて椅子に座った。リュドヴィックとて気分は良い。それ以上文句を言う気分にはならなかった。
今日の結果は上々だ。
まず、リュドヴィックは二時間空の旅を耐えることが出来た。王都に降り立った時は足の感覚がおかしくなっていてまともに歩くことさえ出来なかったし、ひっくり返った胃の感覚で吐き気を催したがそれもなんとかこらえた。
そして何より嬉しいのは、騎士団のサイラスとの交渉がうまくいったからだ!
サイラスだけでなく、サイラスの父である騎士団長も二人を迎えてくれた。ついでにいうとジルベールもついてきてエリンの周りを無言でまとわりついていたが。
「リュドヴィック様、お元気そうで何よりです」
ルロワの男たちと同じくらい体格のいい親子だ。短く切ったグリーンの髪と大きな目と口。二人はだれから見ても親子だとわかるほどに似ていた。
「面会に応じてくれたこと感謝する。二人も息災で何よりだ」
先程までオエオエ言いながらヨレヨレ歩いていたリュドヴィックとは同一人物だと信じられないほどに、パリッとした完璧な王子の微笑みを浮かべていた。
ドラゴン速達便を始めたいこと、その拠点として基地の一部を使いたいことを話すと騎士団長は悩む間もなく即快諾してくれた。
それどころか速達便のメンバーは騎士団の宿舎に住むのはどうだろうか、リュドヴィックやエリンが王都に来た際も拠点として使ってくれと提案までしてくれた。
王都での用事の間、ドラゴンたちには空をぐるぐる飛んでもらうしかなかったので基地に滞在させてもらえるのは大変助かる。
「ドラゴンに配達してもらうのは騎士団では当たり前になりすぎていて、国に広める発想にならなかったです」
「ドラゴンが日常的にそばにいると当たり前になってしまいますよね!王都から来たリュドヴィックだからこそ気づいたことです」
エリンが調子よくリュドヴィックを褒める。
「きっと国に役立つでしょう。私からも貴族に薦めておきますよ!ああそうだ、彼らの仕事がない時は騎士の訓練に混じってもらっても構いません」
「こちらとしてはありがたいが、いいのか……?」
あまりにも協力的な騎士団長にリュドヴィックは逆に不安になってきたが、対面に座っていたサイラスがリュドヴィックの手をガッと両手で掴んだ。よく見るとサイラスは目に涙を浮かべている。
「リュドヴィック様に全ての責任を着せて、自分だけ罪から逃れたことを恥じておりました」
そしてボロボロと涙をこぼし始める。エリンはリュドヴィックを思い出した。
「サイラスは罪を犯していない」
「いいえ。自分はリュドヴィック様をお守りすると誓った身でいながら貴方を守ることも出来ず、自分も術にかかっていました。これが罪でないなら、何が罪なのでしょう」
エリンはまるでお芝居を見ているような気になったが、リュドヴィックがサイラスを気にしていた意味はわかった。たしかに真面目過ぎる男だ。でもリュドヴィックへの忠誠心は変わらず、なにも心配することはなかったらしい。
「サイラスは国に期待されているんだ。私に誓いを立てるのではなく自分の仕事を全うすることが一番だ」
完全に学園にいた頃のリュドヴィックに戻っている。慈悲深い微笑みを浮かべてサイラスの背中を優しく叩いている。
いつもそれはエリンの役目だというのに。
「私どもは今までのリュドヴィック様への恩義も忠誠も忘れておりません。貴方自体が罪人ではないことはわかっていますから」
サイラスの後ろから騎士団長も付け加えた。その後ろにいるジルベールは面白くなさそうな顔をしているが、一応ここではきちんと「氷の騎士」をやっているようで無言のままだった。
「それに私たちはルロワ家に助けられていますから」
騎士団長はエリンに向かっても笑顔を向けた。
(王立騎士団はルロワのことをずっと認めてくれているんだわ)
ルロワの騎士を認めて尊重してくれていた彼らがルロワ家を拒否するわけはなかったのだ。
「リュドヴィック・ルロワ様、これからもよろしくお願いします」
「そうだ、私たち結婚式があるんです!よかったら来てくれないかしら!」
感動的な男たちの会話の終わりを感じたのでエリンは割って入った。
「結婚式!?」
叫んだのはグルーバー親子ではなくジルベールだったが、一応騎士団長の前なのでそれ以上は口をつぐんだ。
「立場的にリュドヴィック側のゲストは誰もいないの」
「ご招待ありがとうございます。日程的に私は難しいのですが、サイラスは必ず参列させましょう」
「いや忙しいだろう。私のことは気にしなくても大丈夫だ」
リュドヴィックは慌てて遠慮したけれどサイラスが「必ず参列します!」ともう一度手を握ると、頷いた。顔を取り繕ってこそいたが隠しきれない嬉しそうな瞳を感じて、エリンもこっそり笑顔になった。
・・
グルーバー親子に歓迎されたことはリュドヴィックにとってよほど嬉しいことだったようだ。
エリンはリュドヴィックの鼻歌を初めて聞いた気がする。
でも、それもそうだ。
彼は卒業パーティーの事件からは世間から隔離幽閉され、親しい人たちに挨拶も謝罪もできないままドラゴン島に送られたのだ。
卒業パーティーからドラゴン島に来るまでのリュドヴィックの孤独を思えば、今喜びのステップを踏んでいるのも当然のことだ。
「夕食は近くの店で取らないか?噂を聞いて行ってみたかった店があるんだ」
リュドヴィックが提案した城下町の食堂は、エリンも行ったことのある大衆的な店だ。
学園の休日、下級貴族は城下町で遊ぶのが流行りだったが、リュドヴィックを始め高貴な方々はそんなことは恥ずかしいと学園で優雅にお茶会をしていた。しかし本音では気になっていたらしい。
「王子の頃は行けなかったものね」
「う……まあ、そうだ」
「せっかくだし祝杯をあげにいきましょう!」
気恥ずかしくなったリュドヴィックの手を引っ張りエリンは宿の外に連れ出した。
一日はあっという間に過ぎていて、外に出ると夜が訪れていた。
「城下町はよく来たけど、夜は初めてかも」
エリンは数ヶ月前の学園生活を思い出した。まさかリュドヴィックとこうして夜の街を歩くことになるとはほんの少しも想像しなかった。
「門限があるからな」
リュドヴィックは相槌を打ちながらも周りが気になるようでキョロキョロ見渡している。王子として視察のために街を訪れたことはあるけど、こうして目的もなく歩くのは初めてだ。
ここは島で感じる自由さと異なる自由さがある。ただでさえ気分はいいのに、夜は更に心と足を踊らせる。
店のランプが遠くまで並び、夜の街を照らしている。どこまでも伸びているような光の道は、自分たちの未来を示唆するようにも見えて更に気持ちは高揚した。
「食堂はあっちよ!」
気づけば宿から手を繋いだままだ。それに気づいたリュドヴィックは手の居場所に悩んだが、エリンがそのまま走り出したのでつられて走った。
別に急がなくてもいいのに、走りたい。そんな気分でいた。




