くされえんでも
腐れ縁来襲
死者の王が極東に移り住むにあたって新居に古民家を選んだのは、居間の上部にかけられた太い梁を気に入ったからだ。彼はコウモリなので天井からぶら下がる方が落ち着くので。
カーテンをしめて灯もつけず薄暗い部屋の中で彼は梁にぶら下がり、翼にくるまって眠っていた。そこに踏み込んできた男が一人。トウモロコシのような金髪と黒曜石のように真っ黒な瞳をした長身の男だ。
「ようヨワルテディア。本当にこんな極東まで移り住んでたんだな」
「…その不愉快な声…イツトリトナリツィンか。何の用だ。ヨワルテディアはお前に用はないぞ」
「相変わらず面白みのないやつだな…いや、そんな面白みのないお前が何か面白いことになってるらしいと聞いたから来たんだが」
「…首を刎ねられたいのか?」
彼らの故郷では神は割と首を刎ねられたくらいでは死なない。代わりの頭でも載せておけば問題なく動ける。自前の頭がベストなのも確かだが。だから首を刎ねられたいのか?というのは不愉快にはなっているが激高しているというほどではない。
男は首をすくめてみせる。
「旧友が忙しい仕事の合間を縫って会いに来たってのにつれないな」
「お前の仕事が繁盛するとヨワルテディアの仕事まで増える。迷惑だ」
「ははは」
「俺はお前の娯楽になってやるつもりはない。とっとと帰れ」
彼は剣呑な顔でいつでも男に斬りかかれるよう姿を変化させる。その時、玄関の開く音と軽い足音がした。
「ただいま、夜さまー。藍月ね、藍月ね、逆上がりができるようになったよ!」
大喜びで居間に駆けてきた藍月が、見知らぬ男がいることに気付いて動きを止める。
「おう、お嬢さんが噂のヨワルテディアの拾い子か」
「ぴ」
男に声をかけられ、藍月は子ネズミのように跳ねて、男を避けるように彼の元へ駆けて行った。そして彼を盾にするように後ろに隠れる。
「…藍」
「…夜さまのおともだち?」
「お友達ではない。アレは天界のオセロトル、煙る鏡、黒き太陽。ヨワルテディアと同じく神ではあるが、ただ目の前の快楽のみで動く愚神だ。アレが動くと争いが生まれ、生者は死者となる。神への礼を失してはならないが藍は関わるな」
「愚神とは随分な言い草だ」
「オセロトルの理がどうなっているかは知らんが、コウモリの理では己の群れと領地を守らぬものは愚物だ」
くるる、と彼は喉の奥で唸る。黒き太陽、と呼ばれた男は片眉を上げた。
「へぇ、ならお前にとってその異邦の猿の子は守るべき対象なんだな。お前にとって猿は個の区別もさしてきかないただの糧かと思っていたが」
「ヨワルテディアも契約を結んで手元におけば猿の区別がつくようになる。無意味な問答しかしないのなら帰れ。ヨワルテディアは寛大だがイツトリトナリツィンにかける情けはない」
「俺も随分嫌われたもんだ。お前とはそれなりにうまくやってるつもりだったんだが」
「自惚れだ」
黒き太陽は本当に楽しそうに笑う。
「あははははは。気付いているか、ヨワルテディア。俺を嫌うということは争いの否定だ。冥界のコウモリ、肉を斬る翼、夜闇を統べるもの。しかし、争いはお前をも形作るものだろう?それとも最早純粋な神ではないお前には屁でもないことだったか?」
「イツトリトナリツィン。お前は心底教育に悪い神だ。その悪趣味さにはヨワルテディアも辟易している。…その首、蕪とでも挿げ替えてやろうか?」
「はは、それは遠慮しておこう。俺も今回の顔はなかなか気に入っているんだ。容貌は整っている方が猿どもを動かし易いしな」
やれやれと肩をすくめてみせた後、黒き太陽はにこやかに言う。
「じゃあ俺はそろそろ次の商談に向かうとしようか。またな、ヨワルテディア、拾い子のお嬢さん」
「来るな。藍に近づくな。ヨワルテディアに用なら神殿の方に行け」
全身の毛を逆立てる彼を見て黒き太陽はまた笑い、立ち去った。彼は黒き太陽の去った方向を警戒するように暫く睨んでいたが、少しして苛立ったようにグルーミングを始めた。
「…夜さま」
不安そうに彼を見上げる藍月を認識して、彼はそれが当然のことのように藍月を抱き上げてグルーミングする。逆さまになったランドセルからどさどさと教材が落ちた。藍月はくすぐったさに抗議の声を上げる。
たっぷりグルーミングして、やっと落ち着いたのか、彼は藍月を抱きすくめたまま溜息をついた。
「藍が厄介なものに認知されてしまった…」
串刺し公あたりが聞いていたら、お前が言うか、と言われていたところである。しかし此処には彼と藍月しかいないので特に突っ込みは入らなかった。
「…あぶないの?」
「俺に喧嘩を売る意図がないのなら、アレは藍に危害を加えたりはしないだろう。俺に喧嘩を売るつもりなら躊躇いなく殺す」
そして、それがどのような結果になるかなど気にせず、一時の楽しみのために彼に喧嘩を売るような刹那的で享楽的なところが黒き太陽にはある。まあそこまで破壊的な選択は流石に早々選ばないとは思うのだが。