へこたれない女
番外 心臓のない男のウィンリィサイド
兄たちのことは昔から嫌いだった。
今思うと、劣等感、だったのだろう。兄たちとは十歳ほど年が離れているので当然のことではあるのだが、私にできないことを軽々やってのける兄たちが妬ましかったのだ。特に二番目の兄は、やれば何でもできる癖にちゃらんぽらんで真面目に取り組まないところが嫌いだった。それでいて私が苛められているのを見れば相手の鼻っ柱を折れとヤジを飛ばし人の殴り方を特訓するようなやつだった。そこは普通妹に手を出すなと怒ってくれたりするものでは?
本当に、あの人のことは一度も理解できなかったし、これからもできないのだろう。その機会も、もうなくなってしまったのだから。
およそ三年ぶりに顔を合わせた次兄は何も変わっていなかった。と思ったら、別人だった。でも他人の空似というにはその皮肉気な笑みも、まとう香りも次兄そのものだった。わけがわからなかった。私のことがわからないというのも誤魔化しや嘘ではない本心だとわかってしまったから余計に。
絶対許さないと思った。一人で好き勝手して、都合が悪くなったら逃げて終わらせるなんて。絶対に。私だけ延々悩んでいるなんて不公平だ。あの男にも同じくらい悩ませてやると決意を改めた。
次兄と同じ顔をした男が何処の誰かというのは、調べればすぐにわかった。創業300年を優に超える大規模企業グループの総取締役。丁度一年ほど前に代替わりして社長になったという男。そしてこの会社の社長は代々(親子というわけではなく、姿も似ていないのに)イツトリトナリツィンと名乗っているのだという。異国の響きの名前だから、異国の風習か何かなのかもしれない。次兄がそれに何故どんな風に関わったのかはわからないが。
折よく新入社員の募集があったので応募した。大企業だし難関かと思ったら…思っていたのと別の意味で難関だった。入社試験にグロテスクや異教への寛容度を測る企業って何?貿易会社じゃなかったの?
グロ耐性で落ちたものが多かったのか、無事入社できてしまった。新入社員は一度まとめて研修を受けた後、適性と希望を見てそれぞれの部署に分かれていくことになる。私は秘書室を希望した。他にも秘書室を希望した者はいたが、室長によるとそこが最もグロ耐性と他教への理解が必要な必要な部署らしい。私以外はグロ耐性で難色を示されていた。
「あと社長の色香に惑わされるのは取引先だけでいいんだよね。あの方の手を煩わせるような人間があの方の時間を浪費するなんて許さない」
そんなことを言う室長だって惑わされてる人間な気もしたけど確実に藪蛇なので指摘はしなかった。ある意味社長よりこっちの方が直接の上司みたいなものだし…。
次兄がそんな色香で惑わすとか言われるタイプだったかというと…まあ、イケメンだとはよく言われていた。遊んでそうとかも言われてたけど、少なくとも家に女の子を連れてきたことはない。外で何かやってたらわかんないけど、場合によっては童貞だった可能性も…ないかな。遊んでたまではいかなくても、女性経験はあったと思う。というかあれだけモテてちゃらんぽらんで30歳越えてるのに未経験だったら何かしらの異常者だと思う。異常者だと思う…。
「ウサギちゃん、何か俺の悪口言ってなかったか?」
「社長っ…いえ、悪口を言ったつもりでは。愚かなのは社長に対峙して心乱される人間の方なので」
「そうか?」
面白がっている顔をしている。室長は明らかに社長のシンパというか崇拝しているというか…自覚があるのかはわからないけど。仕事はできる人、だとは思う。社長のことを考えている時以外は。
「ハチドリくんはどう思う?」
「え。…社長の悪口では、ないのでは?」
どちらかといえば本当に社長に見惚れたりする人間への呪詛的な…。室長はどういうポジションなんだろうな…。
「社長が出会う人全員誑かそうと思って生きているわけではないのなら」
「それは全否定はできないな。転がそうと思ってやってる時もあるから。顔がいいって便利だよな」
「いつか刺されますよ」
「それは楽しみだな」
楽しみにするな。
この男は本当に時々わけのわからないことをする。いや、正気を疑う、の方が正しいか?争いを厭わない。他者が傷つくことを躊躇わない。常にそうというわけではなくて、基本的に大企業の社長らしく社のための駆け引きなんかもする。そもそも自分から喧嘩を売りに行くわけではない。火種にガソリンを注ぐタイプ。そうして本人だけ無事に元気で笑っているのだ。
だけどそれでも、兄と同じで滅茶苦茶有能な男だというのが本当に性質が悪い。カリスマがある、とでも言えばいいのか。発言に妙な説得力があるというか…"本気"感がある。いや明らかに冗談だなって時もあるけど…。
「プライベートも糞もない生活をしてらっしゃいますし、社長が刺される前に社員が止めますよ。大抵誰かしらいますからね」
「お前がそう指導してるって意味なら止めろよ、ウサギちゃん。猿に庇われるほど俺は弱くないからな」
「ですが社長」
「お前は、俺がお前たちに守られなきゃならないようなか弱い存在だとでも?」
「…いえ、そのようなことはありません。偉大なるイツトリトナリツィン。あなたはそこらの愚かな人間が刃を振り上げたところで些かの痛痒も与えられるような方ではありません」
これは宗教だ、と思う。室長にとって社長は崇拝する神で、不可侵なものなのだ。
ああ、そういえばこの男は、脈打つ心臓を持っていないのだ。兄と同じ顔をしていても、兄ではない。もしかしたら、人間ですらないのかもしれない。美しいけれど、得体のしれない男なのだ。
それはそれとして次兄と同じ顔の人間が異邦人の男に崇められいちゃついてる(婉曲表現)って妹としてキツいものがあるな…。うわ…。って感じ。いや、兄じゃないのはわかってるけど…。




