結局はどちらも同じことで
大祭の年でなくとも、冬至の儀式の間預かるというのは、少なくとも二泊三日はかかることになる。人間である藍月には当然食事と睡眠が必要になるので、翡翠の風は自分の神官に友神からの預かり子だと紹介して必要な手配を頼んだ。
翡翠の風が自分を友と称したと知ったら死者の王はまた苦い顔をするだろうが、それが一番話が早いので。黒き太陽あたりは翡翠の風のことを頭空っぽの馬鹿扱いしたりするが、翡翠の風も黒き太陽と同じくらい旧い神であるので、人間の愚かさはよく知っている。明らかにこの地の人間でない藍月はどのような扱いを受けても不思議はない。左右で明らかに色味の違う瞳をしているというのもよろしくない。珍しい見目の動物はよく神への捧げものにされるので。
翡翠の風は彼らの中ではわかりやすく人間に友好的で気性の穏やかな神格だ。だが、神なので人間とは視野も価値観も生態も違う。わかりやすいところで言うと、翡翠の風が慈しんでいるのは人という種、小さき命そのものであって、個に対する執着は殆どない。藍月に対する視線も死者の王を敵に回すつもりはないし、神として口約束であっても約束を破るのはプライドに関わるというだけで、神殿に訪れる子供たちに対するものと変わらない。
まあ要するに滅茶苦茶チョロいけど滅茶苦茶ドライなのである。
「翠さまもいっしょに食べる?」
そんな風に笑ってお菓子を差し出す藍月がかわゆかったので、藍月と一回りしか変わらないような人型をとって目の前に立ったのも、極めて通常運転であった。だって本来の蛇体では子供の手に収まるようなお菓子などほんの舌先に乗る程度のものでしかないので。一時的な人型を取るうえで目の前の人間を真似るのもいつものことだ。なにしろ翡翠の風は見本なしに人型として違和感のない姿を描けるほど人の個の姿に興味がないので。
そうして翡翠の風は名と同じ翡翠の長い髪と金色の瞳をした白い肌の少年の姿で神殿内に降り立った。色味で大幅に印象が異なるが藍月を参考にしたので同じ顔をしている。
「折角だから私ももらいましょうかね。ふふふ、おそれを知らない子供は可愛いですね」
にこにこ笑う翡翠の風(人型の姿)に藍月は少し驚いたが、まあ神ならそんなこともあるかと流した。そもそも藍月にとって一番身近な神である死者の王も人型とそうでない姿を使い分けているタイプである。
「翠さま、夜さまたちより小さい?」
「小さきものと接する時は小さめの躯にした方がウケがいいので。まあ必要なら大人の猿の姿もとりますよ。どちらにせよ本体より小さいことに変わりないので誤差です」
そして勿論身近な人間、というか近くにいる神官の姿を参考にする。今時、神官やってるやつなんて神に対して強い感情を抱いているか世間に対して隔意を持っているかなので問題になったことはない。仏教でいうところの末法の世というやつ。
死者の王なんかは元からの信仰に加えて新興宗教にも信仰されて、ん?となっている。黒き太陽は新興カルトにそうと理解して神としてビジネスしている。そういうところが享楽的と言われるのだ。
翡翠の風も新興宗教の信仰対象にされたことはあるが、普通に信者に話しかけるのでいつの間にか信者が元来の信仰の方に鞍替えしていた。新興宗教なんてのは大抵教祖や幹部が私欲に走ってマージンを取るためにやっているので、ガチで信者に寄り添うタイプの神格とは相性が悪いのだ。翡翠の風は人間の事情をあまり勘案しないし。
ともかく翡翠の風の機嫌がいい分には神官たちも文句はないわけである。
「慈悲深きクカルコトラリ、あなたはこの子供の言葉もわかるのですね」
「まあ私、神様ですからね。そういえばランゲツ、ヨワルテディアからこの地の言葉を教えられていないのですか?」
「最低限、はい、いいえ、わかりません、だけ言えるようになっておけって教えられたよ。それ以上は勉強中。…話せなくても言ってる内容はわかるし」
「本当に最低限ですね…」
何ならノンバーバルコミュニケーションでも補えるレベルだ。身振り手振りの方が雄弁なくらいだろう。
「伝えたいことができたら覚えれるよ」
「それはそうかもしれませんが」
言葉とは相手に己の意志を伝えるためにあるものである。正しく伝わるのであればどんな言葉でもいいし、言葉でなくてもいい。藍月の言葉が少し拙いのは、言葉を交わす相手が極端に少ない上に、その中で最重要な相手が意志を持って話せば大体くみ取ってくれる神であるからなのかもしれなかった。藍月にとって、言葉を深める必要が薄いというか。
「猿は言葉を凝らす生物でしょう?人間として生きていくつもりがあるのなら大事なのでは?」
「ん…」




