シェリル1
シェリル視点は2話あります。
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感謝感謝です。
私はかなり幼い頃から『取捨選択』をする質だった。
子爵家での親戚の集まりで大人が話している内容を、頭の中でバッサバッサと切り捨てて、自分に必要なことを記憶として残している感じ。
そして、気になることや必要なことは忘れない質だった。
私が六歳のとき、歳の離れた従姉が出産しお祝いに行った。
赤ちゃんは小さくて甘い香りがして、寝ているだけなのにとても可愛かった。
「この子はね、瞳が私と同じ色で髪は夫と同じ色なの」
従姉のその言葉を聞いた時、私は自分が両親の色を持っていないことに気がついた。
父方母方どちらの祖父母も、私とは違った。
しかし少し気になったけど皆優しいし、私を愛してくれているのですぐに考えなくなった。
私には幼少期から家庭教師がついていて、手習いやマナー等はマカラ公爵夫妻が教えてくれた。
手習いは誰のかはわからないけど、女性が書いた日記をお手本にし、最初は字体、最終的には筆圧まで真似た。
七歳になったばかりのある日、マカラの伯父様が私と同じ色だと気がついた。
私は、マカラの伯父様と伯母様が大好き。
いつも優しくお話ししてくれて、お勉強が上手にできるとニコニコと微笑みながら頭を撫でてくれる。
「マカラの伯父様と私、髪と瞳の色が同じですね」
何気なく言った言葉は、伯父様から思いがけない話を引き出した。
その内容は幼い私がすべて理解するには多すぎて、ついいつものように取捨選択をしていた。
私がデビュタントの時、アウリティア姉様のフリをすればいい。
そして私には両親が二人ずついるということ。
情報を正しく切り取れたかはわからないけど、マカラ公爵夫妻が両親ということは嬉しくて仕方なかった。
その日以降も定期的に来てくれるマカラの両親を喜ばせようと、私はすべての勉強を頑張った。
十三歳になる年に、私は王立学園へ入学した。
同じクラスに、王太子がいることに気まずさを感じた。
いずれ私は国王と王妃に対して悪戯をする。
私はこの歳になるまで、幾度となく王家の醜聞を聞いている。だから私達は悪戯を楽しみにしているけど、王家としては嬉しくないだろう。
仕掛ける側と嵌められる側。これは近づかないほうが良いだろうと判断し、常に距離をおくことにした。
殿下の周りには沢山人が集まっている。これ幸いと離れていると、ある時とある伯爵家の子息が話しかけてくるようになった。
他愛もないことでも、一人でいるより気が紛れるので、話をするようになった。
移動するときに荷物を持ってもらうのはやりすぎかな、と思っていたある日、ある伯爵家の令嬢からお叱りを受けた。
曰く、彼は自分の婚約者だと。
知らなかったし、正直面倒なことになったと思った。
これまで面倒事を避けるために、目立たないように行動し、常に笑顔を絶やさないようにしていた。
だから面倒だと思っても、言うわけにもいかない。事を荒立てないように終わらせなくてはと頭をフル回転させる。
「知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしました。私は社交のマナーにも疎いと思いますので、よければ教えていただけませんか?」
私はその令嬢と行動を共にすることにした。
すると当然というのか、あの伯爵令息は私に近寄らなくなり、伯爵令嬢とはとても仲良くなった。
そしてそんなことから暫く後に、伯爵令嬢と伯爵令息は二人で私に話しかけてきた。
二人で話し合い、これからはきちんと相手を大切にすると決めた。迷惑かけた、と謝られてしまった。
あの時私は咄嗟に計算して伯爵令嬢に接近したのに、そんなふうに謝られるとかえってこちらが申し訳なく感じ、あの時、何を思って行動したのかを話してしまった。
結果、私は二人ととても仲良くなり、何でも話す間柄にはなれたけど。
このことが落ち着いた頃から、殿下が私に話しかけることが増えてきた。
始めは朝の挨拶程度だったのに、いつの間にか隣に座るようになり、移動も一緒にするようになった。
とても気まずい。
仲良しの二人に助けてほしいと視線を送っても、ニコニコと微笑まれるだけで助けてくれない。
とても困ったけど、一番困るのは殿下と話をするのが楽しいということだった。
殿下は博識で、移動中に見た植物の話、授業内容について、幼い頃のエピソード等も夢中になって話し、それがとても楽しかった。
当初の予定より近い位置にいることに焦りを感じたけど、クラスメイトだからと自分自身に言い訳をして、友人以上にならないように気をつけていた。
アウリティア姉様とロディアム国王との話を聞いて育ったせいか、私は恋愛というものにまったく憧れがなかったし、そういった感情は私にはないものだと思っていた。
いつもの取捨選択で、恋愛感情を捨てていたのかもしれない。
だから友人としてと言いつつも、私達の距離は他の人から見ると友人以上だということに気がつかなかった。
デビュタントが近づくにつれ、気持ちが落ちこむ日が増えてきた。
両陛下への挨拶のときに、たぶん殿下も近くにいる。
私が姉様のフリをしたら、殿下は嫌な気持ちになるかもしれない。
もう私とは話してくれないかも。
そう考えると、悪戯に対して以前のような楽しみは皆無になった。
そんな私の心の揺れに気がついたのか、ソルレインのお父様から旅行に行こうと誘われた。
舞踏会の少し前に、隣国の商会のパーティーがあるから、家族で出席しよう、と。
お母様も、今まであまり外に出ないで勉強を頑張っていたからご褒美旅行ね、と嬉しそうに笑っていた。
気分転換に良いかもしれない。仲のいい二人にはこのことを話しておこう。
隣国へ出発する前日、殿下からデビュタントについて聞かれた。
今年のデビュタントはシェリルも参加かと聞くので、そのつもりだと。
すると最初と最後のダンスを一緒に踊りたいと言われてしまった。
この国での王族は、最初のダンスは高位貴族と、最後のダンスは婚約者またはその位置に近い者とするという決まりがある。
我が家は子爵なので最初のダンスは無理だし、最後のダンスを踊るのは、その立場を受け入れたことになってしまう。
非常に困ったけど、断るなら今だと判断した。
「王太子の最初のダンスは高位貴族と踊ることになっているし、最後のダンスは将来を決めた相手と踊るべき。我が家は子爵家なので最初のダンスは無理だし、私は子爵家に見合う家柄のご子息と婚約することになると思う」
あからさまに衝撃を受けた表情の殿下には申し訳ないけど、私は王太子妃なんて絶対に嫌。
私が王家に嫁いだら、苛烈と噂の王妃から何をされるかわからない。姉様の二の舞になるというのも想像できる。
殿下が私ではない誰かの手を取ることを想像すると、何故か胸がチクチクと痛くなったけど、殺される恐怖の前にそれは些末なことだと思えた。
近くにいた宰相令息が殿下を連れて何処かへ行ったので、私も早退して明日に備えることにした。
今日は早かったのね、というお母様の言葉に、明日が楽しみで、と笑顔で返した。
思えばこの笑顔も、表情の作り方としてマカラの両親から教えられた『アウリティアの笑顔』。
私はいつから姉様になっていたのだろうか。
私はいつ『私』を捨てたのだろうか。
今まで考えたこともないことが、何だかずっと気になってしまって、結局その日はあまり眠れなかった。
私はそうとう顔色が悪かったのか、両親からかなり心配されてしまった。
しかし、馬車の中でも考えることは変わらない。
あまりに表情に出てしまっていたのか、前に座っているお母様から『行動の前に考えることは良いことだけど、まずはシェリルの気持ちをはっきりさせないと』と言われてしまった。
ちゃんと姉様になりきりますと答えると、それではない、殿下への気持ちよと言う。
「お父様が子供を望めないということは、知ってますよね」
そう、お父様は学園時代に罹った流行病で高熱が続き、子供が望めないということだった。
「その時、お父様は私と婚約をしていたの。お父様はね、快癒したはずなのに私に婚約解消を願い出てきたのよ。あなたのお祖父様から伝えられたとき、私は理解できなくて時間が止まったかと思ったわ。もう会えなくなる、もう優しい笑顔が見られなくなるって思ったら、胸がチクチクと痛くなってね。その時私は十歳だったけど、これは恋なんだわってすぐに気がついたの」
お母様はふふっと笑ってお父様を見た。
「私は婚約解消なんてしないって我儘を言って、お父様はそれを受け入れてくださったの。嬉しかったわ。子供を産むことはなかったけど、お父様と一緒にいられるのは幸せでね。数年後には縁があってシェリルが来てくれた。さらに幸せが大きくなったわ。ね、シェリル、殿下を思って胸がチクチクしたことはない?」
ある、と小さく答えると、それが恋よ、と教えてくれた。
「シェリルのその気持ちは大切にしてほしいわ。アウリティア様のことを考えると二の足を踏む気持ちはわかるけど、王家を取り巻く環境も変わったし、何よりマカラ公爵の王家へ対する発言力は以前より強くなっているわ。それに、きっと殿下が守ってくださる」
恋を自覚してしまうと、殿下を思い出すだけでフワフワとした気持ちになってしまう。
頬が熱くなったので、たぶん赤くなっているのだろう。お母様が楽しそうに微笑んでいる。
お父様も、シェリルがお嫁にいっちゃうのは寂しいな、と言いながら笑う。
でも結婚なんて、と困惑しながら答えると、そのことは殿下と相談しなさい、と言われた。
「もし殿下が頼りないと思ったら、すぐに二人のお父様に相談なさい。ちゃんとしたお相手を探してくださるわ」
隣国への往復で時間だけはあるから、ゆっくり考えなさいね、少しはアドバイスできるわ、との言葉で話は終わった。
殿下に恋をしている、それを実感すると温かい気持ちになる。その状態にしばらく浸っていたけど、デビュタントでのことを考えると急激に気持ちが萎んた。
やはりどう考えても殿下は嫌な気持ちになるだろう。そう考えると、せめて事前に話をしておくべきか、と思い至ったけど、話をしただけでも嫌がられそうで八方塞がりな気持ちになった。
隣国まで馬車で五日程、今回招待されたパーティーは到着した翌日にあり、パーティーの後は二日程ゆっくりして、また五日かけて帰国。子爵邸に戻ると疲れが出たのか、身体がだるく学園を休んでしまった。
体調も悪いし、今年はデビュタントを見送りましょう、とお母様から提案され、私はありがたく頷いた。
学園も暫く休みなさいと言われ、私は自室でゆっくりとこれからのことについて考え始めた。
姉様のフリをするのは、私の中では確定している。
でも、殿下に見られるのは怖い。
事前に話しておけば殿下は見守ってくれるかもしれないけど、話をする決意というか覚悟のようなものが、どうしても決められなかった。
デビュタント見送りの話がマカラの両親へも伝わったようで、二人揃って会いに来てくれた。
マカラのお父様は、もうデビュタントのことは考えなくていい、やらなくていい、シェリルは自分のことを一番に考えなさい、と何度も言い、マカラのお母様は、シェリルを苦しめるつもりはない、愛している、無理をさせようとしてごめんなさい、とポロポロと泣きながら何度も抱きしめてくれた。
私はとても愛されていると感じ、その愛に目に見える形で報いたいと強く思った。
それはやはり、姉様のフリをすること。姉様を死に追いやった人達の目の前に、アウリティアとして立つこと。
だけど、殿下を思うと動けなくなる。
今年は逃げてしまったけど、来年はそうはいかない。
いつもは自然に行っている取捨選択だけど、姉様のフリも殿下も諦められない、と言葉にできず、曖昧に微笑んで誤魔化した。
舞踏会が過ぎても私はだるさが消えず、ずっと学園は休んでいた。
その間、何度も殿下がお見舞いにきてくださったらしい。
ただ、なぜかソルレインの両親がやんわりと断っていた。
今日も殿下がいらしたわ、とお見舞いの花を花瓶に生けてお母様が部屋に飾ってくれた。
毎回違う花で、香りが強くないものを選ばれているのは気遣いからなんだろうと、殿下の心に触れたような気がして嬉しかった。
そして会いたいと思ってしまうのは、殿下を好きな気持ちが大きくなっているからだとわかる。
殿下を好きな気持ちを捨てようとすると、自然と涙が溢れ流れる。
胸も痛くなるし、食欲も落ちてきた。
どうしたらいいのか、気持ちを持て余していたときに、そろそろ学園に戻らないとね、とお母様が決めて、私は一ヶ月ぶりに学園へと向かった。
久しぶりの学園は、以前と変わらない雰囲気だった。
ただ教室へ入ると、いつもは私より遅く教室に入る殿下がすでにいて、一瞬緊張してしまった。
「おはようございます、殿下」
いつも通りに笑えたかしら、と不安に思ったとき、さっと寄ってきた殿下に抱きしめられてしまった。
こんなことは初めてだったし、教室で周りの目があるし、どうしよう···と焦っていたら、宰相令息が機転を利かせて私達を連れ出してくれた。
そして馬車に乗せられ、着いたのは宰相邸。
二人で話をするように、とのことらしい。
隣国へ行っていた時のことや、舞踏会に行かなかった理由を簡潔に話すまでは冷静にいられたけど、花束が嬉しかった、と伝えたときには自分の言葉で顔が赤くなったのがわかった。
恥ずかしくてうつむくと、
『一ヶ月会えなくて辛かった』
『隣国で婚約者を決めてくるのかと不安だった』
『シェリルを大切に思う。愛している』
と、殿下からストレートに気持ちを伝えられた。
その言葉は純粋に嬉しくて、私の気持ちも伝えようとしたその瞬間、姉様はどうするの?と冷静な自分が問いかけてきて『まだ、覚悟が···』と答えるのが精一杯だった。
覚悟ができたら受けてもらえるのだろうか、と熱のこもった眼で見つめられたけど、『···そう···そうですね。その···覚悟を決める前にもう一つ不安もあるので···その···』と、情けない返事しかできなかった。
私は答えを出さないといけない。
その答えは皆が満足するものでないとしても、私自身が納得し、すべて背負う覚悟を持たないといけないと思う。
でも、やっぱり探してしまう。
殿下が見ていない状況で両陛下に会えないか···と。
しかしいくら考えても、そんなに都合のいい答えは見つからなかった。
殿下の十七歳の誕生日まで約半年となったある日、帰りの馬車まで向かう中庭で、突然手を握ってきた殿下から、婚約者に指名する、と伝えられた。
未だ答えが出ていない。しかし何か言わないといけないと思い、やはり身分が···と断った。
現在の王妃は男爵令嬢だったと食い下がられたけど、無礼を承知ですがだからです、と言い切った。
殿下は何か考えているようだったけど、その場はそれで終わりになった。
しかし、実質的なプロポーズをされ、いよいよ私の決断が近いことを悟る。
数日後、殿下から大切な話があると言われたので、学園が休みの日に子爵邸へ来ていただくことにした。
約束の日時に殿下がいらした。
人払いをした応接室には四人だけ。
話し始めたのは殿下で、それに答える形となったけど、王妃の子供の話の件では驚愕が隠せていなかった。
さすがにここまで深くは誰も言えなかったのだろう。
「あの、私も大切なお話を殿下にしないといけないのです」
私はすべて話す覚悟を決め、ソルレインの両親には事前に伝えておいた。
二人が心配そうな顔をして退室していったけど、暫く私は言葉を出すことができなかった。
これが最後かもしれない。でも、話さないとどうにも動けない。
殿下は私の言葉をじっと待ってくださっていた。
「···私はマカラ公爵の次女です。···アウリティアの妹です」
やっとの思いで話し始める。
殿下はやはり驚いた様子だった。
少し間をおき、私の出生からデビュタントでの私の役割など、すべてを話した。
「実行している姿をクリストファー殿下にお見せする覚悟ができませんでした。姉様になりきって行動するので···」
もう、これで最後だと思うと泣きそうになって、声が震えてしまった。
私は俯いたまま、殿下の顔を見ることができない。
静かな時間が流れ、やはり話さなければよかったかと後悔がよぎった時、
「ねえ、シェリル。貴方が私と結婚してくれるなら、騒ぎにならない状況を提供できると思いますよ」
私がいくら考えても見つからなかったのに、殿下はこの短時間で見つけたらしい。
はっと殿下の顔を見ると、いつもの優しい笑顔で私に提案をしてくれた。
本当にそんなことが可能なのか、私には夢にしか思えず、両親に相談してお返事します、と答えることしかできなかった。
次回シェリル視点2の予定