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マカラ公爵


「おめでとうございます。とても可愛らしいお嬢様です」


 私と同じ髪と瞳の色、しかし顔立ちは妻によく似ている。

 ああ、この子は美人になるぞ。

 生まれたばかりの娘を恐る恐る抱き、妻に労いと感謝を伝えた。

 妻も、名前を考えなくちゃいけませんねと嬉しそうに微笑んだ。


 ああ、幸せだ。

 この幸せがずっと続くと思っていた。

 しかし、この子の美しさは神をも魅了してしまったのかもしれない。

 学園卒業の翌日、神の元へと旅立ってしまった。


 たった一人の愛する娘を失った直後に広められた悪意のある噂。

 ロディアム王太子の愛する男爵令嬢を虐めた悪女。

 こんなことを流すのは一人しかいない。

 あの馬鹿王太子だ。

 あの男爵令嬢は身持ちが悪いというのはわりと有名で、知らぬは王太子だけだろう。

 それなのに我が娘の死をも利用して男爵令嬢を持ち上げようとする行為に反吐が出る。

 何か手を打たなくてはと思っていたが、我が娘アウリティアの友人達が茶会や舞踏会で動いてくれていたらしい。

 いつの間にかロディアム王太子をあざ笑う内容に変わっていた。

 ある時、王城でアウリティアの友人の父である侯爵と話していると、他には聞こえないように小声で言われた。


「ロディアム王太子とあの男爵令嬢には皆思うところがある。いつでもお手伝いしますよ」


 ありがたい言葉だったが、国王には子供が一人しかいない。たとえ憎くても相手を王族として敬わなければならない。

 私にできることは国王派を抜けて中立派に籍を置くことくらいだった。


 ロディアム王太子と男爵令嬢が結婚し、一ヶ月後に懐妊が発表された。既に三ヶ月ということは伏せられたが、今までされた仕打ちに比べたら可愛いものだ。

 これで落ち着くのかと思われたのは出産までの間だけだった。

 男児誕生。しかしその情報は闇に葬られた。

 王太子妃の不倫の結晶。

 相手は護衛の近衛騎士。この護衛騎士が王太子妃の悪行をすべて話した。

 あまり公にできない尋問だったと聞いたが、聴取内容を見るにアウリティアは冤罪によって殺されたのだということだった。

 国王はすぐに王太子妃を離塔へと幽閉し、デビュタントと王太子の誕生パーティーのみを公務とし、他は外出すらも不可とした。

 ロディアム王太子も、まるで憑き物が落ちたように王太子妃への愛情を捨て、三ヶ月後には側妃を迎える。

 アウリティアを死なせてまで貫いたはずの愛が、あっけなく終わったのを私は苦々しく思わずにはいられなかった。

 しかし、王太子妃の顔を見なくて済むようになったのだけは幸いといえようか。

 とにかくこの頃は悪感情を押し殺す毎日だった。

 

 側妃が嫁いで暫くの後、懐妊が発表された。

 そして我が公爵家でも妻の妊娠がわかった。

 アウリティア誕生の後、なぜか子ができず諦めていたところに降って湧いたような幸せ。

 男でも女でも良い。妻が無事出産できますように。

 妻は三十八歳での出産になるので、なにかあるといけないからと妊娠も公爵家内での秘密になった。

 

 我が家の出産予定の少し前に側妃が出産した。

 今度こそ正当な血を引く男児誕生だった。

 国中がお祝いに沸いていた頃、妻が公爵邸内でひっそりと女児を出産した。

 その子はひと目見た瞬間、アウリティアが戻ってきたと思うくらいに似ていた。

 恐る恐る抱いたあの時をはっきりと思い出し、この子は絶対に死なせないと決意した。

 妻と二人で決めた名前はシェリル。

 妻は乳母を雇うことなく、常に自分の手元から離さなかった。

 気持ちはわかる。

 どこにどんな悪意ある者がいるかわからない。

 シェリルを大切に腕の中に囲っておきたい、それは我々夫婦の共通の感情だった。


 貴族は子供が生まれると、一ヶ月以内に王城へ誕生の書類を提出する義務がある。

 しかしあまりに不安で、我が家では生まれて半年経ってもその提出をしていない。

 なにせ、シェリルが生まれる少し前にロディアム王太子に男児が生まれている。

 高位貴族の中に今のところお世継ぎとつりあう令嬢は片手で余る程しかいない。

 王家の目にとまるのではないか。

 普通に考えればアウリティアのことがあった以上、我が家には話を持ってこないと思うが、相手はあの王太子だ。普通を期待してはいけない。

 どうしたらシェリルを幸せにすることができるだろうか、答えが出ないまま二年過ぎていた。


 シェリルは成長するにつれ、どんどんアウリティアに似てくる。

 泣き顔も笑った顔も甘える顔も、何もかも重なって見えた。一方でアウリティアとは違うシェリルとしての愛らしさも日々多く感じられる。しかし、シェリルはアウリティアとは違うとわかっていても、この子も誰かに殺されるのではないかという不安が、我々夫婦特に妻に強くあった。

 このままではいけない。

 誕生書類を提出しないことには、この子は貴族としての権利を得られない。何より、シェリル個人を尊重しないといけない。

 私は嫌がる妻を説得して、養女に出すことを決めた。


 養親は以前から親しくしていたソルレイン子爵。

 子爵の歳はアウリティアより五歳上、子爵夫人がアウリティアより一歳下で私とは親子ほど歳が離れているが、とても話が合うこと、子爵の子供が望めないこと、我が家とタウンハウスが近いことなどから話を持ちかけた。

 我々夫婦の正直な気持ちもすべて話したところ、子爵は覚悟を決めて了承してくれた。


「マカラ公爵の大切なお嬢様を、大切にお預かりいたします」


 それから半月後にソルレイン子爵邸へ親子三人で向かい、シェリルとお別れをした。

 子爵の話では、あれからシェリルは三日ほど泣いたらしい。四日目以降は、ソルレイン子爵夫人にはりついたまま不安げな顔をしていたが、子爵夫婦や周りの使用人からの愛情をたっぷり受けて落ちついていったそうだ。

 ちなみに、親戚には平民から養女にもらったと話しているそうだが、シェリルを見た親戚一同はそんな言葉を信用していないらしい。ただ、生家の話はしないということは暗黙の了解となっているとのことで、素晴らしく団結した一族なのだと感心した。

 

 一つ心配なのは、我が妻の気持ちが不安定なこと。

 シェリルを思えばこの決定は良いことだと思っているが、目の前にいないシェリルを思うと不安でたまらないと妻が言う。

 養女に出して半年経っても、夜は頻繁に目が覚めるようで、少しやつれたように見えた。


「もう少し時間をおいて、我々がシェリルにとって親戚の伯父伯母くらいの関係に見えるようになったら、会わせてもらおう」

「伯母だなんて、母なのに···。でも、あの子を守るためなんですものね。わかっています。でも···」

 

 妻は、いつか会えるという言葉に縋りつき、それによって生きる希望を見出したようだった。


 我々がシェリルに再会できたのは、養女に出して一年後だった。

 子爵邸に招待された我々を出迎えてくれたシェリルは、やはり愛らしい娘だった。

 シェリルが子爵夫妻に向ける表情は親子のそれで、我々には見せてくれなくなったのは悲しくもあり、それでいいんだとも思ったり。

 

 私は、シェリルを養女に出すのと同時期に、議会へ提出する『王族の婚姻について』の草案も纒めた。

 そもそもロディアム王太子の婚約者にアウリティアが選ばれていなかったら、死ぬことはなかった。

 貴族はもちろん、王族にとっても政略結婚は普通だが、それは本人が成人してから議会で決めても良いのではないだろうか。

 そう考えていたことをまとめて、議会での決議を求めた。

 私からということは各議員の決定に大きく関係していたと思うが、それはそれで利用しよう。

 『王族の婚約者は十七歳になった時に本人の意向をもとに議会で決定する』

 あっさりと決まったそれは、国王の置き土産となりロディアムが新国王になった。


 ロディアム新国王の好きにさせると、各部署に色々混乱をきたすという不安は派閥に関係なく貴族の一致した意見のようで、譲位のどさくさに紛れてクリストファー王太子の周りをしっかりと固めた。そばに置く者も派閥を超えて選出した。

 一番近くにいる生母である側妃の考えが歪だと困るが、この御方は常に俯瞰で物事を見ることができる方で貴族から信頼がある。

 クリストファー王太子の教育などについてご相談申し上げても、ご自分の意見を言いつつも我々の言葉も聞いてくださり、納得するとその方向に向かって進んでくださる。

 この御方に国王の手綱をしっかり握っていただいて、その間にクリストファー王太子の御世が安定するように、愚かな国家とならないよう、我々はできることをしなければならない。

 議会が落ち着いたのは突然の譲位の後二年は経っていた。


 ある年、シェリルの誕生日を子爵邸で祝うという招待状をもらった我々夫婦は、意匠の凝ったオルゴールをプレゼントとして手にし、子爵邸に向かった。

 近しい身内のみでのパーティーで、非常に和やかで楽しい場だった。

 シェリルが歳の近い子供達と庭で遊んでいるとき、妻がポツリと呟いた。


「これだけ似ていたら、シェリルのデビュタントのときにロディアム国王は腰を抜かすかしらね。謝るかしら?それとも怖がる?」


 場の時間が止まった。

 誰に似ている、なんてことは皆わかりきっていたこと。

 そして、デビュタントでは両陛下に挨拶をする。

 私はもちろんその場にいた者は、皆その情景を想像したのだろう。誰かがふふっと笑いを洩らした。そして、それを引き金に其処此処から小さく笑いが聞こえる。

 私も笑っていた。あの二人の顔を見るのは楽しそうだ。そのくらいの仕返しは許されるのではないか?

 我々夫婦が二週に一度、シェリルに特別な家庭教師として教育を行うことはその場で決まった。

 我々が教えること、それはアウリティアのすべて。

 アウリティアの日記を手習いのお手本とし、アウリティアのあらゆる癖、表情の作り方、そういったことを教えていった。

 疑問を持たずに吸収し、我が物としていくシェリルに対して罪悪感はあったが、思考までは手を出さないということで最後の一線は越えていないんだと自分に言い聞かせた。

 そう、これはたった一度だけの意趣返し、そのための準備なのだ。

 ただ、実行役となるシェリルにはいつか話さなくてはいけない。そしてそれは、我々が本当の親であることを伝えることになる。

 シェリルは受け入れてくれるだろうか。

 こんな計画を知って、心が壊れたりしないだろうか。

 しかしいつかは伝えないと、どのみちデビュタントで両陛下は挙動不審になるだろう。

 皆がシェリルに愛情を持っていることもしっかり伝えなくては。

 そしてその日は唐突に訪れた。


「マカラの伯父様と私、髪と瞳の色が同じですね」


 子爵邸でお茶を飲んでいるときに、シェリルがニコニコと微笑みながら言い出した。

 まだこの子は七歳を迎えたばかり。すべてを正しく理解するには早すぎる。わかっていたが、今がその時なのだと思い、シェリルにすべてを話した。

 アウリティアという姉がいたこと、現在の両陛下のしたこと、なぜシェリルが子爵家へ養女に出されたか、なぜアウリティアのすべてを教えているか、そしてできればデビュタントで···

 シェリルは話を聞き終えたあと、少し斜め上の天井を見ながら情報を咀嚼しているようだった。

 時間は過ぎるが、誰も言葉を発しない。

 視線を私に戻したシェリルは、

──わかりました。でも、間違いがあるといけないので、またいつか同じお話をしてくださいね──

 いつもの無邪気な笑顔で答えたシェリルは、どこまで理解しているのだろう。またいつか同じ話をすることになるだろうが、今は説明を終えたことに安堵し、シェリルは愛されているんだと何度も伝えた。

 本当に嬉しいです。お父様お母様が二人ずついるなんて、幸せです。と心から嬉しそうに笑うシェリルに、思わず泣きそうになってしまった。

 

 シェリルが王立学園へ入学して暫くの後、クリストファー王太子がシェリルにご執心だと聞こえてきた。

 よりによって王太子。

 シェリルには好きな人と幸せになってもらいたい、と婚約者を決めずにいたことの後悔と、アウリティアを思い出し苦々しく感じた。

 しかし、クリストファー王太子は幼い頃からの教育が功を奏し、しっかりとした考えを持つとも聞く。考え方等は実母である側妃に似ているとも。

 あの男とは違うのだと自分に言い聞かせ、暫く様子を見ることにした。

 安心していいのか残念に思うべきか、私の不安を打ち消すように耳に入る学園での様子は、二人の距離がどんどん近くなっているということだった。

 シェリルが望むのなら、そして王太子が幸せにしてくださるのなら、王家へ嫁ぐことになっても反対はしない。

 ただ、デビュタントでの楽しみがなくなるだけだ。

 しかし、それはそれでシェリルのためには良いのかもしれない。


 シェリルがデビュタントを迎えるまであと三日となった日に、子爵家から今年のデビュタントは見送ると連絡がきた。

 シェリルは、数日前からの発熱がおさまらないとのこと。

 心配になり子爵邸に向かうと、シェリルは普通に過ごしていた。

 ただ、私の顔を見て『今年は覚悟ができなかった』と気まずそうにデビュタント延期の理由を話した。

 負担にさせて申し訳ない、実行しなくてもかまわないと伝えても、困ったように微笑みを返すだけだった。

 周りからの期待を実行することで、クリストファー王太子との関係が変化することをわかっているからだろう。

 我々には軽い仕返しのつもりでも、シェリルの一生には影を落とすことになるかもしれない。だから、シェリルは自分の幸せを一番に考えてほしいこと、実行なんてしなくても周りは何とも思わないと何度も話した。

 シェリルはしっかり考えると答えたが、結局デビュタントは不参加だった。


 シェリルに、自分の幸せを追求しなさい、何かあったら助力は惜しまない、デビュタントでの計画はもう終わりだと伝え、我々夫婦は子爵邸を訪問する回数を三ヶ月に一回へと減らした。

 

 あと数ヶ月でクリストファー王太子の婚約者選定という頃、子爵から親子で訪問したいと連絡が来たので、すぐに了承の返事をした。

 約束の日時に、子爵家の馬車が馬車寄せに入ってきた。

 我々夫婦も迎えに出たが、子爵夫妻とシェリルの他にクリストファー王太子の姿があり胸がざわつく。

 応接室で皆がソファに座ると、緊張した面持ちのシェリルが口を開いた。


「嫌われることを覚悟して計画を話した。それを知った上で婚約者として指名したいと言われた。よく考えたが自分は受けたいと思っている」


 シェリルの隣に座るクリストファー王太子も緊張しているようだったが、その瞳には力強さが見え、シェリルのこれからはこの王太子に任せるべきなんだと思った。


「両陛下との顔合わせは勿論、シェリルのこれからは自分が守る。その前に、公爵令嬢という地位を与えて欲しい」


 こうしてシェリルは我が公爵家へ戻ってきた。





次話も個別視点

クリストファー予定です

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[気になる点] 最後のシェリルの >>嫌われることを覚悟して計画を話した。それを知った上で婚約者として指名したいと言われた。よく考えたが自分は受けたいと思っている って、本人が話してるのではなくて…
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