ホタル舞う夜に君はなんと言ったのか
武頼庵様主催『やっぱり夏は○○○!!企画』参加作品です。
「ほら! こっち!」
「ま、まってよ! わたし浴衣だから走れないよっ!」
夏祭りが催されている夜の神社を囲う森の中を、わたしの手を引いて走る彼に、わたしは必死でついていく。
夏真っ盛り。本当はまだまだ暑いはずなのに、お昼が暑すぎるからなのか、日が沈むとそれだけで涼しく感じる。
浴衣というのもあるのかもしれない。
紫色の生地に白の花があしらわれたお気に入りの浴衣。
今までは姉のお下がりの浴衣であんまり好きじゃなかったけど、もうすぐ高校を卒業するからって両親がわたし用のを買ってくれた。
わたしは気合いを入れて浴衣を着てきたというのに、彼は半袖に長ズボンというラフな格好。
べつにいいんだけど。
いいんだけどさ。
下駄の鼻緒がちょっとだけ痛む。
昔の人はよくこんなので歩き回ってたなと感心したくなる。
「……」
彼がわたしの様子を見て少しだけ速度をゆるめた。
こういうところにだけは変に気が利くからやってられない。
「ね、ねえ、まだ? なんかすごい森の中なんだけど」
「もーちょい!」
彼に手を引かれて進んでいると、いつの間にか周りは木に囲まれていた。
セミの声とカランコロンという下駄の音。そしてわたしの息づかいが森に響いている。
さっきまで走っていたのに、いつの間にか彼と2人、ゆっくりと森のなかを歩いていた。
「……」
落ち着いてみると、わたしの手をしっかりと握る彼の体温を再認識する。
そういえば、幼馴染みの彼と手を繋ぐなんていつぶりだろうか。
たぶん、それはお互いに異性を意識なんてしてなかった頃だ。
……いや、もしかしたら彼は今でもわたしに女なんて感じてないのかも。
もう高校生になったっていうのに。
……わたしは、いつから彼のことをそういうふうに思い始めたのだろうか。
彼は、わたしのことをどういうふうに思っているのだろうか。
彼からしたら、急にしおらしくなって大声で話したり笑ったりしなくなったわたしは変わってしまったように思うのだろうか。
そんなわたしを見て、彼は少しでもわたしを女と思ってくれているのだろうか。
……この浴衣も、誰のために着てきたと思ってるんだか。
「あそこだ! あの繁みを抜けた先だ!」
「あ、待って!」
彼は目的のものを見つけたようで、わたしの手を離して再びパッと走り出してしまった。
変なところに気が付く彼だけど、夢中になると周りが見えなくなって子供っぽくなる。
……わたしは彼のそんなところも。
「ほら。そこ、浴衣気を付けろ」
「う、うん」
で、ほらまた。そういうところはちゃんと見ててくれる。
「ここだ。おいで」
「……」
そう言って差し出された手にわたしは自分の手を重ねる。
手汗をかいてないかってことだけが気になる。
体温が高い。
これは走ったせい?
それとも……。
「わあっ!」
「すごいだろ?」
繁みを抜けた先にあったのは小さな湖。
そして、その上を舞う無数のホタル。
風のない湖はピンと張りつめたように静かで、空を舞うホタルを優しく見守っているようだった。
「……キレイねー」
さっきまでかすかに聞こえていた祭り囃子もここまでは届かない。
なぜだかセミの声も落ち着いているような気がする。
湖とホタルと、わたしと彼。
世界中に、それだけしかいないみたいな感じがする。
「……夏はやっぱり、ホタルだよな」
「ぷっ。なにそれっ」
くすくすと笑いながら彼の方を見ると、ホタルの光に浮かぶ幻想的な彼の横顔が目に写る。
湖に反射した月明かりと相まって、彼の瞳がキラキラと光って見えた。
……こんなに、ドキリとさせるような顔をするようになったのかと、1人でどぎまぎしながら慌ててホタルに視線を戻す。
ホタルたちはまるでわたしたちを歓迎するように、湖の上で歓喜の舞を踊る。
それはまるでホタルの祭り囃子のよう。
ずっと、こんな時間が続けばいいのに、なんて思ってみたりする。
「……あのさ」
「ん?」
しばらく黙ってホタルを見ていると、彼がおもむろに呟いた。
こんなに静かな湖畔でないと聞き逃してしまいそうな声だった。
「……」
「……なに?」
彼がこちらを向いたので、わたしも彼と視線を合わせる。
いつになく真剣な表情。
その真っ直ぐな瞳に心臓が騒いだことがバレないように必死だ。
「……俺、高校を卒業したら東京に行こうと思う」
「……え?」
彼が何を言ったのか、すぐに理解できなかった。
さっきまで静かだったはずのセミたちがいっせいに声をあげ始めたような気がした。
ホタルはさっきと変わらず空を泳いでいるのに、なんだか世界が暗くなった気になる。
夜なんだから暗いのは当たり前なはずなのに。
「……東京の大学に行くんだ。ようやく親に許してもらった。先生も、このまま勉強を頑張れば何とかなるって言ってくれた」
「……そう」
わたしはそれしか言えなかった。
なんで?
どうして?
なんのため?
ここじゃダメなの?
東京のどこ?
わたしは?
わたしのことは?
……わたしは、いなくていいの?
そんなこと、言いたくても言えなかった。
「……おまえにだけは、皆より先にきちんと伝えておきたかったんだ」
「……」
それはちょっと嬉しかった。
でも、それに対してなんで? とは聞けなかった。
彼も、その理由については言わなかった。
「……ホタル。キレイね」
「……ああ、そうだな」
わたしたちはそれだけ交わして、どちらともなくその湖をあとにした。
「……じゃあ、いってくる」
「……うん」
それから、わたしたちはそのことについて特に話すことはなく、彼は無事に東京の大学に合格した。
わたしは地元の女子大に進学が決まり、そして、彼が上京する日がやってきた。
東京までの新幹線が出ている駅に向かう切符を彼が買う。
この街から買える切符では一番高い。
わたしは一番安い入場券を買った。
顔馴染みの駅員さんは欠伸をしながら、そんなのいらないと言ってくれたけど、今日だけはそういう形にこだわりたかった。
まだ朝早い時間。
世界はまだ眠っているみたいで、朝日だけがいつも通りに仕事を始めていた。
彼を連れていく二両電車はもう駅に着いている。
時間調整で少しだけ停車するらしい。
ありがたいような、早く行ってしまってほしいような。
「……元気でな」
「……うん」
彼の両親や友人は気を利かせて来なかったらしい。
彼はその意味が分かっているのだろうか。
わたしは彼と2人だけのホームで、彼の言葉にかすかに頷く。
さっきから俯いたまま。
彼の顔を見ることができない。
彼の顔を見たら泣いてしまいそうだから。
行かないでとすがりついてしまいそうだから。
ホームにまもなく発車する旨の放送が流れる。
「……いくわ」
「……うん」
彼はわたしの方を見ながらも、大きなリュックを背負う。
それに詰まっているのはどんな夢と希望なのか。
彼が電車に足を踏み入れても、わたしは顔を上げられずにいた。
「……なぁ」
彼がそう呟いたとき、ホームに発車を知らせるベルが鳴る。
「え?」
彼が何かを言いかけたところでドアは無情にもわたしたちの世界を2つに別けた。
「い、いまなんて……」
わたしはようやく見た彼の顔にすがるように声を発する。
「……っ!」
彼も何か伝えようとしていた。
でも、閉ざされた扉と動き出す列車の駆動音がそれを許さない。
彼が走る。
座席にリュックを投げ出して窓を開ける。
わたしもそこに走って近付く。
二両電車はゆっくりと動き出した。
少しずつ離れていく彼に近付くように、わたしはホームを走った。
「……てくれ!」
「え!? なんて!?」
彼が叫ぶ。
でも、少ししか聞き取れない。
聞きたい。
彼の言葉を。
彼の気持ちを。
わたしは走った。
せまいホームを。
短いホームを。
もうすぐ端っこについてしまうホームを、懸命に。
「待っててくれ! あの湖で、いつかまた会おう!」
彼はそんなことを言った。
なにそれ、ずるい。
「わかった!!!」
そんなふうに思いながらも、わたしは精一杯の想いを込めてそう叫んだ。
彼が離れていく。
二両電車は徐々にスピードを上げ、わたしから彼を勝手に遠ざけていく。
彼が窓から顔を出して大きく手を振っている。
わたしもそれに応えるように大きく手を振った。
お互いが見えなくなるまで、わたしたちは手を振りあった。
「……わかった。待ってる」
彼を乗せた列車が見えなくなっても、わたしはしばらくそこに立っていた。
あれから数年。
彼からはたまに手紙が来る。
東京での暮らしはやっぱり大変みたいだ。
それでも、苦労のなかにあっても充実した暮らしをしていると書いてあった。
わたしもそれに近況を寄せて返信する。
当たり障りのない内容だ。
本当に聞きたいことは聞けていない。
あれから、わたしは毎年同じ日にあの湖に来ている。
やっぱりここはお祭りの喧騒とは無縁で、静かにホタルが空を泳ぐ幻想的な世界だった。
いまは、そんな静かな世界にわたし1人。
本当はそばにいてほしかった。
でも、言えなかった。
「……言ってたら、何か違ったのかな」
そんな独り言に、ホタルは応えてくれない。
「……夏はやっぱりホタル?
違うよ。どんなにキレイな景色でも、一緒に見たい人が隣にいなきゃ、全部色褪せて見える。
夏には、やっぱりあなたがいなきゃ……。
ううん。ずっと、わたしにはあなたがいなきゃ……」
湖は、わたしの声を聴いてくれているだろうか。
いま、あなたは何をしていますか?
元気にやっていますか?
あなたも、わたしのことを少しは思い出してくれていますか?
あなたの隣には、いま誰がいますか?
もし、そこにわたしじゃない誰かがいたとしても、あなたが幸せなら、わたしはそれでいいのです。
……なんて、綺麗事を言えるほど、わたしは大人じゃないみたいだ。
だから、ほんのかすかな期待を胸に、わたしはあなたの最後の言葉を信じようと思う。
だから、わたしは毎年ここで、湖に揺蕩うホタルを見ていようと思う。
「……キレイだなー」
その言葉に、そうだな、と返してくれる彼のことを想って。
空を見上げれば、夜空に月が控えめに微笑む。
ホタルたちはまるで星々のように自由に空を泳ぎ、それらを写す湖はわたしのことも映してくれる。
月とホタルと湖と。
静かな世界に、いまはわたし1人だけ。
七海糸様作




