悪魔に契約を持ちかけられたら、いつの間にか幸せになっていた。
あぁ、なんでこんなことになっちまったんだ……。
多額の借金を抱えた俺はふらふらと夜の街を彷徨っていた。
この一年間、多忙ではあったけど充実した毎日だったし、これからようやく報われると思っていたのに……。
碌に前も見ずに歩いていた俺はの目に飛び込んできたのは、トラックが放つヘッドランプの強い光だった。
あぁ、俺はこんな惨めに死ぬのか。
そう思った瞬間、呑気な声が聞こえてきた。
「あと数秒であなたは死んじゃうけど、その前に私と契約しない?」
「は……?」
死の間際だというのに、自分でも呆れる程情けない言葉が出た物だ。
トラックは一ミリも動いていない。
まるで、時間が止まったかのように。
そして、俺の目の前には寝そべった格好で宙に浮かんでいる美女がいた。
その恰好は、人間の体を隠すには圧倒的に布面積の足りない、きわどいコスプレのようだった。
これが走馬灯と言う奴だろうか。
いや、絶対に違うな。
「だから~、私と契約すれば助かるって言っているんですよ~」
ニコニコと笑いながら宙に浮いたコスプレ美女が言う。
いや、一言もそんなこと言っていないだろうが。
まぁでも、どうでもいいか。
どうやらストレスのあまり俺の頭はおかしくなってしまったらしい。
最後くらい、ひどい妄想に付き合ってやるのも一興だ。
「あぁ、勝手にしろ」
「うふふ。毎度あり~!」
次の瞬間、俺は見たこと無いスポーツバッグを三つも両肩に掛けられていた。
そしてトラックに跳ね飛ばされ、意識を失った。
あぁ、呆気ない。
一瞬の妄想で見たあの美女はドストライクだったので、最後に見る光景としては悪くなかったかな……。
白い天井、白い部屋、白いベッド。
それが目覚めて目に入ってきた光景だった。
俺は、生きている……?
しばらくすると、看護師が入ってきて、驚いた様子でまた部屋を出て行く。
ここは、病院?
「ご自分が誰だかわかりますか? 意識ははっきりしていますか? 痛い所、動かない所はありませんか?」
矢継ぎ早に医師から質問を受け、俺は順番に回答していく。
どうやら俺は交通事故に合ったものの奇跡的に助かり、大きな怪我もなかったらしい。
その後、警察が事情聴取に来てさらに色々と質問を受けた。
その中で、身に着けていたスポーツバッグがクッションとなって奇跡的に助かったとういことが発覚した。
いやそんなんで助かるのか? と思ったが、だからこその奇跡なんだとか。
そんなスポーツバッグを何故持っていたかを問われた時、不思議なことが起こった。
「会社の前に置かれていたので、警察に届けに行こうとしていたんです」
と、思ってもいない言葉が自然と俺の口から発せられていた。
その後も答えられない質問がされると、同様に勝手に口が動くと言う始末だ。
何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。
極めつけは、誰もいなくなった病室にあの美女がまたあの恰好をして、俺の前に現れたことだ。
「はろ~! 元気してる~?」
「なんだ、やっぱりこれは夢なのか」
「ちょちょちょ!? あなたは私と契約したじゃない!」
「……うん?」
「ということで、あなたの魂は私が頂きます」
「どういう、ことだ?」
「私はアリス。悪魔だよ~。そんな私と契約したんだから当たり前でしょ~?」
「はは。やっぱり夢じゃないか」
「天丼(同じギャグやボケを二度、三度と繰り返すことで笑いを取る手法)!? いや、お笑いのネタとして好きな部類だけど、今はそうじゃないでしょ~。ほら、痛いでしょ?」
「ひたひ」
頬をアリスに抓られる。
「ま、まあこれが現実だとして、君に魂を渡したら結局俺は死ぬんだよな? いいよ、持って行ってくれ」
「ん~と、死んだ時に必ず私が魂を徴収するというだけだよ。普通に生活してくれてて大丈夫。
でもね、一つだけ条件があって、あなたには幸せになってほしいの」
「は? どういうことだ?」
「悪魔にも魂の好き嫌いがあるってこと。絶望に染まった魂、幸福絶頂の魂ってね。
それで私、閃いちゃったの!
絶望に染まった魂が、今度は幸せになったら二度おいしいんじゃないかって!
だからあなたには、今日から幸せになってもらいます!
それを見届けるまでは~、私はずっとあなたの傍にいるねっ。
というわけで、あなたが絶望していた理由を話して!」
俺はよくわからないまま、流されるようにこの一年間のことを話し始めた。
誰かに、聞いてほしかったのかもしれない。
俺は、いわゆるスタートアップ企業の社長だ。
二十代後半で、元々務めていた会社の同僚と一緒に起業した。
俺と社員二人の小さな会社で、新しいWEBサービスの開発・展開を行ったのだ。
自分で言うのもなんだが、画期的なサービスだったと思う。
SNSを中心にマーケティング、プロモーションを労力とお金をかけて実施したおかげか、先々月から徐々に口コミで広がりをみせ、ようやくまとまった売上が上がってきた所だったのに……。
社員の二人が裏切った。
サービスの権利を大手企業に売り、自分達は数千万の富を得たのだ。
俺が悪い部分ももちろんある。
他の案件に中に混ぜられ、他にも巧妙に騙され、権利譲渡の契約書にサインをしてしまったのだ。
そうして、サービスの開発・展開のために借り入れた借金だけが俺に残った。
「そう……。あなたはお金だけじゃなく、その二人にも裏切られたことで絶望しちゃったんだね……」
あぁ、そうか。
俺は、あいつらを信じていたんだ。
「それでも、契約だからね! あなたには幸せになってもらいます!」
「その契約は、無効にさせてくれ」
「えぇ!? あなた悪魔を舐めてるの!?」
「そもそも、契約とは双方の合意がなくては成り立たない。
悪魔が強引に契約を押し付けてこれないということは、悪魔もそれに縛られるはず。
俺の魂ほしいってんなら、くれてやる。
だけど、幸せになれなんて契約には合意していないし、するつもりもない」
「えー!? そんなのずるい―! 契約したもんー!」
「後出しで条件付けられる方がよっぽどずるいだろ。それに、俺が幸せになるってことを明記した書類でもあるのか?」
「ないよ……。それじゃぁそれじゃぁ、新たに契約を結びましょ!」
「もう全部どうでもいい……。けど、やっぱりその条件でだけは契約することはできない」
「まぁまぁ、未練もあるでしょ? 裏切った二人にざまぁしてやるとかさ!」
「ざまぁって……。随分俗っぽい悪魔だな」
「人間観察していると、結構あるのよ? 悪魔の間でも人気なんだから、ざまぁ展開」
「何にせよ、俺はもう全部どうでもいいことだよ」
「どうでもいいなら、それこそ契約してもいいじゃない!!」
「人間なんてもう信じられない。そんな人間が幸せになれると思うか?」
「う~ん。どんまい」
「やかましいわっ!」
「それじゃ、私を信じなさい!」
「悪魔なんてなおさら信じられるわけないだろーが」
「それじゃ、私はあなたを裏切らない。それを契約しましょう!」
「おま、何言ってっ」
「いい? これで二人には共通の認識があるわね。さぁ契約よ!
だってほら、あなたは世の中どうでもいいんでしょう?」
「……この契約で君が得られるメリットは?」
「難しく考えなくていいのに。あなたが人間じゃない私を信じるようになってくれる、それでどうかな?」
「……好きにしろ。契約、だ」
「いっぇーい! ちなみに、この契約を破った場合、私の体は腐り落ちます」
「こわっ!?」
―― 退院後
「うわぁ~何もない部屋ねぇ」
「うるせぇ、仕事一筋で家なんて寝るだけだったからな」
「埃が溜まってるじゃない! まずは掃除~!」
「どうでもいい」
「もうっ! 仕方ない、それじゃぁ私がやるわっ」
「実体化できるのかよっ!?」
―― 翌日
「いってらっしゃ~い」
自分から死ぬつもりなんてサラサラない。
ならば、残った借金を返さねばならない。
俺は会社に向かうことにした。
やるべきことは、山ほどある。
「って、付いてくるのかよ!?」
「え? 魂をもらうまでずっと付いていくっていったじゃん」
―― 二日後
借金を抱えていても、生きていれば腹が減る。
夕飯のため、いつもより少し早めに退社した俺とアリスは買い物に出ていた。
「今日のご飯は何にするの~?」
「カレー。俺でも作れるし」
「いいね、いいねぇ~楽しみ~」
スーパーでこんな会話をしていたら周りの人に怪訝な顔をされる。
そりゃそうだ、アリスは他の人には見えないんだから。
「なぁ、こうやって会話していると周りの人に変な顔されるんだけど……」
「確かにそうねぇ。それじゃあ~、新しく契約しましょ!」
「一応聞いておくが、どんなだ?」
「実体化してずっと近くにいること、かな?」
「今とあんまり変わらないな。よし、契約だ」
「おっけ~! えいっ!」
人目を避けて、実体化するアリス。
服装はいつもの布面積が少ない物でなく、とてもセンスの良い物だった。
「いやいや、さすがにこんな所で実態化するのはヤバイだろっ!?」
「大丈夫大丈夫、監視カメラもないし、バレないって! 買い物しましょ、ダーリン♪」
そう言うや否や、俺の腕に腕を絡めて歩き出した。
―― 翌日
「暇~」
いつも通りに会社に出社した俺についてきたアリスがそんなことを言い出した。
アリスは昨日からずっと実体化をして、俺と一緒に出社していた。
「これを貸してやるから大人しくしてろ」
今はいない同僚が使っていたPCを貸し、WEBブラウザを開く。
「おぉ~ありがと~! 新たな契約だね。
さてさて、これが噂に聞くインターネット!」
その後、一日中アリスの質問攻めに合った。
大人しくしろって契約はどうなった……。
―― 二週間後
「ねぇねぇ、こんなサービスあったらいいと思わない? 悪魔界でも結構不便に思われているんだよね~」
「ん? それ面白そうだな。悪魔界ではどんな声が出てるんだ?」
「えっとね~……」
「ふむふむ」
「というわけで、これを実現して! 新しい契約!」
「まぁやるだけやってみるよ。実現じゃなくて、まずは企画検討で契約な」
新しいサービスについての議論は夜遅くまで続いた。
―― 十か月後
「やったね! 新しいサービスの稼働開始だっ!」
「勝負はこれからだ。SNSを中心にどんどん発信していこう!」
「あ、それ私やるよ~。契約~」
―― 三年後
「あぁ……借金、全額返済できたぞ……。
ありがとう、アリスのおかげだよ」
「へへへ。お安い御用さ、相棒!」
―― 一か月後
「俺と結婚を前提に契約してくれ」
「何それ、全然ロマンチックじゃない!
でも、しょ~がないなぁ~。契約、だもんね」
―― 五十年後
「アリス……。
俺はこの六十年、子供もできたしとっても幸せだったよ。
こんな俺と一緒にいてくれて、ありがとう……」
「うん。私もとっても幸せだったよ。
これからもずっと、魂は一緒だよ。二人だけの契約」
俺は、静かに目を閉じた。
幸せに溢れていたこの六十年を思いながら。