第62話 変わらない旧友
旅館はとても落ち着くのでとてもリラックスできました。日中の“親の仇“が目の前にいるというストレスからようやく解放されていたのもありますけどね。
あの人の責任では無いということは色々と知識が付いてきて分かるようにはなってきました。ですが、心が納得してくれません……。
ここの旅館はご飯はとても美味しかったし、お風呂はとても広くて肌にも良さそうでした。今回は“誰かを護衛“というより”リゾート地“に旅行に来たような感じすらありましたね。”親の仇”も最大限配慮してくれたということでしょう。
「ふぅ……どうしようかな……」
私はそんな中、まどかちゃんたち2人が寝静まってどうにも起きそうもないと確認した後、部屋を抜け出しました。実は先程のジョギングをしていた時の光の点滅は錯覚なのではなく私が獄門会にいた時に使っていた“サイン”だったのです。
“あの人”は気づきかけていましたので少し焦りましたが、全てを見ていなかったのか内容までは分かっていなかったのでホッと胸をなでおろしました。
そんな中、私は“サイン“をくれた彼女に会おうかどうか迷っていたのです。ここで会いに行ってしまえば確実に”裏切者”として虻利家から消されてしまうことでしょう。ですので、彼女と会ってしまえば自ずとここを離れることになります。
「ですが、玲子さんは私が思うような素晴らしい人でした……」
普通は“世間様向けの人格“と”実態”が異なることがあります。ですが、玲子さんはあらゆる媒体で出ていたインタビュー記事で私が漠然と思っていたイメージと本当に相違がありませんでした。
そのために、彼女に会って玲子さんやまどかちゃんを裏切るということもできません……。
私が悶々と考えながら旅館内を散歩していると、私の進行方向の窓からまたピカッと点滅がありました。あれは先ほどのランニングの時と近い合図です! 私は思わずその光の方向に向かいました。
「知美……来てくれると思ったよ」
「やっぱりミナだったんですね……」
ひょっこりと小さい顔を見せたのは霧崎ミナ。ミナとは千葉の獄門会教練所であった私と同い年の子です。
獄門会教練所は表向きは普通の道場や宗教施設の雰囲気を出していましたが、実情は私達のように特殊な訓練を受けた子供たちを養成する施設でした。
私は、家族が崩壊した後、あても無く彷徨っていたところをミナに声を掛けられ、獄門会に事実上入ったのでした。あのままでしたら私は死んでいたことでしょう。ある意味、ミナは友達であると共に私の命の恩人とも言えます。
「久しぶりですね……ところで、どうして私がここに来ていることを知ってるんですか?」
「それはナイショ。でもさ、また会えて嬉しいよ。もしかしたら、既に殺されるかもしれないと思ってたから」
ニコニコと笑っている彼女はとても小さいので木の枝の上に座っても折れることは無いです。多分まどかちゃんよりちょっと小さいと思います。私が乗ったら間違いなく折れるでしょうけど……。
「私ももう会えないと思っていました……」
虻成を殺す直前は本当に死を覚悟しましたからね……。奇跡的な流れで今生きていますけど……。
「復讐はどう? ちゃんと虻成達を殺せそう?」
ミナとはよく話をしていたのでお互いの事情についてもよく知っています。ミナは虻利家の分家の一つの出身でしたが、獄門会を支援している家だと言われていました。
そのために、虻利家からずっと敵視されていたので力を付けたいとずっと言っていました。千葉の施設では名前を変えていたので本名を知っている人は私を含めて数人でした。
「それが……とりあえずのところは中止しようと思います」
私はあまり言いたくはありませんでしたが、かつての同士でもあるミナには嘘を吐きたくありませんでした。私の言葉を聞くとミナの表情が強張りました。
「ど、どうしてだよ。も、もしかして虻利家に取り込まれちゃったの!?」
「し、静かにして……誰かが周りにいないとも限らないんだから……」
私は思わず辺りを見回しましたが一応誰も居なさそうです。
「でも、一体どうしてなのさ?」
ミナの声が半分ぐらいになりました。表情はとても深刻な表情なものに変わりました。
「虻成を殺したところで何も世界が変わらないということに気が付いたからです。あの人もそんなに悪人というわけでも無いですし……」
ミナは表情が青ざめました。
「やっぱり取り込まれちゃったんだ……」
「お、落ち着いて聞いてください。柊玲子さんと言うのはご存知ですか?」
「あ、うん……結構近い親戚だからね。柊玲子が獄門会にいた頃のことは知らないけど、メディアにはよく出てくるよね」
「玲子さんは崇高な理念を持っておられます。玲子さんなら虻利家を内部から変えられるような気がします」
「あー、知美は前もそんなこと言ってた気がするよ。確かに理念は立派だと思うよ。でもさぁ、何だか“裏”がありそうな気がするんだよね。絶対に人には言えない“何か”を隠しているんだよ。うん、間違いない!」
ミナはうんうんと勝手にうなずいています。
「私は実際に話しても本心からそう言っているような気がします。実際に実力もありますし」
「あんな女信じられないね! 虻利家の手先なんだよ! 騙されちゃダメだよっ! 復讐はもういいからまた一緒に稽古を頑張ろうよ!」
こんなに心がざわつくのに虫の鳴き声がやけに耳に届く気がします……。
「ですが……」
続く言葉が見つかりません。玲子さんの良さを分かって貰えない以上、どうすることも出来ないというのが実情です。玲子さんが何か“言えない事“があるというのは分かります。
しかし、誰にも他人には話せない秘密が1つや2つあるのは当たり前だと思うんです。私だって獄門会へ所属していたことはおいそれと他人に言うことはできません。
「変わっちゃったんだ……残念だよ……。もうボクの知っている知美じゃなくなっちゃったんだ……」
深い沈黙を破ったのはミナでした。ミナの目は潤んでいました……。
「そんなつもりは無かったんですけど……」
私はミナの顔を直視できません……。ミナが木を伝い私から離れていくのが分かります。
「えっと……その……次会う時は敵同士だからね……」
ミナは獄門会へ帰る。私は玲子さんの意思に従う。そうなると“敵同士“になるのは必然の流れでした。ですが、私の頭がそれを考えることを拒否していたのです……。
「済みません……これで本当に最後かもしれませんね……」
「うん……サヨナラ……」
ミナが振り返りながら去っていきました。気が付けば私も泣いていたようです。頬を涙が伝っていました。ミナが変わってしまったことが悲しかったのです。
部屋に帰りながらよく考えてみたらミナは変わっていないんです――私の考えがこの目まぐるしい日々によって変わってしまったんです……。少し前の私なら確実にここで皆の言うとおりに獄門会へ戻ったことでしょう……。
私は布団に入り色々なことを考えながら再び頬を濡らしました。




