第54話 下級身分の性
2055年(恒平9年)11月1日月曜日
早朝一番、コスモニューロンを起動すると新たな任務が来ていた。しかし、その内容に僕は目を疑った。一番来て欲しくない任務が来たからだ。まず最初に思ったことは“この任務をどうやって揉み消すか“だ。
しかし、真っ白な天井を見つめながら冷静に考えてみると、悲しいことにこの依頼を無かったことには出来ない。何と言っても依頼主は僕の父だからだ。急いで連絡を取って真意と意図を確かめなければ――幸いにもすぐに連絡はついた。
「おはようございます。父上。あの……今回の依頼のことなのですが……」
何と今回の依頼内容は僕達が父上の出張に付き合い護衛するということだった。父上はこのVRが普及した世界で、実際の場所に行かずともある程度のことは把握できることも定期的に実地調査をすることを怠らない。
なぜなら“生の状況“というのはまた違うからだ。それは社長という身分になって回数が減ってもやりたいと言って聞かないとご隠居が以前愚痴をこぼしていた。
「うん、おはよう。早速今日から任せたいのだがね。出張先は東北の戦線だ」
「父上正気ですか!? 僕たちに護衛を依頼するなど……素人ですよ!?」
視察に行くというところまでは納得できる話だが、それを僕たちに――しかも景親と島村さんを必ず含めろというのがまた狂気を感じる。何と言っても“護衛にならないかもしれない“からだ。
しかも、東北戦線の出張は2分の1ぐらいの確率で獄門会が襲ってくるとも聞いたことがある。その状況下だと島村さんが裏切る可能性は大いにあり得る。
「残念ながら、ご隠居様や大王などとの会議が先日あり、そこで決まったことだ」
「そ、そうなんですか……」
全く解せないが今の虻利家での意思決定の大半を握っているあの2人が言うのだから決定は覆らないだろう……。
「まぁ、お前が納得しないというのも分かる。私だってどうなるのかと思う程だ……」
父上も不安を隠せないようだ。特に島村さんに関してはわざわざ乗り込んできて殺しに来たぐらいだからな……。僕だって未だに鋭い目つきを向けられるたびにビクついてるんだ。“あの日“以来会ったことも無い父上が不安に思うのも無理はない。
「だが、ハッキリはおっしゃっていなかったが、この意図についてある程度察することが出来た。どうやらあの2人について“見極める”いい機会だということらしい」
その言葉を聞いて何となく理解した。要はこれは景親や島村さんに対する虻利家からのテストなのだ。果たしてこの2人が獄門会へ裏切らないのか? そして、有用な人間なのかというテストだ。
「忠誠心を試そうというのですね? しかし、現当主をテストに使うというのもまた凄い話ですね……」
「私が思うにそれだけカテゴリとして“信頼できない人間”に属している者を早いとこ“安心できる人間”に切り替えたいのだろう。若しくは、危険分子なら早々に消し去りたいのだ。
これは2人には少なくとも直接的には言わないで欲しいのだが、もし不審な動きをした場合は直ちにその場で斬り捨てるようにとのことだった」
「な、なるほど。分かりました」
しかし、“カテゴリを変更“するのに自分の息子や孫すらも平気で危険な目に遭わせるとは、つくづくご隠居はえげつないことをやるなと思った。それは僕たち2人すらも下級の駒に過ぎないということを示しているのだ。
「できればお前にも来て欲しい。あまり一緒に行動すると“もしも”の事態になった時に怖いがそれ以上にあの2人が信用できん」
「はぁ……分かりました」
父上はあの2人について僕よりももっと知らないからな。不安に思うのも無理はない。出来るだけ僕の傍にいてもらうようにしよう。
「期間は今日から2泊3日。いいな? 2人には必ず伝えておけ。他に参加する人数は何人でも構わんからな」
「分かりました」
そして父上との話で分かったことがある。それはこの任務を放棄することは許されないということだ……。ご隠居の命令ともあれば逆らうことはすなわち死を意味するからな……。
リビングに入ることすら憂鬱だったのでリビングの観音開きのドアの前で立ち止まった。どう伝えればいいか――特に島村さんにどう言えばいいのか全く分からなかったからだ。
「ちょっとぉ、お兄ちゃん~。そんなところで頭抱えて立ち止まられたら邪魔なんだけどぉ~」
まどかのお気楽な声が後ろから聞こえてくる。振り返ると僕の悲壮感とは真逆の暢気そうな笑顔が逆にホッコリした。
「今日来た新しい依頼がマジでどうしようもなくて困ってたんだ」
「ふぅ~ん。ま、全く相手にされないよりイイじゃん。朝ごはん食べれば気分も晴れるかもよ? サッサと食べよ~」
まどかがリビングのドアを開けて強引に僕を押し込んだ。とんでもない力だったので僕は全くあらがえなかった……。だが、こうでもしてくれないといつまでもグズグズしていたことだろう。無駄に明るくて前向きなところはこういう時とても助かる。
席を見ると僕とまどか以外の皆が席についている。今朝のメニューはナッツやドライフルーツなどの健康メニューだ。一通り挨拶をしてご飯を食べ終えると一気に切り出した。
「今日も僕宛へ依頼が来たんだが、それが大変な内容なんだ」
「虻輝様、そんなに深刻な依頼なんですかい?」
余程僕が深刻な表情をしていたのだろう、景親が心配そうな顔をしている。
「うん、それが護衛の依頼で父上を東北戦線で無事に視察を終えるまでということだった」
カラン……という音がした。島村さんが片付けようとしていた食器のうちスプーンを取り落としたのだ。その顔は青ざめている。恐らくは察しが良いのでこのまま自分に役割が回ってくることを悟ったのだろう。
「あの……それも島村さんと景親は必ず参加して欲しいとのことだった。これは父上だけでなくご隠居からの依頼なので覆せない」
「――っ!?」
島村さんの表情が一転、眉間に深い皺が刻まれた。唇は歪み、何かを叫びたそうなのを必死で堪えていると言った感じだ。
「あ、あたしも一緒に行くよ! 学校についてはお兄ちゃん何とかしてよね!」
まどかが勢いよく立ち上がった。確かに、他男3人しかもそのうち2人が殺意を覚えるほどの存在なら悪夢以外の何物でもないだろう。マスコットと言えるまどかが少しでも島村さんの怒りやストレスを鎮めてくれるなら……。
「うん、父上に言えばどうとでもなるだろう。頼んでみるよ。玲姉もそう言うことで良いかな?」
「ええ、構わないわ。まどかちゃんや知美ちゃんも成長するいい機会だと思うし」
これまで不気味なぐらい黙っていた玲姉だが紅茶を飲みながら優雅に答えた。
本当なら玲姉に参加して欲しいところだが、自分の会社の仕事が忙しいだろう。
また、移動は車だろうし移動距離を考えると無理はさせられなかった。島村さんも恐らくは僕と同じことを考えているに違いないので黙っていた。
「ただ、残念なのは輝君を明日から呼ぼうとしていた“特別講師”から指導を受けられないことね」
「あ、そうだね」
正直それ以上に悲惨なことになりそうなので完全に忘れていた。僕の体と精神に負担が来そうだ……。
「ところで、知美ちゃんの決意表明は無いようだけどどうかしら?」
玲姉が獲物を捕らえて逃がさないと言った鋭い視線を島村さんに向ける。
「分かりました。参加します」
ポツリと島村さんが言った。退路を断たれ諦めと絶望と怒りが混在したような複雑な表情だ。僕たちの朝食は凄く美味しかったはずなのに後味はこの上なく悪かった。
ああ、頼む祈りでも供えでも何でもするから、3日間何事も起こらないまま無事に視察よ終わってくれ――と特に何も信じているわけでも無いのにそう思いたくなるぐらい前途多難な状況だった。