第35話 訓練からの逃亡劇
意識がまどろみの中、“これは夢だ“と分かる状況だ。
「さあ、輝君! 反復横跳び100回!」
その夢の中で玲姉から先ほどからとにかくしごかれている。これで何と10メニュー目だ。そのうち半分が反復横跳びである。
「ひぃぃぃぃぃ!」
先程逃げようとしたが、圧倒的な力で強制的に両手を縛られた。さっきまではうさぎ跳びでさせられていたんだから僕にとっては地獄絵図だ……。
「輝君、サボった罪ここで贖ってもらうわよ……次は素振りを500回ね……」
「か、体が……崩壊する……も、もう動けない……」
僕が床に倒れ込む。しかし、玲姉は強引に髪を引っ張って無理やり僕の顔を上げさせる。
「何を言ってるの。まだまだ始まったばかりよ。輝君の悲鳴でハーモニーを奏でるのが目標なんだから……まだまだ足りないわ。さぁ立ちなさい」
玲姉の目はマジだ……そして、抑揚のない声だから尚更恐ろしい。このまま昇天するのだろうか……。こうして意識を失い手足の自由が完全に効かなくなるまで訓練させられるのだった……。
2055年(恒平9年)10月30日土曜日
ガバッ!
「はぁ……はぁ……夢だと分かっているのに現実感があり過ぎる夢だった……」
地べたを這いずり回り起き上がることもできない状況のところで目が覚めた……。
現実の時刻は4時前……よし、予定通りの時刻には起きられた。すぐさまパジャマから着替える。とにかくあの悪夢のようにならないためにも逃げるしかない。
かつて小さい頃、玲姉の特訓を受けたことがあるが――マジで文字通り死んだ。骨の髄まで痛みが走り全身を張り裂けんばかりの筋肉痛が襲ったのだ。
あんなことをさせられたら命がいくつあっても足りないだろう。フフフ……僕はそのために昨日から美甘に早朝に迎えに来てもらうように要請しておいたのだ。
「昨日から用意はバッチリ。このまま逃亡を図ってやる」
僕は昨晩用意したリュックを見て思わずニンマリした。ゲームなどの必需品や僕が好きなお菓子などを入れてある。普段は深夜1時か2時に寝るところを昨日は22時には寝た。体調も万全で全て抜かりはない。
玲姉は昨日、島村さんを治療して疲れ果てているはず……玲姉を出し抜くには並大抵の条件が揃わないと不可能だ。そして今が最初で最後のチャンスなのは間違いない! これを逃せば僕が死ぬまで半永久的に鍛えられてしまう気がする……。
スルリと裏庭から外に出て美甘の待っている場所に向かう。今日逃亡することはわずか数人にしか伝えていない。
「美甘、おはよう。早くから悪いな。都心の別宅まで頼む」
シートベルトを付けながら小声で言った。
「だ、大丈夫なんですか? 逃げるのが分かってしまったら玲子さんに怒られてしまいますよ」
「いいっていいって、このままだと僕の肉体的寿命が今年中――いや今週中に尽きるだろうからな。まだ亡霊になるつもりは無い。何でもいいから早く出てくれ」
「はい」
モタモタしていると早起きの玲姉は起きてくる可能性が上がっていくからな。
5時台には毎日起きているような感じだから4時を回った今、いつ感づかれてもおかしく内容の思える。
「ふぅ……」
まだ夜の街明かりの光景が高速で過ぎ去るのをぼんやり見つめながら今後のプランを逡巡する。
具体的な今後のプランとしては、玲姉の僕を鍛えたいというほとぼりが冷めるまで海外にでも逃亡しようと思う。
とりあえず、23区内にもある別邸に嗜好グッズがまだあるのでそれらを回収し、虻忠と合流する。虻忠も掃除1日中させられるという“刑罰”を受けており、機会があれば逃亡したいと言ってきたのだ。弟であり、「玲姉被害者の会」の同士の1人として助けてやりたかった。
それから海外に自家用ジェットで逃げる。流石の玲姉でも乗り物酔いをするから海外までは追って来れまい。これで僕の完全勝利というわけだ! はっはっはっはっ!
「本当に大丈夫なんですか? 玲子さんだって虻輝様のことを考えられてのことなんですから」
口笛を吹きながらゲームをしていて、大変気分が良くなってきたところで気勢を削ぐようなことを美甘が言ってきた。カチンと来た。
「うるさいなぁ。もしかして、そんなに言うってことは玲姉に知らせていないだろうなぁ。そんなことをしていたら即日解雇だからな」
「知らせていませんって!」
「ふん、どうだか。そうだ、お前の全通信記録でと玲姉と通話記録がないかどうか調べてやる!」
僕は権限を使って特攻局にアクセスし、美甘の昨日からの記録を簡単に調べさせた。短い期間だったのですぐに結果が出た。
「あ、そもそもお前、昨日の夜は僕以外と通話して無いじゃん……。済まなかった……」
「潔白が証明できたみたいで良かったですよ。私は虻輝様の秘書なんですから口外しませんよ」
「調べられるところは調べておかないと安心できない主義なんでな……。ふぅ……しかしこれで枕を高くして海外でのスローライフを楽しめるというわけだ」
座席にもたれかかる。無駄に一瞬緊迫したから一気に疲れた……。
「海外は日本より治安が悪いそうですけど大丈夫なんですか?」
「……さぁ、何とかなるだろ。警護の人間も雇うし案外問題が起きないんじゃないかと思うけどな」
疲れがどっと脳に押し寄せてきた感じがしたので目を抑えながら答えた。
金だけはとにかくあるから生活面ではあまり心配していない。
「でも、以前海外に行かれた際に『日本じゃないと食べ物も合わない』とかおっしゃっていたじゃないですか。現地の水を飲んで吐かれたこともあったような……」
「美甘は玲姉の訓練の過酷さを知らないから暢気なことを言っていられるんだ。
一度美甘も味わってみるといいよ。玲姉の訓練はまさしく地上の地獄、世界一過酷な刑務所や火山の上を歩くとかそれぐらいのレベルだぞ。
つまり、人間がやっていける環境ではない。生きるか死ぬかの領域のレベルの前には食べ物の違いごとき些細な話題で拘っている場合では無いのだよ」
「そこまで言われますか……」
「美甘は体験していないから間抜けな発言ができるんだよ。僕なんてゲーム以外脳が無い人間なのに過酷な訓練をさせられたら生きていけないっての」
「……確かにそれは言えているかもしれませんね。ですが、玲子さんには玲子さんなりの考えや愛のカタチなんだと思いますよ」
「まぁ、そうなんだろうけどね。それにしてもキツ過ぎる愛の鞭だ……とか言っているうちにもうすぐ着くな。騒いでいるうちにあっという間だったな」
見慣れた景色が見えてくるもうじき着くのが分かった。着いたら弟の一人虻忠が待っている。合流したら荷物を詰めてすぐにヘリポートへ向かおう。




