第20話 耐える10分
ふぅ……これで一息つける。というか一気に外に出れば良かったのでは? と思ったが、バーが間にある上に寒い日の夜に上半身裸で歩いていたら流石に変質者だろう……最悪は警察にそのまま連行されたりしてね(笑)。
「ああ……警察の存在がこんなにも恋しいと思ったことは今まで一度も無い……。為継にあと何分ほどで来るか聞いてみよう」
為継にコスモニューロンで連絡を取った。
「そうですな。あと10分もすれば到着するかと」
「600秒か……なんて長い……599、598……」
「いや、わざわざ長いと思われる方で換算されなくても……」
「じゃぁ、6分の1時間とか? 144分の1日とか……えー、52560分の1年とかはどうだ?」
「フフッ、確かにそれらでも10分ですが、分かりにく過ぎますよ」
そんなしょうもない会話をしていたら後ろから衝撃を受け思わず僕は飛び上がった。
「ひぃぃ!」
驚いて振り向くと曇りガラス越しではあるが、野々谷さんが椅子で思いっきり浴室のドアを叩いていた……。
「開けてくれないなら……無理やりでもこじ開けて見せるんだからっ!」
ウチの女性用の大浴場は覗き見をされないように女性陣がミサイルをも自動で弾き返せるほどの凄まじい防御能力と防犯能力をもっているが、勿論このバーの浴室はどこにでもある一般的な物だ。一応簡易的な鍵はあるがあっという間にドアは破られてしまうだろう。
「た、為継あとどれぐらいで警察は来てくれるんだァ!」
「落ち着いてください。あと7分ぐらいですよ」
「何でこんな時に限って時間が流れるのが遅いんだ……ゲームをやっている時とかはあっという間だというのに……」
「研究によりますと、時間を意識すればするほど長く感じることは証明されているようです。
他のことに意識を向けると気が付けば時間が経っていますよ。今ですと浴室のドアを守られることに集中されてはいかがでしょうか。若しくは今から何かゲームをされたらいかがですか?」
とは言われてもあとちょっとで来てくれると思うと逆に時間が気になって仕方が無いんだが……。
バキッ!
驚いて飛びのき振り返ると浴室のドアがついに半分ほど亀裂が入りそこから穴が開いた。野々谷さんが目だけを覗かせる。
「逃げないでシヨウヨ……」
「アガガガ……!」
僕は背筋が凍り付いてその場に固まった。もうダメかもしれない。更に浴室のドアは強く叩かれついに砕け散って僕の前まで飛び散る。
「逃げるだなんてシャイなんですね。でも……逃げられると逆に追いかけたくなっちゃうんだァ」
野々谷さんは胸の谷間をバスタオルから覗かせている。そのバスタオルを一気に取り払おうと手をかけた。
もはやこれまでかと目をギュッとつむり覚悟を決めた時、サイレンの音が遠くから鳴り響いてくるのが聞こえた! 僕にはその音が部屋のドアが蹴破られた。
「おい! お楽しみ中のところヤベェぞ! 虻利の犬どもが来やがった! すぐそこまで来ている! 早く逃げろ!」
このバーのマスターだった。やっと警察が来てくれたか……為継は本当によくやってくれた……。
「えー! そんなァ」
野々谷さんは禁断症状が極限まで来ているのだろう。バーのマスターに向かって手を伸ばし逃げ出そうとするが、足がガクガクっとなって崩れ去った。
「ア……アレおかしいな……」
「お、おい早くしろ! ……いや、その様子からするとどうやらダメそうだな。俺だけでも逃げさせてもらうぞ!」
そう言って別のドアに向かった――が、そのドアは先に向こう側から開いた。
「警察だ! 指定薬物所持により! 現行犯逮捕する!」
僕は声も出せずに座り込んだ。本当に間一髪だった。もうちょっとでまともな世界に色々な意味で還れなくなっていたかもしれない……。
「く、くそぅ……!」
バーのマスターは自棄になって警官に対して殴りかかるが、全く歯が立たず敢え無く組み伏せられてしまう。
ちなみに日本の“薬物“の概念はかなり変わってきている。犯罪組織もかなりの種類の新型薬物を次々と生産してきたので”危険“だと認定してしまえばすぐにでも所持、推定所持が認められれば逮捕という流れにすることが出来るようになった。
また、“推定所持“という概念はこれまでは所持のみが逮捕だったのが、吸引が検査によって判明すれば”所持もしていただろう“と推定されることから逮捕できるということである。
「ウ……ウソ……。何でこんなところに……」
野々谷さんは観念したかのように手を挙げた。
――全くもってこの場の状況とは関係が無いのだが、さっきからずっと野々谷さんはバスタオル1枚のままの状態なのでずり落ちないか気が気でない……いや、ずり落ちて欲しいような欲しくないような複雑な感情だ。
そんなことを考えていたら野々谷さんが振り返る。狂気に顔が歪んでいた。
「ま、まさか! 警察を呼んだのはアンタね! 信じられない! 裏切者ォッ!」
野々谷さんの金切り声が目の前から聞こえてくる。それは事実なのでその言葉は甘んじて受け止めるつもりだ。
「……済まない」
僕はポツリとそれだけを告げた。野々谷さんは更に抵抗し叫び声をあげるが屈強な警察官の前には無力だ。
クロロフォルムか何かを嗅がされて野々谷さんから力が抜けていった。そして、僕の視界から運ばれていった。
――任務が成功したのに。そして、自分が無事で済んだのに何とも言えない悲しさと虚しさが訪れた。
でも、これしか無かったんだ……だと自分で自分に言い聞かせた。
「これは、これは、虻輝様。体を張った捜査協力。感謝します」
半ば呆然と歩ていたし、声をかけられるとは思わなかったので思わずビクリと驚いてしまった……警察の間でも僕の顔が知れているのか?
まぁ、為継が話を通してくれたんだろうけど……身長は190センチぐらいあるのではないだろうか? 体の厚みもあり随分と体が屈強な警官だ。今日来ている警察官の中でも一番大柄だろう。この人に任せればこの町は安心だろう。
「お勤めご苦労様です。今回捕まった女の子……野々谷さんというんだけどね。彼女の友達の車谷さんと言う子が最近野々谷さんが不審な行動をしているから調査して欲しいという話だったんで、調べてみたらこういうことだったというわけね」
「それはご苦労様でした。ここの店のマスターは前から目をつけていたのですが、なかなか尻尾を出さなくて困っていたんです。大変助かりましたよ」
「ホント偶然だったんだ。何もしていないよ」
あと一歩で僕もお縄にされる側の人間だったかもしれないしな……。
「素晴らしい。お偉いのに謙虚な方ですね」
「いやいやそれほどでも……それにしても、今はVRでも結構脳のドーパミンを放出しまくる立体映像があるらしいじゃないか? 何でそれに行かないんだろ」
「それについては警察や特攻局が直接危険なものは分類して管理しているようですからね。
VRではブロックチェーンで唯一無二性のものが多く、思ったよりも簡単には手に入らないようですよ」
「ほぉーなるほどそうなのか」
なるほど、コスモニューロンにより虻利家に直接管理されている物よりも、現実の物質的な物の方が掻い潜れるというのも皮肉なものだった。
「そういえば、虻輝様の彼女らしき方が表で待っておられますよ。任意で話を聞きましたが、虻輝様の関係者だということがすぐに分かったのでその場で待たせていますがね」
「あの人とは付き合っているわけじゃないんだ。たまたま成り行きで一緒に捜査をしていただけだったんだよね」
「ほう、そうだったんですね」
ゲ……島村さんが……律儀に待っているんか……。「この恥知らずが!」とまで言われてしまったのだからもう関係は絶望的だ。溝はマリアナ海溝より深まっただろう。
ある意味、島村さんと会うのは野々谷さんと今会うよりより怖かった。




