第6話 立場逆転
2055年(恒平9年)11月23日 火曜日
昨日は色々とバタバタとしていたが、今日はゆっくりと大学に向かうことが出来そうだった。
「あの……今日は一緒に大学に行きませんか? 今日はマクロ経済学の授業が1限目みたいですし」
「えっ……昨日はさっさと行ってたのにどうして……」
「昨日はちょっと色々と雑用が多かったもので。一週間以上も開けていたので色々と弓道の関係でやることがあったんです」
「そ、そうなんだ……」
島村さんが真横に来そうになったので思わず僕は飛びのいた。
嬉しいような、緊張するような、負担に思うような複雑な気分だ。
かつて、僕が島村さんとの溝を埋めようとして色々近づこうと努力をしていたのに(第2章第10話など)、今は島村さんが僕と距離を詰めようとしている――こんな日がこようとは夢にも思わなかった……。
「昨日大王に早速連絡したんだけど、どうやら取引材料になりそうな手土産について検討してくれるみたいなんだ」
「それは良かったですね。日頃の活躍のたまものじゃないですか」
「いやぁ、そういう事じゃないと思うんだけどね……」
島村さんは毒舌も言うが優しさも見せるようになってきた。
本人にはとても悪いけど何だかギャップがあり過ぎて怖さすらある……。
「でも、かといって授業にはちゃんと出て下さいね。
サボらないか見張るよう玲子さんからも言われていますので。
たまたま1限目が同じ授業で良かったです」
……いつもの島村さんもいてくれてある意味安心したよ。僕は隙を見て遊べないのが非常に残念でもあるけど。
◇
1限目の授業を島村さんと受けることになった。
……どうにも島村さんに好意を向けられるのは慣れないし緊張する。
全く頭に内容が入らん……。
1限目の授業が終わると、2限目は無いので久しぶりに「なんでも万屋相談所」の部屋に顔を出すことにした。
何と強引に借りた日(第2部7話)以来なんだからどれだけ顔を出していないのか(笑)。
「よぉ、中将ひさしぶりじゃねぇか~!」
カーター(佐藤義賢)と正平がパイプ椅子の背もたれの方に蟹股になって話していたようだった。幼馴染で高校まで毎日嫌と言うほど見てきた仲だったが、こんなにも懐かしく感じる日が来るとは……。
「うん、久しぶり。最近色々あってね。電脳世界に閉じ込められたり、世界大会で暗殺されかけたり、太平洋の島に漂流したり……」
「うへぇ……命がいくつあっても足りねぇなそりゃ」
「そうなんだよ。そっちはどうなのさ?」
「こちとら地域の清掃やら介護やら大変だぜ。
特に介護がヤバすぎて、汎用ロボットを買えないお宅に向かうんだが、
激務で足腰がまともに動かなくなってずっとオフの日はマッサージチェアーに座ってたわ(笑)」
カーターは腕を回しながらそんなことを言った。
「今でこそ50万~70万ほど月給で支給されるようになったが、あれで給料が低かった時代があっただなんて信じられないよ」
正平が頬をかきながら呆れたように言う。
「どの仕事も大変だな……」
正平とカーターはこれでも体力が僕よりも遥かにある。それで音を上げそうになるんだから、よっぽどキツイんだろう……。
「そもそも仕事にそこまで報酬の差を付けること事態がどうかと思いますけどね。
確かに責任やリスクを背負っているという事である程度の報酬が支払われるべきだと思いますけど、
本来であれば、仕事の成果や苦労の度合いに対して対価が定められるべきだと思いますね」
この部室に入ってから所在をなくしていた島村さんが話に入ってきた。
「僕なんて責任も無い上に何もしなくても役員報酬を何億も貰っているぐらいだからな……」
自然に肩身が狭くなる思いがした。更に言うのであれば僕がゲームの世界大会に難なく出れる環境にあるのも、やはり家庭が恵まれているからに過ぎない。
皆が思っている以上にゲームの世界大会に出ているような人たちは、元々裕福で余裕がある家庭が多い。実力があっても不安定な職業に就こうとは中々思わないからだ。
残念なことに「生まれ」である程度決まってしまうために「ガチャ」に成功したんだ。
「でも、別の意味で責任を果たされようとしているんですから立派だと思いますよ。
後はその気持ちが継続することが重要だと思いますけどね」
島村さんからそう言われるとちょっと照れる……。
◇
その後、一般的な依頼について優先順位を付けたり日程の調整などをしている時にカーターが近づいてきた。
「おい中将、島村さんってめちゃくちゃ美人だよな。玲子さんやまどかちゃんがいながら何人“囲う”気なんだ?」
「この間の全日本ミスコン優勝者だからな。でも誰も囲っているつもりは無いよ」
美人なのは良いが棘があまりにも鋭すぎて、近くにいるだけで生命が危うくなるわ……。
「え……マジで……だからか……。しかも胸がデカイし……」
「や、やめろよそんなこと言うのは……殺されちゃうよ」
よりにもよって島村さんがぎりぎり聞こえるか聞こえないかの微妙な範囲内でこんなにとんでもないことを話してくれちゃうんだから胃がねじれきれそうだ……。
父上を襲撃するぐらいの度胸があるんだ、突発的に血管が吹き飛ぶぐらいキレたら半殺しぐらいは本当にされかねない。
胸のことはコンプレックスに思っているぐらいなんだし危険過ぎる……。
「そんな綺麗ごと言うなよ。俺は知ってるぜ? お前が“巨乳モノ”をコスモニューロンに保存しまくってることぐらいさぁ」
「ぐぅ……」
事実なんだから仕方なかった……。
「いやぁ、玲子さんやまどかちゃんがいる上に、しかも中将はあんな立派な乳を毎日揉みまくってんだろ? やっぱ勝ち組・上級国民様は違うねぇ!」
一緒に暮らしているだけでそんな浮ついたシーンは一度もないのである。本当にただ“一つ同じ屋根の下”で暮らしているだけだ。
むしろ恋愛感情で見てしまったら島村さんにとっても不幸だ。
だって親の仇の息子だよ? 今だって殺人罪に問われないのなら殺したいぐらいの気持ちなのかもしれないんだから……。
「俺の彼女なんてチッパイだから。あんなのを揉みまくれるだなんて男として最高だよなぁ」
正平の彼女は確かにまどかといい勝負なぐらい平面と言ってもよかった。ただ、島村さんがいかに美人で胸があろうとも正直、関係ないものは関係ないのだ。
「そ、そんな……揉みまくってるだなんて……」
島村さんの胸元を思わず見てしまった。あの胸元に飛び込んだらどんなに幸せかは分からないが覚悟を決める前にやってしまったなら玲姉によってあの世に旅立たされることになるだろう。薬物より危険な誘惑だった。
「お、その発言だと触ったことはあるようだなぁ!」
カーターは僕の首を自身の右腕でロックしてきた。下らないところで嗅覚が優れている。
「ふ、不可抗力で何回か……」
あの時の感触は妙に生々しく覚えている。島村さん泣いてたしな……。
「で、感想は?」
「……揉みごたえは良かった」
島村さんの恋人になれる人はさぞかし幸せ者になるだろう。だが、島村さんが心を開く人がいるのだろうか? そちらの方が問題だろう。凄く真面目でガードも堅そうだからな。
「やっぱり、あの服の盛り上がり方は尋常じゃねぇからなぁ――ギャアー!」
恍惚な表情で妄想をしていたところ唐突に叫び声をあげながらカーターは倒れた。正平も気が付けば声も上げる暇もなく倒れていた。
「済みません。つい手が滑りました」
島村さんが電撃の弓を更に放とうとする。2人は倒れたので標的は僕だけだ。
「ちょ! 待ってくれ! 正平とカーターが勝手に騒ぐから乗っただけで……!」
もう平謝りするしかなかった。死ぬよりかはマシだ。
もちろんあれだけのプロポーションを誇る島村さんを性的な目で見てないだなんて嘘だった。ただ想像の中の島村さんにもボコボコにされたので抑止力はすさまじいのだが……。
「……仕方ないですね。この2人をしっかり“教育”して二度と下らないことを言わないようにしてください」
ボロ雑巾のように2人を僕の方に投げ出す。僕に火の粉が降りかかってこなかったのは幸運以外の何物でもない。
「は、はい……」
よく思い出してみれば島村さんは同じ大学の1年年下である。
恐ろしいことにそんなことは関係なく、“序列”が完全に決まってしまった。いくら愚かなこの2人でもそれを痛感したことだろう。
ただそれをこの2人が教訓として活かし、今後の行動に反映できるかどうかは別問題ではあるのだが……。




