第2話 働き蜂
8日ぶりの日本は「相も変わらず」と言った感じだった。
人々は忙しく働き蜂のようにせわしなく動き回り、コスモニューロンで何かをしているのか虚空を見つめている。
僕もその“働き蜂“として舞い戻ってきたわけだ。
ギリギリ1限の授業に間に合った大学では相変わらず何の役に立つのか分からない講義を永遠と聞かされ、ファンにサインをせがまれてサインを書いたり――一体何をしているのか、何をしたいのか分からなくなった瞬間だった。
つい昨日まで“社会システムの外”にいたのが信じられないぐらいに普通にこなすことが出来たのだが、そんなシステムが無い世界にも魅力を感じたものだった。
そう言えば、島村さんとは受講している科目が全然バッティングしないので全く会わなかった。
島村さんと会えなくてホッとする面の方が大きいけどな……。
あの島での出来事は“何かの間違い”だったという事であり、残念なようなホッとした様な不思議な感覚だった。
「しっかし、東京ってこんなに淀んでいるんだな……」
そして、今まで全くこんなことは考えてこなかったが、“空気がマズい“。
最初東京で呼吸をするのを忘れていたほどだった。
あぁ……こんなにも東京の空気と言うのは汚れていたのか……。
何か視界すらも小さな粒子のようなゴミで霞んでいるようにも感じる。
今やほとんど排気ガスを出すような車や施設と言うのは無いのだが、人が密集しているコンクリートジャングルと言うだけで本来の空気では無くなってしまうのだろう。
それだけあの無人島と言うのは澄み切った空気があり、自然に満ち溢れていたのだろう……。
コスモニューロンは繋げないし、ゲームでネット対戦は出来ないし、寝心地は最悪だし、雨風が入ってくるようなところだった――しかし、あれはあれで“完成された世界”なのだという事を改めて感じられた。
このシステム化された社会では便利で食べ物の心配や住まいの問題、大嵐の心配も必要ない。
でも発展した社会であるからこその SNSや偏差値教育の可視化された競争社会、貧富の格差社会、些細な悩みであったりいざこざと言うのは存在する。
どんな形態の社会体制であっても、悩みや社会問題と言うのは尽きないのだなと痛感させられた――むしろ、こっちの世界の方が“まだまだ未完成”とすら思えた瞬間だった……。
「あっ! 大王に呼ばれた時間まであと10分!」
ボーっと色々なことを考えているうちに時間があっという間に過ぎ去っていた!
大王はご隠居ほどでは無いにしろ時間にうるさいから走らないと!
◇
なんとか時間には間に合ったものの大王の研究室の前で完全に硬直していた。
息を整えつつも今日が僕も年貢の納め時なのか? 今日が人生最期の日ではないか? とも思えてしまった……。
何せあの大王は人体実験大好きなんだ。僕の体を非検体にしようと突然思い立ったとしても不思議ではない……。
遺書でも書いてくれば良かったのかもしれない――ただ何を書けばいいのかサッパリ分からないが(笑)。
そうこうしているうちに約束の時間ちょうどになった。覚悟を決めなくては……。
思いっきり息を吸い込んで深呼吸をした後、研究室の取っ手に手をかけた。
「し、失礼しまーす」
恐る恐る扉に滑り込むようにして研究室に入った。
しかし大王は、僕の心理状態とは裏腹に呑気に暖かそうな飲み物を啜って(すすって)いた。
「虻輝様、どうぞ」
これまで大丈夫だったからこれからも大丈夫という保証は一切ないと言える。
天才の“気まぐれ”と言うのがいつ暴走するかは分からないのだ。
「や、やぁ。無事に帰って来れたよ。何度もダメかと思うような場面ばかりだったけどね」
「お帰りなさいませ虻輝様――そんなにかしこまらないで下さい。優秀な方を被献体にするほど私も追い込まれてはいません。もしも、そんな日が来ようならばご招待したりせずに、強制的に拘束しますよ」
それはそれで嬉しくないことだがな……。それにしてもそんなにも分かってしまうぐらい。緊迫したような顔をしていたか……。
「そ、そうか。それなら良いんだが……。これが今回の成果物だ」
大王の前に為継から今朝渡された厳重に箱に入れてある木の欠片のサンプルをそれぞれ差し出した。
「為継から聞いていたものがこれですか……。後で精密に検査するとしましょう……」
大王の目つきが変わった。手袋の嵌めてある手で大切そうに中身を見分していた。その様子は半ば不気味ですらあった。
「あの島について虻輝様はどう感じられましたか?」
いや、為継の報告書があるだろ……と言いたくなったが、何かしらのテストではないか? とも思った。
そして、どういう意図か分からない以上は率直に答えた方が良さそうだ。
「島民は非常に純粋で逆に心配になったぐらいだったよ。“新大陸発見”の時のアメリカやアフリカの人たちもあんな感じだったんだろうなと思ったね。
自然に関しては文句なしで、東京の空気がこんなにもマズいものとは思わなかったね。
いやぁ、これからは東京の街を歩く際には酸素ボンベでもつけて歩きたいぐらいだわ」
実際のところ酸素ボンベなんて付けたら重すぎて僕は潰れてしまうだろうけど……。
「そうでしたか。確かに純粋な空気と言うのは今後、販売対象になるでしょうな。
一体どんな感じ方をするのか他の自然の溢れる地域との違いも調査し、
VR空間での癒し空間の一つのコンテンツとして考えておくことにしましょう」
一体どんな脳内の働きをするのか? 空気の臭いですら様々なデータを駆使することでVR空間で再現することが可能なのだ。
ここでその話を出してくるのは研究とビジネスについては本当に余念がない……。
「あとは島の中央にあった大木を“御神木”として“神”のように崇めていたんだよね。
ちょっと信じられなかったけど、あの木を制御したからこそこうして無事に帰ってこれたことを考えるとまんざら嘘でもないような気がするんだよね」
「それについては今から詳しく検証することになりますが、自然崇拝に近い考え方と言うのは近代以前にはよくあることでした。
基本的にはその延長線上にある考え方と見て間違いないと思います」
「でもちょっと気になったのは、島を離れるときにどこからともなく声が聞こえてきた気がするんだよね。誰の声でもない低い声で“島の皆を守らなければ末代まで祟る!”ってね!」
今思い起こしても戦慄が走る……。
「それはただ単に虻輝様がお疲れだっただけの可能性が極めて高いですな。
潜在意識からの願望が幻聴となって聞こえてきたように思えただけだと思われます。
本当に色々なお仕事を断続的にこなされてお疲れ様です」
大王は僕が錯乱していたか、頭がオカシイという事で解決しているのだろう。至って冷静に答えてきた……。
「大王。仮にその“声”が僕の潜在意識から出てきたものだとするのなら、尚更あの島民の皆については何とか助けてやりたいところなんだけど……」
唇が渇くのを感じながらオズオズと僕は切り出した。
「まだ、被検体はそこまで窮しておりませんのでそこまで心配されなくても問題ありません。我々としては、調査を妨害した原理を知れれば良いのです」
ホッとした……ここ数日こればかりを考えていたから……。
でも逆に言うと、被献体が深刻な程足りなくなれば誰彼構わず実験台にしてしまうと言うことだ……やはり大王は恐ろしいと思えた。
「しかし、何も対価が無ければ私は動かぬことをお忘れなく」
――うわ、来たよっ! い、一体何を要求されるんだ……。




