第60話 1億分の1秒差
夕食は烏丸の鶏肉のソテーとそれに合う野菜スープだった。味付けは絶妙で流石は元ホテルのシェフといった出来栄えだった。
何といっても見栄えからして空腹だったことを思い起こさせてくれるほど美味しそうなんだから凄いなと。
さっきまで玲姉と建山さんとのピリピリしたやりとりやヴァーチャリストとの会話で空腹だったことすら忘れていたからな……。
「さ、今日は建山さんもいることだし“面白い事”をこの後していくわよ~」
デザートを食べた後玲姉がニコニコでそんなことを言ってきた。もうこの流れはこれまでの人生で幾度も見てきた。
そして、逃げることが無駄だということも分かっていた……。
「“面白い事”って僕をイタぶることか何か?」
「そんなこと無いわよ~。“訓練”じゃない~?」
大きくため息を吐かざるを得なかった。
今日は肉体的には休まったが、精神的には朝から『大樹の誤解』をまどかと島村さんから解くことで大きく疲れた。
「た、立てん……」
疲れの溜まり方は今日の休み程度では戻らないのか。それとも“訓練恐怖症”なのかは知らないが、本当に立てなかった。
玲姉は無理やり引っ張りながらいつも通り訓練場に引っ張り込む。
投げ出されると、すぐさま僕を立たせて木刀を握らせる。
「ただでさえ休んでいる日があるんだから毎日やってもらわないと困るわ。ねぇ、村山さん?」
「え……ええ……」
爺すらも半ばひくほどに強引な玲姉が帰ってきた。全く嬉しくないけど……。
「これこそ、家庭内暴力ではないのですか?」
サッと建山さんが僕たちの間に割り込んだ。思わぬ形で助けられた。
先ほどもだったが、建山さんは“家庭内暴力”についてかなり敏感に反応するようだった。
もしかすると、“家族”で何か問題があった可能性がある。それが何かは教えてはくれ無さそうだが……。
「いえ、これはしっかりとした“教育”ですから。
私は輝君の親代わりなの。外部の方が口出ししないでいただけるかしら?」
「そもそも虻輝さんは19歳。既に成人されていますよね?
勝手に名乗っているにすぎませんし、
例え親権があったとしても超越的な立場を利用した強制は虐待になるかと思います」
「虻利家当主であるお義父さんやご隠居さんも、
輝君自身も鍛えることについては賛成なの。
それも生半可なことでは意味が無いことは分かるわよね?」
玲姉がグッと僕の顔に近づいた。“YES”か“はい”かのどちらかで答えろ――そう言わんかのような圧力だ。
僕はそれに対して鯉のように口をパクパクとさせるだけで声が何も出てこない。
ここで虻利の名前を出してくるのは流石に狡過ぎだ。
「これは口で言っても話は進みそうにありませんね……。
どうです、玲子さん。相当お強そうですが、お手合わせ願えませんか?」
玲姉の眼がスッと細くなる。あ、これは――本気だ。
「あら、私もあなたとならいい勝負が出来そうだなと思っていたところよ。
受けて立とうじゃない」
「私が勝ちましたら“虐待”にしようは思いませんが、
二度と虻輝さんに“親代わり“などと言わないことですね」
「ええ、もちろん。私が負けるわけがないのだから。
私が勝ったら建山さんは私の許可なく輝君に近づくことを禁止させてもらうわ」
「分かりました。良いでしょう」
なぜこの2人がそんなに対抗意識を燃やしているのか微塵も分からないが、
彼女達2人のから火花を散らしているのが見える。気同士のぶつかり合いがもしかすると、そう幻覚を見せているのかもしれない。
「審判は私が務めさせていただきます。よろしくお願いします」
島村さんが名乗り出た。ヘタに弱いと審判も巻き沿いで死にかねないからな……。
「知美ちゃん、私に忖度する必要は無いから。事実を正確に伝えてね。
私がきちんと勝ったと言うことを」
「大した自信ですね。私は1分後に地面に這いつくばるあなたの姿を見下ろすのが楽しみでなりません」
始まる前から言葉での応酬が熾烈すぎるだろ……。
お互いに強気の姿勢がありありと出ている。
「では始めて下さい!」
建山さんがいきなり玲姉との間合いを詰めて回し蹴りを仕掛けてきた。
玲姉はサッと避けると同時に飛び上がり思い切ってそのまま飛び蹴りをしてきた!
建山さんはそれに対して、横っ飛びで交わした。玲姉は華麗に着地したが、その場所は少し凹んでいた……。
その後は両者一定程度の距離を取った。僅かな距離が対応に差が生まれるためだ。
建山さんが攻撃を交わしながら次の攻撃を繰り出すというかなり高度な動きをするが、玲姉はいとも容易く守っていく。
しかし、玲姉も建山さんがとんでもないスピードで動いているので決定打を与えることができない。
「このままでは、お互い攻撃が当たらなくて終わらないわね。
少し本気を出させてもらうわ。絶空一陣!」
玲姉が例によって消えた! それに対して建山さんは眉一つ動かさず、パッと斜め後ろに腕を動かす。
すると、消えていたはずの玲姉の腕を止めていた。
玲姉の動きをどうやってか見抜いたのだ。気が付けば玲姉の全身が戻っている。
僕は見たのは2回目だが全く原理は分からない……。
「玲子さん。凄いですねその技。でも私なら見切れますよ」
建山さんはニヤリと笑った。美しいながらも何か邪悪性もあるようなそんな笑顔だった。
「面白いわね。ここまでやらせるだなんて久しぶりよ」
「ぜ、“絶空一陣”っていうのは見切れるものだったのか……」
「じ、次元が違ぇ……」
輝成や景親は口を半開きしながら呟いた。
僕も冷静に脳内で解説しながら正直言って驚いている――これが人類トップレベルの戦いなのか……。
「100連拳殺!」
建山さんが僕が目視できないほどのスピードでパンチをクラスが玲姉には全く当たっていない。
「ふぅん、速さはあるけど魂が足りないわね」
玲姉がついに建山さんの腕を捕らえた!
常軌を逸した2人はもはや僕達と見えている世界が違うのだろう。
しかし案外、達人同士はゆっくり見えているのかもしれない。
僕もゲームの世界とは言え、世界大会では「当たり前のことが起きているな」と落ち着いてそれに対応していることが多い。
しかし、後の解説動画などを見返すと“超人的プレイを連発”などと解説されている。
つまり、他では“超人的な動き”と言われる玲姉や建山さんの動きも当人たちは「当り前」と思ってやっているのかもしれない。
「ふっ、その油断が命取りです! もらいました!」
そのまま建山さんは捉えた玲姉の腕から投げ飛ばそうとする。しかし、玲姉は逆に建山さんの手の甲を握りお互いのパワーが拮抗したのか、今度は全く動かなくなった。
「あら、甘いわね。これで終わりにしてあげるわ」
玲姉が建山さんの足を払うと一気になぎ倒そうとする。
しかし、建山さんもタダでは終わらせない。建山さんはなぎ倒そうとして逆にバランスが崩れかけた玲姉を叩きつけようとした!
そして一気に、2人とも同時に倒れた。
ど、どっちが勝ったのか全く分からなかったが勝敗に大きくかかわる両者の膝が付いたのは間違いない事実だった。
「ひ、引き分けです……」
審判を担当していた島村さんがそう告げた。僕にもどちらが勝ったのか全く判別がつかない。それほど、同時に膝をついていたのだった。
「――引き分けなんて納得が行かないわ。間違いなく私が勝っていたのだから」
前髪をサラリと掻き揚げながら、僕の方をギラリと見つめる。
玲姉の殺気がスゲェ……。僕レベルでは触れただけで生命が息絶えることだろう……。しかし、一番凄いのはあの状況下でも汗をほとんどかいていないことだ。
意外と玲姉が汗を出すほど頑張っているのは食事を作っている時なのを僕は知っていた。
感謝して食べないとな――というか、まだまだ余裕があると言うことだ。
「ハァハァ……私も納得が行きません! 私が勝ちましたから!」
建山さんはそれに対して汗が凄かった。額に髪を張り付かせ目をギラギラさせている。なぜそんなに拘るんだ……。
二人ともどれだけ負けず嫌いなんだよ……。
「で、ですが同時に見えたのは間違いないので……」
ジャッジをしていた島村さんが困惑するのも無理はない。正直肉眼では判断不可能で“引き分け”としても問題ないレベルだったからだ。
だが、玲姉を心から尊敬している島村さんも実際に見えた事実の方を採用しているのだから、中々肝が据わってるなと思った。
「為継、僕たちが何をやってるか知ってるな? どうにかならないか?」
僕は耳を塞ぎながら為継に連絡を取る。玲姉と建山さんの水かけの口論になりつつあるので為継に連絡した。こうなったら技術を使うほかない。
「それでしたら、映像を解析していきましょう。1マイクロ秒――100万分の1秒単位まで私の方で見られますから」
コスモニューロンで見ているだけで映像化しておくことができる。一定期間で自動的に削除されるが、残っている間は解析も出来るのだ。
為継がそうやってデータを解析している映像を見ているが、動きが止まった。
「虻輝様の提供された映像では同時に地面についていました。
――しかしこれでは誰も納得しないでしょうから複数の角度から見て見ましょう。虻輝様、他の者のデータを貸していただけますか?」
「あ、ああ良いぞ。烏丸! データ貸してくれ!」
僕の真正面にいた烏丸を呼んだ。烏丸はすぐにデータを送ってくれた。
しかし、100万分の1秒でも同時ってヤバすぎるだろ……。
為継もこんなことに真面目に検証して付き合っているのだから興味があるのかもしれないが……。
「ん? こちらだと建山さんの方が僅かながらですが先に膝が付いているように見えますな。虻輝様どう思われます?」
為継が拡大した場所を指し示す
1億分の1秒の時点で複数回再生してみると――確かに、建山さんの膝が本当に僅かではあるが先に付いている。
「た、確かに言われてみればそうだ……」
僕は公開モードにしていたのでこの場にいる全員が為継とのやり取りを見ていた。
僕は恐る恐る当事者2人を見る。
玲姉は勝ち誇ったように胸を張り、建山さんはガックリと肩を落としてしょんぼりとしている。
しかし、建山さんの眼からは闘志の炎は途絶えている感じはしない。やはり相当負けず嫌いなのだろう。
「ま、まぁ2人とも凄かったってことで良いんじゃないかな? 素晴らしい戦いを見させてもらったよ」
ここは蒸し返さず終わらせておくのが無難だろう……。
何か余計にケンカになりそうな雰囲気があるし……。
「そうね。私があそこまで本気を出して五分だったのだから、大したものよ。
更には、あわや負けかけたのだしね」
「……次は勝てるように精進します」
玲姉の半ば“煽り”とも言える発言に対して建山さんは苦虫を潰したような表情で睨み返している。1億分の1秒差とはいえ敗北を喫したのだからそれを認めざるを得なかったのだ。
しかし、一体何が彼女たちを駆り立てるんだ……。
玲姉はお世話になっている立場からあまり発言は出来ないが、意外と子供っぽいというか、負けず嫌いなところとか――目がスッと細くなるのが特徴だ。
「私は別に子供っぽくないわよッ!」
パシッと軽く僕をはたく、僕は大きくバランスを崩して倒れそうになる。
うぅ……思考を読まないで欲しい……。
「いずれにせよ、結果が出て私は安心しました。
これが引き分けで白黒つかないと何となく消化不良になりますからな」
為継が満足げな表情で連絡を終えてきた。
この探求心が研究者として1流な理由なんだろうな……僕はもう引き分けで良いような気がしたけど……。
「いやぁ~またしてもすごいモノを見させてもらいましたねぇ。
玲子さんの戦いはいつも華やかで見応えがとてもあるので色々な人とこれからも戦って欲しいですねぇ~」
烏丸が呑気そうな口調で言っているが、確かに玲姉の動きは無駄が限りなくゼロに近い。
しかも、“相手に合わせて“戦っている感じがしてまた見応えを出させているのだ。




