第26話 孤独な労働
そんな和やかな雰囲気で会話をしている最中、とんでもないことが目の前で起きようとしていました。先程の青いジャージの作業員の方が片手で電気丸鋸を振り上げています――ところがその先には斬るべきものはなく、なんと自分の腕が台に固定されているではありませんか!
「知美ちゃん、お願いっ!」
まどかちゃんの裏返ったような声が私に届きます。私はまどかちゃんが言うより先に地面を踏みしめ弓を構えるポーズを取り、電気を集め電動丸鋸の回転する刃に目標を定めました!
「間に合って下さいっ!」
私の手から放たれた電撃の弓は、貯めていた時間が短かったので不完全な形だったものの刃の中央に命中し、腕に届く寸前に真っ二つになりました。エンジン音だけが空回りして鳴り響きます。
あまりにも咄嗟の出来事だったので飛びつくだけではダメだと思いました……まだ本調子ではありませんが、何とか成功しました……。
「あああああ! 俺は死ぬことも出来ないんだぁぁぁぁ!」
青いジャージの作業員の方は慟哭しながら倒れ込みました。そして作業着の中から何かを探そうとしています。恐らくはナイフか何かでまた死のうとしているのでしょう。
私とまどかちゃんはすぐさま駆け寄り、悪い事態にならないように説得することにします。
「お、落ち着いてください。自殺するだなんて良くないですっ!」
「そうだよっ! 生きてるだけで良い事あるよっ!」
私たちは流石にパワーがあるので、作業員の方を取り押さえることができました。
「は、離せ! 俺はこの世界でもう生きていたくないんだっ!」
とりあえずは、離せる状況になるまで拘束しておくしかないですね……。私はトラックから縄を持ってきて手を軽く縛りました。まどかちゃんがその間抑えてくれていたのでとても助かりました。この間の犬を取り押さえた経験が活きたのだと後で笑っていました。それから10分ほどするとようやく話せるような状況になりました。
「あの……改めて言いますけど死ぬなんてよくないですよ? 命あっての物種だと思いますから……」
「アンタらは恵まれているんだよ。俺の仕事の内容を聞いたらとてもじゃないが生きていけないと思うぜ?」
――私のこれまでの人生について何も知らないでっ! と言いたくなりましたが、この方は40代半ばというところでしょう。私のような小娘はのほほんと生きていると思われても仕方ないです。
「あの……よろしければそのお話聞かせていただけませんか? まずお名前を教えてください」
「……もう破れかぶれだ。話してやるよ。俺は内藤。去年まではEAIというところに所属していたんだが、権力抗争に負けたんだ。それから強制労働施設に入れられて息子とも離れ離れさ……」
私とまどかちゃんは驚いて顔を見合わせました。あまりにも意外なところからEAIについて出てきました。
「あの、実は私達はEAIに今所属しているんです。そのことについてもう少し話していただけませんか?」
「え、そうなのかい……昔のEAIならともかく今のEAIにはあまり所属していないほうがいいと思うぞ」
「なぜでしょうか?」
何となく予想が付きそうですが一応聞いてみることにしました。
「赤井だ。赤井の奴がEAIに入ってから全てが変わったんだ。最初は科学技術局とのコネが出来て活動がしやすくなると思ったんだ。確かに、電磁波への対策など面白い情報を当初は出していた。だが、1年もすると徐々に本性を現して来やがった」
やっぱり私が睨んだ通り赤井の名前が挙がって来ました。あくまでも可能性の一つとして私が捉えていたのが現実的な目の前に壁として立ちはだかってきたように感じます。
「何が起こったんでしょうか? よろしければ教えていただけませんか?」
「2年目に最高顧問に就任すると次々と創設当初のメンバーをクビにしていったんだ。アイツの方針は他の『団体との共闘』ということらしいが、どうにも怪しい。メンバーの個人情報を売り渡している節があったんだ」
「そ、それは問題ですね……」
「ああ、それを俺は指摘したんだが、直ちに奴のシンパに囲まれてその後すぐに追放さ。俺があの時、間違ったのは単独で立ち向かったことだった。
俺は会計だったが、執行部・総務・人事などのお例外の主要幹部全部がアイツの味方だったのが誤算だった。最低でも一般会員を味方につけて摘発すれば勝機はあったのに……」
青の作業着の人は歯ぎしりしながら当時のことを振り返りました。余程悔しかったのでしょうね……。
「今のところ赤井さんと言う方にお会いしたことが無いので何とも言えませんが、ご助言ありがとうございます。ところで今現在のお仕事が過酷という話ですがどういうことなのでしょうか? 見たところ造園業のようなお仕事のように思えますが……」
慣れない私達が担当すれば大変のような気がしますが、慣れればそこまで過酷な仕事のように思えません。
「今やっている仕事内容は確かに普通なんだ。だが仕事の環境が地獄さ。職場の仲間と誰も会話をすることが出来ないんだ……」
「え、どいうこと?」
まどかちゃんはこれまで静かにしていましたが、ここにきて聞いてきました。
「俺は、働いている仲間の中で信用スコアがダントツで低いんだ。だから、仕事中会話をすることが許されていないんだ」
「えー! そんなの差別じゃん!」
「職場の同僚や上司はそれを“区別”だと言っている。もっとも話してくれないからあいつ等は書面で回答しているだけだがな。お上の方針なんだから仕方ないんだよ」
信用スコアによって階級社会になっていると聞きましたが、ここまでとは……。
「虻利家はホント酷いね……」
まどかちゃんはシュンと肩を落としました。やっぱり自分の養子の家に対して悪く言われるのはいい気分はしないのでしょう。
「しかも俺のスコアは赤井が来るまでは、まだまともだったんだ。
アイツが絶対に科学技術局のコネを使って俺を貶めたに違いねぇ!」
目を血走らせながら内藤さんは叫びました。
虻利家はこうやって人々を追い詰めて不都合な人間を自殺又は犯罪に追い込むのです。
「でも、職場で気の合わない人達とコミュニケーションを無理やり取るより、むしろ会話が無い方が気楽のような気もしますけどね」
「まぁ、それは一理ある。だが、それは家に帰った時に温かい家庭や気の合う仲間が他にいればの話だ。俺には今誰も家族も一緒に住んでいないし、誰とも交流していない。
事務的な連絡はすべてメモでのやり取りだ。
今日、まともにこうやって君たちと会話をしたのが3か月ぶりだ。3か月前の会話も市役所職員との事務的な会話だよ。3か月誰とも会話をしないことを想像してみてくれ? まさに地獄だぞ?」
少し考えてみましたが――確かに、全く会話をしたことのない生活をしたことが無いですね。復讐に燃えた日々も、弓道の仲間達と比較的話をしながら技術を高めていましたしね。
誰とも会話をせずに弓道をやり続ける姿を想像してみると、上達しているかも良く分からないし、励まし合うことも無いので思った以上に過酷な状況だというのが分かってきたような気がします。
「確かに言われてみればそうかもしれません。内藤さん、申し訳ありません。迂闊な発言をしてしまって」
私は思いっきり頭を下げました。
人間は交流や会話によって感受性を持つ生物ですからそのような状況だと私も耐えられず自殺を考えてしまうかもしれません……。
「いや、頭を上げてくれよ。体験したことが無ければ分からんだろうよ。お嬢さんたちは恵まれているようだからな……」
私が恵まれている? 確かに虻成暗殺未遂をしたにもかかわらず、生きていることの面では恵まれているかもしれませんが、とても恵まれた境遇とは思えません。
この10年ミナや弓道の仲間たちがいたから何とかなった面もありますが、基本的には自分で責任をもって行動してきました。それこそ内藤さんと同じように家族が破壊された面では全く同じと言えます。




