第15話 周りの心配
その後、eスポーツの他のゲームをやったりして気を紛らわそうとしたが、
実力の差で勝つには勝てるがどうにも身が入らない。
「げほっ! ぐぇ!」
これで何度目のトイレでの嘔吐だろうか? もう内臓すらも全て吐き出してしまった気分だ。
胃液が上がって来たのか喉のあたりがヒリヒリした。
引き籠っていたいが結局のところ精神的に蝕まれていく……“何かしらの解決“が無ければこの咎から逃れられそうに無かった。
「輝君……大丈夫?」
後ろから玲姉の声がした。
「だ、大丈夫だとも!」
振り向き様に満面の笑みを――浮かべたつもりだった。
「その様子だと決断できていないようね」
「そ、そんなことはない! 島村さんを助けるに決まってるじゃないか!」
しかし、直ぐに同時にこの発言が無意味だと気づいた。玲姉は文字通り人の思考が“自動的に聴こえてくる”らしい。
元々スペックが高いというのにSF小説でも上位に入りそうな恐るべき能力まで持っている。
こんな風に取り繕っても、僕の揺れまくっている思考は全部聴かれていると言っていい。
なんだか昨晩あれだけの話をしてもらったのに申し訳ない気持ちになった。
「……今のは噓。正直言ってどうしようかまだ迷っている」
玲姉の“無言の圧“に耐えかねて今の心情を正直に話した。
それと同時に不思議と少し胸の苦しみが少し収まった。
「苦しいとは思うけど、今が“決断しなければならない時”なのよ。私も苦しいときは乗り越えてきたわ」
ただ、玲姉としても“思考が聴こえてくる能力“は無差別に聞こえてしまうため小さい頃はとても苦労したらしい。
また、圧倒的すぎる能力から周りからは疎まれ迫害されたとも聞いた。何だか便利な能力のような気もするけど、超人には超人なりの苦労があるのだ。
僕がその状況ならきっとメンタルが崩壊するに違いない。
「……そうだろうね」
「輝君、この苦しみは今まで影で先送りしてきたことを清算しなければならない瞬間だということなの」
玲姉は敢えて具体的な内容については言わなかった。昨日散々言ったからだろう。
「……昨日からの話からするとここから、決断するにもしないにしても自分に降りかかってくると?」
「そういうことね。でも、昨日も言ったけど最後に決めるのは輝君よ。結局のところ他人に強要された状態や決断というのは長続きしないしね」
「ま、確かに……」
例の“学校”にいた頃はマジで悪夢としか言いようがない時代だった。
それも自分の意思でそこに居たいから居たのではなかったからに他ならない。
「その……朝ごはんは要らない。ゴメン、昨日の夕飯は丸々吐いちゃって……」
「いいのよ。気にしないで。代わりにこれ持って行って」
水筒みたいなのを渡された。自分の体温より暖かい。
「これは?」
「特性の栄養ドリンクよ。暖かくてお腹を悪くしていても大丈夫なようにしてあるから」
なるほどそれなら飲んでも大丈夫そうだ。
「一口良い?」
「もちろんよ」
飲んでみると喉越しが柔らかくお腹にも優しく染み渡るのが感じた。
「ありがと。これなら何とか飲めそうだ」
「それなら良かったわ」
玲姉は少し笑った。その柔らかい笑みは少し肩の力が抜けていく感じがした。
「なぁ……いよいよ最終的に決断しなくちゃいけない時、何を基準に選んだらいいと思う? 少なくとも玲姉は何を基準に選ぶ?」
もはや、どうしたらいいかなんて分からなかった。せめて玲姉の決断方法だけでも知りたかった。
「そうね……全世界を敵に回しても”本当に守りたいもの“を守れるならそれはとても尊い戦いだと思うわ。ちなみに、私には守りたいものはあるわ――皆の笑顔、特に輝君やまどかちゃんの笑顔ね」
「何とも玲姉らしい答えだ。ありがとう、胸にとどめておくよ」
やっぱり玲姉はそうでなくてはなと思いながら僕は支度をしに部屋に戻った。
僕にも何か明確な基準があればもっと生きやすいのかもしれないけど……。でも一つだけ分かったことがある。
今のままでは玲姉の“守りたいもの“が僕自身であるために玲姉にも迷惑をかけてしまうということだ。
その後、自分の部屋の中でああでもないこうでもないと考えていたら時間は8時を過ぎていた。時間は悲しくも前にしか進んでくれない。
そろそろ家を出ないと時間に間に合わなくなる。まさに、審判の時が近いと言っていい。
断頭台に向かうロシアやフランス皇帝一家もきっとこんな気持ちだったに違いない。最も自分の運命を自分で決められるだけ僕のほうがマシなのかもしれないが……。
「お兄ちゃん!」
靴を履いていよいよ出ようとすると声をかけられた。
「まどかか……。どうした?」
特にまだ何も言わなくても目が潤んでいる。
「その……お姉ちゃんはさっき言いたいことを言ったから見送らないって」
「そ、そうか……」
「あたしは……その……信じてるから……」
まどかは僕の手を握ってきた。その手はとても暖かく柔らかい。
「な、何を?」
「お兄ちゃんが本当は優しい人だってことだよ」
「僕は別に優しい奴じゃないよ。
何も決められない周りに流されているだけのダメなやつさ。
ただ単に自分が傷付かない方法を模索して他人に責任を擦り付けているに過ぎないんだ……」
「そういうことを言いたいんじゃないよ。悪いことをしてそれを苦しいと思えるならそれだけで十分優しいと思うよ」
どうやら僕は内容を履き違えていたらしい。
「はは……そうだと良いんだがな」
「まだ引き返せるところにいると思う。でもこの先に進むともう本当に取り返しがつかない――そんな気がするんだ……」
まどかは玲姉と違って僕の思考が分かるわけでもないし虻利の事情に詳しいわけでもない。
しかし“野生のカン”みたいなレーダーを持っているので、“何か“をキャッチしているのだろう。そのレーダーも本質から外れていないように思える。
「あたし……苦しんでいるお兄ちゃんも、完全に壊れちゃったお兄ちゃんも見たくないよ……」
まどかはついに泣き出した……。
「まどか……」
僕は居たたまれなくなり思わずまどかを抱きとめた。
「あ、あたし……このままずっといたい……」
確かにまどかの体は暖かくこのままずっと抱きしめていてもいいかもしれない……。
「で、でも行かなきゃ。もう時間だから」
出る時間をもう過ぎようとしている。美甘が外で待っていることだろう。
「あたし! 信じてるから!」
最後にドアが閉まるタイミングでもう一度その言葉が耳に入った。まどかが信じているのは僕が正しい道に戻ってきてくれることだろう。
道を間違えれば間違えなくまどかに顔を合わせることは二度とできなくなる。それはあまりにも寂しすぎた。
車に今日も急いで乗り込んだ。バックの中をふと開けてみると。中に謎のボタンと手紙があった。
『盗聴されているかもしれないと思ってメモにしたわ。何かあったらボタンを押してくれれば、近くにいる私が飛んでいきます。お姉ちゃんより』
玲姉に助けを呼ぶときとはつまりは虻利と決別するときだろう。
確かに島村さんを助ける段になった時に全くプランが無かった……。
島村さんを助けるといった時に玲姉の協力は必ずいることになることはそうなった時しか思わなかっただろうから、かなりありがたい配慮だった。
「しかし、なんというかその場の雰囲気に呑まれてしまうというか……」
玲姉と“守りたいモノ“について話したり、まどかに抱きつかれたりして感情が揺れ戻されかけたが、結局冷静になってみるとどうしたらいいのかわからない状況に戻った感じがした。
だが、何もしなければ“見捨てる”という“決断”に自動的になってしまう。
こういうことを教えられなければ理解できない状況があまりにも情けなかった。
だが昨日と比べて温かみがある出立だったのは少し心が落ち着けられた。
「まぁ、そこがいいところなんじゃないですか。何にも感情移入できないよりいいと思いますよ」
美甘がそんなことを言ってきた。
「そうなのだろうか……。」
しかし、こうも決められないとなると流石に生活や心身に支障をきたすレベルだ……。
「いいところと悪いところは表裏一体だって言うじゃないですか。前向きにとらえていきましょうよ」
「まぁ……そうなんだろうけどね」
美甘なりに励ましてくれているんだろう。誰にせよ僕のことを想って何か言ってくれることは凄くありがたいことだ。誰にも見向きにされないのが一番虚しい。
とか会話しているうちに気が付けば目の前に特別拘留所が見えてきた。
「ふぅ~。いよいよ来てしまったな……」
ここで深呼吸をする。自らの命運がここで決まるのだろう。
ただでさえ、警備が厳しいであろう特別拘留所が更に圧迫感を感じる。門の前にいる警備員も僕を睨んでいるように見える。
「私は虻輝様が最終的に希望する結果になるように願っていますね」
美甘が最後別れ際にそんなことを言ってくれた。
「ありがとう。僕も自分の決断に責任を持つよ」
悪い結果になった際に誰が言ったからこうなったんだとか責任を擦り付けるのだけは最悪だからな……。
ここまで来たからには、なるようにしかならないだろう。