壁がそびえ立つも 曲げぬ願いの道
天帝を救うため、甘香達と別れ、一人都へと向かった熊星。
しかし都に待つ壁は思いの外高く厚く……。
どうぞお楽しみください。
都の宮廷には、東西南北に大きな門があります。
その西門を守る門番の前に、大柄な男が現れました。
「失礼。取り次ぎをお願いしたいのだが、宜しいかな?」
「は、はい。お名前とご希望の方のお名前、用件をお願い致します」
門番が思わず敬語を使ってしまう程、その男の姿は凛として堂々たる美丈夫でした。
顔は精悍に引き締まり、燃えるような紅髪は美しく艶やか。
質の良い服を着慣れた様子で上品に纏うその姿は、正に貴人といった様子でした。
男は穏やかに微笑みました。
「劉尚書殿にお話があって参りました朱長夏と申します」
「朱、長夏……? あ! その紅髪! あなたは! まさか『万夫不当』の……!?」
「あぁ、そちらを名乗った方が通りが良いようですね」
門番の驚きに、長夏は涼やかな笑顔を返します。
「御目通りは叶いますでしょうか?」
「も、勿論です! 劉尚書のご都合を伺って参りますので、客室でお待ち下さい! ご案内致します!」
憧れの武人に会えた門番は、浮き足立っておりました。
そのため長夏が浮かべていた含みのある笑みに、気付く事はありませんでした。
「これはこれは朱将軍! 良いところにお戻り下さいましたな!」
「ふむ、やはり」
汗かき現れた尚書・劉訪薫に、長夏は謎の納得を見せました。
「は、何か……?」
「その前に。これは尚書殿のみにお伝えした方が良いお話。そこの壁の裏とそちらの棚の中、それと天井にいる方は信用に足る者ですかな?」
「!」
訪薫は身を強張らせました。
朱長夏が来たと聞いて、念のため選りすぐりの部下三人を潜ませていたのに、あっさりと看破されてしまったのですから。
「こ、これは失礼を……! わ、私は将軍のように武に長けておりませぬ故、このような措置を……」
「何、武に疎き方が護衛を付けるは、何に恥じる事もありますまい。信の置ける方なら良いのですが」
「も、勿論でございます! 如何な話であろうと、決して外には漏らしませぬ!」
「ならばお話致しましょう。尚書殿、洒国と戦をなさいますな?」
「! な、何故それを!?」
訪薫は思わず声を上げました。
白邑への兵は秘密裏に動かしたのに、お忍びでの視察と称して軍から離れていた長夏に、それを知られている理由が分からなかったのです。
「人が動けばそこに風が動きます。私はそれを感じるのが人より少し鋭敏なのです。所謂『武人の勘働き』というものですな』
「左様でしたか……」
拭くそばから浮かんでくる汗を拭いながら、それでも訪薫はこの降って湧いた好機を喜んでおりました。
「……ご慧眼の通り、近々洒国を攻めまする。そこに朱将軍がお戻りになられたのは誠に天の采配!」
「ふむ、戦とあれば私もお役に立てましょうが、此度の戦の理由は何でありましょうか?」
「……天子様のお薬を洒国から取り寄せたのですが、むしろお加減が悪くなり、天子様を害するは国を害するも同じと、太子様が戦をお決めになりました」
「ほう、太子様が。ちなみに国の薬師達は何と?」
「……何人かに見せはしましたが、やはり飲ませた薬が悪いという話で御座いました」
「それが確かな事なれば、戦もやむ無しで御座いますな」
「えぇ! えぇ! ですので是非将軍にもご出陣を願いたく……」
「分かりました。それで太子様はどちらに?」
「戦となれば暫くは都に戻って来られませんからな。後宮にて愛妾達との時間を設けております」
「成程。それで出立は?」
「極秘裏に支度を進めております故、後三日程で整うかと……」
「分かりました。それまでは近衛兵達と少し訓練などをして過ごすと致しましょう」
「あ、いえ! その、極秘の作戦で御座いますので、朱将軍にはどうかお部屋にてお待ち頂きたいと……」
「……」
しばし考え込む長夏に、訪薫は気が気ではありません。
「成程、それも道理。部屋にてお待ち致しましょう」
「あ、有り難う御座います! ご不便はおかけしないよう、手配致しますので!」
こうして国の最大戦力である『万夫不当』朱長夏を得た訪薫は、今回の戦の勝利を疑いないものとしたのでした。
「あぁ、あの伝説の武人に直接お会い出来るとは……。今日は良い日だなぁ……」
「失礼」
「へ? あ、はい。何か御用ですかな?」
長夏との邂逅に悦に入っていた門番は、かけられた言葉に我に返りました。
声のした方を見ると、馬車の御者台から眼鏡をかけた男が人懐っこい笑みを浮かべていました。
「貴人をお忍びでお連れ致しました。馬車ごと中に入りたいのですが……」
「貴人? どなたですか?」
門番の問いに、男は御者台から降りると、門番にそっと耳打ちをしました。
「天子様の御子、黄甘香姫その人であります」
「何!? は、白邑におわす筈の姫がな」
「お静かに。お忍びでと申し上げた筈にございます」
「す、済まない……。しかし何故……」
「極秘の使者が参りましてな、天子様のお加減がよろしくないと」
「う……」
確かに天子様のお加減が思わしくなく、また門番はその事を宮廷の外には漏らさないよう厳命されていました。
それを知るという事で、門番は目の前の男の言葉を戯言と切り捨てられなくなりました。
「姫は心優しく、また聡明なお方。父である天子様を見舞いたくとも、それと知られれば民の動揺を招く事をご存知です」
「確かに……」
「そこで最低限の供を連れ、お忍びで参ったのです。急いだ為先触れ無く参りました事、お詫び申し上げます」
「そ、そうでしたか……」
「故に馬車ごと中に入りたいのですが、如何でしょうか?」
「いや、しかし……」
門番は迷いました。
本来予定にない来訪者は、上にお伺いを立てなければなりません。
自分一人の判断で通して何かあれば、厳しい責めを受ける事は疑いようもありません。
しかし姫の願いを聞き届けなかったとなれば、それもまた責めを受ける事でしょう。
「ではこちらに。……姫」
男は門番を連れ、客車の扉を叩きます。
すると薄く扉が開きました。
「門番の方が、姫に御目通り願いたいと」
「分かりました」
更に少し扉が開き、少女が顔を出しました。
その優雅な所作と上質な服に、門番は慌てて臣下の礼を取ります。
「こ、これは姫様。お、お会い出来て光栄に存じます」
「申し訳ありません。あなたのお仕事を曲げさせるようなお願いを致しました」
「と、とんでもない事で御座います!」
「父にはあなたの忠義は揺るぎなく確かな事を伝えておきます」
「勿体無いお言葉……!」
門番は深々と頭を下げると、門番は急いで門を開けました。
「ではこの事は天子様と姫の御面会が済むまで内密にお願い致します」
「畏まりました!」
馬車を見送った門番は、夢見心地で溜息を吐きました。
「朱将軍に続いて姫様にまでお会い出来るなんて、今日は最高の日だ……! 朱将軍の紅髪と姫様の黒髪、忘れる事はないだろうな……」
読了ありがとうございます。
やはり来た甘、香……?
黒髪甘香の正体は次回!
次話『幽かな希望掻き集め 光に変える』
よろしくお願いいたします。