進むべき道は 分たれて
近衛兵に追われる薬師・青風を助けた一行。
天帝に迫る危機を知り、熊星は一つの決断をしました。
どうぞお楽しみください。
熊星が近衛兵達の所に行っている間に、青風は桃白と甘香、そして玄流に成り行きを説明しました。
「……つまり、天子様に近い誰かが、天子様に前後不覚になる薬を飲ませて、好き勝手しようとしてる、と?」
「はい。見つかるまでの僅かな時間でしたが、症状からして間違いありません」
「そんな、お父様……」
青風の言葉に青ざめる甘香の肩を、桃白がぽんぽんと叩きます。
「ま、考えようによったら良かったじゃねぇか姫さん」
「よ、良かった、とは?」
「白邑に兵を集めて洒国に攻め込もうとしてるのは、天子様のお考えじゃねぇって事だ」
「あ……!」
「そんな事にまでなっていたのですね……」
重い溜息と共に呟く青風に、桃白は向き直ります。
「んで薬師さんよ。その毒、あんたなら消せるんだろ?」
「あ、はい。と言うより、毒の服用を止めれば、自然と治ります」
「なら後はその黒幕を見つけ出してとっ捕まえれば、万事解決って訳だ」
「姫様、良かった……」
「有り難う、桃白、玄流ちゃん……」
涙ぐむ甘香に、青風は一旦顔を緩めるも、すぐに表情を曇らせました。
「しかし近衛兵が動いたという事は、黒幕はかなりの大物の筈。私の言葉だけで信じてもらえるでしょうか……」
「なぁに、こっちには姫さんが付いてるんだ。相手が天子様でないなら負ける事はないさ」
「で、ですが天子様に薬を盛るような黒幕、姫様に対して危害を加えないとも限りません。危険では……」
「そこは我らが旦那の出番じゃねえか。見たろ? あの強さを。近衛兵十騎をあっさり捕まえるんだぜ? 地位でも武でも負けはねぇんだ」
桃白の明るい言葉にも、青風の曇りは晴れません。
「……朱長夏という将軍がいます。『万夫不当』の名を授けられた武人です」
「ば、万夫不当!?」
桃白が驚くのも無理はありません。
この国では武において目覚ましい働きをした者に、功績に応じた称号が贈られます。
『百人力』の称号を得れば都に屋敷を与えられ、『一騎当千』の名を受ければ子の代まで遊んで暮らせる財を与えられます。
その更に上、最上位の称号である『万夫不当』は、もはや人ではなく武の神と崇められる存在なのです。
「遠征が多いお方なので、私は一度しかお会いした事はないですが、もし今都にいて黒幕に与していたら……」
「そいつは厄介だな。姫さん、その朱長夏っていう将軍と面識はあるかい?」
「いえ、私は名前しか存じません。とても強い方とは聞いておりますが……」
「朱長夏。紅い髪で大柄な武人。三年前、楠国の侵攻の際、二万の軍勢を単騎で二つに割って敵の大将を捕らえた功績で万夫不当の名を賜った」
「え、玄流お前知ってるのか?」
「旅の人が酒場で話してるのを聞いた」
玄流の言葉に、他の三人から重い息が漏れます。
「……となると正面から行くのは危険だな。そんな化け物が問答無用で斬りかかってきたら、姫さんの威光も何もねぇからな」
「……はい、慎重に行った方が良いと思います」
「でも、お父様が薬に侵されているのですよね……? 何とか早くお救いして差し上げたいです……」
「む……」
「そう、ですよね……」
「姫様……」
「ならば某にお任せあれ!」
「!?」
音も無く戻って来た熊星と、その言葉とに驚く四人。
重苦しい雰囲気を笑い飛ばすように、熊星が身振り手振りも大きく言葉を続けます。
「今皆が気付かなかったように、某こっそり動く事にかけては、些か自信がございます」
「……こっそりって、旦那まさか天子様を拐って来る気じゃねぇだろうな……?」
「流石桃白、察しが良い」
「な……!」
絶句する桃白の言葉を、青風が引き継ぎます。
「む、無茶です! 宮廷に忍び込んで、あまつさえ天子様を拐って来ようなんて……!」
「はっはっは。ご心配召されるな青風殿。捕らえた近衛兵達に姫のお立場とご意志を伝えたところ、己が過ちに気が付いたようでしてな。協力を申し出てくれたのです」
「熊星、本当に……?」
甘香の不安と期待が等分の言葉に、熊星は大きく頷きました。
「えぇ。近衛兵の鎧を纏えば、宮廷内でもかなり自由に動き回れます。天子様の寝所の位置も教えてもらいましたから、安全に容易く行える事でしょう」
「でも、そんな事したら、宮廷は、大騒ぎ……」
「玄流は賢いな。その通り。恐らく四半刻もせずに天子様の不在は気付かれるだろう。そこで皆には白邑で待っていてもらいたい」
「ど、どういう事ですか!? 熊星一人で行くと!?」
甘香の悲鳴に近い言葉に、熊星は笑みを崩さず頷きました。
「追手を撒きながら天子様をお連れするなら、某が背負って走るのが一番早うございます。乗り心地は姫もご存知の通り」
「で、ですが、とても強い朱長夏という武人がいるかも知れないと青風が……。二万の軍に一人で勝ち、『万夫不当』の称号を得たと言う……」
「その手の話は大抵尾鰭が付いているものでございます。他国に威を放つ為に大仰に語るものなのですよ」
「そ、そうなのでしょうか……?」
「万が一そのような者がいたとしても、戦わなければ良いのです。気付かれぬようそっと天子様をお連れすれば、如何な強者でも戦いようがありますまい」
「確かに……」
「天子様が雲を突くような大男であるなら、些か骨も折れましょうが、如何ですかな?」
「い、いえ、青風くらいの体格です……」
「ならば問題はありますまい!」
「……はい……」
熊星のあくまで陽気な態度に、甘香の勢いが削がれていきます。
熊星に任せておけば、何とかなるのではないか。
そんな期待が胸に広がっていきます。
「それにこの騒ぎでは、玄流の試験も予定通り行われるかどうか」
「た、確かにそうですが……」
「白邑に連れて行き、女官として育てては如何でしょう? 物覚えはとびきりですぞ?」
「う……」
「玄流も姫の側が良かろう?」
「……うん。姫様、側に居ると、安心……」
「なら決まりですな。桃白、姫を頼む」
「……あぁ。ただ、二つ聞かせてくれ」
「何だ?」
桃白は真剣な目で熊星を真っ直ぐ見ます。
「万が一その朱長夏に見つかって戦う事になったら、旦那は勝てるのか?」
「……名も知らぬ者との戦いなど、雲と喧嘩するようなもの。会ってみなければ分からぬ」
「……。そうか。じゃあもう一つ。ちゃんと姫さんのところに戻って来るのか?」
「……当たり前だろう。天子様をお連れするのだから」
「……。分かった。俺の誇りにかけて約束は果たそう」
「感謝する。青風殿、お連れした天子様の治療はお頼み申し上げますぞ」
「勿論です! 熊星殿もお気を付けて……」
話がまとまったと見た熊星は、自らの荷物をまとめました。
「では行って参ります」
まるで散歩に行くかのような軽い挨拶を残して、熊星は青風の馬に乗り、近衛兵達と共に街道を駆けて行きました。
その後ろ姿を見送る甘香に、桃白が囁きました。
「……姫さん、旦那をあまり信用しない方が良いかもしれないぜ……」
「え……?」
「今、旦那は嘘を吐いていた」
「嘘……?」
桃白を振り返り、再び街道に目を戻した時には、熊星の背はもう声の届かない小ささになっておりました。
読了ありがとうございます。
一行と離れ、都へ向かう熊星。
桃白が見抜いたその嘘とは?
次話『壁がそびえ立つも 曲げぬ願いの道』
よろしくお願いいたします。