されど行手覆う まだ見えぬ霞
熊星の驚異的な剣腕で、文字通り道を切り拓いた一行。
その眼前に迫る不穏な予感とは……?
どうぞお楽しみください。
一夜明け、山道を抜けた一行の馬車は街道へと入り、その歩みを早めておりました。
「間も無く都が見えて参りますな」
「まさかこんなに早く着くなんて……」
「玄流の道案内のお陰ですな!」
「……違う。凄いの、熊星……」
熊星の言葉に、玄流は首を横に振ります。
「玄流の言う通りだぜ。確かに最短の道が知れたのは玄流のお陰だけど、旦那があの倒木を常識外れにぶった斬らなかったら今頃は……」
「常識外れとは心外だな。あれくらい少し修行をすれば出来るようになるぞ?」
「あのな! 旦那の世界じゃどうかは知らねぇが、世間一般では刀は木を斬る道具じゃねぇんだよ!」
「そうなのか。勉強になる」
「旦那、冗談だよな? 冗談で言ってるんだよな!?」
「ふふっ……」
御者台越しの掛け合いに、思わず甘香が笑い声をこぼします。
客車の中が和やかな空気に包まれた次の瞬間。
「桃白! 馬車を傍に寄せよ! 前から騎馬が来る!」
「えっ!? わ、分かった!」
街道の先には何も見えない桃白は、それでも言われた通り、傍に馬車を止めます。
するとうっすらと騎馬の駆ける音が聞こえてきました。
それと共に悲鳴も。
「た、たた、助けて〜!」
「何だありゃ……? 暴れ馬か……?」
「いや、後ろから騎馬に追われている。この音、装備からして都の兵か。一人追うのに十騎とは、些か大仰だな」
「何で分かるんだよ旦那……」
「ともあれ止めて事情を聞くとしよう」
言うなり熊星は矢のように走り出すと、悲鳴を上げる騎馬の手前で切り返し、並走しながら轡を握り、馬の足を止めました。
「どうした。大丈夫か」
「あ、あの、どなたかは存じませんが強そうなお人! た、助けてください! 捕まったら殺されます!」
青年の必死な言葉に、熊星は眉を顰めます。
「殺されるとは穏やかではないな。お主、何をした」
「いえ、その、私、李青風と申します。東の蒼邑で薬師をしております」
「ふむ。それが何故兵に追われる事に?」
「年に一度、私は蒼邑で研究した薬を天子様に献上しておりました。しかし今年はお加減が悪いので、お会い出来ないと言われたのです」
「おかしいな。天子様の具合が悪い時に薬師が来たら、渡りに船と喜ぶものだろうに」
「はい、私も不思議に思い、厠に行く振りをして天子様の寝室に参ったのです」
「……なかなかに無茶をする」
「い、以前にも診察はしていたので……。そこで分かったのです! 天子様はご病気ではなく……!」
「おっとそこまでだ」
野太い声に二人が顔を向けると、騎馬十騎が槍を構えておりました。
「悪い人だな先生。余計な事を話したせいで、俺達はそいつも始末しないといけなくなっちまった」
「ひいぃ……」
「おい待て。某はまだ何も聞いておらんぞ? 見たところ野盗ではなく宮廷直属の近衛兵。大人しく此奴を引き渡せば見逃してはくれぬか?」
「え!? ちょっと! 助けてくださいよ!」
熊星の提案と青風の悲鳴を、近衛兵の隊長らしき男は鼻で笑い飛ばしました。
「ふん、駄目だな」
「青風殿も某も殺すと言うのか?」
「そういう命令だからな」
「つまりは今の天子様の話、何があっても知られてはならない真実という訳か」
「……何とでも言え。墓の下でなら何を言っても文句は言わん」
熊星は溜息一つ吐くと、すらりと刀を抜きます。
「はっ、やる気か? 刀一本で騎馬十騎相手に何が出来る!」
「何、大した事は出来ないさ」
空いている手の動きで青風を馬車の方に下がらせると、熊星は不敵に笑いました。
「お主達全員を殺さずに捕らえるのがやっとというところだろうな」
「……殺せぇ!」
その言葉に、十騎の近衛兵が一斉に襲いかかりました。
「あの、どうなったのですか!? 熊星は……?」
「見るな! ……見ない方が良い……」
そう言って桃白は、御者台から窓を手で塞ぎます。
近衛兵十騎との戦い。
桃白はこれまでの尋常ならざる振る舞いから、熊星が遅れを取るとは思っていませんでした。
しかし如何に熊星が強くとも、相手は訓練を重ねた近衛兵。
血で血を洗う死闘となる事は、疑いようもありません。
そうなれば巨木をあっさりと斬ったあの刀を、人に振るう事になります。
木よりも柔らかく弱い人間が、それを受けたらどうなるか。
(姫さんもそうだが、玄流は一度見たものを忘れられねぇ……。だから見せる訳には……!)
血の雨の降る惨劇しか思い描けず、桃白は窓を塞ぎ、目を逸らす事しか出来ませんでした。
しかし。
「済まぬ。待たせたな」
けろりと戻って来た熊星は、一滴の血も浴びていませんでした。
「は!? だ、旦那、騎兵は……?」
「全員のしたぞ」
「え!?」
信じられずに目をやると、確かに十騎全員が地面に倒れ、首も胴体も手足もちゃんと繋がっていました。
呻き声がするので、命に別状もないようです。
「斬らずに倒したのか!? どうやって!?」
「元々この刀には刃を付けてないからな。軽く頭や胸を突いて気絶させた」
「じゃ、じゃあ昨日の木はどうやって斬ったんだ!?」
「それは、こう、何だ、気合?」
「そんな馬鹿な! 刃のない刀でそんな……!」
「そう言われてもな……」
渡された刀を桃白は恐る恐る確かめますが、確かに刃の無い刀、言ってしまえば刀の形をした鋼の板でした。
「斬りたいものだけを斬れるから、慣れると便利だぞ」
「……旦那が真剣持ったら、城でも斬れそうだ……」
呆れた様子で刀を返した桃白と、鞘に収める熊星に、恐慌から我に返った青風が勢い良く頭を下げました。
「あ、あの、助けてくださってありがとうございます! ……それで、その、大変厚かましいお願いなのですが……」
「何かな」
「都に戻り天子様のお手当をしたいので、どうか手を貸しては頂けないでしょうか!?」
青風の言葉に、熊星と桃白は目を見開きました。
「……あんた、今しがた殺されかけたばかりだってのに、また都に戻る気かい?」
「……はい!」
「次も某が守り切れる保証はないが、それでも?」
「……は、はい……」
怯えながらも頷く青風に、熊星は表情を緩めました。
「ならば某らも目的は同じ。天子様に聞かねばならぬ由があるのでな」
「あなた方は一体……?」
青風が首を傾げたその時、
「熊星! 大丈夫ですか!?」
馬車から甘香が飛び出して来ました。
手には勇ましくも、荷運び用の棒を握り締めておりました。
「姫、ご心配には及びませぬ。この通り五体満足にございます」
「良かった……。桃白が見るなと言ったので、熊星が酷い目に遭っているのかと……」
握り締めた棒の先は、小刻みに震えていました。
「お心遣い、有り難き幸せ」
「私こそ、いつも助けてもらってばかり。有り難う、熊星」
「勿体無いお言葉」
「姫様!?」
熊星が膝をついた事で甘香を目にした青風が叫びました。
「青風!?」
「姫もご存知の方ですか?」
「は、はい。蒼邑の薬師で、一年か二年に一度、白邑にも薬を届けに来るので……」
「……これでますます真実味が増したな……」
「真実味? 何の事です?」
「それは、その……」
首を傾げる甘香に、青風が口籠もります。
「話してくれ青風殿。某らは天子様に会うべく都に向かっているのだ」
「……分かり、ました……」
青風は大きく息を吐いて、はっきりと声を発しました。
「……天子様は何者かに薬を盛られ、前後不覚の状態にありました……」
読了ありがとうございます。
今話のハイライト。
近衛兵十騎相手に余裕を見せる熊星。
二人を慮って窓を塞ぐ桃白。
でも一番は棒を握りしめて戦おうとする甘香だと思います。
次話『向かうべき道は分たれて』
よろしくお願いいたします。