その身すら厭わぬ 強く貴き願い
森の危機を脱した甘香と熊星。
町に到着した二人の前に、何やら怪しげな男が現れます。
男の目的や如何に。
どうぞお楽しみください。
甘香と熊星が入った町では、人々が慌ただしく動き出していました。
「姫、まずは腹拵えと参りましょう」
「そうですね」
二人は仕事前に朝食をと賑わう食堂へと入りました。
片や大柄で黒い髪と髭は伸びるに任せた、山賊のような風体の熊星。
片や桃銀の髪も滑らかな、上品な服に身を包んだ甘香。
奇妙な取り合わせに目を向ける者もいましたが、朝の忙しさに流され、二人は取り立てて注目される事もなく、席へと着きました。
「姫は何を食べますかな?」
「えっと、朝はいつも粥を食べていますので、それがあれば……」
「分かりました。済まぬ! こちらに粥と某に握り飯五つと鷄の一枚肉焼きを三つ頼む!」
「畏まりました!」
熊星の注文に、甘香は目を丸くしました。
「ゆ、熊星。そんなに食べるのですか!?」
「いつもなら鶏の一枚肉を五つは食べたいところですが、腹いっぱいにしては走れなくなりますからな」
熊星の笑顔と言葉に、甘香の目が更に大きく開きます。
「え!? また私を背負って走ると!?」
「勿論です。姫は早く都に着きたいのでしょう?」
「そ、それはそうですけど、昨晩も寝ずに走ってくれたのに……。少し休んでからでも……」
「某の心配、誠に有り難く思います。ですがこの熊星、一日二日寝ずに走った位ではびくとも致しません。どうぞ安心してお乗り下さい」
「で、ですが……」
「お待たせしました!」
甘香の心配は、頼んだ料理に一旦遮られます。
流石は朝働きに出る者への食堂だけあって、料理の提供の早さは素晴らしいものがありました。
「まずは食べてから考えましょう」
「は、はい。いただきます」
手を合わせ、二人は食事を始めました。
量の差は歴然としていましたが、甘香が粥を食べ終わるのと熊星が最後の鶏肉を平らげたのは、ほぼ同時でした。
「旨かった。勘定を頼む」
「畏まりました」
「あ、あの、私の分……」
「こういう店ではまとめて払わないと、店の者に睨まれますのでな。後程と致しましょう」
さっと代金を払うと、熊星は甘香を促して食堂を出ました。
「あの、熊星。粥の代金……」
「姫、今後もきっと様々な支払いがあると存じます。その度に遣ったり取ったりしていては効率が悪う御座います。都に着いてからまとめて精算と致しましょう」
「な、ならば、私の財布を預けます。これで熊星の食事の分も賄って下さい」
「はっはっは。某、金勘定にはとんと疎く、その役目はちと重う御座いますな。どうかご容赦を」
「熊星ったら……」
無邪気な笑顔に、それ以上何も言えなくなった甘香は、そっと財布を戻しました。
「おやおや、そこなる旅する貴人。何かお困りで御座いますかな?」
すると眼鏡をかけた狐のような目の細い男が、二人に話しかけてきました。
「私は金寿栄。商人で御座います。見たところお二人は徒歩での旅のご様子。馬車などあれば楽に旅をする事が出来ますよ」
「え、あ、でしたら」
「姫、此奴詐欺師に御座います」
寿栄の人懐っこい笑みに、甘香が何かを言おうとする瞬間、熊星が冷たく遮りました。
「……いやはや、初対面でご信用が無いのも無理からぬ事。されば何か一つ試しにご要望をお聞かせ下さい。必ずや満足のいく物をご用意させて頂き」
「やはり詐欺師か。馬車を用意出来る程の腕の商人が、根拠も無く面と向かって詐欺師呼ばわりされて、笑って商売を続ける理由が無い」
「ぐっ……」
熊星のぴしゃりとした言葉に、寿栄の笑みが崩れます。
「大方食堂での某と姫の会話を聞いて、一儲けを考えたのだろうが、考えが甘かったな」
「……ちぇ、あんた、ただもんじゃねぇな」
寿栄は商人の顔を崩して溜息を吐きました。
「ま、だからと言って、俺を役人に突き出しても大した罪にはならねぇ。まだ俺はあんた達から何も盗っちゃいねぇんだからな」
「こちらも先を急ぐ身だ。お前を突き出しても手を取られるだけだ」
「おぉこりゃ有り難ぇ。きっとこのお目こぼしの功徳で、良い旅ができると思うぜ旦那」
「分かった分かった。さっさと行け」
「あの! 待って下さい!」
立ち去ろうとする寿栄を、甘香は引き止めます。
「何だよ。お嬢さんは俺の悪行が見逃せねぇってやつかい?」
「馬車を手に入れて頂く事は出来ますか?」
「はぁ!?」
「姫!?」
寿栄の眼鏡の奥の細い目が丸くなりました。
「あ、あんた何言ってんだ!? 俺は詐欺師だってそこの旦那が言ってたの聞いてなかったのか!?」
「でも詐欺という事は、信じさせる何かを持っているのですよね? 馬車そのもの、もしくは馬車を手に入れられる場所を」
「え、あ、まぁ、そりゃあるけどよ……」
「どうかそれを使って、私達に馬車を用意して頂きたいのです」
「姫! 馬車などなくても某は大丈夫です!」
「……金はあるのか?」
「私の持ち金全てがこちらです」
甘香は財布を広げて寿栄に見せました。
覗き込んだ寿栄は、首を横に振ります。
「全然足りねぇな」
「ならばこれを」
甘香はその桃銀色の髪をまとめている髪留めを、外して差し出しました。
精緻な細工の間にあしらわれた宝石。
そこらで手に入る品でない事は明らかでした。
「え、お前、これ、随分な値打ちものじゃないか!?」
「はい。祖母の形見で御座います。それで足りなければ、服でも何でも……」
「姫! おやめ下さい!」
「俺が言うのも何だが、旦那の言う通りだぜ。何でそこまでして……?」
「私は何としても都に行かねばなりません。その為にこの熊星は力を尽くしてくれています。しかしその厚意を食い潰す訳には参りません。その為には馬車が必要なのです」
「姫……!」
「……」
気圧されたように二歩後退った寿栄は、再び大きく溜息を吐きました。
「……随分な覚悟だな。ならその身体で支払ってもらうって言ったらどうする?」
「貴様……!」
「構いません」
「姫!」
熊星の怒りすら入る隙がない程、甘香の言葉には力がありました。
「この旅は元々私が始めたもの。熊星ばかりに辛さを押し付け、私が安穏と旅をする訳には参りません」
「姫……」
「……良い覚悟だ。じゃあ付いてきな」
寿栄に促されて、甘香はその後に続きます。
熊星はしばし戸惑った後、その後を追っていきました。
読了ありがとうございます。
さて、完全に位負けしている詐欺師がどう動くのか。
次話『その願いが行く道照らす灯となる』
よろしくお願いいたします。