縁繋いだ二人は 暁へ向かう
戦を止めるために走る少女・甘香は、熊のような大男・熊星の力を借りて、都へと向かいます。
しかし森の中には危険が潜んでいて……。
どうぞお楽しみください。
「では参りましょう」
「はい」
礼から立ち上がった熊星は、背中に背負っていた荷物と長刀を脇に抱え、しゃがんで甘香に背中を向けました。
「さ、お乗りください」
「え、あの、ですが……」
「この熊星、馬程ではないが、足にも些か自信があります。それに熊の背に乗って駆けたなど、土産話にも丁度良いでしょう」
「まぁ……」
戸惑いを微笑みに変えられた甘香は、おずおずと熊星の背に登ります。
「しっかり掴まって下され。……ふっ!」
「ひゃっ!?」
地を蹴った熊星は、放たれた矢の如し。
風を切るようにして街道を走ります。
「は、速い、ですね! わ、私、重く、ないですか!?」
「おお姫、ご無事で! あまりに軽いので落としたかと思いました!」
「そんな……」
熊星の言葉に、甘香の頬が自然と緩みました。
「乗り心地は如何ですかな?」
「あの、馬車よりも、揺れませんのね」
「街道ですからな。これが山道ならこうは参りません」
「いえ、それにしても……」
腰を落とし、滑るように走る熊星。
かなりの速さにも関わらず揺れの少なさ、そしてその広い背中に、甘香は異国の物語にあった空飛ぶ絨毯に乗っているような錯覚すら覚えました。
(……! いけない……! 私は戦を止めるために都に向かっているのに、こんな浮ついた気持ちでいては……)
胸に湧き上がる高揚感を振り払うように、甘香は首を振ります。
「姫、星が美しゅうございますな」
「え……? あ……!」
熊星の声に顔を上げると、月の光がか細いために、宝石を散りばめたような星空が、甘香の目に飛び込んできます。
その美しさに、甘香は息を呑みました。
「姫、某がどれだけ速く駆けても、馬や馬車を使っても、星の見え方を変える程早く遠くに行く事はできませぬ」
「え、えぇ」
「ですが座していても、星とはゆっくりと動き、巡るものです」
「は、はい」
「……えっとですね、ですから今は寝るくらいで丁度良いかと」
「はい!?」
熊星の突然の勧めに、甘香は思わず大きな声で聞き返してしまいました。
「いえ、ですから、人の力で星の動きを変える事はできないのです。ですが星は自ら巡るのですから、えっと、寝て待つのも良いのではないかと、その……」
「……」
熊星の慌てた言葉を頭の中で反芻した甘香は、その意図するところに至りました。
都に行かねば何も始まらない今の内から、気を張り詰めていても意味が無い。
星の巡り、つまり本当に力を振るう時が来るまでは、休んでも心を緩めても良い。
そんな熊星の口下手な優しさが、甘香の張り詰めていた心をさらりと撫でていきました。
「……そうですね。都までは五日はかかる道のり。都で役目を果たす為、少し休ませて頂きます」
背中に頭を預けられた熊星は、安堵の溜息を吐きます。
「言葉足らずな我が意を汲み取って下さり、有り難う御座います。姫は聡明でいらっしゃる」
「……熊星、貴方に出会えて、本当に良かった……」
「はっはっは、姫。そういうお言葉は旅の最後に相応しいですぞ」
「……いえ、感謝と、いうものは、感じた時に、伝えないと、いつ、言えなくなるか、分から、ないので……」
「……まこと、そうですな」
うとうとしながらの途切れ途切れの言葉に、熊星は深く同意します。
「……ありが、とう……」
「……こちらこそ」
少しして甘香の寝息が聞こえ始めました。
その愛らしさに頬を緩めた熊星でしたが、
「かような小さな身体に、何と重いものを……!」
そこに浮かんだ表情は怒り。
並の胆力の者では、即座に我を失う程の凄まじさ。
それでもなお、甘香を支える手は優しく、走る足は宮廷での儀式のように静かでした。
一度も止まらず走り続けて、間も無く町、間も無く夜明けという頃合。
熊星の耳が、追走してくる影を捉えました。
「……狼か」
熊星と甘香を囲むように、草木が擦れる音が聞こえてきます。
運悪く、熊星と狼の群れは鉢合わせてしまったのでした。
「参ったな……」
狼達はこれまでの経験から、『何かを背負った生き物』は、普通の獲物よりも狩りやすく、また食い出がある事を知っていました。
例え相手が熊でも、傷付いた子熊を背負った親ならば、狩った事もありました。
その為、甘香を背負った熊星は、格好の獲物に見えたのです。
「……仕方無し」
熊星は少し開けた場所で、ふと足を止めました。
狼達はその前後左右を取り囲み、同時に襲いかかれるよう、ゆっくりと間合いを詰めていきます。
「姫、姫」
「ん……、ふぇ……?」
「お休みのところ、申し訳ありませぬ」
「……? ここ、どこ……?」
「今少しで町という所ですが、狼に囲まれました」
「……おお、かみ……?」
ぱちりと甘香の目が開きました。
「ど、どうしましょう! こんなに沢山……! 何かお肉でもあれば良いのですが、私、今、持ち合わせが……!」
「いえ、あの、大丈夫です。少し脅かして追い払いますので、一度背から下りて、耳を塞いでいて頂きたい」
「耳を……?」
不思議に思いましたが、甘香は言われた通りに熊星の背から下り、耳に強く手を押し当てます。
その頭に身を包んでいた外套を被せました。
途端に熊星が纏う空気が変わりました。
重く、黒く、鋭く。
それは禍々しい剣のような凄まじい殺気。
「……去れ」
地獄の底から響くような言葉に乗せて、殺気が狼に放たれます。
言葉そのものの意味は分からずとも、手向かえば命はない事を本能で知った狼達は、子犬のような悲鳴を上げながら、森の奥へと逃げていきました。
「姫、もう大丈夫ですよ」
「え、狼は!?」
「皆逃げて行きました」
甘香から外套を外した時には、元のにこやかな熊星に戻っていました。
「……熊星は強いのですね」
「いやいや、野生の生き物とは臆病なもの。立ち上がった某を熊と見間違えたのでしょう」
「そうなのですね。熊星はこんなに優しいのに……」
「はっはっは。……お、姫。夜が明けますぞ」
「わぁ……」
行く手から昇る朝日。
その温かな光は、二人の旅路を見守るかのように柔らかく包み込んでいくのでした。
読了ありがとうございます。
訳あり風で強いキャラって良いですよね。
熊星は私の趣味もりもりのキャラとなっておりますので、どうかご容赦ください。
第三話『その身すら厭わぬ 強く貴き願い』
どうぞよろしくお願いいたします。