旅が紡いだ光集い 黒き霞払って
熊星の身を挺した策を止めるべく、奔走する甘香達。
それぞれの意思が交錯する中、とうとう出陣の日を迎えました。
戦は止められるのか、それとも……。
どうぞお楽しみください。
「諸君! この度は秘密裏の準備をよくぞここまで完璧に進めてくれた!」
太子・黄竜覇の檄に、兵達が居住まいを正します。
「此度の戦は我が父・天帝陛下を害した洒国を誅するもの! 必ず勝たねばならぬ! だが準備は万端整った! 我々に敗北はない! では征くぞ諸君!」
兵達が動き出そうとしたその時。
「お待ち下さい!」
美しく涼やかな、それでいて凛とした声が響きます。
開いた扉の前で揺れる桃銀の髪に、竜覇は目を見開きました。
「ば、馬鹿な! 甘香! 何故ここに……!?」
「此度の戦、大義などありません! 天帝陛下のお加減が悪いのは洒国から仕入れた薬によるものですが、それを与え続けたのは劉訪薫、あなたです!」
「な、何を馬鹿な……!」
「……」
太子の動揺と対照的に、隣に立つ訪薫は落ち着いた表情で甘香を見ていました。
「大人しく負けを認めて兵をお引き下さい。証拠は全て揃っているのです」
甘香に続いて顔を出した桃白が、笑みを浮かべます。
桃白は手元の巻物を広げると、中身を読みながら朗々と語り始めました。
「ふむ、なかなか巧妙な策ですね。手術用の麻酔薬を他の何でもない薬と共に洒国に注文して、天子様に麻酔薬の方を飲ませる。こうすれば立派な言いがかりの完成です」
桃白の言葉に、兵達から動揺の声が上がります。
「それに後宮でも奇妙な噂を聞きました。玄流」
「『私は劉尚書から後宮の中で太子様の男らしさを讃えるように言われました。天子様にも負けない力強さが太子様にはあると、自信を付けさせるようにと……』」
「まるで此度の戦を焚き付けるかのようですな。太子様が戦に踏み切った理由もこちらではないのですか?」
「ば、馬鹿な事を言うなっ!」
太子の怒りと焦りの声に、兵達の動揺が広がりだしました。
「そもそも秘密裏に攻めると言う事がおかしい。洒国に明確な非があるのなら、まずは糾弾すべきです。それをせず突然戦とは、後ろ暗い事があると言うも同然です」
「ほ、訪薫……」
竜覇は動揺して訪薫を見ます。
しかし訪薫は微笑すら湛えて手を叩きました。
「これはこれは、何処の何方かは存じませんが、なかなか面白いお話を伺いました。物書きの方ですかな? 実に想像力が豊かでいらっしゃる」
「ほう、では私の話は事実と異なると?」
「如何にも。まず天子様への薬と偽って麻酔薬を渡したのは洒国です。事前に確かめなかった落ち度は責められるべきやも知れませぬがね」
「麻酔薬の服用でお加減を崩されたなら、服用を止めれば済む話。それを投与し続けたのは害意ありとしか思えませぬが」
「投与を続けた? 今はご快復の為の薬を差し上げておりますが……?」
「では青風殿」
桃白の合図で、青風が扉の陰から出てきました。
訪薫はぴくりと眉を動かしましたが、表情は崩れません。
「あの、私は天子様の薬を調べました。成分は麻酔薬でした。なのでここ三日は普通の薬にすり替えて……」
「おやおや! 蒼邑の薬師の貴方がどうやって天子様の薬を調べたのですか? 馬鹿も休み休み仰いなさい!」
「い、いえ、私は……」
「それに太子様を讃えるのは当然の事! この戦を秘密裏に進めたのは、内外の動揺を抑える為! 洒国から陛下の特効薬を得れば即兵を引き、騒乱を最小限に抑える目論見があったからです!」
捲し立てる訪薫の言葉には、動揺はありません。
それが兵達には、図星を突かれて慌てているのではなく、戦の意義を侮辱された怒りに映りました。
徐々に動揺が収まっていくのを見て、桃白は内心で舌を打ちます。
(こいつ、手強いな……。かなり攻め込めたが、尚書としての信頼を崩すには至らない……。太子さん相手だったら簡単だったんだがな……。もっと時間があれば……!)
三日、しかも正体を隠しながら調べられた事は、洒国に麻酔薬を注文していた事と、後宮の噂、そして青風が手に入れた麻酔薬だけでした。
これで動揺が誘えれば、得意の話術で虚実織り交ぜて話して場の掌握も可能でしたが、訪薫相手では足元を掬われかねないと、桃白はそれ以上攻められません。
「そもそもここから五日はかかる白邑におわすはずの甘香姫が、ここにいる事自体不自然ですな?」
「兵が白邑に入り、戦が起きると知ったので、止める為にここまで参ったのです」
「ならば何故お知らせもなく、まるでこそ泥のように振る舞われたのですか? 真に後ろ暗いのは貴女方の方ではないのですか?」
「手紙さえ禁じておいて、何を……!」
「先程も申し上げました通り、この戦が内外に知られますと大きな動揺を生みます故。如何に女の身で戦が恐ろしくても、些か軽率でしたな」
甘香の覚悟を鼻で笑う訪薫。
その顔には余裕がありました。
「なぁにご安心なさい。戦いらしい戦いはないでしょう。我が国が誇る『万夫不当』朱長夏将軍が戻られているのですから」
「!」
兵達から歓喜の声が上がります。
戦となれば生きるか死ぬかですが、『万夫不当』と共にあれば、それは勝ち戦。
空気は一気に開戦へと傾いてしまいました。
「朱将軍がいれば勝利は約束されたも同然! 姫は無用な心配をなさらず、ここで陛下の特効薬をお待ち下さい。さ、将軍、此方へ」
竜覇の玉座の幔幕裏から、すらりと現れた大きな姿。
燃えるような紅髪。
堂々たる体躯。
圧倒的強者の風格に兵達は興奮し、桃白達を絶望が包みます。
「くそっ! よりにもよって朱長夏が戻って来てるなんて……! 旦那の姿が見えねぇのは、まさかあいつにやられちまったのか!?」
「天子様が元に戻られるには、おそらく半月以上必要です……。その頃にはもう戦は……」
「姫様、戦、始まるの……?」
三人が絶望を口にしたその時、甘香の目は真っ直ぐ長夏を見つめていました。
そして、
「……熊、星……?」
ぽろりとこぼれた言葉に、長夏が目を見開き、
「髭も剃り、黒に染めていた髪も戻したのですが、まさか一目でとは……」
あの柔らかく豪快な笑顔を浮かべたのでした。
読了ありがとうございます。
つまり熊星=朱長夏だったんだよ!
な、何だってー!?
髪の色のミスリードとか色々入れていましたが、それ以前に名前の共通点からお気づきの方がちらほらと……。
ふふふ、二つ名とかだけにして本名を明かすべきではなかったな朱長夏よ……。ふふふ……(悔し泣き)。
最終話『星の元 旅は終わる』
事が終わり、熊星と甘香の旅も終わりました。
二人の行く末は……。
どうぞお楽しみに!




